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10.警察署のクリンちゃん

 ベルヘルムのエニグアス区にあるエニグアス警察署内の取調室。

 灰色の壁の狭くて圧迫感のあるその部屋で、女性警察官のクリン・クーはいかにも機嫌が悪そうに、目の前にいる魔王フルムス・クルブスを睨みつけていた。

 彼は比較的小さな椅子に座らされていて、背の高い彼には不釣り合いに思える。

 「困るのですよ、リースランさん」

 クリンはそう言う。

 リースラン・ノイミス。人間社会で彼が好青年の姿に化けて探偵活動する際の通り名だった。もちろん偽名である。

 「ですから、殺人には私は関与していません。あの男は駆け付けた時には既に事切れていました。一緒にいた勇者のアニア・ゴールドさんも証言していたと思いますが?」

 クリンは軽くため息を漏らすと、「何故、女勇者とあなたが一緒に働いているのです?」と質問をした。

 「彼女は優秀ですからね。私が雇ったのです。こーいう時に証言が信頼され易いですし。実際彼女の証言は信頼されているのでしょう? 私は犯人ではない」

 しかし、クリンはそんな魔王の言葉を無視して顔を思いっきり彼の顔に近づける。鼻が触れるか触れないかといった距離で、威圧なのか挑発なのか分からない口調で「そんな事は、どーでも良いのですよ、魔王フルムス・クルブスさん」と彼女は言った。

 「アハハ。正体を言っちゃわないでくださいよ」と彼は飄々とした様子で笑う。

 「ここでは問題ないと、あなたは知っているはずです」

 女性警察官のクリン・クー。

 黒髪の童顔で、ボブカット。ただし、身体のパーツは確りと大人の女のそれで、態度や所作も大人の女性を感じさせる。ストイックなデザインの制服がそれを際立たせていた。

 その所為か、彼女からは何かチグハグな印象を受ける。

 「何故、“魔界”を使ったのですか? もしあなたがこの街にいると知られたら、協力関係を要請されているわたし達としても、かなりやり難くなってしまうのですが?」

 「致し方ない事情があったのです」

 「報告書を読む限りでは、そんな事情があったようには思えませんが?」

 「猫の命がかかっていまして」

 「猫の命~?」

 「報告書に上がっていませんでしたか? 猫の捜索依頼をこなしている最中だったのですよ」

 クリンは薄く目を開けて、しばらく魔王を見据える。

 「どうでも良いって思っていますよね? 猫の命」

 そう言った彼女は、明らかに魔王に対し呆れていた。

 「――誤魔化すにしてももう少しくらいマシな嘘を言ったらどうです?」

 

 ……魔王フルムス・クルブスが失踪してから数か月が経った頃、エニグアス警察署に衝撃的な話が入って来た。なんと失踪したはずの魔王から極秘裏に協力申請があったというのだ。俄かには信じられない話だが、この人間社会に失踪した魔王は潜伏しており、魔族の調査をしているのだという。

 極めて政治的な話であり、しかも当然ながら非公式。この上なく厄介。ただ、魔族とは和平を結んだばかりであり、無碍にもできない。しかも協力するという事は逆に言えば相手を監視できるという事でもある。

 人間社会に魔王がいるという事実は、はっきり言って捨て置けない。監視できるのであれば警察にとってもメリットがある。だから警察は魔王からの協力要請を承諾したのだった。

 が、はっきり言ってそれはとてつもなく嫌な仕事だった。魔王に協力する事に精神的に抵抗がある者もいたし、責任も重いし、それに反して見返りは少ない。誰もやりたがらないのは容易に想像できた。

 そして、そんな誰もが嫌がる仕事をあっさりと引き受けたのが、刑事課に所属している女性警察官の、クリン・クーだったのだ。

 「――魔王と関わり合いになるチャンスは滅多にありませんから。市民の安全を護る警察官として、当然の責務です」

 というのがその時に彼女が語った理由だった。その彼女の殊勝な言葉を、警察署の人間達は大変に頼もしく思った。

 が、しかし、彼女はそんな殊勝な人間ではなかったのだが。

 

 「ダメですね。“魔界”を使った本当の理由は言いそうにありません」

 

 取調室から出て来ると、クリンは上司にそう報告した。

 「やっぱりねえ。まさか、魔王相手にきつい尋問をする訳にもいかないし」

 彼女はそれに愚痴で返す。

 「まったくです。今までだって、“協力関係”なんて名ばかりで、こちらがほぼ一方的に利用されていますよ。

 依頼される内容も断片的なものばかりで、全体像は把握し難いですし」

 魔王が人間社会に潜伏している“人間に敵意を向ける魔族の組織”を調べているのだという事はなんとなく警察も掴んでいた。しかし、具体的にそれで魔王が何をしたいのかまではまったく分かっていなかった。

 悪だくみはしていなさそうではあるのだが。

 彼女は取調室で好青年の姿に化けていた魔王の姿を思い浮かべる。彼は余裕たっぷりの態度で、彼女に悠然と語った。

 「経緯は報告書にある通りです。連続ペット盗難事件…… もっとも、私達に依頼があった猫の盗難以外は全て未遂と見做すべきでしょうが、その犯人を追って倉庫に足を踏み入れると、既に犯人と思しきあの男が死んでいたという次第です。

 こちらとしては、あの死んでいた男の情報が欲しい。どんな男でどうして殺されていたのか。

 薄いグレーの肌の色からして、人間ではありませんね。でも、魔族にも見えなかった。ハーフですか?」

 彼はまったく取調を受けている態度には思えなかった。反対に情報を聞き出そうとしている。

 死んでいた男については未だに調査中だったが、死因が銃撃だという事までは分かっている。勇者アニア・ゴールドの証言を信じるのであれば、魔王の犯行だとは考え難い。魔王には動機もないし、そもそも彼なら殺害が見つからないように何か高度な魔法を使うだろう。

 だから、彼女は魔王を疑ってはいなかった。だがしかし、まったくの偶然で魔王が犯行現場に居合わせるなどといった話も信じられなかったのだが。

 きっと何か繋がりがあるのだろう。

 「お願いしますよ」と言って魔王は薄っすらと笑いながら変身を解いた。人間の姿でも充分に美男子だが、変身を解くと更に磨きがかかる。妖艶と言ってしまっても良い。

 

 「……ああ、もうあの魔王を逮捕してしまいたい!」

 

 クリンは滲まさせた悔しさを吐き出すようにそう声を上げた。それを聞いた上司は「気持ちは分かるよ、クリンちゃん」と相槌を打つ。

 「何せ、相手は現役を退いているとはいえ、魔族の長だものな。捕まえて正義を執行したいさ」

 “正義を執行”と上司は言ったが、魔王クルブスは人間を殺したりした事は一度もないのだが。

 「私も同じ気持ちだ」

 そう言って彼はクリンを思いやるように軽く肩を叩いた。もっとも、当のクリンは彼と同じ気持ちではまったくなかった。

 “逮捕して、自宅に監禁して、椅子に座らせて、手を後ろ手にして手錠をかけて、キスをして、あそこを触って……”

 微かな声でなんだか過激で卑猥な事をぶつぶつと呟いている。顔を伏せているのでよく見えなかったが、目が普通ではなかった。

 “……あの端正な顔が苦痛と快感に歪むのを見てみたい!”

 ちょっと、と言うか、かなり危ない。

 そんな彼女に上司が言った。

 「そう言えば、あの女勇者の方はどうだった?

 まぁ、彼女に関しては魔王と違って裏はなさそうだがな。猫を本気で心配して、依頼主の少年が不安がっていないかと気遣っていた」

 それを聞いてクリンは顔を上げる。

 「ああ、そう言えば、彼女を忘れていました」

 「変な点と言えば、どうして女勇者が魔王と一緒に探偵の仕事をしているのかってくらいだな。何があったんだ、一体……」

 「そもそも女勇者の方は、相手が魔王だと知らない可能性もありますよ? 普段は変身をしているはずですし」

 「それもそうか。でも、だとしても不自然だな。もしかしたら、彼女は魔王に騙されているのかもしれない」

 事件についても深く知らないようだし、女性的な魅力がそれほどあるようにも思えなかったので、クリンは特に女勇者を気にしてはいなかったのだが確かに変だ。

 一体、どこでどうやって知り合ったのやら。いや、元勇者と元魔王だから以前からお互いに面識はあるはずなのだが。

 「とにかく、尋問してきます」

 そう言うと、彼女は女勇者がいる取調室に入っていった。

 

 「……は? もう一度、お願いできますか? アニア・ゴールドさん」

 

 生真面目なつまらなそうな女だと、クリンは女勇者を思っていた。

 誠実さが取り柄みたいな所があるから、言っている内容に嘘はないのだろうが、それだけに面白味がない。

 「ですから、現在、私はバラの言葉探偵社で住み込みで働いています」

 「それは、つまり、リースラン・ノイミス氏と一つ屋根の下で暮らしているという事ですか?」

 そう質問したクリン・クーの瞳は不自然に固まっていた。

 「はい。その通りです」と、女勇者はきっぱりと返す。悪びれる様子もない。固まった瞳のまま、クリンは尋ねる。

 「それは危険ではないですか? 男女が一つ屋根の下で暮らすなど…」

 「そこは安心してください。私は勇者です」

 当り前のようにそう返す彼女にクリンは激昂した。もっとも、表情に一切の変化はなく、瞳も固まったままだったのだが。

 “ちっとも安心じゃないわよ!”

 「相手は魔王ですよ!?」

 それで気が付くと、ついクリンはそう言ってしまっていた。女勇者は「ご存知だったんですか?」と驚く。

 “それはこっちの台詞よ”とクリン。

 “知ってたんかーい!”

 苛立ちつつ口を開く。

 「勇者が魔王と一つ屋根の下で暮らすなど、あってはならない話です」

 しかし女勇者は淡々とそれにこう返した。

 「いえ、むしろだからこそです。魔王が人間社会に潜伏しているのです。それを監視する役割に勇者ほど相応しい存在が他にいるでしょうか?」

 クリンは頬を引きつかせる。

 「いえ、勇者であっても軍を退いているのですから一般人です。そーいう役割は警察に任せるべきだと思いますが?」

 勇者は首を傾げた。

 「警察では、探偵社に住み込んで魔王を監視するのは不可能では? それに、私が住み込んで働いているのは魔王フルムス・クルブスからの要望でして」

 その言葉にクリンは声を荒げる。

 「魔王からの要望~?」

 ちょっとだけ女勇者はそんな彼女の様子に怯んだ。

 「それこそ危険です!」

 

 “勇者と魔王が同じ家でイチャコライチャコラって事~? あの人は、こんな女のどこが良いって言うの?”

 

 しかし、女勇者はまったく彼女の言葉の意味に気付ていないらしく、

 「勇者だからこそ、そんな危険を引き受ける責務があると私は考えています」

 などと堂々と返す。

 

 “だから! その危険を引き受けてもらっちゃ困るのよ~!”

 

 クリンは心の中で絶叫した。

いつも毎週日曜日に投稿していましたが、少しペースを速めようと思います。

ちょっと長すぎるので、一年くらいかかってしまうので。


今週からは水曜と日曜に投稿します。


ただし、仕事が急に忙しくなった場合は、断りなく投稿しない場合もあります。

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