37.アニア・ゴールドのお願い
ガレン工場の跡地。
かつてはかなりの数の人間達が働いてたその場所には、食堂や宿泊施設まであったらしい。その建物群は、或いはそういった施設の成れの果てなのかもしれない。
化石化したようになっている今は、もうその面影はほとんどないが。
勇者アニア・ゴールドが潜んでいるその建物群を、外からアインとゴースノースが見やっている。それらは結界に囲まれている所為で切り取られ、巨大な前衛的オブジェのように見えなくもなかった。
小さな声でゴースノースが言った。
「なぁ、これ、他の人間なんかいないんじゃないか? 気配がまったくしねぇし。戦闘のプロなら気配を消しているのかもしれねぇが、反魔族団体って素人の集まりなんだろう?」
建物群の外に伏兵がいた場合を想定して、彼ら二人は結界の外で待機していたのだ。女勇者が現れた事自体が罠かもしれない。目の前には魔族達のリーダーの一人、イーリーも数人の部下と共にいる。状況に応じて指示を出す為だ。
「まぁ、そーねー。あの女勇者、戦闘する気なんてそもそもなさそうだったし」
他の魔族のメンバーの何人かが、女勇者を狩る為に結界の中に入っているが、そこそこ時間が経過しているのにまだ戦闘の音が聞こえて来ない。つまり見つけられないでいるのだ。自分達が行けば簡単に見つけられると二人とも思っていた。ただ……
「……黙ってましょう。こっちの方が楽だから」
あまりやる気はないようだった。
アニア・ゴールドは倉庫だろう場所で透明化の魔法を使って息を潜めていた。壁に身を寄せて、じっと動かない。
その倉庫には大きな窓が数か所にあったので、仮に居場所がバレて襲われても逃げ出し易い。更に魔族達は自分が透明化の魔法を使える事を知らない。周囲から観られやすいその場所は、逆に魔族達の心の死角をつけて見つかり難いだろうと彼女は判断したのだ。
案の定、魔族達は彼女を見つけられなかった。少し倉庫の中を見て、いないと思うと直ぐにもっと他の遮蔽物が多そうな場所に移動してしまう。
取り敢えず、作戦は成功だ。
既に彼女は“汽車爆破の計画”を報せる為の手紙を書き終えていた。ただ、それを伝える手段がない。この辺り一帯を覆っている結界は、飛ばした手紙を弾いてしまう事が見た目だけで分かった。
多分、術者であるゴースノースが許可した物以外は出入りが困難なはずだ。
“なんとか、あの結界を突き破る方法を見つけないと”
一か八かで全力で体当たりをして結界を無理矢理に突き破り、手紙を魔法で飛ばすことも考えたがリスクが大き過ぎる。仮に突破できたとしてもダメージが大き過ぎれば、手紙を飛ばせないかもしれないし、そもそも手紙自体が結界で破かれてしまうかもしれない。
一番確実なのは、結界が解けるのを待って手紙を飛ばす方法だった。こんな強力な結界をいつまでも張っていられるとは思えない。が、それでは汽車爆破までに間に合わないかもしれない。
アニアの記憶が正しければ、汽車出発までにはまだ時間があった。しばらく待って、それでも結界が解けなければ、玉砕覚悟で突っ込む。それが彼女の考え得る最善の策だった。
魔族達は相変わらず彼女を見つけられずに建物群の中を探し回っていた。ところが、いつまでも見つけられないでいる事に苛立ったのか、ある時彼らの動きに異変があった。何故か建物の上の階に昇り始めたのだ。
“何をするつもり?”
倉庫の中から、魔族の一人が二階にいるのが見えた。
固唾を飲んで見守っていると、その魔族は魔力を練り始めた。雷撃の魔法を使うつもりでいるようだ。完成すると両手を大きく地面の方に向けた。
“まさか”
その行動の意味をアニアは察する。
見つからないのなら、この辺り一帯全てを攻撃してしまえば良い。そう連中は考えたのだ。
両手が振り下ろされる。雷撃が地に向って放たれる。決して高い攻撃力を持っている訳ではないが、雷撃は地面に衝突するとは薄く広がっていった。広範囲のその雷撃が彼女に迫って来る。
“悲鳴を上げたら、見つかってしまう!”
雷撃が彼女に命中した。歯を食いしばって彼女は衝撃に耐える。壁を背にしているお陰で倒れず、転倒の音が出るのは防げたが、激しい痛みが全身に走った。もしかしたら、内ポケットにいるナイも傷ついてしまったかもしれない。“ごめんね、ナイ”と彼女は心の中で謝った。
なんとか声を出さずに耐え切った彼女だが、顔を上げて悲壮な表情を浮かべる。二発の雷撃が既に放たれようとしていたからだ。直ぐに二撃目がやって来る。歯を食いしばってそれにも耐えたが、続けて何度も雷撃は放たれた。
“何にも反応がないのだから、二階にいるって思いなさいよ!”
しつこいその攻撃にアニアは心が折れそうになる。
「グッ!」
少し悲鳴が漏れてしまった。
ただ、そこで雷撃は止まった。魔族達の魔力も無限ではない。無駄遣いはできないと判断したのだろう。
しかし、そう安堵した瞬間だった。
ズンッ!
という音が地面を伝わって来たのだ。何かが激しく地面に激突したように思えた。そして、続けて何者かが近付いて来る足音が。しかも迷わず真っすぐに速い動きでそれは彼女を目指している。
“まさか、さっきの悲鳴が聞かれてしまったの?”
彼女は恐怖と絶望を感じた。
上着に装備している銃に触れる。銃弾を当てるつもりはない。いや、彼女には当てられない。相手を傷つけてしまうからだ。だから銃を撃っても、相手を束縛する為の呪術を施した弾丸で動きを封じるだけだ。
ただ、魔法能力に秀でた魔族達には、その手段は時間稼ぎくらいの効果しかないだろう。
“動きを封じたら、全速力で走って、一か八かで結界に体当たりするしかない……”
彼女は覚悟を決めた。
が、倉庫にいる彼女に近付いて来た何者かを見た瞬間、彼女の表情は一気に明るく変わったのだった。
「クルブス!」
そう。そこに現れたのは、魔王フルムス・クルブスだったのだ。傍らには、ウールリ・リールラの姿もある。助けに来てくれたのだ。
アニアは喜びのあまり、気が付くと駆け寄って彼に抱きついていた。
「ありがとう、クルブス! 私、もう駄目かと思っていました」
気配に気付いた魔族の一人がその様子を見て「魔王様ぁ?! なんでここに?」と声を上げる。魔王クルブスは、抱きついて来たアニアが傷ついているのを認めて、静かな怒りの視線をそんな魔族達に送った。
「お前達! 私の愛しいアニアさんを傷つけて無事で済むとは思っていないだろうな?!」
魔族達は一斉に悲鳴を上げる。
「ヒーッ!」
「……なあ、今、空から物凄い勢いで降って来たのって魔王様だったよな?」
と、ゴースノースが言った。アインは「そうねぇ。そう見えたわねぇ」などと返す。
「呑気に言ってる場合かぁ!」
と、イーリーがそんな二人にツッコミを入れた。
「伏兵に警戒するのはもう良い。お前らは、中に入って魔王様を抑えてくれ。結界の中にいる所為で魔王様は全力が出せないだろうが、それでも連中じゃ相手にならない!」
そう言われてゴースノースは「あー たっりーなぁ。やっぱり、そうなるかぁ」といかにも不満そうな様子だった。アインが続ける。
「割に合わないわよね。確か、素人の人間達を叩きのめすだけって契約じゃなかった? その分のお金しか貰ってないし」
「だよな? まさか魔王様の相手をさせられるとは思わなかったぜ」
が、イーリーが「いいから、さっさと行ってくれ!」と懇願するように言うと、二人は不満そうな様子とは裏腹に地面を蹴って高速で結界内に突進していった
魔王クルブスを見た魔族達は一目散に逃げ出していた。自分達では敵わないのは彼らは百も承知なのだ。魔王はそんな魔族に火の魔法を放とうとしたようだったが、そこで魔力が練り難い事に気が付く。
どうやら思った以上に強力な結界が張られているようだ。彼が知る限り、人間社会にやって来ている魔族の中でここまで強力な結界が張れるのはただ一人だった。
「ゴースノース」
そう彼が言うのと当の本人がそこに現れるのはほぼ同時だった。
高速で移動して来たゴースノースは魔王の前に立ち塞がる。その隣にはアインもいた。軽く歯ぎしりをして彼は「お前らか」と呟いた。彼にとっても少々厄介な相手であるらしい。
そこでアニアが彼の腕に縋りつくようにして訴えて来た。
「クルブス。お願いです。助けてください!」
彼はそんな彼女を「大丈夫ですよ。必ず助けますから」と言って安心させようとする。ところが彼女は首を横に振って「違うのです」と言うのだった。
「魔族達が汽車を爆破する計画を立てているのです。蒸気機関を狙っているようです。このままではたくさんの人が犠牲になってしまう」
それを聞くとウールリが口を開く。魔王はそれを止めようとしたが既に遅かった。
「やっぱりですか。魔王様はそれを懸念ししていたのです。魔族の行動パターンは把握していますから。それでさっきまで爆破を止める為に駅にいたのですが」
その言葉にアニアは強いショックを受けたようだった。
「――まさか、私を助けるのを優先させてこっちに来たのですか?」
そう言った彼女は今にも泣き出しそうに瞳を潤ませていた。
「私が勝手な行動をした所為で……」
それから思い詰めたような表情を見せた後で彼女は続ける。
「私はあなたを疑っていたのです。やはり魔族と人間の諍いに関しては魔族の味方をするのではないか?と。
だから黙ってここに来ました。
あなたに正直に相談をしなかった私が全て悪いです。
どうかお願いします。汽車に乗っている人達を助けてください! あなたならできるはずです。代わりに何でも言うことを聞きますから」
彼女の目に溜まった涙は零れ落ち、頬を伝っていた。
「アニアさん……」と、言いながら魔王は彼女の両肩をつかむ。
「私もできるのなら蒸気機関車の爆破を止めたいと思っています。ですが、あそこにいる二人は生易しい相手ではない。直ぐには倒せないし、ウールリでは荷が重い。他の連中ならウールリでも充分ですが……」
しかし彼女は引かなかった。
「私はどうなっても構いません! お願いします。このままではたくさんの人が犠牲になってしまいます!」
そんな彼女の様子を見て彼は思う。
仮に蒸気機関車が爆発してたくさんの人々が犠牲になったなら、この純粋で優しい女性は、これから一生罪悪感に苦しみ続ける事になるだろう。
そんな地獄の日々だけは、絶対に送らせたくない。
――しかし、ここを放置すれば間違いなく彼女は殺されてしまう。
魔王は苦悩し、葛藤した。
……どうすれば良い?
彼女を連れて結界の外に逃げる事も考えたが、ウールリや自分ならば、一瞬だけ結界を中和しすり抜けられるが、彼女にそんな技術はない。彼女の身体が結界の抵抗に耐えられるとも思えなかった。結界を打ち破るのも簡単ではない。
手段はない。
彼女だけは死なせたくない。
なら、説得するしかない。
また魔王は口を開いた。
「良いですか? アニアさん。あの二人は単に高い戦闘力を持つというだけでなく、特殊能力も持っているのです。あのアインという低い身長の女性ですが……」
ところがそう言いかけて、彼はふと何かを思い付いたようだった。
アインをゆっくりと見やる。
“そうか。アインの能力なら……”
視線を向けられたアインは不思議そうに首を傾げた。
“何かしら?”
相変わらず飄々とした彼女の様子を見て“賭けてみよう”と、決心すると魔王はウールリに向けて言った。
「ウールリ! 私に策があります。あの二人にはアニアさんに手出しをさせません。ですから、他の魔族の攻撃だけは何としても防いでください」
言い終えると、再びアインに目を向ける。そして、
「アイン!」
と、大きな声で叫ぶと、彼は彼女に向って突進をした。
ゴースノースはそれを見て、「来るか?」と呟いて構えを取ったが、アインはそれを否定する。
「いいえ、攻撃をする意志はないわね」
「じゃ、どうして突っ込んで来るんだ?」
「話したがっているみたいな気がする」
「話? 話ってなんだよ?」
そう言っている間で、魔王は直ぐ目の前にまでやって来ていた。
「アイン。じっくりとアニア・ゴールドを見定めるのです。その上で殺めるべき相手かどうかを判断してください。もし、彼女を守ってくれると言うのなら、今回あなた方が貰った報酬の倍は支払いましょう」
そして、そうアインに告げると、そのまま通り過ぎ、魔王は地面を蹴って結界の外に飛んでいってしまった。




