42.茨の道
駅前の広場。
特別席に座るゼン・グッドナイトは顔を引きつらせていた。
何が起こったのかをそこに集まっている人々は理解できていなかった。映像の向こうの凄惨な戦闘の光景に慄いていた彼らは、倒れたまま動かないでいる勇者アニア・ゴールドを心配しながら見守っていたのだが、そこに何故か突然寂光が溢れ出したのだ。
その光はとても優しく、見ているだけで心が清浄になるような気すらした。
その寂光の中、おぼろげではあるが、楽しそうに遊ぶ子供達の姿が見えた気がした。その光の先の和やかな光景に人々は見惚れていた。そしてしばらくが過ぎるとその寂光は引き、元の光景が現れた。
ただ、それは元の光景であって元の光景ではないように思えた。
何かは分からないが、何かが違っていた。
そして、その場にいる人間と魔族達はもう争ってはいなかったのだった。
先ほどまで、互いを憎しみ合い殺し合っていた彼らは、今は全てが嘘だったかのようにそこにいる。
手にしている武器は、酷く場違いでとても間抜けに見えていた。持っているだけで恥ずかしくなってしまうような。
ゼン・グッドナイトはその光景を見やり、苛立たしげな様子で「チッ!」と舌打ちをすると、手を頭にやった。
「なんだあれは? 訳が分からんぞ?! あの女勇者は一体何をしたんだ?」
近くにいた部下の一人にそう問いかけ、睨みつける。その部下に分かるはずもなく、怯えた表情で「いえ、それがまったくデータになく……」と狼狽えた声を上げるだけだった。それで彼は思わずその部下を恫喝しそうになったのだが、直ぐに何の意味もないと悟ったのか、深く息を吸い込んで自らを落ち着かせると手を顎に置き考え始めた。少しの間の後、独り言なのか部下に言っているのかは分からないが、小さな声で彼は呟き始める。
「いいや、よく考えろ。ちゃんとヒントはある。あれは恐らく魔王の結界魔法“魔界”だ。勇者の能力は集めた魔力を吸収し、それを使う事ができる点にある。だからあの女は魔界を使えたんだ。
魔王はあの女に万一の場合に備えて、自分の魔力を蓄えた何かを、どこかに持たせておいたのだろう。やられたな……」
口を停め、何か思い出すような表情。恐らくは軽く記憶を辿っているのだろう。
「……そう言えば、あの女勇者はいつも動く猫のぬいぐるみを連れていたな。魔王が居場所を知る為に持たせていただけだと思っていたが、それだけじゃなかったのか」
どうやら女勇者が何をやったのかの凡そを彼は理解できたようだったが、それでも今の状況が彼にとって想定外である点は変わらなかった。
広場を見渡す。
人間達と魔族達が争い合う悲惨な凄惨が寂光に包まれて消えた後に、一転して現れたその和やかな世界に、人々の多くは相変わらず心を奪われ、感動すらしているようだった。
もう「魔族を殲滅するべきだ!」と訴えても共感は得られないだろう。それどころか批判される。
「計画が完全に狂ったな。おい。取り敢えず、これ以上もうあの光景を広場にいる人間達に見せるな。近くに映像を出力する為の魔法陣が描かれているはずだから消して来い。もう手遅れかもしれないがな」
そう指示を出すと、彼は映像の片隅にいる女勇者を見やる。
忌々しそうに表情を歪めた。
今まで、彼は彼女をただ魔王に相対する際のカードの一つくらいに思っていたのかもしれない。が、今回の件で、彼にとって彼女は魔王以上に厄介な相手である可能性すらあると分かってしまったのだ。
――目を覚ますと、アニア・ゴールドは自分が大事そうにお姫様抱っこで抱きかかえられていることに気が付いた。「クルブス」と一言。彼が彼女を抱きかかえていたのだ。ナイが胸元で丸くなっていた。安心して笑う。
魔王クルブスはそれを見て口を開いた。
「良かった。目覚めましたか。気分は悪くないですか?」
彼女は軽く頷くとこう返した。
「はい。疲れてはいますが、気分は悪くありません。心地良いくらいです」
心地良かったのは、彼に抱きかかえられているからかもしれないと彼女は少し思ったのだが、それを口には出さなかった。そこで彼女は彼が汽車の爆破を食い止めに行っていた事を思い出した。
「そういえば汽車はどうなりました? 爆発は?」
魔王はにっこりと笑う。
「安心してください。爆発していません。犯人も捕まえました。私が行かなくても爆破はしなかったようです」
その言葉にアニアは安堵する。
「それを聞いてホッとしました。そう言えば、ウールリちゃんは?」
「さっきまで一緒にいたのですがね。どうも変な気を利かせているみたいです」
それを聞いて彼女は頬を朱色に染めた。少し迷ってから、彼の身体に身を寄せて甘える。
空は綺麗な青で、火器や魔法による攻撃の傷跡が周囲には色濃く残っていたが、それでも人間と魔族の争いは終わっていた。彼女が軽く辺りを見回してみると、どこかバツの悪そうな顔で人間も魔族も黙っていた。深い傷を負っていた者も多かったはずだが、今はすっかり治っている。
“良かった”と彼女は思う。
「……あなたが彼らを救ったのですよ」
そこでまるで彼女の心中を察しているかのように彼がそう言った。
「実感はあまりありませんが、そうなのですか? 私はただ“あの子達”が健やかに育てば良いと願っただけです。少し夢を見たような気もしますが」
「それが彼らを救ったのですよ。そしてそれはあなたにしかできません。私では、魔界を使っても無理矢理に従わせるくらいしかできなかったでしょう」
そう。
人間も魔族も自発的に争いを止めていたのだ。それが何より重要だった。互いに憎しみ合うのを止め、傷つけたくないとすら、否、もしも相手が困っているのなら助けたいとすら思っているようだった。
「駅前の広場で、ここの光景が流されていたようですから、いずれ警察隊がやって来るはずです。魔族は捕らえられるでしょう。反魔族団体も逮捕されるのですかね? 彼らが使っていた火器は完全に違法ですから」
「そうですか。でも、みんな、大人しく捕まってくれそうですよね」
抵抗しそうな気配は、今の彼らからは感じられなかったのだ。
ところが、そこでこんな声が聞こえる。
「そりゃ、本当か? なら、さっさと逃げなけりゃな」
見るとゴースノースが目の前にいた。近くにはアインの姿もある。アニアは彼らに見られて恥ずかしくなったのか「あの…… クルブス。もう大丈夫ですから降ろしてください」と訴えて下に降りた。
少しよろめいたが、何とかバランスを取ると彼女は頭を下げた。
「先ほどは、助けていただいてありがとうございます」
ゴースノースと顔を見合わせてから、アインは口を開いた。
「別にお礼なんて良いわよ。やりたくてやっただけなんだから。それに魔王様から後でお金も貰えるし」
言い終えて少しの間の後で、「考えてみたら、この子を助けたのはアタシだけなんだから、お金はアタシだけが貰うべきよね?」などと続ける。
「お前な、そういうせこい事は言うなよ」とそれにゴースノース。
「いいえ、こういう事は確りやらないと」
「こういう時だけ確りやろうとするなよな。大体、お前が助けようと思ったのは、俺の結界でお前の能力が強化されて、この女勇者の心の動きがよく読めたからだろう? 俺にも貰う権利はあるね」
「細かいわねー」
「細かくねーよ」
そのやり取りにアニアは思わず笑ってしまう。
「お二人は仲が良いのですね」
それを聞いてアインは「そっち程じゃないわよ」と言った。
もちろん、アニアと魔王クルブスのことだろう。
アニアは照れて赤くなる。
そんな彼女を見て、アインは軽くため息をついてから言った。
「――でもね、覚悟しておきなさい。あなたが魔王様と一緒になるってのは、とっても大変な事なんだから」
それを受けて彼女は真顔になる。
「やっぱり……、そうですよね」
何しろ自分は勇者なのだ。本来は魔王と仲睦まじくなれるような立場ではない。が、それにアインはこう応えるのだった。
「そうよ。魔王様のアレはかなりでかいはずだもの。体格からいって。あなたの小さな身体じゃ、入れるの絶対に大変よ」
それでアニアは軽くズッコケた。
「いや、そういう話かよ!」と、ゴースノースがツッコミを入れる。
「大事な話よ?」と、それにアイン。
「それを言ったら、お二人の方が大変じゃないですかね!?」と、アニアが割って入る。
「いや、この下ネタ、広げるつもりか?」と、それにゴースノースがまたツッコミを入れた。
そんなやり取りに多少呆れつつ、「あの…… そろそろ行きませんかね?」と魔王が困った顔で言う。
アインとゴースノースが海に向って歩いている。
警察隊に捕まる前にガレン工場の跡地から逃げ出したのだ。去り際、逃走資金にと魔王から少しばかりのお金を受け取っていた。後で不足分の報酬は支払うそうだ。
「しかしなー。大丈夫なのかね」と、ゴースノースが不意に口を開いた。なんとなく憂いを帯びている。
「大丈夫よ。多少無理すれば入らないこともないから、あなたの」と、それにアイン。
「何の話をしているんだよ! そんな心配はしてねーよ」
軽くため息つくと彼は言った。
「魔王様とあの女勇者の話だよ。実際問題、かなりの茨の道だと思うぜ。なにせ、魔族と人間ってだけでハードルが高いのに、魔王と勇者だからな」
それに呑気な口調でアインは返す。
「まーねー」
それから声を明るく変えると、
「でも、まー、大丈夫じゃない? だからこそのやり方ってのもありそうだし、それにそもそもあの魔王様よ? 考えなしに行動しているとは思えないわ」
などと続ける。
「まーなー」
と、今度はゴースノースが呑気な口調で言う。
なんとなく、アニア・ゴールドのあの寂光の世界を味わった彼には、二人が問題を乗り越えられるような気がしていたのだ。
そこで馬鹿にした口調でアインが言った。
「そう言えば、あんた、子供の頃はチビだったのね。知らなかったわ」
「お前、よく自分を差し置いて言えるな」
「アタシは今でもチビだもの」
「だから言ってるんだよ……」
アニア・ゴールドと魔王フルムス・クルブスとウールリ・リールラが近くにある駅を目指して道を歩いていた。
かつては馬車を通す為に舗装されいたのだろうその道は放置された所為で痛んでいた。ところどころにひびが入り、根性のある雑草が石を割って伸びている。
アニアの体力はまだまだ回復していなくて、少しばかりきつそうだったが、それでもその道行を、彼女はとても楽しんで歩いているように思えた。
或いはそれは、近くに魔王フルムス・クルブスがいるからなのかもしれなかった。




