3.勇者をクビになった女
自宅のアパートの一室に戻って来るなり、アニア・ゴールドはベッドの上にそのまま倒れ込んだ。ベッドの上に置いてあるたくさんのぬいぐるみが軽く跳ねる。彼女の趣味は“ぬいぐるみ集め”なのだ。
「あ~ 疲れた」
そう言って寝転がった。
このまま朝まで眠ってしまいたいが、まだ眠る訳にはいかない。夕食を食べていないし、お風呂にだって入らなくはならない。本当は帰りに何処かの店で夕食は済ませてしまいたかったのだが、今の彼女にはそんな金銭的な余裕はなかった。自炊をしなくてはらない。
セニア魔法技術応用研究所での仕事は、貼られてある呪符に魔力を通して湯を沸かすという彼女にとっては容易いものだったが、何度も繰り返さなくてはならないし、それに何より研究所までの移動距離が長いのでそれで体力を削られてしまうのだ。
研究所では何度も同じ魔法を繰り返し、その変化を計測しているらしい。もちろん、他にも彼女のようなアルバイトがいて、同じ様に計測を行ってデータを取っているのだ。それで新型の呪符が“魔法の不安定さ”をどれだけ吸収できているのかを調べたいらしい。
「もちろん、不安定さの解消だけじゃなく、安全面の考慮も忘れていないですよ」
ヨシダ・セイイチはそのような説明をした。普段は無表情で感情が読み取り難いのに、今は明らかに楽しそうにしているのが分かる。きっと意欲的に取り組んでいるのだろう。
「魔法で蒸気機関の効率を良くするのですが、魔法は不安定ですから、下手すれば暴走しかねません。そこで暴走しそうな兆候を掴んだのなら、自動的に魔法を解除するような仕組みも作りたいと考えています」
「へー、凄いですね」と、アニアは素直にそれに関心した。色々な事を考えているものだ。しかも、かなり役に立ちそうな技術である。この研究によって魔法の力の重要性が増すのを恐れる人間達の気持ちも分からないではない。
魔族の力が、再び盛り返してしまうのではないか、という懸念。
魔王が失踪した事を訝り、結んだ和平すら人間達を油断させる為の奸計ではないかと疑っている人間達もいるらしい。その点については、実はアニアも不安に思っているのだが。
――明らかに不自然過ぎる。一体、どうして魔王は消えたのだろう?
ベッドの上で大きな猫のぬいぐるみを撫でたりしながら、アニア・ゴールドは魔王クルブスと初めて会った時の事を思い出していた。
ナイがそんな彼女の傍に寄って来て、腕にじゃれついて甘えた。ふふ、と彼女は笑う。
魔王が統べる、あまりにも巨大な魔族達の国、タイゲア帝国と人間達の連合国は外交上の慣例として、定期的に勇者と魔王の会談の場を設ける事になっている。特に勇者が選出された際にはその会談は重視されている。停戦協定を結んだ折に、魔族側から「停戦の意思があるのなら、魔王を打倒する戦力である“勇者”を隠すな」という要求があり、それ以来続いているのだ。
基本的に魔族の方が魔法の力では上回っているが、多人数の魔力を一人に集中させる能力においては人間側の方が優れており、その究極の依り代こそが“勇者”の称号を持つ者なのだ。
魔力集約型人間決戦兵器“勇者”。
勇者には魔王を打倒する可能性すらあると言われている。だから魔族側は強力な戦力である“勇者”を隠すなと言って来たのだ。
アニア・ゴールドが勇者になった年も、その勇者・魔王会談は慣例通りに行われた。当時、アニア・ゴールドは勇者たらんとしてまだかなり気負っていた。
魔族の打倒を夢見る者達、また、女権拡張論者達も“女性勇者”である彼女の活躍に期待をしていて、それに何とか応えようと必死になっていたのだ。だから彼女は“依り代”としての能力はもちろん通常の魔法も訓練し、軍事理論やその他のたくさんの知識も吸収し、皆が期待する勇者像を必死に体現しようとした。
“魔王を打ち倒す運命を持っている”と宣言された彼女だが、そんな彼女でも女性蔑視を受けていた。その努力にはそんな差別に対抗するという意味も強くあった。
もっとも、そんな彼女に戦力…… 否、“戦争兵器”としての自覚があったのかと言えば、どうにもおぼつかなかったのだが。彼女はただただ皆の期待に応えたかっただけで、誰かを殺す事にリアリティはまったく感じられてはいなかったのだ。彼女は可愛い物が好きな優しい性格をしている。会った事もない“魔王”など憎めるはずもない。
だから、勇者・魔王会談で、魔王クルブスのその邪悪性を見出そうとアニアは堅く決心をしていた。それによって、“魔王を打倒する勇者である”という確りとした自覚が自分に芽生えると彼女は思っていたのである。
会談は人間領にある緑豊かなクノール城という田舎にある城の内で行われた。魔族側の領地の近くではあったが、山岳地帯で大した産業もない為、昔から人間と魔族の諍いが比較的少ない土地柄なので、人間と魔族の政治的な会合や会談でよく使われる場所だ。
城の中にある綺麗な庭園でアニア・ゴールドは魔王フルムス・クルブス達と会った。軍事部門の長や大臣などの重鎮達による一通りの儀式的な挨拶が済むと、魔王はアニアに「庭園を一緒に歩きませんか?」と誘って来た。
魔族側の重鎮達はそれに何も言わず、人間側は軽く反応したが、強くは反対しなかった。断る理由もない。アニアはそれを了承した。ちょうど良い。魔王の邪悪性を見抜いてやろうと思っていたのだ。
魔族の外見は人間とそう変わらない。ただ、時折、山羊や羊のような角の生えた者もおり、肌は真っ白か薄いグレーをしている。人間と交わる事も可能で、だから稀にではあるが人間と魔族のハーフもいる。人間と魔族のハーフは人間からも魔族からも差別を受けるのが普通だ。
そんな話を聞く度、アニア・ゴールドは悲しい気持ちになった。
――どうして人間も魔族も、そんな事をするのだろう?
魔王クルブスは身長の高い男で、着瘦せしているだけで骨格は確りしていそうだった。きっと体力もあるのだろう。肌は薄いグレーで、髪の毛は銀色。彼女の予想とは違ってとても穏やかな雰囲気のある男だった。切れ長の瞳に、整った鼻と口。美形と言ってしまってもいい顔立ちをしている。飽くまで人間基準の彼女の判断だが、いかにも好青年といったタイプで、異性から好まれるように思えた。
邪悪には思えない。
二人で庭園をしばらく無言で歩き続けたが、魔王から敵意はまったく感じられなかった。彼女の錯覚でなければ、むしろ好意すら感じる。庭園には小さな川が流れていて、その川の水は庭園内にある池に注がれていた。冷たそうな水だ。その中を宝石のような魚達が気持ち良さそうに泳ぎ、見ているだけで落ち着いた心持ちになる。
小さな橋を渡り、池の中にある小さな島まで渡ったところで、アニアは転びそうになってしまった。魔王クルブスは、そんな彼女の手を取って助けると「大丈夫ですか?」と微笑んだ。思わず彼女は頬を赤らめてしまった。
戦争兵器とそのターゲットのやり取りではない。まるで初めてお見合いをしている男女のようだった。
「あなたに会えるのを私はとても楽しみにしていたのですよ」
不意に魔王はそんな事を言った。
軽く微笑みを浮かべるその表情は、嘘を言っているようには思えなかった。
「分かっているとは思いますが、部下があなたの情報を私の所に集めて持って来るのです。ですから、あなたの人となりはよく知っていましてね。
ただ、実際に会うあなたは私の想像通り…… いえ、想像以上に美しい方だった」
アニアはその魔王の言葉に思わず喜んでしまっている自分を自覚した。ただ同時に“そんなはずはない”とも思っていた。彼女はどちらかと言えばボーイッシュなタイプで“美しい”などと言われた事は一度もないし、それになによりそれを言った相手は魔王だ。
だから、“これは、自分の心を揺さぶる為の策略に違いない”と彼女は判断した。自分が女だからそのような策略を執られるのだと思うと苛立ちすら覚えた。
そんな彼女の心の内に気付いているのかいないのか、魔王フルムス・クルブスは依然として穏やかな表情で微笑んでいた。
アニアは魔王の言葉にどう応えれば良いのか分からずに困っていた。苛立ちをそのままぶつけても良かったが、国と国との会合の場で個人的な感情をぶつける訳にもいかない。下手すれば両国間の関係が悪化する。
ところが、それから少しの間の後で、彼はまるで彼女のご機嫌を取るように、このように続けたのだった。
「実はあなたにプレゼントがあるのです。あなたを散歩にお誘いしたのもその為でして。
断っておきますが、私個人からの、あなたへのプレゼントです。政治的な策略は一切関係ありません」
その言葉に彼女は驚いたのだが、それから彼が取り出した物を見て更に驚いた。
それが“黒い仔猫のぬいぐるみ”だったからだ。しかもとても可愛い。自分が“ぬいぐるみ集め”を趣味にしている事は政府の人間達には隠している。仲の良い友人達くらいしか知らないはずだ。
“何故、知っているの?”
真っ赤になりながらそう思う。
一瞬、“お前の事は何でも知っている”という脅しなのかと彼女は思いかけたのだが、魔王にそんな雰囲気はない。ただ、それでも魔王からのプレゼントは不気味に過ぎる。彼女は受け取りを拒否しようと考えた。
が、その瞬間だった。
「ナー」
と、そのぬいぐるみは鳴いたのだ。しかも、小さな前脚を掻くように動かし、彼女に触れようとしている。懸命に前脚を伸ばしても彼女に触れられそうにないと悟ったのか、それからまた「ナー」と甘えるように鳴いた。まるで“そっちにいきたい”とアピールしているかのようだ。
“ぎゃー! 可愛いぃぃ! なにこれ? なにこれ? なにこれぇぇぇ?”
彼女の全身にまるで稲妻が走ったかのような衝撃が走る。そのあまりの凶悪とも言える程の可愛さに彼女は我を忘れた。そして彼女は、気が付くと両手を伸ばしてその仔猫のぬいぐるみを受け取ろうとしていたのだった。
「あ、ちょっと待ってくださいね」
その反応を受けると魔王クルブスはそう言って仔猫のぬいぐるみを掌の上に乗せ、もう片方の手で探るような仕草をする。そして、「ああ、やっぱりだ」などと言って、ぬいぐるみから何かをつまみ上げた。
「盗聴用の魔具ですね。どうやら部下がいらない忖度をしたらしい。まったく、こーいう事はするなと念を押しておいたのに……」
普通に考えるのなら、そんな物が入っていたのを見せられたならプレゼントを受け取るのを躊躇するのだろうが、アニアはまったく躊躇しなかった。
「ありがとうございます。この仔は大切に育てます!」
あまりの可愛さに、その後で差し出された仔猫のぬいぐるみをほぼ反射的に確りと受け取っていたのだ。
「いえ、ぬいぐるみなので育ちませんがね」と魔王は笑う。
彼女の特性を魔王が充分に理解していたという点で、この件は恐るべき出来事と言えるかもしれなかった。
今にして思えば、魔王の怪しい行動はその頃から始まっていたのかもしれない。そう彼女は思う。
――そして、それから数か月後、魔王は“人間達との和平”を宣言し、その交渉に成功すると何故か姿を消してしまったのだった。
そして、それによって、勇者アニア・ゴールドは、軍からその任を解かれてしまったのである。
「……申し訳ないとは思うのですが、魔族側に誠意を示さなくてはなりません」
ある日、彼女にクビを宣告しに来た、まるで犬のような外見の人事部の部長はとても言い難そうにそう言った。
和平を結んだのにも拘らず、“魔王を倒す為の戦争兵器”をまだ国が抱えている訳にはいかないというのがその理屈だった。特に彼女は「魔王を打ち倒す運命を持っている」とまで言わているから、魔族側も無視する訳にはいかなかったのだろう。
彼女に期待をしていた人々が、大きく落胆をしたのは言うまでもない。彼女の所為ではまるでないのだが。
その突然の罷免を受け、彼女は茫然となってしまった。しかも勇者をクビになった彼女の次の職は一向に見つからなかったのだった。
“勇者という肩書を持った女”
そのような重すぎる人材を、誰も雇いたいとは思わなかったのだ。まだアニアが勇者である事に期待をしている女権拡張論者達を頼れば、或いは職を見つけられたかもしれないが、アニアはそれをしなかった。その期待に応えるのは、自分の役割ではないと感じていたからだ。
そうして収入源を断たれた彼女の生活は急速に厳しくなった。
結婚も少しは考えたが、“勇者”を結婚相手に考える男性は現れそうにもなかった。
……そもそも自分が女性的魅力に欠けているという可能性は考えないようにした。
そのうちに、なんとか彼女はセニア魔法技術応用研究所で仕事を見つけられたのだが、充分な収入ではなく、依然、彼女の生活は窮地に追いやられたままだった。




