2.魔法技術応用研究
「“勇者様”はやめてください、ヨシダさん。私は国から勇者の役割を解任された身です」
そのアニアの主張を聞くと、ヨシダ・セイイチは軽く肩を竦めた。
「はて? 解任されたのは国のポストとしての勇者でしょう? 勇者の定義は確か“占術によって選ばれた者”であったはずですが」
「それはそうなのですが……」
アニアは言い淀む。どうにも彼女は自分が“勇者”と言われる事に居心地の悪さを感じているのだ。
そんな彼女の様子に彼は首を軽く傾げた。
ヨシダ・セイイチは童顔ではあるが、とても真面目そうで常識的な社会人に見える。が、その外見に似合わず変人でもあるのだ。非常にマイペースで、周囲の反応や考えや意見をあまり気にしない言動が目立つ。猫的と表現するのが相応しいかもしれない。実際、雰囲気も少し似ているところがある。
ヨシダは東方にある和国の出身で、彼の特異な性格はその所為なのかもしれないと彼女は考えていたのだが、彼の同僚の同じく和国出身のムラカミという男の談によれば、和国でもヨシダのような性格は珍しいそうだ。むしろ、こっちよりも浮いているくらいなのだとか。
「はぁー」と、また彼女は軽くため息を漏らした。
彼の言う事は正しかった。この国では30年に一度、“勇者”が選出される。その選出は優秀な魔法の力を持った候補の中から占術によって行われるのだが、女性が勇者に選ばれたのは実に300年ぶりであり、しかも彼女はその時の占術によって「魔王を打ち倒す運命を持っている」と宣言されたのだ。
魔族を憎む者達や女権拡張論者達から、この発表は大いに歓迎され、アニア・ゴールドはそんな彼らの期待を一身に背負うことになった。だがしかし、結局はそれは無駄に終わってしまい、彼女自身が言った通り、今は勇者の任を解かれてしまっている。
もっとも、その件に関して、彼女に落ち度はまったくなかったのだが。
勇者の任を解かれたアニアには収入源がなくなってしまった。それでセニア魔法技術応用研究所で研究を手伝い、わずかではあるが給金を貰っているのだ。いわば彼女はここのアルバイトなのである。
セニア魔法技術応用研究所は街から離れた場所にあった。アニアは魔法の研究には“空気が綺麗でなければいけないから”だとか、“人々の雑念が混ざってはいけないから”だとか、それには何か特別な理由があるものだとばかり思っていたのだが、話を聞いてみると、単に屋敷が安かったというだけの理由だった。
何処かの富豪が戯れに別荘を建てたらしいのだが、交通の便が悪すぎて直ぐに使われなくなったものを研究所で買い取ったのだという。ここを建てた当時はまだ鉄道が通っていなかったというから、住むとなると世捨て人になるのを覚悟する必要がありそうだ。恐らくはほぼ思い付きで無計画だったのだろう。因みに今でも駅から1時間ほどは歩かなくてはならない。
セニア魔法技術応用研究所は一見すると避暑地に建てられる屋敷のようで、魔法研究所には思えないのだが、その話を聞いてアニアは納得をした。
改築をしたのかそのままの結構なのかは不明だが、研究所はドアを開けると直ぐに広いフロアになっていて、そこは事務室として使われている。本来は客間なのかもしれない。そこでヨシダは立ったまま前屈みの姿勢でテーブルの上で何か書き物をやっていた。
そのテーブルの上にはチラシのようなものが散乱している。よく見ると、この研究所に対する悪口や半ば脅迫のような文句が書かれてあった。
アニアは顔をしかめる。
「また、こんなに“嫌がらせ”の手紙が来ていたのですか? いい加減、警察に動いてもらったらどうです? 犯罪でしょう?」
ヨシダは作業をし続けながら、「もうずっと前に通報していますよ。でも、真っ当に相手をしてもらえなくて」といかにも無関心な口調で返した。
実はこの研究所は一部の偏った思想を持った人々からは嫌われている。だからこのような嫌がらせを受けているのだ。それはこの研究所に限った話ではなく、“魔法技術応用研究”全般が対象となっている。
人間は魔族には魔法の力では敵わない。それは人間達のコンプレックスとなっていて、だからこそ人間は自分達の方が秀でている“科学技術”を誇っているという一面がある。その成功に依存していると言っても良いかもしれない。
その所為で“魔法技術応用研究”のような魔法のメリットを強くする研究は人間社会では嫌われているのである。
――研究が進めば、再び人間が劣勢に立たされてしまう。
彼らはそのような恐怖を抱いているのだ。
ヨシダ・セイイチによれば、それは根本から“魔法技術応用”の意味を勘違いしているそうなのだが、とにかく、一部の人間達から研究は妨害を受けているのである。
「この研究所の研究が進めば、蒸気機関で空気が汚れなくなるのかもしれないのですよね?」
アニア・ゴールドは“嫌がらせ”の手紙の一つをつまみ上げ、まるで汚いものであるかのようにゴミ箱に入れると、ヨシダにそう尋ねた。
今日は彼以外は非番なのか、それとも彼以外は別の部屋で作業しているのか、彼一人しか事務室にはいなかった。作業を進めながらヨシダは答える。
「正確には、石炭の利用効率が向上するのですよ。今の蒸気機関のエネルギー利用効率は良くて5パーセント…… 実際にはもっと低いでしょう。
仮に利用効率を50パーセントにまで上げられたなら、それだけで石炭の燃焼によって空気中に放出される煤が大幅に減らせます。石炭のコストも随分と安くなる。この社会にとってとても有益な研究だと僕らは自負しているのですがね」
もちろん、その最後の言葉は何処の誰とも知らない“嫌がらせ”の手紙の主に向けての皮肉だろう。
「――そんな訳で、まだアニアさんへの給金は上げられないのです。なかなか支援を受けられなくて。こんなに協力していただいているのに申し訳ない」
アニア・ゴールドは、勇者の肩書きを持つだけあって、魔法の力がかなり強い。条件さえ整えば、魔族にも引けを取らない。だからこそ、“魔法技術応用研究”を手伝えるのだが、その為本来なら、もっと高い給金を支払わなくてはならないはずなのだ。
謝罪をするヨシダにアニアは大きく首を横に振った。
「いえ、いえ、気にしないでください。辛い立場であるというのはよく存じ上げています。それにお金を貰えるだけで、こちらは随分と助かっているのです」
本当はもう少しくらいは貰えるともっと助かるのに、と彼女は思っていたのだが、それは口にしなかった。
そんなタイミングだった。
「ナー」
か細く可愛い声が聞こえる。
その声にピクリとアニアは反応する。そして、「まさか」と呟くと、慌てて持って来たカバンを開けた。
さっきよりも大きな声で同じ可愛い鳴き声が聞こえる。
「ナー」
そこには黒い仔猫の姿をしていながら、明らかに仔猫ではない、否、もっと言ってしまえば動物ですらないものが彼女を甘えるような眼差しで見上げていた。
「ナイ! あなた、またついてきちゃったの?」
ナイというらしいそれを抱え上げると、彼女は申し訳なさそうな視線をヨシダに向ける。ヨシダは特に気にする様子も見せず、「またですか」とだけ言った。
その黒い仔猫のような物は、見た目は可愛いぬいぐるみのように見える。ただ、動く。しかも、まるで意思を持っているかのように。そしてアニアにとってはこれこそが最重要なのだが、彼女にとてもよく懐いている。
「すいません。出る前にカバンを何度も確認したのですが。おかしいなぁ……」
普段はナイは部屋で大人しくしているのだが、彼女が外に出かけると、必ずと言って良いほどの確率で彼女の荷物のどこかに紛れ込んでいるのだ。直接、“連れて行け”と甘えて来ることもある。
戸惑っている様子のアニアに向けてヨシダは淡々と尋ねた。
「“それ”、魔王からのプレゼントなのですよね?」
「そうですが?」
「一度、預からせてくれませんかね? ちょっと調べてみたい」
ところがそれを聞くと彼女は「絶対、ダメですぅ」と言って、ナイを護るようにして抱きしめつつ背を向けた。ヨシダは「いえ、なにも、そんなに警戒しなくても……」と、ちょっとそれに呆れる。
決してヨシダを信頼していない訳ではないのだが、彼女にとって、自分に甘えて来る可愛くて堪らないナイを研究対象とするなど、考えられない話なのだ。
“――きっと、自分と一晩離れるだけでも、寂しくて泣いてしまう”
“動くぬいぐるみ”だから、感情があるかどうかも分からないのだが、彼女は頑なにそう信じ込んでいるのだった。
「……ですが、今は行方不明の魔王からのプレゼントなのでしょう? いかにも不気味です。何か仕組まれているかもしれませんよ?」
ヨシダがそう忠告をする。正論だ。彼女は何も返せなかった。
何しろ、ナイをプレゼントする際に魔王が自ら点検をし、盗聴の為の魔具を発見しているくらいなのだから。
……もっとも、魔王の失踪の背後に何らかの企てがあるのだとして、何かの手がかりになる物を魔王自身が彼女にプレゼントするはずがないとも彼女は思っていたのだが。
――ある日、魔族達の国であるタイゲア帝国を統べる魔王であるフルムス・クルブスは突然、人間達と和平の交渉をすると発表した。理由は不明である。もう随分と長い間、停戦状態にあったとはいえ、“歴史的な確執”があるとすら言える魔族側からの提案に人間達は元より魔族達ですらも驚き混乱した。
しかも、実際に和平が結ばれると、それから直ぐに魔王クルブスは職を辞して後継を託すと失踪してしまったのである。
魔王クルブスの本当の狙いが分からず、不安視する声が上がるのも当然の展開だろう。しかも、それが切っ掛けとなって、アニア・ゴールドは勇者をクビになってしまったのだった。




