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1.蒸気機関

 汽笛が響く。

 その次の瞬間、地の底からうなり上がって来るようなリズミカルな駆動音が機体を通して伝わり、圧倒的な質量を持つその物体はゆっくりと前進を始める。

 全長約150メートル、全高約4メートル、総重量約100トン。機体能力の限界まで想定するのであれば、1000人以上の人間を一度に乗せる事が可能であるというその列車は蒸気機関車によって牽引されていて、“汽車”と呼ばれている。

 汽車の真ん中辺りに乗り込んだ彼女、アニア・ゴールドは、席に座りながら外の景色に目をやる。くすんだ赤いレンガの建物。合間から繁華街や広場が見える。パンを売っている売店がある。それを見て、“美味しそうだな”と彼女は思う。買ってくれば良かったと少し後悔をした。もっとも無駄遣いができる程、今の彼女に余裕はないのだが。動き出した汽車によって、その景色は加速度的に流れを速め、あっと言う間に後方に去っていってしまった。

 アニア・ゴールドには、未だに汽車のような巨大な乗り物が安定して動き続けている現実が信じられなかった。

 だが、今日も昨日も一昨日も、この汽車は問題なく数えきれない程の人々をあちこちに運び、社会を活性化させる原動力になっていて、既に人々の日常の一部になっている。

 もっとも、それによって消費されるエネルギーは膨大なものになるのだが。

 仮に汽車の速度を時速50キロメートルだとするのなら、この汽車は約9645キロジュールの運動エネルギーを持っている事になる。汽車を牽引する蒸気機関車は、石炭が酸素と結合し、別のもっと安定した物質に変わる際に失われる化学エネルギーから熱エネルギーを得る。その熱エネルギーによって熱された蒸気が膨張するエネルギーが運動エネルギーに変換され、汽車は動いている。

 この汽車を動かす為に、1日に数トン規模の石炭が消費されるらしい。そして、それだけの量の石炭が燃やされているという事は、つまりは、それだけ多くの煤が空気中に放出されているという事でもある。

 汽車がビルの間を抜け、山間部に入ると、そこから真っ青な海が見えた。空はまだ綺麗に思える。でも、少し前はもっと綺麗だった気がする。気がするだけだが。

 そこでアニアは何か細長い紐のようなものが海の上の空中を泳いでいるのを見つけた。目が馴染んで気が付く。

 「凄い。珍しい。あれ、ドラゴンだわ」

 しばらく観察してみる。翼を持っていない。ならば、東方のドラゴンだ。極一部の例外を除いて、東方のドラゴンは翼を持たないと言われている。何故、こんな所を飛んでいるのだろう? 東方出身の魔術師が、連れて来たのだろうか?

 街の近くにドラゴンが現れるのは昔からそんなにある事ではないが、最近では特に珍しくなっている。雨や河川といった自然界の“水”を象徴すると言われる幻獣ドラゴンは、清浄な空気を好む。蒸気機関が出す汚れた空気を嫌って、街から遠ざかっているのではないかと言われている。

 便利になるのはけっこうだが、もう少しなんとかならないものか、と彼女は思う。

 汽車の所為で街の空気は明らかに悪くなった。洗濯物や建物が汚れるといった程度ならまだマシだが、健康被害を訴える人も少なくなかった。

 アニアの住むベルヘルムの街は、汽車によって間違いなく発展した。だからこそ、街の発展を望む人々は、汽車の経済効果に期待して、更に鉄道を増やす計画を立てていて既に工事をしてすらいるのだが、当然ながらそれには反対の声が上がっている。市議会や企業は、強引に計画を推し進めようとしているようだが、すんなりとはいかないだろう。

 もっとも、汽車の開発だけを停めても充分な効果は期待できないのかもしれない。街やその周辺の空気は汚れ続けるだろう。

 何故なら、蒸気機関を使った機械は、汽車だけではないからだ。蒸気機関で動く工場もあるし、上下水道にも一部蒸気機関が使われているし、最近では自家用の蒸気機関で動く自動車の製造が計画されているらしい。

 “蒸気機関”は、近代科学によって発展した人間社会の象徴だと言われている。「科学技術によって、魔法に秀でた魔族と対等以上に渡り合えるようになった」と誇らしげに語る者もいるが、その複雑な現実を鑑みるに、アニアは決して手放しでそれを歓迎する事はできないと考えていた。

 それは、多くの矛盾や問題点を孕む歪な発展なのではないか? 必死に無視をし続けているが、いつかその負荷がこの社会全体を襲うような気がしてならない。

 

 「ママー ちっとも温かくならないよ」

 

 不意にそんな子供の声が聞こえて来た。見ると、近くの席で男の子がカップに入ったスープを手に困った表情を浮かべている。母親だろう女性は、それを受けて「私、魔法は下手なのよ」などとやはり困った様子だった。

 「ちょっと貸してみてください」

 アニアはその親子に近付くとそう話しかける。男の子はやや驚いた顔を浮かべたが、母親が軽く頷くのを見て、彼女にカップを手渡した。スープを温める用の呪符がカップの底に貼ってあるが、どうやら男の子も母親も上手くそれを扱えないようだ。アニアが軽く手をかざすと、スープは直ぐに熱を帯びた。

 「ほら、できたよ」

 湯気が上り始めたスープを見て、男の子は目を輝かせる。

 「ありがとう! おに……、おねーちゃん」

 男の子が自分の性別を言い間違えそうになったのに少しだけ顔を引きつらせたが、アニアは笑顔で「いいえ、どういたしまして」とそれに返した。

 彼女は紺色のズボンを履いている。一見すると何かの制服に思えるようなタイプの少々堅い雰囲気の胸があまり目立たないタイプの服を着ている。その上彼女の体型はスレンダーだ。幼い子供なら迷ってしまうかもしれない。

 それに、彼女は金色の綺麗な髪を長く伸ばしているのだが、小さく束ねたテールは背中に隠れてしまっているので正面からだとショートカットにしか見えない。

 「ありがとうございます」

 母親がお礼を言いながら深々と頭を下げた。「お気になさらないでください。魔法はちょっと得意なもので、見せびらかしたかったのですよ」とそれに彼女。母親はその冗談に軽く笑った。

 “良かった。気付かれていない”

 と、そんな母親の様子を見て彼女はほっとした。

 実は彼女は少々有名人なのだ。正体がバレたところで大きな問題はないのだが、今の彼女の立場上、少々気まずい思いをしそうなのが嫌だったのだ。

 「そうだ。今、遠くにドラゴンが見えるわよ? 見る?」

 アニアが誘うと男の子は嬉しそうな顔を見せた。

 「本当? 見たい!」

 そう言ったので、彼女は男の子を自分の席に連れて行った。男の子の身長ではよく見えないようだったので抱きかかえてあげる。

 「うわー! 本当だ! ドラゴンだ! すげー! かっけー!」

 男の子はドラゴンを見て大はしゃぎだった。アニアはそんな男の子の反応に興奮し“ん~ かわいい!”とちょっとだけ強く抱きしめてしまった。

 「おねーちゃん、苦しい」と言われて、慌てて「ごめん、ごめん」と手を緩める。彼女は子供や動物、可愛いものが大好きなのだ。

 

 ――科学技術の発達によって、この社会での魔法技術の占める割合は低下したと言われている。それにより、魔法を得意とする魔族の勢力が衰えたとも言われているから、一見するのならそれは明らかのように思えるが、事はそう単純ではない。

 何故なら、「科学技術が発達し、魔法技術は劣勢に追いやられている」と表現するからには、“科学”とは何で、“魔法”とは何であるのかが分かっていなければならないからだ。

 つまり、それぞれを定義できなければいけないのである。

 だがしかし、それは中々に容易ではない。

 “科学”と一口に呼ばれてはいるが、帰納主義、確証主義、道具主義、論理実証主義、反証主義と実に様々な主義が存在していて、学者達の間でも見解の一致を得ていない。中にはラディカルにも「科学など宗教や思想などの信念系の一つに過ぎない」と主張する哲学者までいる。

 だが、それでも科学と認められるべき必須要素というものは存在する。それは“再現性の担保”である。

 同じ事象に対し、同じ事を行えば、同じ結果が返って来る。

 科学を仮に客観性があるものとするのなら、その人物以外の誰がやっても同じ結果にならなければいけない。

 だからこそ、科学技術は安定して用いる事ができるとも言える。

 だが、魔法は違う。術者によって異なる結果が返って来る事がままある。つまり、“術者の主観”によって作用が異なってしまうのだ。下手な者が使えば、何も起こらない事も珍しくない。

 それはこのように解釈されている。

 

 「科学技術は“この世の法則を利用する”が、魔法技術は“この世の法則を変える”ことによって成り立っている」

 

 科学において法則とは固定されたものなのだ。だから誰がやっても結果が同じになる。対して、魔法技術は法則が変わるのである。だから結果が安定しない。

 もちろん、それを疑う者もいる。単に隠れたパラメータの所為で、魔法には客観性がないと思われているだけだという主張もあるし、仮に“法則を変える”というのが事実であったとしても、“法則が変わる”事に法則性があるのであれば、やはり客観性があると捉えるべきだという主張もある。

 だがどうであるにせよ、今の世の中では、科学技術は発達をし、魔法技術は停滞しているのは事実だった。

 

 ――それは、或いは、今の自分の立場が如実に物語っているのかもしれない。

 

 アニア・ゴールドはそのように思わなくもない。

 

 「やぁ、勇者様。こんにちは。今日もわざわざご足労いただき申し訳ありません」

 

 セニア魔法技術応用研究所のドアを開けるなり、研究員のヨシダ・セイイチが挨拶をして来た。それを受けて、アニア・ゴールドは軽くため息を漏らした。

 

 そう。

 彼女の肩書きは“勇者”なのだ。

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