43.色々と分からない事を教えてください
鉄道開通セレモニーの次の日、各社新聞の一面は、汽車の爆破予告とそれに関連して起こった事件の記事で埋め尽くされていた。
魔族のテロリスト組織が、汽車の蒸気機関爆破を計画し失敗した、と。
ただ、それと同時に起きた反魔族団体との戦闘については控えめに報道していて、あまり紙幅を割いてはいなかった。それは恐らくは奇跡的に平和に事件が解決してしまったからだろう。ゼン・グッドナイトにとって都合が悪かったのだ。
もっとも、大手メディア以外の雑誌や口伝の噂などでそれは世間に知れ渡り、勇者アニア・ゴールドが彼らを仲裁したと話題になっていたのだが。それによりこの事件で魔族全体に対する敵意や悪意が増すどころか、却って「彼らとの協調は決して不可能ではない」という認識が人々の間で強くなったようにすら思えた。
魔族のテロリスト組織は捕らえられたが、単に拘束されただけで、魔族側に引き渡される事になった。魔族達の国、タイゲア帝国で裁判が行われ、具体的な処罰は決定されるだろう。両国民の感情を考えるのなら妥当な落としどころだ。なお、武器の不法所持及び魔族との戦闘の罪で捕まった反魔族団体は軽罪で済まされる事になりそうだった。これも特例で、やはり国民感情に配慮した処置だと思われる。
「……あなたが手を回したのですか?」
夕食後、アニア・ゴールドは魔王フルムス・クルブスに向けてそう言った。
魔族のテロリストと反魔族団体の処遇について彼女は夕刊の新聞記事で読んでいたから、恐らくはその事だろう。
それは事件からわずか三日後の事だった。あまりにも早すぎる。だから彼女は魔王が裏で動いたのではないかと考えたのだ。
食器を片付けながら、彼はにっこりと笑うとこう説明した。
「はい。と言っても、私だけにそんな権力がある訳ではありませんがね。それは魔族と人間の様々な利害関係者達が連携し合った結果です。時間をかければ、魔族と人間の関係悪化を目論む連中が何をするか分かりませんから迅速に対応したのですよ」
――あっさりと本当の事を話す。
やはり彼は人間社会にも強い影響力を持っていたのだ。
それを聞いてアニアはそんな感想を持った。多分もう彼は裏で何をしていたのか、どんな陰謀があったのかを自分に隠す気はない。それが、隠す意味がなくなったからなのか、隠し切れなくなったからなのかは分からないけれど。
続けて彼女は別の質問をしようと口を開きかけたのだが、一瞬だけ眉を歪めて、結局は口を閉じてしまう。代わりに、
「あの…… 今晩、あなたの寝室にお邪魔しようと思うのですが、よろしいでしょうか?」
と、尋ねる。
ウールリは台所で洗い物をやっていた。ここでの会話は聞こえないだろう。魔王はそれに多少は驚いた顔をしていたが、それから直ぐににっこりと笑うと「はい。お待ちしています」と返した。
――コンコンッ
魔王フルムス・クルブスの寝室にノックの音が響く。彼は既に風呂を済ませていてベッドの上で半身を起こして本を読んでいた。「はい」と返す。ドアが開く。
夢ではなく、そこには間違いなくアニア・ゴールドが立っていた。パジャマを着ている。艶めかしいとは言えなかったが、それが逆に彼女らしくて良いと彼は思った。
事件から三日。
彼女の体力は充分に回復していた。そして彼女は“汽車の爆破を防いでくれたなら何でも言うことを聞きますから”と彼に約束してもいる。
いくら男女関係に疎いアニア・ゴールドでも、その意味が分からずに彼の寝室を訪ねて来るはずがなかった。
少し迷ったが、彼はまずはこう尋ねてみた。
「突然、どうしたのですか?」
それを聞くと、彼女はまるで見えない壁の抵抗に抗うようなもどかしい足取りで彼のベッドに向って来た。
「あの…… 多分あなたのことですから、私を気にかけて自分からは言って来ないだろうと思ったものですから……」
傍にまで来ると、恥ずかしそうにしながらそう告げる。魔王の反応を確かめたかったようだが、彼は何も返さない。
「少し前に、クリンさんから言われたんです。その…… あなたに何もさせないのは酷い事だと。
私は……、その、あまり自覚はなかったのですが、あなたはずっと我慢していたのですか?」
それを聞くと彼は黙ったままベッドの布団を広げた。彼女が入るスペースを空けたのだろう。
アニアは目を大きく見開く。
それから緊張した面持ちで、そのベッドのスペースに身体を滑りこませた。彼女がそこに落ち着くと彼は言った。
「ずっと我慢していましたよ」
「では、その、辛かったですか?」
そう言った彼女は申し訳なさそうにしていた。
「そりゃ、辛かったですけどね。でも、あなたをここに半ば無理矢理に住まわせたのは私ですし、それにそれよりもあなたと一緒に暮らせるという喜びの方が勝っていましたから、あなたが気にする道理ではありませんよ」
ところがそれを聞くと、強い目をつくって彼女はこう訴えるのだった。
「道理とかそういう話ではないんです。私は、ただ、あなたを辛い目に遭わせていたというのが嫌なだけで……」
語気を弱めて口を閉ざす。
それから顔を伏せると、しばらく何かを迷っていたようだったが、顔を真っすぐに彼に向けて言った。
「だから、つまりは、私はこれ以上、あなたを辛い目に遭わせたくはないのです。そういう事です」
本人は勢いに任せたつもりだったのかもしれないが、勢いに乗り切れてはいなかった。頬がとても赤くなっている。それから彼がじっと見続けると、彼女はたどたどしくこう続ける。
「その…… “何でも言うことを聞く”と約束をしてもいますし」
それを聞くと、魔王クルブスは彼女との距離を縮めて来た。そして、「その件なんですが」と口を開く。
「あの約束はなかったことにしましょう。私が行っても行かなくても汽車の爆破は起こらなかったようですし」
するとアニアは少しだけ機嫌の悪そうな顔になった。
「それは、私に“求めない”ということですか?」
“私がこんなに勇気を出したのに”といった様子。ところがそれに彼は「いいえ、求めますよ」と返すのだった。
「はっきり言ってずっと我慢していましたからね。もう限界です。あなたがこんなに傍にいるのに、“求めるな”という方が無理です。
つまり、私は求めますが、あなたには拒否権があるという事です。あなたが拒むのなら、私はなんとか全力で我慢しましょう」
その言葉を受けると、彼女は言い難そうにしながら言った。
「……そんなにしたいのなら、どうして約束を“なかったこと”にするのです?」
「あなたが私と結ばれるのに、約束を言い訳にしてほしくないだけですよ」
アニアはちょっとだけ彼を睨むと、恥ずかしそうにしながら返す。
「私には、私を恥ずかしがらせて楽しんでいるように思えます」
もちろん、それは彼の“求め”に応じるという意味の言葉だった。
魔王クルブスは嬉しそうに笑うと「実はそれもちょっとあります」と言って彼女に身体を重ねた。
行為が終わった。甘い吐息を整えながら、アニアは恍惚とした表情でクルブスの顔を見ている。ちょっと圧倒されてしまったけれど、それでも思っていたよりも全然痛くはなかった。いや、それどころかとても……、
「大丈夫でしたか?」
心配そうに尋ねて来る彼に「はい」と彼女は答える。
「……とても、大丈夫でした」
その変な言葉の意味を理解すると、彼は嬉しそうに笑った。彼女はそんな彼の反応を可愛いと思ってしまう。それからフッと笑うと彼女はこう言った。
「色々と分からない事を教えてください」
また変な言葉だ。
「色々と分からない事?」
「はい。本当は夕飯の後に教えてもらおうかと思ったのですが、知るのが少し怖くなってしまって。
だから、身体を重ねた後にしようと思ったんです。覚悟が決まると思って。私は、どうやら自分の気持ちに鈍感な性質らしいので」
それを聞くと魔王は彼女の頬を撫でながら、
「そうですね。あなたは他人を優先させて自分の気持ちを押し殺してしまいがちな人です。
そこが愛おしいのですが、同時にとても心配です」
などと言った。
ところがそれにアニアは「そういう所です」と返すのだった。
「何がです?」
「ですから、“色々と分からない事”です」
真っすぐに彼を見ると、彼女は続ける。
「あなたは私をとてもよく知っているように思います。それは何故なのですか? どうしてあなたは私をこんなにも愛してくれているのです?
私は“魔王を打ち倒す運命を持っている”と言われている勇者ですよ? あなたは怖くなかったのですか?」
その彼女の訴えに彼は可笑しそうにしながら「怖くないですよ」と返す。
「何しろ、私はもうずっと前にあなたに打ち倒されていますから。あなたと初めて会った時…… いえ、それよりも前ですかね?」
アニアは彼のその言葉に困惑しているようだった。
「……よく分かりません」
彼はその顔に向けて言う。
「初めて会った時に言ったじゃありませんか、部下があなたの情報を集めて持って来るのですよ……」
思い出すようにしながら続けた。
「……あれは今思い返しても反則でした。
勇者とは“私に対抗する為の人間兵器”です。当然、厳つい男だと思うじゃないですか。ところがそう思って上がって来る報告書を読んでみると物凄く優しくて愛らしい女性なんですよ。
しかも、外見だけじゃなく内面も。
可愛いものが好きで、ぬいぐるみ集めを趣味にしていて、ちょっとおっちょこちょいなところがあって、そしてそんな優しい女性にしか思えないあなたが、必死に勇者として振舞おうと無理をしている。
私はどんどんあなたに心を奪われていったのです。
護ってあげたい、と。
もちろん、魔王という立場で勇者であるあなたに恋をするなどあってはならない話です。ですが、あなたの情報を知っておくことは魔王である私の職責でもありますから、あなたについての情報を拒絶する事もできないのですよ。そして知れば知るほどあなたを好きになっていく……
もう、“どうしろって言うんだよ?”って感じでしたよ。とても苦しかった」
“苦しかった”と告白しているのにも拘らず、彼は仕合せそうにそれを語っていた。「でもね」と彼は続ける。
「実際にあなたに会えば、その幻想は打ち破られるだろうとも思っていたのです。
前に言いましたよね? 私は魔王の役割を担う為、人格を見抜くスキルを身に付けています。相手の充分な情報を得た上で実際に会って観察をすれば、かなり正確にその人を評価できます。
そして私はあなたに実際に会いました。それで“これはもう駄目だ”とその時に思ったんです」
アニアは、そこまでを聞くと照れた様子で「“もう駄目”とは?」と尋ねた。
「実際に会ったあなたは私の想像以上に素晴らしかったのですよ。あなたからは私への憎しみなんて微塵も感じませんでした。あなたは勇者の責任を全うする為、懸命に私を憎もうとしているようでしたが、あなたはそんな事ができる人間ではなく、少しもまったくできていませんでした。
そんな様子が、もう可愛くて愛おしくて、私はあなたと敵対関係にあるなんて1秒も耐えられないと思ったのです。そして、勇者という立場に苦しんでいるあなたを救いたいとも思ったのです」
「“救いたい”って、魔王であるあなたが勇者である私を、ですか?」
「そうですよ。もし万が一戦闘にでもなって誰かを傷つけてしまったなら、あなたの優しい心は耐え切れず、壊れてしまっていたでしょう」
それに彼女は反論した。
「いくらなんでもそこまで弱くはありませんよ」
それを聞くと彼は軽くため息をつく。
「かすり傷みたいな傷を魔族に負わせただけで、持っている銃を相手を傷つけない捕縛仕様に変えた人が何を言っているのです?
あなたは本当に“自分の気持ち”に鈍感な人ですね。そういうところも愛おしくて心配なのですが」
彼は彼女の頬を撫でる。撫でられながら彼女は考えていた。胸騒ぎがしていたのだ。なんだか、とんでもない事をこの魔王が言っているような気がしていたから。
「――ちょっと待ってください! 今までの話を総合すると、あなたが人間側と和平を結んだのって、もしかして、私の為ですか?!」
「はははっ」とそれを聞いて彼は笑う。
「いやぁ、流石にそれだけじゃありませんけどね。
人間達と取引をして莫大な利益を上げる魔族は増えていましたし、人間達と敵対するのが“時代遅れ”という機運も高まっていたのです。
ただ、ま、私は和平を結ぶ為の下準備をしたり外堀を埋める程度にして、後は次の世代に託そうと思っていたのですがね。あなたが現れて一気に考えが変わりました。あなたと一緒になる為なら、一ミリも躊躇なんてしていられませんから」
それにアニアは「一ミリくらいは躊躇してください!」とツッコミを入れた。




