35.鉄道開通セレモニーの日
鉄道開通セレモニーの開催を告げる空砲が心地良い音を響かせている。子供達ははしゃぎ、大人達も一様に顔を和らげ喜びを共有している。鉄道反対派の怨さを無視して、街は祝賀ムードに包まれていた。
幸いよく晴れていた。もっとも、空気が汚れた街の空は微妙に白っぽく、決して美しいとは言えなかったのだが、それを気にする人はあまりいなかった。
セレモニーの後で汽車の初運転が実施される。その初乗りチケットは瞬く間に売り切れ、噂では何百倍ものプレミアム価格がついて裏で売買されていたらしい。
セレモニーと初運転を見ようと集まった人達で駅は大変な賑わいを見せていた。当然ながらそれは高い経済効果を生んでいた。目ざとい商売人達は、そのチャンスを逃すまいと駅前の広場にたくさんの売店を出し、飲食物やグッズなどを販売している。中には関連性があまりなさそうな商品を出している店もあったが、特に問題視される事もなかった。もっとも、好ましい者ばかりがそこに集まっている訳ではなく、その所為か厳重な警備が敷かれている。
駅前の広場にはセレモニー用の特設会場が設けられており、そこには地位の高い人間達の為の特別席が用意されていた。既にその席に座っている人間もいて、その中にはゼン・グッドナイトの姿もあった。
彼は静かな威圧感を放っていたが、それと同時に斜に構えたような軽妙な雰囲気も身に纏っていた。まるで遊戯を楽しむように駅の喧騒を眺めている。
悪戯を仕掛けた子供のように彼は笑っていた。
セレモニーの日の朝、勇者アニア・ゴールドは探偵事務所にいた。彼女は鉄道開通セレモニーとはほぼ無縁だった。狙われているサリーを護る役目を担っている彼女が人込みに行くのはあまりに危険過ぎるし、新規の依頼は全て断っているとはいえ探偵事務所の営業時間中でもあったからだ。
ただ、それでも彼女は何かしらソワソワしていたのだが。
“クリンさんからの報告が正しいのならば、魔族の組織と反魔族団体が争うのは、今日のはず……”
彼女は女性警官のクリン・クーから、今日、魔族組織が反魔族団体をガレン工場の跡地に呼び出して攻撃をする計画を立てていると報告を受けていたのだ。どうも、殺されてしまったトレンチコートの男が関わっていたのは、その魔族組織であるらしい。
“停めないと”
アニアはそう考えていた。
「この件で、警察は動かない」とクリンからは言われていた。何か込み入った事情があるらしい。ならば、古巣の軍を頼ろうかとも考えたのだが、そんな事をすればそれこそ軍隊と魔族の間で激しい戦闘になってしまうだろう。クリンの話によれば、魔族組織は強力な戦闘要員すらも雇っているのだという。死傷者すら出してしまう危険性がある。
事前に停めるのが最善の策だ。
それに、魔族側の組織を停めるのは難しいかもしれないが、人間側である反魔族団体ならば話が通じるかもしれない。
勇者である彼女は、反魔族団体から一目置かれている。戦闘が始まってしまったなら聞く耳を持ってくれないだろうが、ガレン工場の跡地に辿り着く前ならば、なんとか説得できるだろう。セニア魔法技術応用研究所への抗議デモの時に一度説得に成功してもいる。
ただ、その為には魔王フルムス・クルブスの目を盗んで工場の跡地に向う必要があった。
“魔族に関しては、クルブスは頼れない”
そう彼女は考えていた。
なんとか庇おうとするだろう。何しろ彼は魔族の長なのだ。
ゼン・グッドナイトは魔王が彼女を監視していると言っていた。何故なのかは分からないが、それはどうやら事実らしい。少し出かけるくらいなら認めてくれるだろうが、このビルから遠く離れたなら、彼は直ぐにそれを察知してしまうに違いない。
ところがそれでどうしようかと悩んでいると、不意に魔王は「出かけてきます」と彼女に告げたのだった。
セレモニーを楽しむような柄でもないだろうに、一体外に何の用があるのだろう?
アニアは疑問に思ったが、彼が行方を言わずに外に出かけるのはそれほど珍しくもない。内心では“ラッキー”と思いながら、「そうですか。いってらっしゃい」と返した。ところが彼はそれで彼女の妙な様子に気が付いたのか、
「遠出などしないでくださいね。セレモニーに行くのも控えてください」
と釘を刺して来た。
「はい」とそれにアニア。
それほど遠くに行く訳でもないし、セレモニーに行く気もない。“嘘は言っていない”と、彼女は心の中で言い訳をした。
多少、疑わしそうな顔を見せてはいたが、それでも魔王はウールリに「よろしくお願いします」と言うとそのまま出かけていった。ウールリは気負った様子も見せず、「任せてください」と返していた。
魔王が出て行って少し経つと、アニアは出かける準備をした。服を着替え、一応銃を二丁装備し、サリーをゲージに入れて透明になる魔法を施す。当然、ウールリにそれは見つかって、「何をしているのです?」と見咎められた。が、
「少し買い物です。おやつが欲しくなりまして」
と言うと簡単に納得してくれた。アニアは今までほとんど嘘をついた事がない。その信頼のお陰だろう。単に“嘘をつくのが苦手”という彼女の性格を把握されているだけかもしれないが。
一通り準備を終わらせて外に出ようとすると、ぬいぐるみのナイが彼女に飛びついて来た。どうも一緒に出かけたいらしい。もっともそれはいつもの事で、そしていつもなら彼女は甘えて来るナイを大いに喜んで一緒に出かけるのだが、今日ばかりは困ってしまっていた。ナイを危険な目に遭わせてしまうかもしれないからだ。
ところが、「ナイ。今日はお留守番していなさい」と言って部屋に閉じ込めようとしてもドアを閉める直前で素早く部屋から出て来てしまう。彼女はナイがそこまで素早く動けるのを知らなかった。
そのうち、そんな彼女の様子にウールリが不審な目を向け始めたので、仕方なくナイを何があっても絶対に護れるように上着の内ポケットの中に入れると、一緒に連れて出た。
ガレン工場の跡地は、海に近い場所にある。以前は長距離馬車用の車輪などを製造していたらしいのだが、鉄道の普及で需要が減るに伴って閉鎖されてしまった。設備も旧く、資金力もなかった為、別の工場に生まれ変わるほどの力が残されていなかったのだろう。今は誰の持ち物なのかもアニアは知らない。
魔族が反魔族団体を攻撃する日に鉄道開通セレモニーの日を選んだのは、セレモニーに人目が集まっている隙を突きたかったからなのだろうが、鉄道の所為で潰れたガレン工場を選んだのはただの偶然だろう。それでも、寂れたその場所に着いた時、彼女は何か運命のようなものを感じてしまった。
時代の移り変わりの中で忘れられ、見捨てられていくもの達。
――或いは、人間社会に潜伏している魔族達もそのような存在なのかもしれない。
意味のない感傷かもしれないが、彼女はそれでも少しだけ彼らに同情をした。
工場の跡地には、まだ壊れかけの建物が散在していた。恐らく、解体もせずに持ち主が放棄してしまったのだろう。
大きなホールのような場所は、骨組みがさらされて金属部分はすっかり錆びついていた。石造りの建物がいくつか建っていて、まだ雨風をしのぐ程度になら充分使えそうだ。崩壊した街の一部が化石化して残っている。そう言われても、彼女は信じたかもしれない。
都市の中心部から外れている為、空の青さは充分に感じられる。美しい陽の光に照らされている所為で、その“街の化石”はよけいに物悲しく感じられた。
アニアは警戒しながら軽く辺りを回ってみたが、人の気配は一切しなかった。魔族達もいない。クリンが誤情報を掴まされた可能性を彼女は少し疑ったが、まだ到着していないだけかもしれない。
“反魔族団体がまだ到着していないのなら、途中の道にまで引き返して待ち伏せをすれば良い。反魔族団体が来たら説得をしよう”
彼女はそう考えて、来た道を引き返そうとした。ところが、その時、多くの足音が近付いて来るのに気が付いたのだった。崩壊しかけたホールの物影に身を潜めて覗いてみると、魔族の集団が工場の跡地にやって来るのが見えた。
“来た。魔族だわ”
やはりクリンの情報は正しかったようだ。とにかく見つかってはいけない。彼女は自分の周囲に透明になる魔法をかけた。これで魔族からアニアの姿は見えないはずだ。隙を見てこの工場の跡地を抜け出し、反魔族団体が来るのを待とう。反魔族団体を説得できれば、取り敢えずの衝突は避けられる。
アニアが探偵事務を出て行った後、ブラウニーのウールリ・リールラは、しばらくとても呑気に過ごしていた。
少々アニアの帰りが遅い気がするが、ずっと部屋の中に閉じこもっているのだから偶には外に出たい気持ちも分かる。息抜きをしているだけだろう。最近は公園が好きだと言っていたから、公園で寛いでいるのかもしれない。
そう油断していたのだが、不意に警報が鳴り響いたのだった。
チリリリリッ
という高音。
アニアが半径1キロを離れた時に鳴り響く音だ。
「まさか、アニアさん。遠くに行っちゃったの?」
慌てた彼は、ビルに備えられたサーチアイの一つと自分の視界を共有させる。アニアを追尾するそのサーチアイは、遠く海の方角に視界を向けていた。
その方角にアニアは向かったのだ。
「大変だ! 早く魔王様に伝えなくちゃ!」
ウールリはそう叫ぶと窓を叩くように激しく開けると、そこからいきなり飛び降りる。そして、手を広げてムササビのように滑空して魔王のいる場所へと向かった。




