8.猫の捜索依頼
「動力源を得るのに魔法を応用した冷蔵庫ですか。それは羨ましいですねぇ」
アニア・ゴールドはセニア魔法技術応用研究所にアルバイトの為に訪れていた。魔王の探偵事務所にある冷蔵庫の話をすると、ムラカミ・アキはまるで愚痴るようにそう言う。
アニアはてっきり冷蔵庫を羨ましがっているのだと思ったのだが、どうやら違っていたらしく、
「うちのも、そんな感じで実際に使ってもらえれば、色々と進歩しそうなのですがねぇ」
などと彼は続けた。
彼女が軽く首を傾げると、ムラカミは「工学の分野で色々と試行錯誤してもらうと、面白い発見が得られる場合が多いのですよ」と説明を加えた。
ムラカミはヨシダ・セイイチと同じく東方にある和国出身の研究員で、ヨシダに比べればあまり世間ずれしていない。至って真っ当な普通の男だ。
「一般的に、科学研究が基盤となって、工学的な分野が出来上がっていると想像している人が多いようだけど、実は職人達が試行錯誤した結果が科学研究を進めるという事も多いのですよ。
つまりは、工学と科学研究はキャッチボールをするように互いを高め合っているという訳ですね」
そう続けたのはヨシダだった。
もう彼女の仕事は今日は終わっていて、今は事務所で寛いでいる。彼女の肩の上には当たり前のようにナイがいて、彼女の綺麗な金色の髪にじゃれついたりして遊んでいた。
「――でも、うちにある冷蔵庫はかなり高度な魔法の力を必要とします。優秀な術者でなければ使えませんよ。発展性があるとは思えないのですが」
太陽の光や風の力をエネルギーに変える魔法を安定して使える者など滅多にいない。蒸気機関を冷蔵庫の動力にしたら、きっと発生する熱エネルギーが多過ぎて使えないだろう。
「いえ、そうとも限らないですよ。思いもよらないところから、素晴らしい見識やヒントが得られたりもしますから。
人間ってそんなに頭が良くないし視野もとっても狭いのです。見ているつもりでも実は極一部しか見ていなくて、だから無駄に思えることにも価値があったりします」
そう語るヨシダに彼女は「へー」と思わず感心してしまった。妙に様になっているように思えたからだ。彼は或いは研究者よりも哲学者の方が向いているのではないかと無責任な感想を持つ。
――人間は視野が狭い。
そして、彼女はそんな彼の語りの中のそんな言葉に特に強い印象を持ったのだった。それは、多分今の自分の妙な立場の所為だろうと彼女は思う。
彼女には魔王が何を考えているのか分からないのだ。彼には探偵業を本気でやるつもりはないようなのだが、何か悪意があるようにも思えない。少なくとも、自分に危害を加えるつもりはないはずだ。いくらでも命を狙うチャンスはあったのに、彼はそんな素振りすら見せない。彼女、アニア・ゴールドは「魔王を打ち倒す運命を持っている」勇者だというのに。
“……見ているつもりでも実は極一部しか見ていない”
だとするのなら、自分が“見ていなもの”とは何だろう?
彼女は無意識の内に考え込み始めた。彼女が考え込み始めたからかどうかは分からないが、ヨシダもムラカミも何か作業をやり始めたようだった。邪魔をしてはいけないと思い、彼女は別れを告げると研究所を出て帰路についた。
帰りも鉄道を利用する。著しく空気を汚している蒸気機関。黒々とした毒々しい煙を吐いて汽車は走る。
もしも、セニア魔法技術応用研究所の研究をもっと応援したなら、この問題をかなり改善できるのに、魔族に対するプライドや警戒心からそれが進まない。
それは味方であるはずの、彼女が護ろうとしているはずの、人間側が起こしている所業であり、魔族でも魔王でもない。彼女の敵であるはずの魔王は(ちょっと気持ち悪いが)、とても優しくて彼女に好意を持っているようにすら思える。
……何なのだろう? この現実は?
蒸気機関が吐き出す黒い煙を眺めながら、なんだか彼女は色々な事が分からなくなっていた。
バラの言葉探偵社に戻ると客が来ていた。
実は最近になって二度ほど依頼があって、いずれも彼女が解決をしていた。もっとも、それらは単なる“物探し”に過ぎなかった。指輪と財布をそれぞれ探し当てている。依頼主は最初は盗難の被害に遭ったと主張していたのだが、捜索してみると、ただ単に置き忘れていただけだと判明した。
アニアは依頼主に精神系の魔法をかけて、過去の記憶を思い出し易くし、立ち寄った場所を聞き出してから、物を忘れそうな場所に当たりを付けてそこを探しただけなのだが、とにかくそれで“物探しが巧い探偵”という誇るべきかどうかも分からない称号をこの探偵事務所は得たようだから、客が来ているのはそのお陰かもしれない。
来客用のソファには母親らしき女性と小さな男の子がいた。魔王がちゃんと接客できているか不安だったか、好青年の姿に化けて一応は普通に応対しているようだ。
「うちのサリーがいなくなっちゃって」
男の子はそう訴えていた。泣き出しそうな顔。涙目になっている。
「なるほど、お客様のお家で飼われている猫が消えてしまったのですね」
丁寧に答えた魔王の表情は見事なまでの営業スマイルだった。アニアには直ぐに分かった。……こいつ、断る気だ。
「申し訳ありませんが……」
案の定、そう口を開きかけた魔王の言葉を遮ってアニアは口を挟んだ。
「お客様、もう少し詳しく話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?
あ、失礼します。私、この探偵事務所で助手をしております、アニアといいます」
そう言いながら、彼女は変装用の眼鏡を装着する。一応、勇者である事は隠しておいた方が良いと思って用意したものだ。“勇者がこんな所にいるはずがない”という先入観からか、その程度でも案外バレないようだった。
アニアの登場に男の子はパァッと顔を明るくした。逆に魔王は顔を曇らせる。そんな魔王を目で威嚇しながら彼女は席に座った。
……依頼人の男の子の名前はトニー・ブラウンといった。背がやや低くてそばかすが目立つが、それ以外は特徴のない無邪気そうな普通の男の子だった。彼の話によると、三日前から飼っている猫が行方不明なのだという。
「時々いなくなる事はあったけど、いつもはご飯を用意しておくと直ぐに帰って来るんだ。
それなのに、今回は全然帰って来なくて。死んでいたらどうしよう?」
今にも泣き出しそうなトニーをアニアは慰める。
「きっと大丈夫だと思いますよ。猫って案外しぶとい生き物ですから」
「本当?」
「ええ」
もちろん、まったく根拠はないのだが。
隣の母親はそのやり取りにうんうんと頷いている。化粧が濃くて、ちょっとばかり太った中年の女性で、感情の読み取りにくい顔立ちをしていた。唐突に口を開く。
「サリーは家族同然に扱っておりまして、この子が小学校に上がる折から飼っております。ほら、ペットは情操教育に良いと言うでしょう? そのお陰でこの子はこんなにも優しく育ちまして……」
どうにも訊いていない事まで話すタイプの母親のようだ。子供の自慢話が一通り終わると、
「……こちらは探し物を見つけるのが巧い探偵社と聞き及びまして。もちろん、充分なお礼は支払うつもりでいます」
と、そう結ぶ。
それに魔王はにっこり笑う。
「大変にありがたいお話ですが、ペット探しならペット探偵かドリトル先生辺りの方が相応しいのではないかと…… 痛っ!」
魔王が突然小さく悲鳴を上げたのは、アニアが彼の手の甲をつねったからだった。彼女はにこやかに笑いながら言う。
「今のは冗談です」
「それじゃ、引き受けてくれるの?」
トニーがそう訊いて来たので、彼女は「ええ、もちろん」と返した。
不安を抱え、今にも泣き出しそうな子供の期待を裏切れるような彼女ではない。
「チッ」とそれに魔王。
微かな声で「依頼主が憐れみを誘う小さな子供で、探しものが猫。見事に彼女の弱点を突かれましたかね」などと言う。
何の事やら。
そんな魔王の態度を敏感に感じ取ったのか、トニーは魔王を少しだけ見やると、それから「ありがとー おねーちゃん!」と言ってアニアに抱きついた。
腕が腰とか胸とかに触れている。
魔王は顔をひきつかせた。
ヒクヒク、と。
「ちょっと君、離れなさい。子供であっても礼儀は守るものですよ?」
ところがそんな彼の態度にアニアは「子供相手になにをムキになっているのです?」と言って、むしろトニーを庇うようにする。
それに魔王は顔を更にひきつかせる。
「いえ、アニアさん。その子のそれは、そんな無垢なものではなく、何と言うか、子供ならではの立場を利用した狡猾なものとでも言いますか……」
「何を言っているのですか?」とそれにアニア。
その間にもトニーは彼女の身体をベタベタと触っていた。しかも、魔王の方に顔を向け、にたりと笑ったりする。
青筋をいくつも立てる魔王。
そんな光景を見て、トニーの母親は「ホホホ。面白い探偵事務所ですわねえ」などと言って笑っていた。




