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第100話 思い込み

 王都南部、大市場地区。


⸻


 朝から市場は喧騒に包まれていた。


 魚を売る威勢のいい声。


 値切る女たちの怒鳴り声。


 荷車の軋む音。


 焼いた肉の匂いと、生魚の生臭さが入り混じっている。


⸻


 その雑踏の中を、帝国憲兵隊の一団が進んでいた。


⸻


「ジンの証言では、『魚屋の声が聞こえた』でしたな」


⸻


 コーナンが周囲を見回しながら言う。


⸻


「ああ」


⸻


 滝も地図を片手に頷いた。


⸻


「市場の近くに監禁場所があった可能性は高い」


「橋と小川の話とも一致する」


⸻


 すでに憲兵たちは手分けして聞き込みを始めていた。


 市場裏。


 倉庫街。


 特に魚屋の並ぶ一帯を重点的に調べている。


⸻


 だが――。


⸻


「駄目です」


⸻


 若い憲兵が戻ってきた。


⸻


「魚屋周辺に怪しい倉庫はありません」


「空き家も調べましたが、それらしい痕跡も見つかりませんでした」


⸻


 別方向へ向かった憲兵も首を振る。


⸻


「こちらも同じです」


「地下倉庫も確認しましたが、最近使われた形跡はありません」


⸻


 滝は腕を組んだ。


⸻


「……おかしいな」


⸻


 ジンは爆破事件の被害者だ。


 命を狙われた側である。


 わざわざ嘘をつく理由はない。


⸻


 だが。


 証言と現場が噛み合わない。


⸻


 市場の喧騒を聞きながら、滝は小さく息を吐いた。


⸻


 その時だった。


⸻


「油ー! 油はいらねえかー!」


⸻


 威勢のいい声が響く。


⸻


 振り返ると、若い男が天秤棒を担いで歩いていた。


 吊るされた樽から油の匂いが漂う。


⸻


 滝は、その姿を目で追った。


⸻


「……待ってくれ」


⸻


 男へ歩み寄る。


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「少しいいか?」


⸻


 油売りは露骨に警戒した。


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「な、何です?」


⸻


 異国風の顔立ち。


 黒紺色の制服。


 胸には増えたばかりの金の星。


⸻


 どう見ても普通の相手ではない。


⸻


 だが、隣に立つコーナンと胸の憲兵隊章を見ると、男の顔色が変わった。


⸻


「け、憲兵さんですか?」


⸻


 慌てて天秤棒を下ろす。


 重そうな油樽が、どすりと石畳へ置かれた。


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「ああ。少し聞きたいことがある」


⸻


 滝は油樽へ目を向ける。


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「重たいだろ、それ」


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「は?」


⸻


「店を構えた方が楽じゃないのか?」


⸻


 油売りはきょとんとしたあと、苦笑した。


⸻


「店を持てるなら持ちたいですよ」


「でも金がありませんし」


「それに、店まで行くのを面倒がる人も多いんです」


「足腰の悪い年寄りとか、家から出られない奥さんとか」


「呼び止めて買ってくれるんで、意外と食っていけるんですよ」


⸻


 滝は黙って耳を傾ける。


⸻


「あと、生魚なんか特にそうですけど」


「在庫を抱えると腐るでしょう?」


「だから売れる分だけ担いで歩く行商人って結構いるんです」


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 その瞬間。


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 滝の目が細くなった。


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「……コーナン」


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「はい?」


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「ジンが聞いたのは『魚屋の声』だったな」


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 一拍置く。


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「……店を構えた魚屋だと、誰が言った?」


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 コーナンが目を見開く。


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「あ……」


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 滝は額へ手を当てた。


⸻


「伝聞の証言を、そのまま事実と思い込んだ」


「証言は、一語一句確認しなければならなかった」


⸻


 小さく苦笑する。


⸻


「……まだまだだな」


⸻


 行商人なら。


 声だけ聞こえても何も不自然ではない。


 市場の外。


 住宅街。


 川沿い。


 どこへでも売り歩く。


⸻


 コーナンは勢いよく振り返った。


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「おい!」


⸻


「固定店舗じゃない!」


「行商の魚売りを当たれ!」


「橋と川沿いを中心に聞き込みだ!」


⸻


 憲兵たちが一斉に走り出す。


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 市場の空気が再び動き始めた。


⸻


 滝も駆け出そうとする。


 だが、その前に。


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「悪かったな。仕事の邪魔をした」


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 制服のポケットから小さな包みを取り出す。


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「礼だ」


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「え?」


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 油売りが反射的に受け取る。


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「行くぞ、コーナン!」


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「はい、大佐!」


⸻


 二人はそのまま市場の奥へ走り去っていった。


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 残された油売りは、呆然と包みを見下ろした。


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「……礼?」


⸻


 ずしりとした重み。


 思わず周囲を見回す。


⸻


「ま、まさか……銀貨か?」


⸻


 憲兵隊大佐。


 しかも貴族付き。


 さきほどの様子からして、相当な地位の人物だった。


⸻


 油売りは、ごくりと唾を飲み込む。


⸻


「今日はツイてるかもしれねえ……」


⸻


 期待を込めて包みを開いた。


⸻


 中に入っていたのは――。


⸻


 山芋が一本。


 そして焼きトカゲが二匹。


⸻


「……いらねえよ」


⸻


 油売りの叫びは、市場の喧騒にあっさりとかき消された。

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