9.連続ペット盗難未遂事件
アニア・ゴールドはどうして魔王が猫のサリーの捜索に付き合っているのか不思議に思っていた。
前回と前々回の“物探し”の依頼の際には、まるで“それは自分の仕事ではない”と言わんばかりの態度で、魔王はまったく協力する気配を見せていなかったのだ。
何故か本来は家事手伝い担当のはずのウールリ・リールラが「面白そう」と言って付いて来たが、ほとんど彼女一人で依頼をこなした。因みにウールリは何故か今回も付いて来ている。
依頼主の家を訪ねる道すがら「どうして、今回は付いて来たのですか?」と彼女が尋ねると、魔王は「今回の仕事はあなた一人では大変だと思いまして」などと答える。
「前回は“物探し”で今回は“猫探し”ですよ?」
「はい。猫は動きますから」
「ひょっとして馬鹿にしていますか?」
「ハハハ」と魔王は笑う。彼女は何か誤魔化されているような気分になった。
依頼主のブラウン家は相当な金持ちだった。高級住宅街の一等地にある屋敷は、大きい上に豪奢な造りだ。彼女は屋敷に上がっただけで肩が凝ってしまった。
客間に通されると、探偵社に依頼に来た親子がいた。先日に話は既に聞いていたので、軽く挨拶をするだけで済ませ、彼女達は手掛かりに猫のサリーの写真を貰った。流石は、金持ち。高価なのに、確りと飼い猫の写真も撮っている。サリーはいかにも裕福な暮らしをしていそうな恰幅の良い白黒でトラ柄の猫だった。
「可愛いですねぇ」
写真を見たアニアのその感想に魔王は“え?”という表情を見せる。太々しい見た目で、彼からすれば可愛いとは思えなかったからだ。ただ、どうも彼女は本心から言っているようだった。
思わず「流石ですね」と魔王は漏らしてしまう。「何がですか?」とそれにアニア。
それから「では、任せてください」と言ってソファをアニアが立ち上がると、依頼主のトニーが「おねーちゃん、よろしくね!」と言って抱きつこうとした。が、間に割って入って魔王がそれを防ぐ。笑顔だったが、目が笑っていなかった。
「依頼主とはいえ、やって良い事と悪い事がありますよ?」
そんな魔王の態度を見て、アニアは、
“……まさか、今回この人が仕事に一緒に来たのって、この子に嫉妬したからじゃないですよね?”
などと思う。
それから屋敷のメイドの案内で、彼女達は猫のサリーの寝床と餌場を見て回った。猫の毛を採取できた以外は特に収穫はなかった。強いて言うなら、鳥のササミがサリーの好物だと教えてもらい、誘き出す為に少し分けてもらったくらいだ。
ただ、屋敷を出る間際にメイドの一人がこんな事を教えてくれた。
「奥様達は、ご近所付き合いをあまりなさらないのでご存知なかったようですが、実はここ最近、この近辺でペットがいなくなる事件が相次いでいるようです」
「ペットが?」とアニアは驚く。
「はい。ただ、しばらくすると戻って来るのでそれほど騒がれてはいません。ですから、サリーちゃんも直ぐに戻って来るものだと私どもは思っていたのですが」
「なるほど、分かりました。ありがとうございます」と、彼女はその情報提供にお礼を言った。
「――さて。取り敢えずは、聞き込みからですかね?」
屋敷の外に出て、少し歩くとアニアがそう言った。
もちろん、“ペットが失踪している”という話をメイドから聞いたからだ。
ウールリが「賛成」と無表情に言う。そしてそれから唐突に「んにゃあおう~」と大きなまるで猫のような声を上げた。いきなりの行動にアニアは驚いたのだが、少しの間の後に猫がたくさん集まって来たので更に驚いてしまった。
「こんな事ができたのですか、ウールリちゃんには」
魔王が淡々と「まぁ、妖精ですからね」と理由になっているのかいないのかよく分からない事を言う。
にゃー、にゃーと猫達はかなり喧しい。
「あ~ これであの猫が見つかれば手っ取り早かったのに、流石にそれはないみたい」
集まって来た猫達をざっと眺めながらウールリはそう言うと、今度は先ほど採取した猫の毛を取り出した。そして、片手で何らかの魔法をかけると、探しているサリーの姿を幻で浮かび上がらせる。
「うなーお!」
そして、今度はそんな鳴き声を上げる。猫達は様々な鳴き声でそれに返した。
「もしかして、猫語が分かるの?」
目をキラキラさせながら、アニアがそう訊いた。が、ウールリに「いや、ないですから、そんなの」と冷静に返されてしまった。
「猫達の反応から、最近サリーを見かけているかどうか確かめようと思ったのだけど、うーん、ちょっと分からないです」
腕を組むと、アニアは「それなら、いよいよ“人間に”聞き込みですかね?」と提案した。そのタイミングで、近所に住んでいるだろう子供達が傍を通りかかった。
「うわ! なに? この猫たち!」
猫達に驚いている。
そのチャンスをアニアは見逃さなかった。
「君達、ちょっといいかな? 訊きたい事があるのだけど」
子供達から話を聞いてみると、彼らもペットの失踪事件をよく知っていた。しかもトレンチコートを来た怪しい男が近頃この辺りをよく歩き回っていると教えてくれた。
中肉中背で帽子を目深に被っている所為で、その男の顔はよく分からなかったらしい。真っ黒な顔をしていたと言っていた子供もいたそうだけど、本当か嘘かは不明だそうだ。
この辺りは高級住宅街なので、その男はかなり目立った。だから子供達の印象に残っていたのだ。子供達はペットが消えているのは、その男が盗んでいるからだと思っているらしい。
ただ、男の行動理由は不明だという。
「うちの犬のマーナもニ三日したら戻って来たし、何をしたいのか分からないの」
そう子供の一人が証言してくれた。
メイドの証言と同じだ。ペットはいなくなっても直ぐに戻って来る。
猫達が消え、子供達もいなくなると、アニアは首を傾げた。
「仮にその男が本当にペットを盗んでいるのだとしても動機が分からないですね。高級ペットでしょうから、売れば儲かるはずなのに、それもしない。
それとも盗んだはいいけど、買い手が見つからずに直ぐに返してしまうとかでしょうか? 杜撰に過ぎますが。ただ、だとしても、同じ事を繰り返している説明がつきませんが」
彼女は今回の依頼は単なる猫の捜索だという考えを改め、事件性があると判断した方が良さそうだと考え始めていた。
「高級住宅街での犯行ですし、何らかの陰謀を疑った方が良いかもしれません」
ところがそれを聞くと、魔王が「いやぁ、それはどうでしょう? 考え過ぎな気もしますが」などと言って来る。彼女を宥めようとしているように思えた。
「いえ、どう考えても変ですって」と、それに反論するようにアニアは言う。
「私、もう少し聞き込みをしてみます。何にせよ、そのトレンチコートの男を探してみるべきでしょう。その男がサリーちゃんを盗んだ可能性が一番大きいのですし」
そんなアニアをまだ魔王は宥めようとする。
「そうかもしれませんが、いずれにしろ、今日はもう帰りましょう。明日から、本腰を入れれば良いじゃないですか」
がしかし、アニアは火がついてしまったらしく、
「いいえ、猫ちゃんの命がかかっているかもしれませんし、人間の、子供の被害者だって出るかもしれません。私はもう少し調査を続けようと思います!」
と、力んで返すのだった。
普段の状態なら、真面目な彼女は上司である魔王の言う事に従うだろう。が、彼女には優先順位がある。子供や可愛い動物に危険が及ぶかもしれないとなれば、上司の命令にだって背いてしまうのだ。
仮に「処罰をする」と魔王が脅しても、彼女は止まらないだろう。“上司に背いたのだから処罰は当然”と受け入れた上で、それでもなお調査を続行するに決まっている。
「はあぁぁぁぁぁ」
と、そんなアニアを見て魔王フルムス・クルブスは大きなため息を漏らした。
「どうかしたのですか?」
それを見て、不思議そうな顔でアニアは言った。
「いえ、非常にあなたらしいと思いまして。もっとも、そんなところもあなたの魅力の一つなので困ってしまいます」
魔王はそう言ってから、ウールリを見やる。ウールリは何も言わずともその視線の意味を察したらしく、サリーの毛を取り出した。
幸い猫は霊性の高い動物と言われている。だから、高い魔法の力を持った者なら、その毛を使えば高度な魔法だって可能なのだ。
ウールリが手を翳す。集中しているように見える。やがて青いカゲロウのような揺らめきが空気中に現れた。
「それは……?」と、アニア。彼女も知らない魔法だった。
「静かにして」とウールリが言った。その一呼吸の間の後、地面に青い影の足跡が現れた。
地面に青い炎が落ちているよう。
「猫の疑似的なドッペルゲンガーを生成しました。これに魔力の痕跡を辿らせます」
彼がそう言うなリ、その青い影の足跡は駆け始めた。かなり速いが、勇者であるアニアや魔王になら充分に追えるスピードだ。ウールリは魔王が抱えて走っている。
「どうして、さっさとこの魔法を使わなかったの?」
アニアがウールリに質問すると、魔王に抱えらえたままの恰好で彼は「だって疲れるから」と真顔で返す。どこまで本気なのか分からない。
やがて足跡は高級住宅街を抜け、川を渡り、倉庫が立ち並ぶ場所へと進んだ。
が、そこで足跡は突然に吹き消されるように消えてしまったのだった。
魔王は悔しそうにする。
「……魔力の痕跡が消えた? いえ、これは意図的にガードしているのですかね?」
少しばかり煩悶していたようだったが、立ち止まったアニアが彼を心配している表情を浮かべているのに気が付くと「ええい、致し方ない! この倉庫の周辺くらいならば問題ないでしょう!」と声を上げ、ウールリから猫の毛を奪うようにすると、「魔界を展開します!」と声を上げた。
魔王の結界、略して“魔界”。その途端、灰色の殻のような結界が魔王を中心に広がり、この辺り一帯を覆ってしまう。
「なにこれ……?」
と、アニアは不思議そうに声を上げたが、そう言いながら思い出していた。
魔王の力の一つに“強力な結界”がある。その内部は彼の世界であり、法則を自在に操作できる。世界の法則を変えて利用するのが魔法なのだとすれば、魔法の究極の形とも言えるかもしれない。
現実に夢が重なっているような感覚。いくつもの光の筋。灰色の空間の中を魔王フルムス・クルブスの意思が目まぐるしく回っているのが彼女には感じ取れていた。
――美しい。
ほんの数秒だったのかもしれない。が、アニアはその結界に包まれている間をとても長く感じた。
「――分かりました。猫はそんなに遠くにはいません」
やがて、止めていた息を吐き出すようにして魔王がそう言った。
アニアはそれで我に返った。無意識の内に、彼の結界に魅せられてしまっていたのだ。
確信を持った足取りで魔王が走り出す。慌ててアニアはそれを追った。しばらく進むと魔王は倉庫の一つに入っていった。何故か扉が開いている。彼らの足音を聞いたからか、「にゃー」と猫が鳴き声を上げた。
“見つかった? サリーちゃんが、中にいるの?!”
その鳴き声に喜ぶと、アニアは魔王に続いて倉庫の中に入っていった。倉庫の奥の方に小さな檻があるのが見えた。中に猫がいる。サリーだ。どうやら無事のようだ。彼女は安心しかけたのだが、ほぼ同時に異変に気が付いた。何故か、その傍らで魔王が立ち尽くしているのだ。
何をしているのだろう?
そこでアニアは気が付いた。
トレンチコートを着た男が彼の目の前に倒れているのだ。しかも、その周囲にはどす黒い血だまりができていた。動かない。男は薄いグレーの肌をしていた。
不吉な予感を彼女は覚える。
振り返ると魔王は言った。
「アニアさん…… その男、死んでいます」




