41.アニア・ゴールドの理想世界
駅前の広場で、人々は声を失っていた。
応援していた映像の向こうにいる勇者アニア・ゴールドが、爆風で吹き飛ばされてしまったからだ。しかもそれは魔族ではなく、人間が放り投げた爆弾によるものだった。
吹き飛ばされたアニアは倒れて動かない。近くには子供のような影があり、彼女を心配しているようだった。
人々からは、彼女がどんな状態なのかもよく分からなかった。
映像の奥では相変わらずに戦闘が行われ続けている。
人間達と魔族達が殺し合っている。
ゼン・グッドナイトはその状況に「おやおやおや」と声を漏らした。
魔族が彼女を襲ったのなら問題はない。しかし、人間の所為となると少々彼にとって都合が悪かったのだ。
「死んでいないと良いがなぁ……」
倒れたまま動かないアニアを見て、彼はとても小さくそう呟いた。
それからふと表情を曇らせる。
もし、彼女が死んでいたら、魔王フルムス・クルブスが何をするか分からないと思っているのかもしれない。
人々は勇者アニア・ゴールドが立ち上がってくれることを願いながら映像を凝視していた。
映像の中の戦闘を熱狂的に応援している間、人々からリアリティは失われていた。まるで演劇か何かを見物しているような気分になっていたのだ。
しかしアニア・ゴールドが吹き飛ばされたショックで我に返り、そのあまりに惨い現実を冷静に意識した者が少なからずいたようだった。
火器や魔法による攻撃で、たくさんの者達が傷ついている。地形すらも変わり、建物がいくつも崩れ、人間の中にも魔族の中にも瀕死に追い込まれている者がいる。
罪悪感。
“誰が得するんだ? これ?”
もちろん、先に手を出して来たのは魔族だと言い訳する者もあった。それによって感じるべき罪悪感を和らげている。
しかし、そんな者でも、もし避けられるのであれば、その方が良いという意見には同意するだろう。
映像の向こうで、勇者アニア・ゴールドは未だに動かなかった。遠くにいるのでよく見えなかったが、何か黒い物が彼女の胸元にいるようにも思える。
何人かは訝しげに首を傾げた。
あれはなんだろう?
“大丈夫。息はしている”
ウールリ・リールラはそう確認すると、取り敢えずは安堵をした。
彼は意識を失ったアニア・ゴールドに治癒魔法をかけ続けていた。外傷はあまりない。しかし、決して安心はできなかった。
「ナー、ナー」
ぬいぐるみのナイが、いつの間にか彼女の上着のポケットの中から出て来ていて、心配そうに鳴いていた。
ナイは彼女の首元まで昇ると、頬に触れるようにする。しかし反応はない。
「ナー、ナー」
目を瞑った彼女の頭の中に、ナイの心配そうな声が反響していた。
ナー、ナー
ナー、ナー
ナー、ナー、ナー……
――どうして、私、勇者になんかなったのだっけ?
夢の中のような場所で、アニア・ゴールドは一人考えていた。
別に勇者になりたいなどと思っていた訳ではなかった。ある程度大きくなって漠然と将来を考え始めた頃、彼女は保母さんか動物のお医者さんか何かになりたいと思っていた。何かの世話をするのが好きだったから。
ただ、どうしてもなりたいかと言われると言葉を濁してしまう。それほど強い想いがあった訳ではなかったのだ。
だから、学生時代、特別な魔法の才能が自分にあると分かった時、周りの言葉にあっさりと流されてしまった。
集めた魔力を用いる為の依代。
彼女の身体はそのように機能するのだそうだ。
自分が本来は使えないはずの魔法もそれによって使う事ができるし、凄まじい威力を発揮する事もできる。
それは唯一、人間が魔族に優る魔法能力で、本当か嘘かは分からないが、設備や体制、魔法能力の高い他の人々などで充分にサポートさえすれば、魔王を倒せる程の可能性すら秘めているのだという。
だから、そのような立場にいる人間は、“勇者”と呼ばれるようになったのだ。
魔力集約型人間決戦兵器“勇者”。
彼女に勇者の適正があった話を何処から聞きつけたのか、女権拡張団体が彼女に接触をして来た。
その団体の言葉を信じるのなら、女であるアニアがもし勇者に選ばれたなら、女性の権利の拡張にとってとても有益なのだそうだ。
「世の中には、社長になれる実力も意志もあるのに、女性だからというだけの理由で低い地位に甘んじている人がたくさんいるのです。あなたが勇者になれれば、そういう人達の助けになるのですよ」
それを聞いて彼女は“なりたいものなれないなんて可哀想だ”とそう思った。そして、“そういう人達の為になるのなら”と、勇者に立候補した。
ただ、どうして女性が…… 否、人々が社長になりたいのかはよく分かっていなかった。社長になる事に価値があるとは思えなかったのだ。もちろん、それは社長に限らない。金持ちになりたいとか、大統領になりたいとか、その手の“偉くなりたい”という欲求が彼女にはまるで分からなかった。
お金は生活と少しの趣味に必要な分だけあれば良い。地位が高くなって、一体何を得られるのだろう?
ただ、その疑問を彼女は口には出さなかった。そして、「魔王を打ち倒す運命を持っている」と告げられてからは特に、勇者たらんと振舞おうとした。
でも、本当はそんな立場に価値があるなんてちっとも思ってはいなかった。
本当は、保母さんになって子供達の世話をして暮らしたいと思っていた。
もちろん、世の中に“偉くなりたい”と思う人がいるのは分かっているし、それを否定するつもりはない。
けど、自分の居場所はそこじゃない。
そう彼女は思っていた。
……そう言えば、私を勇者扱いしなかったのは彼だけだったな。
ナー、ナー
ナー、ナー
ナー、ナー、ナー……
ナイの鳴き声が聞こえる。
とても心配そうにしている。
そうだ。
と、彼女は思う。
争いを治めないと。互いに傷つけ合って不幸にし合うだけの関係よりも、互いに助け合って仕合せにし合う関係の方がより良いのは当り前なのだから。
その当たり前を、彼らに教えてあげないといけない。
――もしも、自分が彼らを育てる立場になれたなら、きっとそういう関係になれるような育て方をするだろうと思う。できるかどうかは分からない。でも、それを目指すと思う。
ウールリ・リールラが驚いていた。
ナイの様子が明らかにおかしくなっていたからだ。ナイはアニアの胸元でうずくまっていた。ただそれだけなら特に不審な点はない。しかし、何故かナイは凄まじい量の魔力を帯びていたのだ。しかもその魔力の質には覚えがあった。
「これは…… 魔王様の魔力?」
そして、その魔力はアニアに吸収されているように思えた。
魔力集約型人間決戦兵器“勇者”。
他から取り込んだ魔力を使う為の依代である事こそが彼女の能力。本来は自分では使えない魔法をもそれで彼女は使う事ができるようになる。
「……もしかして、アニアさんは魔王様の魔法を使おうとしているの?」
ある程度の魔力が吸収されると、アニアの身体は白く輝き始めた。結界がそこに生成されているのが分かる。
やがて、ナイの持つ魔王の魔力の全てが完全に彼女に吸収される。
一瞬の間。音が消えたように思えた。そして、その後で、まるで大きく吸い込んだ息を吐き出すように、結界がそこに生じ一気に拡がっていく。それは白い寂光を放っていた。
近くにいたウールリが真っ先にそれに呑み込まれた。
呑み込まれた瞬間、彼は思う。
“この結界は、ただの結界じゃないぞ。魔王様の魔界だ……”
が、その後で“いや、違う”と彼は思う。
魔界と呼ぶにはあまりに質が違い過ぎる。彼女のそれを形容する言葉を彼は知らなかった。アニア・ゴールドが生成した最上位の結界魔法である魔界。何でも自由になる世界。その中では、彼女の理想が現実化されているはずだった。
……彼女の結界に呑み込まれるのはとても心地が良かった。とても安心のできる大いなるものに抱かれているような恍惚とした気持ち。そこでは全てが調和していた。
――寂光を放つ結界が広がっていく。
相変わらずに戦闘していた反魔族団体と魔族達は、急速に辺りを吞み込んでいくそれに気づき、驚いて動きを止める。
「おい、なんだありゃ?」
戦闘などしている場合ではない。彼らは巨大なそれから慌てて逃げようとした。しかし、急速に広がっていくそれからは逃れる術などなかった。次々と吞み込まれていく。
そんな中でも、ゴースノースとアインだけは落ち着いていた。迫って来る結界を見ながらゴースノースが言う。
「あれ、魔界じゃないか? なんか白いけど」
アインは首を傾げた。
「魔界? 魔王様が帰って来たって事?」
「どうなんだろうな?」
それから直ぐに彼らも呑み込まれた。
――さぁ、今日は課外授業に出かけますよぉ
声が聞こえた。
あなたはその声に反応して、嬉しそうな顔を向ける。それはとても優しいアニア先生の声で、あなたは先生のことが大好きだからだ。
あなたは小さな子供だ。保育園で授業を受けている。
『はーい』
そういってあなたは先生の所に駆けて行く。が、途中で転んでしまう。顔を上げる。見ると意地悪なイーリーが楽しそうに笑っていた。
イーリーは魔族で、ガキ大将だ。彼は人間であるあなたをよくいじめる。あなたは擦りむいた膝から流れる血を見て泣いてしまった。
『わーん。血が出てるぅ! イーリーが足をかけたぁ!』
イーリーが笑う。
“簡単に泣きやがった! やーい、弱虫ぃ!”
アニア先生が直ぐに駆け寄って来て、そんなあなたを抱きしめてくれた。
大丈夫? 痛かったね。でも、安心して。直ぐに治してあげるからね。
そう言って先生はあなたの傷を癒してくれた。そんなあなたを羨ましそうにイーリーが眺めていた。なんだかあなたは優越感を覚えてしまう。
それから先生はイーリーを軽く叱った。ただ、叱られたイーリーは何故か少しだけ嬉しそうにしていたが。
アニア先生はそれから皆を連れて、課外授業に出かけた。行き先は森。なんでも良いから食べられる物を取って来るというのが授業の内容だった。いくつか班に分かれて、それぞれ食べ物を探す。
あなたは幸い食べられる野草に詳しかった。運動も勉強も苦手なあなたが、皆の中で目立てる数少ないチャンスだ。少し探すと細長い特徴的な草が見える。ノビルだ。ちょっと掘ると小さなタマネギのような形のノビルがたくさん取れた。
『みんなー ノビルが取れたよー』
取れたノビルを見せびらかすと、同じ班の皆は“おー すっげぇ!”と喜んでくれた。ノビルを集合場所まで運んで戻ると“終わったのなら手伝ってくれよ”とゴースノースが言った。チビのくせに無理してがんばって木の実を取ろうとしている。あなたは彼が木に登り易いように肩を貸してあげた。
“サンキュー”と彼が言ったので、『どういたしまして』とあなたは返す。当たり前だけど、魔族の中にも良い奴も悪い奴もいる。
そらからあなたは他にもフキやタンポポといった野草を見つけていく。見つけた野草を取るのを同じ班の皆が手伝ってくれた。充分に取れたと思ったので、他の連中が何を取っているのか見て回ると、魔族がカミキリムシの幼虫を腐った木から取っていた。
“これ、美味しいんだぜ”
などとその魔族は言う。
そんなものを食べるなんて信じられない、流石魔族だな。とあなたは思ったが、彼と同じ班の人間も“いやぁ、美味いんだよこれ”などと言って来た。
騙されたと思ってその場で火の魔法で炙って食べてみると、確かに信じられないくらいに美味しかった。クリーミーで旨味がたっぷり。
しばらくして集合場所に戻ると皆はそれぞれ野草や昆虫や木の実や魚なんか取って来ていた。料理のやり方を話し合いながら保育園に戻る。
多分、持って帰ったら、あなたのお母さんやお父さんも喜ぶだろう。もっともカミキリムシの幼虫は、見せたらお母さんは悲鳴を上げてしまうかもしれないけれど。
保育園に戻ったら、アニア先生が中心になって皆でわいわいと料理を作った。勉強のできる優等生が怖がって虫を触れなかったり、いつも頭が悪いと馬鹿にしていたあいつが包丁を使うのが巧かったり。
楽しい料理が終わった後は食事会だ。
不味い料理もあったけれど、不味くてもなんだかとても面白かった。簡単なゲームをやって、負けた奴がそれを食べなくちゃいけないって遊びをやる。
なんだかとても楽しかった。
皆で協力して取って来た食べ物で、皆で協力して料理を作る。
それは物凄く仕合せな事だった。
人間も魔族も笑い合っていた……
「……なんて優しく美しい世界だ」
魔王フルムス・クルブスが上空からアニア・ゴールドが創った結界を見て、思わずそう呟いた。
彼女を心配した彼は、高速で飛んでガレン工場の跡地にまで戻って来たのだ。
彼はその結界を一目見て、それがアニア・ゴールドが創造した世界なのだと悟った。
白い寂光を放つ彼女の世界はとても美しかった。
見ているだけで癒されるような。
自分ではどう“魔界”を使っても、絶対にこうはならない。
彼は微かに笑う。嬉しそうに。
そして“やっぱり、かなわないな”と、そう思った。
やがて寂光の結界が引いていく。
どうやら彼女の魔力が尽きたようだ。
寂光が去った後、人間も魔族も争いで負った傷は全て癒えていた。死んだと思われていた者達まで復活している。
全員、武器を手にしていたが、もう戦う気は一切ないようだった。
自分達が戦っていた記憶は残っている。しかし、それがまるで悪夢の中の出来事のように感じられていたのだ。
“――なんで、あんな無意味な争いをしていたのだろう?”
互いに顔を見合わせ、キョトンとした顔をしている。
信じられない。
そんな彼らを尻目に、魔王は倒れているアニア・ゴールドのいる場所に向って降りて行った。




