5.新しい仕事
待ち合わせ場所の喫茶店に入ると、魔族のウエイターが現れて自分を席に案内した。それにアニアは少しだけ驚いた。彼女が勇者である事を知っていたらどうしよう?と少し心配になったが、表情すら変えずに魔族のウエイターは去っていく。
まだ少年っぽさを残した優しそうな顔の青年だった。魔族の見た目の年齢は人間の感覚とは少し違っているから何とも言えないが、20歳前後といったところだろうか? 人間社会では魔族への差別が絶えない。きっと苦労しているに違いない。そう思うと彼女は彼を応援してあげたい気持ちになった。もっとも、チップをはずめるほど彼女もお金は持っていないのだが。
和平を結んでから、一部の人間と魔族は急速に近付き協力関係を持った。それは“和平の影響”と言うよりも、以前からそのような“和平・協調賛成”派がいたからだった。そもそも魔王が“人間側と和平を結ぶ”と宣言したと言っても、魔王の力だけですんなりと事が進むはずがない。つまりは、長い諍いの歴史の中で「そろそろ人間と魔族は和平を結ぶべきだ」と考える者達が人間側にも魔族側にも多く現れるようになって、魔王の宣言に呼応したのだ。だからこそ、和平は実現したのである。
人間社会の高度な科学技術に魅せられた魔族も多いと聞くから、さっきの魔族のウエイターも科学技術に興味があるのかもしれない。
待ち合わせの時間より五分ほど遅れて、人事部の部長は現れた。相変わらず、犬のような外見をしている。軍服ではなく、ややくたびれたスーツを着ていて、それが妙に似合っていた。平素から困ったような顔をしているから分からないが、彼女に負い目があると感じているのか、「いやいや、お呼び立てをして、わざわざ来ていただいたのに、遅れてしまって申し訳ない」などと謝って来た。
「いえ、少ししか待っていません。それに、どうせ暇ですから」
気を遣わせないようにと思い、彼女はそう言ったのだが、却って部長を恐縮させてしまったようだった。
「いやー 申し訳ない。突然に勇者を解任し、そのまま放り出してしまったものだから、次の職も見つけられず……」
どうも彼は彼女がほぼ無職状態なのは自分達の所為だと思っているらしかった。
「そんな、それは別にあなたの責任でないでしょう?」
アニアは慌てて言ったが、彼の態度は変わらなかった。「すいません」と謝って来る。これはこれでやり難い。
「あの…… それで、今日私を呼んだ用件は何でしょう?」
“取り敢えず話題を変えよう”と思って彼女が尋ねると「はい。実はあなたがまだ職を見つけられていないと聞き及びまして」と部長は何らかの書類を取り出して来た。
“なにあれ? パンフレットか何か?”
彼はそのパンフレットのような書類を彼女に差し出す。そこには『バラの言葉探偵社』と書かれてあった。
“探偵社?”
彼女が首を傾げると、部長は口を開いた。
「それは最近開業したばかりの新しい探偵社の紹介用パンフレットです。実はそこで助手を募集していまして。あなたなら適任だから“是非、紹介して欲しい”と要望がありましてな」
彼女はそれに目を輝かせた。
「それは本当ですか?」
歓喜したのは言うまでもない。
“これで苦しい生活から抜け出せる!”
と。
ただ、一呼吸の間の後に、彼女のその歓喜は急速に引いていった。政府の軍の人事部が何故職の斡旋をするのか?という当然浮かぶべき疑問が浮かんできたからだ。
軍の人事部の部長を動かせるという事は、その“バラの言葉探偵社”とやらのオーナーは、軍部と繋がりがある人間で、少なくともそれなりの地位にいるはずだ。
探偵と軍部。
関連がありそうで、いまいち釈然としない。
「あの…… どうして、部長が探偵と知り合いなのですか?」
その彼女の質問を受けると、部長は分かり易過ぎるくらい分かり易く動揺を見せた。顔を青くし、汗をかいている。
「まぁ、そこは、仕事上の繋がりと言いますかなんと言いますか」
噴き出した汗をハンカチで拭く。
「言えないような人なのでしょうか?」
「言い難くはあります」
素直なその返答に、彼女は少しだけ安心をした。騙す気だったのなら、なんとか誤魔化そうとするだろう。
それから部長はこう続ける。
「実は私個人があなたを心配しているというのもあるのですが、軍全体でもあなたを心配していましてね」
それを聞いて、アニアは“なるほど”と思った。勇者の肩書きを持つ人物が路頭に迷うなどという事になったら、軍…… 否、国全体のイメージが悪くなる。だから、こうしてなんとか回避しようとしているのだ。
部長は“要望があった”などと表現したが、本当は軍か政府が手を回して、アニアの為に職を用意したといったところだろう。
「断っておきますが、先方はあなた自身の能力に期待をしているのであって、勇者としてのあなたに期待をしているのではありません。それは強調してくれと念を押されまして」
アニアはそれに「分かりました。ありがとうございます」と返した。
つまり、勇者であることで優遇されている訳ではないと言いたいのだろう。念を押すからには本当は違うのかもしれない。
勇者だから国から職の世話をしてもらえるというのは、彼女としては多少は引っ掛からない気がしないでもなかったのだが、勇者である所為で職を見つけられなかった事を考えるのなら足し引きゼロだろう。
「それは良かった。それでは、面接はどうしますか? 先方は、あなたの都合が良ければいつでも良いと仰っているのですが」
「いつでも?」
「はい。なんなら、今からでも」
「本当ですか?」
急な展開にアニアは驚いたが、彼女はほぼ反射的に「では、これから直ぐにお願いします」と返していた。実は今月は経済的にかなりピンチで、家賃の支払いが滞るかもしれなかったのだ。
それを受け、部長はその場で手紙を書き始めた。そしてそれを丁寧に折りたたむと念を込める。すると、いきなり手紙はすくっと立ち上がった。それから四つの角をまるで手足のように動かし、助走をつけてから大きく跳ねてそのまま飛翔した。喫茶店の窓から外へと消えていってしまう。
魔法だ。
マジックメール。
探偵社のオーナーに手紙を送って、“今から行く”と伝えたのだろう。人事部だけあって、彼はこの手の魔法には長けている。
「さぁ、取り敢えず、探偵社へ向かいましょう。もし、都合が悪ければ、途中でその旨を伝えて来るはずだと思います」
そう言うと、部長は立ち上がって喫茶店の外に向って歩き出した。アニアも慌てて付いて行く。
探偵社へと向かう途中で、先程の手紙の返信が来た。ただ、何故か部長ではなく、アニアの手にそれは着地をし、しかも開けてみると矢鱈と綺麗な文字で“あなたの到着を心よりお待ちしています”と書かれてあった。
まるでラブレターのような雰囲気。
手紙の内容を伝えると、不可解そうな表情をアニアが浮かべていたからか、彼女の疑問に答えるかのように「先方は、あなたを大変に気に入っているのです」と部長は言う。
はて?
と、それにアニア。
誰かに気に入られるような心当たりなどまるでないのだけども。
軍に所属して勇者の役割を担っていた頃も、特に大きな活躍をした記憶はない。
30分程歩くと、探偵事務所があるというビルに到着した。そのビルは五階建ての豪奢な造りで、探偵の事務所があるビルには思えなかった。しかも探偵事務所は最上階だという。探偵がどれだけ儲かる職業なのかを彼女は知らなかったが、賃貸料だけで大きく赤字になってしまうのではないかと不安を覚えた。
ビルに入っている他のテナントを見てみたが、一階は高級そうな飲食店が目立ち、二階以降は金融業や建築会社などが入っている。やはり探偵事務所の存在は浮いていた。
「――その点は心配しなくても大丈夫ですよ。何しろ、このビルのオーナーは探偵事務所の所長ですから」
質問してみると、部長はそう答えた。
「はい?」
アニアは目を大きくする。
「それ、そもそも探偵をやる必要はあるのですか? ビルを持っているだけで、お金が入ってきますよね?」
「その点については、私からは何とも申し上げかねます」
その段になって、アニアに急速に不安が増して来た。なんだか色々と現実感がない。ふざけているようにすら思える。冷静になって考えてみれば“バラの言葉探偵社”という探偵社の名前も、何かの冗談のようなネーミングだ。
ビルの中に入ってみると、やはりとても高級そうで、彼女は自分が酷く場違いな気がしてならなかった。階段を昇って最上階の5階まで行くと、まるで大金持ちの屋敷の扉のような大仰な構えのドアがあり、綺麗な書体装飾で“バラの言葉探偵社”と書かれてある。
そのドアの目の前に彼女が立つと、部長が顔で入るように促して来るので、何とも言えない気持ちのままドアを開ける。すると綺麗な漆喰の壁と、そこに一本だけ飾ってある赤とピンクの混ざったバラが目に飛び込んで来た。
バラは可愛い。
横を見てみると、廊下のようになっていて奥に続いている。どうやら廊下は九十度に曲がり、そこから探偵事務所に入るレイアウトになっているようだ。
何故そのような造りになっているのかと不思議に思いながら、彼女は探偵事務所の中へと足を進める。
探偵事務所の内部もやはり屋敷の中のようだった。木造りが基本の枠組みで“エレガント”という言葉が似合いそうな空間を作っている。
外で扉を見た時は浮いているように感じたが、内部に入るとその造りは自然に思え、彼女は自分が別世界に迷い込んで来たかのような錯覚を覚えた。
事務所の中の天井は高く、部屋の中に二階建ての屋敷の内部がまるまる入っているような構造になっていた。
そのちょうど二階に位置する場所から声が聞こえた。
「おお、ようこそわが家へ! お待ちしていました。アニア・ゴールドさん!」
雰囲気にマッチしているのかいないのかよく分からない、漆黒のマントを羽織った、いかにも大物といった風体のその人物を一目見るなり彼女は愕然となって叫んだ。
「魔王フルムス・クルブス!」




