6.魔王の探偵社
「魔王フルムス・クルブス!」
アニア・ゴールドは素早く懐から拳銃を取り出すと銃口を魔王へと向けた。彼女の頭の中はこの緊急事態に激しく混乱していたが、それでも最善の行動を導き出そうと冷静に動いていた。
「部長! こっちに来ないでください! 危険です!」
取り敢えず、部長の安全を確保してからこの場を離れるべきだろう。自分は外から供給された魔力を活用する事で魔王に対抗できる力を持つ。この場では相手にならない。手にしている小型の拳銃も、魔王を相手にするのにはあまりに心もとない。牽制くらいにしかならないだろう。
この就職の話は恐らくは罠だったのだ。
そう彼女は推察する。
考えてみれば、この部屋の造りはターゲットを確実に仕留めるのに向いている。外に逃げ難い構造になっている。
魔力集約型人間決戦兵器“勇者”を、魔王は秘密裏に消すつもりでいるのかもしれない。
魔王フルムス・クルブスの魔法による攻撃を予想し、銃を向けながら彼女は後ずさろうとした。
隙を見て、なんとか逃げ出さなければ。
が、そんな必死な様子の彼女を見て、魔王は和やかに笑うのだった。
「あっはっは アニアさん。雇主にいきなり銃口を向けるものではありませんよ」
は?
それを聞いてアニアの頭の上に巨大なクエスチョンマークが浮かぶ。
「何を戯けたことを言っているのですか? どうして魔族の、しかも魔王のあなたが私の雇主になるのです?」
ところがそのタイミングで部長の声が聞こえる。
「いえ、勇者殿。その方は間違いなくあなたの雇主で、この探偵事務所の所長です」
いつの間にか、部屋の中に入って来ていたようだ。部長の声はやや上擦っていて、彼女に申し訳ないと思っているのが明らかに分かる口調だった。
「はい?」と、今度は彼女は思わず疑問の言葉を口に出してしまった。
「何を言っているのですか? あの男は魔王ですよ? 探偵なんて……」
そう言ってから、部長が偽物か或いは精神系の魔法で操られている可能性を疑った。魔王ほどにもなれば、自分では感知のできない魔法を使うかもしれない。
が、そこで随分と間の抜けた声で魔王フルムス・クルブスはこんな事を言うのだった。
「んー 魔王魔王と言っていますが、私は既に魔族の長の立場を辞しています。自由な身の上ですよ? 探偵をしていたって不思議ではないでしょう」
しかも、そう言いながら、彼は二階から階段を使ってゆっくりと降りて来ている。
はっきり言って、魔王の立場を辞していても彼が探偵をやっているのは充分に不思議だ。一体、何がどうなったらこうなるのか。
アニアは魔王の動きに反応して「動かないでください!」と叫んだ。が、彼の足は止まらない。彼女が銃を撃つはずがないと安心し切っているようだ。
「そう怯えないでくださいな。あなたに怯えられると悲しくなる」
一階まで降りると、客用だろうソファに彼は腰を下ろした。紅茶かなにかが用意されてあったらしくカップに注ぐ。良い香りが漂って来た。やはり紅茶のようだ。部長もそれを見てソファに向かった。
なんだか、彼女は自分だけが緊張をして魔王に警戒をしているこの状況が馬鹿馬鹿しく思えて来た。
そこで足元から声が聞こえた。
「魔王様に銃を向けてはいけません!」
見ると、金髪で茶色の服を来た少年がいて、怒った顔で彼女を見ている。ギョロリとした目をしていて、独特の雰囲気があるが可愛い。
「彼はブラウニーです。妖精ですね。名前はウールリ・リールラ。家事や雑用をやってもらう為に雇っているのです」
魔王がそう説明する。子供に嫌われるのが(本当に子供なのかどうかは置いておいて)、物凄く苦手な彼女は一気に萎えてしまう。しかも、見るといつの間にか部長も紅茶を飲み始めていた。
こうなると、自分の行動は“浮いている”を通り越して、“間違っている”とすら思えて来る。彼女は銃を下ろすと、ぎこちない感じではあったがソファへと向かった。
「“自由な身の上”とあなたは言っておられましたが、魔王の立場はそんなに甘いものではないですよね?」
紅茶を飲み、お茶菓子をつまみながら、彼女は魔王クルブスにそう尋ねた。
「まぁ、確かに、未だに私を魔王扱いしている人達もいますしね…… 政治的な意味ではなく、象徴的な意味では未だに私は“魔王”なのかもしれません」
魔王が答えると、ウールリが「魔王様は魔王様です」などと続ける。
「だからこそ、姿を消しておられるのでしょうが、そうまでして、探偵を始められた理由は何です?」
それに魔王は「そうですねぇ」とたっぷりと溜める。視線を部屋の奥の方に向けた。そこにはいかにも偉そうな机があり、その上には“探偵”と書かれた三角錐が乗っていた。
「実は私、推理小説のファンでして、ずっと探偵がやってみたいと思っていたのですよ。魔王などという立場では、探偵は不可能ですから辞めざるを得なかったのです」
「推理小説のファン?」とアニア。
「はい。あ、他人の記憶が覗けるなどといった特殊能力はないのでご安心ください」
「それは本心で言っていますか?」
「はい」と魔王は返す。にこやかな屈託のない笑顔。
彼女は目を瞑る。ふつふつとこみ上げて来る怒りを抑えているようだったが、やがて抑え切れなくなったのか声を上げる。
「ふざけないでいただきたい! 推理小説が好きだから探偵を始めたなど、完全に金持ちの道楽ではありませんか! そんなものに付き合う気は毛頭ありません!」
そして立ち上がって帰ろうとする。
「ほー それでは探偵助手の仕事は引き受けていただけないのですか?」
そう尋ねたのは部長だった。
「当然です」と、それにアニア。
「“推理小説のファンだから”などという度し難い動機で始める探偵事務所など手伝う気にはなれません」
が、そう怒りながら返す彼女に、冷静に部長はこう言うのだった。
「しかし、その動機。信じてしまって良いのですかね?」
その言葉にアニアは止まる。
確かに色々と変だ。
冷静になって少し考えると、アニアはこう魔王に尋ねた。
「魔王殿。貴公は、推理小説のファンだから探偵事務所を始めたと言っておられた。しかし、それなら何故わざわざ人間社会の都会に引っ越して来たのです?
魔族のあなたでは、人間社会で探偵をやるのは色々と不都合があるでしょう」
それに笑いながら魔王は返す。明らかに作った笑顔だ。
「それは魔族の街でも同じですよ。何しろ私は“魔王”ですからね。ま、外で活動する場合は認識阻害や変身の魔法を駆使するので、人間の街でも大きな問題はないのです」
「魔族の街でも、その魔法を使えば良いのでは?」
「魔族は魔法能力に秀でた者が多い。バレてしまう可能性が高い」
「人間にだって鋭い者はいますよ? 特に裏社会に入ればそういう魔法を見抜く手練れは必ずいます」
「そうかもしれません。ですが、だからこそ助手が必要なのですよ。特にあなたのような優秀な助手が」
少し考えるとアニアは言う。
「どうにも信じられません。説得力があまりない」
つまり、彼女は“探偵をやりたい”などと言うのは嘘で、魔王はもっと他の何か悪い企てをしているのではないかと疑っているのだ。それに魔王はにっこりと笑ってこう返す。
「なるほど。それではどうしますか? このまま帰ってしまってはどれだけ私が怪しくても何もできないでしょう?」
その発言の意図をアニアは直ぐに察した。
「要するに“助手になって、自分を監視しろ”と言うのですか?」
「解釈は任せます」
魔王は涼しい顔で紅茶を一口すすった。「ん~ 少し甘いな。砂糖を入れ過ぎてしまったかもしれない」などと言う。
罠かもしれない。
そう彼女は思った。だが、罠であるからこそ相手の尻尾を掴める可能性がある。自分に何かあったなら、部長がそれを皆に伝えてくれるだろうし。もっとも、そんな事は魔王も承知なのだろうが。
「分かりました! その探偵助手の仕事、引き受けましょう!」
それから彼女は勇ましくそう宣言した。
――自分は勇者なのだから!
彼女は、いざとなれば自分の身を犠牲にしてでも魔王の企てを防ぐつもりでいた。それを聞くと魔王は即座に「そうですか。ならば、この契約書にサインをお願いします」と言って、契約書を出して来る。
「承知いたしました!」
アニアは勢いよくサインをした。
自分の決意にすっかり酔っていた彼女は、ほとんどその契約書の内容を読んでいなかった。彼女の名前が記された契約書を受け取ってそれを確認すると魔王はにやりと笑った。
「それでは、いつ引っ越しをしますか? ここはいつでも受け入れ可能ですが」
その魔王の言葉にアニアは首を傾げる。
「引っ越し? 何を言っておられるのですか?」
すると、いけしゃあしゃあとした口調で魔王は返す。
「おや? 読まれていなかったのですか? この契約書に書かれてあるでしょう? 探偵助手の仕事は“住み込みで行う”と」
それを聞くと、彼女は契約書を奪い取るようして内容を確認する。すると間違いなくそのように書かれてあった。顔を青くする。
「ご安心を。当然、私も住み込みですから」
「むしろ、それこそが不安の元凶です!」
焦燥している彼女を見て魔王は「はっはっは」と笑う。とても楽しそうだ。
「まぁまぁ、ウールリもいますし」
ウールリはそれに「魔王様。ぼく、ちゃんと空気は読んで二人のそういう時は退出しますよ?」などと元気良く返した。
「二人のどういう時ですか!?」と、それにアニア。
「いい子ですねぇ」と、魔王は彼の頭を撫でる。
そんな光景を眺めながら、人事部の部長は「どうやら丸く収まったようですな」などと言って紅茶をすすった。




