34.勇者様はとても哀しそうにしていた
その時ナイルス少年は、セニア魔法技術応用研究所の前で抗議活動を行っていた。親が反魔族派の団体に所属していて、それで半ば強制的に付き合わされていたのだ。
ただ、彼自身はその活動の意味をよく分かっていなかった。
どうして自分の周りの大人達が魔族を敵視しているのか。どうして排除しなくてはならないのか。
「魔族が人間の害になる」と言うけれど、魔族達と喧嘩している事の方が、より害になるような気がしていた。だって互いに傷つけ合っている。誰も得をしない。
――間違っているのじゃないか?
漠然とだが、ずっと彼はそんな想いを抱えていた。そして、セニア魔法技術応用研究所の抗議活動を勇者アニア・ゴールドが治めるのを見た時、彼の中でそれは確信に変わったのだった。
勇者アニア・ゴールドは、抗議活動をしている自分達を決して責めたりはしなかった。それどころか回復魔法で癒してくれた。美しい寂光で包み込まれた時、ナイルスは感動を覚え、その優しい世界に思わず涙をこぼしそうになってしまった。
そして、それで親達は抗議活動を止めて勇者様の説得に耳を貸したのだ。
多分、これが正しい世界なんだ。
彼はそう思った。
勇者様の行った事に比べて、話も聞かずに一方的に研究所を責め立てる自分の親達、反魔族団体はとても醜く思えた。
もちろんそんな事は、決して親達には言えなかったのだけれど。
ナイルスが自分の家に監禁されていた魔族の少女を助けたいと思ったのは、きっとそんな体験をしていたからなのだろう。
その少女をさらったのは親の仲間の反魔族団体だった。隠し場所がないとかで、彼の家に連れて来たのだ。その魔族の少女の親は商社に勤めていて、貿易をしている関係で人間社会に来ていたらしいのだが、反魔族団体はそれは人間を騙す為の嘘で、本当はスパイである可能性を疑ったらしい。
もっとも、仮に本当にスパイであったとしても、子供には何の罪もないのだが。
少女はとても怯えていた。言葉は通じなかったが、辛うじてシュガーポットという名前である事だけは分かった。魔族だが肌はグレータイプではなく透き通るように白く美しかった。耳は特徴的に少し尖り、よく見ると申し訳程度に頭に角が生えていて、目がとても大きくて澄んでいる。
可愛い、とナイルスは思った。
「怖がらないで」
初めて見た時、そう声をかけた。安心させてあげたかったのだ。
自分が悪い訳ではないのだろうが、ナイルスは心細そうにしている彼女を見て、なんだかとても申し訳ない気持ちになってしまった。
初めの頃は、彼女は誰に対しても心を開く様子がなかったのだが、彼が食べ物や飲み物を運んで優しく接し続けると、次第に笑ってくれるようになった。
彼女の親の魔族がスパイであるというのが単なる誤解であってくれれば良いと、ナイルスは心から願った。
――この子を無事に家に帰してあげたい。
ナイルスはそれほど詳しく知らなかったのだが、これと似たような事を親の仲間の反魔族団体は以前からやっていたらしい。
魔族や、魔族に協力的な人間達に対しての妨害活動。セニア魔法技術応用研究所は、魔族に協力を依頼してはいなかったので抗議活動程度で済んでいたが、他の魔族との繋がりが深い施設には、集団暴行や時には殺害すらも行っているようだ。
人間社会に潜伏している魔族の団体は、そんな彼らの活動に対抗しているらしい。戦闘になる事すらもあるのだとか。得るものは何もないのに。互いに傷ついているだけだ。
もちろん、ナイルスはそんな活動は間違っていると思っていた。だが、それを言ったなら、親の仲間の反魔族団体から批判されるのは明らかだった。だから何も言えなかった。
“いじめ”と同じだな。
と、ナイルスは思っていた。
誰かがいじめられている。助けてあげたいと思っても、助けると自分も皆からいじめられたり嫌われたりするから何も言えない。
ナイルスはそんな自分を意気地なしだと思っていた。本当は“間違っている”と指摘できる人間になりたかった。
そして、そんな自分の弱さが、色々な人を、社会を、悲しくさせているような気もしていた。
勇者様なら。
と、彼は思っていた。
勇者様なら、こんな弱い僕も、醜い大人達も、打ち倒してくれるかもしれない。
いつしか、彼はそんな願望を抱くようになっていた。
「――いつまであの魔族の娘を捕まえておく気だ? 飯代だって安くないんだぞ?」
ある日、反魔族団体の大人達がそう言っている声がナイルスの隣の部屋から聞こえて来た。その声の主は特に過激な思想を持っていて、魔族に対して激しい憎悪を抱いていると皆から言われている。
“魔族”と一口に言っても様々な人がいて、全ての魔族を一括りにできるはずがない。しかし、そんな真っ当な理屈は、その人物には通用しないようだった。
「親を誘き出すのに使って、親子ともども殺しちまおう」
そんな彼を他の仲間が宥める。
「いや、待て。まだ本当にスパイだって決まった訳じゃないんだぞ?」
「もしスパイだったらどうするんだよ? 念の為、殺しておいた方が安全だ」
多分、本心では、この男は魔族なら誰でも殺したいと思っているのだろう。仲間の手前、言い訳をしているだけで。
「冷静になれって。警察が動き出しているんだ。下手したら、こっちが捕まるぞ?」
「なんだぁ? 人間社会の警察なのに、魔族の味方をするのか? とんでもねぇ警察だな。
大丈夫だ。どうせ捕まらねぇって。さっさと殺しちまおう!」
その会話を聞いて、ナイルスは震えた。
――早く助け出さないと、あの子が殺されてしまう!
だからその日、親と反魔族団体の仲間達が誰もいなくなってから、ナイルスは魔族の少女、シュガーポットを連れて外へ逃げ出したのだった。
君の親の所に連れて行ってあげると、必死に身振り手振りで彼が説明すると、シュガーポットはなんとか分かってくれたようだった。
だが、何処にどう行けば、シュガーポットの親がいるのか分からない。しかも、魔族の少女は街ではとても目立ってしまう。街を彷徨い歩く内、反魔族団体の仲間達にナイルス達は見つかってしまった。
追って来る反魔族団体から、ナイルスは必死に逃げた。街では明らかに自分達の方が不利なので、公園の中に逃げ込む。
その公園には大きな繁みがあり、そこになら身を隠せる場所がいくらでもある。反魔族団体が近付いて来ると、ナイルスは繁みの中を身を屈めて移動して逃げた。
シュガーポットはとても不安そうにしていた。汗ばむ彼の手を彼女はとても強く握っている。彼女のその手も汗ばんでいた。
――なんとしても、この子だけは守らなくては。
そうナイルスは強く思った。
が、やがて反魔族団体の声に彼らは囲まれてしまった。
まだ完全に見つかってはいないが、凡その場所はバレてしまっているようだ。繁みの中で小さくなっていると徐々に反魔族団体の声が近づいて来るのが分かる。
彼は祈った。
お願い、助けて、と。
思い出したのは、勇者アニア・ゴールドだった。
あの人なら、きっと自分達を助けてくれる。魔族の娘だからって差別をしたりしない。
そうだ、と彼は思う。
なんとかここを逃げ出せたら、勇者様のいるビルを訪ねよう。きっと力になってくれる。
繁みの影から彼は外の様子を窺った。反魔族団体がいなかったら、一気に駆けて公園を出ようと考えたのだ。
だがダメだった。
自分達を探す声がする。
親が自分の名を呼んでいる。
「ナイルス! 馬鹿な真似はやめて出て来なさい」
それを聞いて彼は思う。
馬鹿なのは、お父さん達の方だ。なんで分かってくれないのだろう?
声を殺して耐える。繁みの隙間から外の様子を窺っていると、突然目の前に仔猫が現れた。まるでぬいぐるみのような黒く可愛い仔猫だった。
その黒い仔猫はナイルス達を見つけたらしく「ナー」と鳴いて、寄って来ようとする。それに彼は慌てた。お父さん達にここにいるのがバレてしまう。
小さな声で彼は「あっちにいけ。シッシッ」と言って追っ払おうとした。だけど、黒い仔猫は反対に近寄って来る。
そこで彼は気が付いた。
その仔猫が“ぬいぐるみのよう”ではなくて、本当にぬいぐるみである事に。
“なんだ?”
と、彼が不思議に思うのと「ナイ、どうしたの?」と声が聞こえるのはほとんど同時だった。
“この声は”とナイルスは思う。シュガーポットの手を強く握った。顔を明るくする。彼の記憶が正しければ、その声は勇者アニア・ゴールドのものだったのだ。
勇者様は繁みの近くのベンチに座っているようだった。黒い仔猫のぬいぐるみが何に気を取られているか見ようとして屈んだのだろう。顔が見えた。ナイルスと目が合った。シュガーポットも見つけたようだ。
ナイルスは必死に小声で「助けてください」と訴えた。その訴えとシュガーポットと親達の自分を探す声で彼女は凡その事情を察したらしかった。軽く頷くと、小さな声で「動かないで」と言う。
それから何らかの魔法を彼女は使ったようだった。「透明になって見えなくなる魔法よ」と小さな声で言う。
「身を護るのに使えそうだから、ある人から教わったの。ただ、習いたてだから巧くできるか分からない。じっとしていて」
その説明にナイルスは大きく頷いた。声を殺してできるだけ動かないようにする。シュガーポットにも目で合図した。上手く伝わったかは分からないが、それでも彼女はじっとしていた。
それから随分と時間が経過した。いつの間にか反魔族団体の声は何処かに消えていた。一時は直ぐ近くまで来たが、勇者様に軽く声をかけただけで、ナイルス達には気付かなかったようだった。勇者様の魔法のお陰かもしれない。
安全だと判断したのか、それから勇者様はナイルス達に繁みの中から外に出て来るように指示を出した。外に出ると、ナイルスは事情を説明する。彼の説明を聞き終えると、勇者様はこう言った。
「なるほど。話は分かったわ。警察が動いているのね? それなら安心して、警察に知り合いがいるから話を通してあげる」
「あの……」
と、その後で彼は口を開く。
このままでは、自分の親が誘拐犯として捕まってしまうと心配したのだ。
しかし、勇者様はそれも分かっていたらしく、「大丈夫。上手く誤魔化しておくから」と言ってくれた。
「……と言ってもね、実は警察も反魔族団体には甘いのよ。だから、放っておいても罪には問われないと思う。
ま、今回は良かったかもしれないけど、本来は駄目な事なのかもしれないわね」
それからそう続ける。
そう言った勇者様はなんだかとっても哀しそうにしていた。
勇者様が警察に相談すると、シュガーポットの親は簡単に見つかった。彼女と別れるのは寂しかったけれど、それでも親に抱きついた時の彼女の嬉しそうな様子に彼はホッと安心をした。
それから彼は恐る恐る家に帰ったのだが、シュガーポットの親がスパイというのは勘違いだったとどうやら分かったらしく、それほど強くナイルスは責められなかった。
ただ、それでも、叱られてしまったけれど。
叱られながら、自分が叱られていることに、ナイルスは少しも納得していなかった。自分は不当な理由で殺されそうになっていた女の子をただ助けただけだ。それは絶対に正しい事だ。そして、いつの日か、それが当たり前になる日が来るべきだとも彼は思っていた。
――もしかしたら、そんな日が来たなら、勇者様があんなに哀しそうな顔をしなくても済むようになるのかもしれない。
彼は醜い顔で魔族を罵る反魔族団体の大人達の姿を思い出しながらそんな事を考えた。




