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29.トレンチコートの男、ギニー・ヌーの殺人事件とクリンちゃん

 警察署に魔王フルムス・クルブスが訪ねて来たと聞いた時、クリン・クーは浮足立った。もちろん、情報提供依頼や捜査協力依頼なのだろうが、それでも会う機会が多ければ多いほどチャンスだって多くなる。

 否、もっと積極的に会う機会をチャンスに変えるべきなのかもしれない。待っているだけでは彼とより近しい関係にはなれないだろう。積極的にアピールをし続ければ恋人は無理でも肉体関係くらいは結べるかもしれない。

 現在、魔王は何故かあの女勇者を気に入っているようだ。ただし、勝機はある。そう彼女は考えていた。“勇者と魔王”という二人の立場が関係を続ける上で問題になるのは明らかだからだ。

 ――それに、

 

 “何か不測の事態が起こって、あの女勇者に不幸が起こるかもしれないしね”

 

 クリンはにんまりと笑う。

 それから彼女は魔王が待つ応接室に向かった。今回からはもっと積極的にアピールしてやろうとルンルン気分で。

 が、応接室で彼を一目見るなり、彼女の顔は青くなった。

 魔王は怒っている。

 しかも、極上に。

 一見は無表情だったので、彼を知らない人間には分からないかもしれないが、彼女には彼が怒っていると直ぐに分かった。いつもは営業スマイルを浮かべているのに、そんな“つもり”がまるでないようなのだ。

 直ぐに勘が働いた。

 自分があの女勇者を陥れる為に色々と画策していたのがバレたのだと。

 彼女が察した事を魔王は察したらしく、

 「……東方のドラゴンの件です。どういうつもりなのか聞かせてもらいましょうか?」

 と、淡々と言った。

 「はい」とそれに彼女は返す。

 

 魔王の探偵社のあるビルを訪ね、彼がどうやら女勇者に対して本気らしいと悟ると、クリンはどうやってあの女勇者を排除しようかと必死に考えた。

 魔王のビルのセキュリティは超厳重だ。ビルの中どころか、ビルの近くで女勇者を襲う計画を立てても無駄だろう。何処かでイイ男でも見つけて女勇者を誘惑させようかとも考えたが、そんな手が通じるタイプにも思えないし、男も相手が勇者だと分かれば尻込みするかもしれない。

 それに、そもそもそんなイイ男がいるのなら、自分が相手をする。

 考えた挙句、クリンはビルから離れた場所にまで女勇者を誘き出して襲ってしまえば良いと結論出したのだった。そこで彼女は女勇者が大切にしている猫のサリーを利用する作戦を練った。

 “ペットショップで行われる健康診断の話を振って、それに食いついて来たら、そこに罠を張れば良いのじゃないか?”

 健康診断が行われるペットショップには、ペット用のオモチャがそこまで充実していないのを彼女は事前にリサーチしていた。サリーというあの猫はかなり太っている。きっと運動をさせるよう獣医から言われるだろう。あの女勇者なら、少し遠くのペット用品店まで猫を運動させる為のオモチャを買いに行くに違いない。

 彼女は雇ったゴロツキ達をそのペット用品店の近くで張らせて、女勇者を襲わせる事にしたのだった。

 “命までは奪うつもりはない。ただ、純潔は失ってもらう”

 途中までは計画は順調に進んだ。

 ゴロツキ達に貞操を無理矢理奪われたなら、あの古臭そうな女勇者なら、魔王へ今まで通りに接する事ができなくなるだろう。魔王の方もどう心変わりするか分からない。

 ――関係に亀裂が入るかもしれない。

 そんな想像をして、彼女はほくそ笑んだ。

 ……本当は、ただ単にアニアを酷い目に遭わせてやりたかっただけなのかもしれないが。

 しかし計画は呆気なく失敗に終わった。あの女勇者はクリンが思っていた以上に戦闘能力が高く、街のゴロツキ達では相手にならなかったのだ。

 ゴロツキ達を逮捕したら、自分が雇った犯人だとバレてしまいそうだし、ゴロツキ達からも恨まれるだろうと思って、色々と誤魔化してなんとか逃がしてやった。

 二度目のチャンスは向こうから勝手にやって来た。女勇者達が石炭エネルギー会社“ノッカー”会長のグロー・ニナイカナへのテロ計画を止めたいと言って相談して来たのだ。

 “面倒くさい”と、それを聞いた当初は思ったのだが、直ぐにクリンは思い直した。

 グロー・ニナイカナは女好きで有名だ。しかも、中々落ちそうにもない堅物を手籠めにするのが好きなのだそうだ。恐らく、女勇者を引き合わせたなら、気に入ってコンパニオン代わりに車に同乗させようとするに違いない。“勇者”を仲間にすれば宣伝効果があるとも考えるだろうし。

 ――もしテロ計画が本物であったのなら、車に同乗した女勇者も巻き込まれるかもしれかもしれない。

 そして、事は彼女の目論見通りに進んだのだった。グローは女勇者を自分の車に同乗させ、しかも本当にテロ事件は起こったのだ。

 が、結果は大失敗だった。

 蒸気機関の暴走による車の爆破を、魔王が未然に防いでしまったばかりか、それによって女勇者と魔王の絆が更に深まってしまったようなのだ。

 完全に裏目である。

 女勇者の危機を魔王が救えば、二人の愛情がより深まってしまう。つまり、失敗にはリスクがあるのだ。

 “これは、もっと確実にあの女を殺せる計画を立てないと駄目だわ”

 と、それでクリンは考えた。

 そこで彼女はドラゴンに女勇者を襲わせる計画を思い付いたのだった。流石にドラゴンを相手にすれば、無事で済むとは思えない。

 以前、彼女は女勇者が東方のドラゴンを魔王と一緒に観に行った話を楽しそうにしていたのを覚えていた。その態度を見て、女勇者も魔王に惹かれているのだと彼女は確信し、更に殺意を強くしたのだが、だから印象強く記憶に残っていたのだ。

 世間では女勇者がグロー・ニナイカナを助けたニュースで盛り上がっていた。そして、そのグロー・ニナイカナは大気汚染を起こしている元凶の一人だ。

 東方のドラゴンを連れている“東龍自然の理の会”という団体は自然を崇拝しているのだという。ならば、女勇者が自然破壊をしているグローに味方していると知れば殺そうと考えるかもしれない。

 それで、その為の計画と共に女勇者の殺害を促す手紙を東龍自然の理の会に彼女は送ったのだった。

 正直、この計画は彼女自身、無理があると思っていたのだが、驚いた事に東龍自然の理の会は彼女の話をあっさりと信じた。

 ただし、またまた計画は失敗したのだが。

 何故なのかは分からないが、東方のドラゴンは女勇者を襲うどころか護ってしまったらしい。念には念を入れて、彼女は再び街のゴロツキ達を雇ってドラゴンと共に女勇者を襲わせる事にしたのだが、そのゴロツキ達からドラゴンが女勇者を護ったという報告を受けたのだ。

 自分達は女勇者を襲おうとしたのだが、ドラゴンに邪魔をされた、と。

 彼女は大いに悔しがった。

 東方のドラゴンに護られるなんて、あの女は一体何なのだろう?

 

 ――また、次の計画を考えなければ。

 

 そう彼女は思っていた。

 そして、そんなある日に魔王が訪ねて来たのである。

 

 狭い応接室の中で、クリン・クーは死の危険を感じ取っていた。

 魔王が結界を張っている。彼の最上級の結界魔法である“魔界”ではないが、それでも充分に強力だった。

 “嘘は通じない。嘘を言えば、どんな苦痛が待っているか分からない”

 そう察した彼女は今までの話を全て魔王に正直に話した。

 「……もしも、アニアさんに危害を加えたらあなたを殺します」

 話し終えると、魔王はそう言い切った。短くシンプルであるからこそ、単なる脅しではないと思えるだけのリアリティがその言葉にはあった。

 何度もクリンは頷く。

 それから魔王はこれまで以上に捜査に協力するように要請して来た。その協力の態度をもってこの件は不問にするという事らしい。

 クリンに罰を与えても良いが、それをやれば恐らく警察との関係は切れてしまう。だから彼はそれで妥協したのだろう。

 「はいー」

 と、彼女は涙目で返す。

 完全に魔王の凄まじい殺意の魔力に彼女は圧倒されてしまっていた。

 

 それから数日が経っても、クリンは魔王の“殺意”を忘れる事ができなかった。初め、彼女はそれを単なる恐怖心だろうと思っていたのだが、しばらくして自分の中の恐怖心には欲情も伴っていることに気が付いた。

 今まで、彼女は魔王フルムス・クルブスを捕らえて凌辱する妄想を楽しんで来た。しかし、魔王の殺意のこもった脅しによって、その逆も“良く”感じる自分の性癖を発見してしまったのである。

 新たな扉が開いた感じ。

 魔王が自分に与える強烈な苦痛を想像して、彼女はにへらと笑う。

 それで思わず、魔王を敢えて怒らせる為に女勇者を罠に嵌める計画を考えようとしてしまった。ただ、本当に殺されかねないと、彼女は必死にその欲望を抑えていたのだが。

 

 ――が、そんなある日に、女勇者アニア・ゴールドがクリンに会いに警察署にやって来たのだった。

 

 初め、彼女は女勇者は文句を言う為にやって来たのだと思っていた。

 「クルブスから話を聞きました」

 と、女勇者が切り出したからだ。

 そんな女勇者に対し、彼女は斜に構えた態度で接した。応接室で二人きりだったから人の目を気にする必要はなかったし、怖いのは魔王であって女勇者ではない。それにもう油断させて情報を聞き出す必要もない。

 が、女勇者の目的は、そんなくだらないものではなかったのだった。

 「捜査に協力をして欲しいのです」

 その言葉にクリンはクエスチョンマークを頭の上に浮かべた。

 「なんでわたしがあなたに捜査協力なんてしなくちゃならないのよ?」

 「あなたのよろしくない行為がノイズになって、こちらの捜査に支障をきたしました。その分、協力を願いたいのです」

 「既に協力しているわよ。魔王から聞いているでしょう?」

 「クルブスへの協力ではなく、私への協力です」

 「同じじゃない」

 「同じじゃないのですよ」

 それから言い難そうにしながら女勇者は口を開いた。

 「魔王クルブスは、何か私に隠し事をしていて、多分、何かを避けています。だから、彼の捜査方針では駄目だと私は思っているのです」

 「つまり、あなたは彼とは別の捜査をしたいと思っているのね? 何?」

 「トレンチコートの男、ギニー・ヌーの殺人事件です。考えてみれば、猫のサリーを初めに狙った事件なのですし、あの事件が一番の糸口であるはずなのです。なのに、充分に調べてはいません」

 「だから、わたしにそれを調べろって? どうしてわたしがそんな事しなくちゃならないのよ?」

 はっきり言って、クリンは面倒くさかったのだ。それに女勇者は「捜査は警察の仕事ですよね!?」とツッコミを入れた。

 そして、それから女勇者は少し考えると、

 「もしかして、あの件は全く調べてはいないのですか?」

 と、疑わしそうな顔で訊いて来る。

 「調べているわよ。わたしじゃないけどね。ただ……」

 と、応えてから、クリンは言葉を濁す。それで女勇者は察したらしい。悲しそうな顔を見せる。

 「……そんなに真面目に捜査はしていない、と。

 それは、犠牲者のギニー・ヌーが、魔族と人間のハーフだからですか?」

 「かもね」と彼女。

 ここは開き直るしかない。

 それについて何か言いたそうにしていたが、それから女勇者はこう言って来た。

 「とにかく、クルブスはその件すら確りと捜査をしようとはしてくれないのです。何か遠回りな捜査ばかりをして、その理由もちゃんと話してくれません」

 それを聞くとクリンは大きく溜息をついた。

 くだらない痴話喧嘩の類だと思ったからだ。それで、

 「そんなの、夜の営みで彼に少しサービスしておねだりすれば、あっさりちゃんと話してくれるのじゃないの?」

 などと言ってみる。

 認めたくはないが、今までの経緯からいって、魔王はかなり本気でこの女勇者に惚れている。女の武器を使えば、簡単に落とせるだろう。

 が、女勇者は顔を赤くしながらも、それに毅然とした口調で「私はそんな行為はした事がありません! 職を解かれたとはいえ、私は勇者ですから」と返して来るのだった。

 ――は?

 と、それにクリン。

 「やらせてあげてないの? 一緒に暮らしているのに? 酷っ!」

 そして思わずそう言ってしまう。

 別に彼女に女勇者を責めるつもりはなく自然に出た言葉だったのだが、それでも、否、或いはだからこそなのかもしれないが、女勇者はショックを受けたようだった。

 直ぐに語気を弱め、弱気な怯えているような表情で、

 「あの……、それって、そんなに酷い事なのでしょうか?」

 などと質問して来る。

 それにクリンはまた溜息をついた。頭に手をやる。

 「そりゃそうでしょうよ。蛇の生殺しじゃない」

 その言葉に女勇者ははにかむように身体をもじもじとさせた。

 “なによ、この反応? 確り意識しているじゃないのこの女…… なにが、勇者よ、馬鹿馬鹿しい!”

 そんな女勇者に苛立ち、彼女は再び殺意を覚えた。だが、また何か女勇者を陥れる作戦を考えたなら、魔王が何をするか分からない。ここは我慢をするしかない。魔王が自分に苦痛を与えるのを想像をすると甘美な気分になるが、一時の性欲を満足させる為に身を亡ぼすつもりは彼女にはなかった。

 が、そこでふと彼女は思い付いたのだった。

 

 「――まぁ、協力しない事もないわよ」

 

 言うと同時に、彼女は白紙をカバンから取り出すとさらさらと文をしたため、それを女勇者に手渡す。

 「これは?」

 「誓約書よ。正式なフォーマットじゃないけど、問題はないでしょう。

 わたしがあなたの捜査に協力して、あなたが何かしら被害を受けても、わたしは一切責任を負わないって書いてあるわ。あなたからの要望だって事もね」

 それを聞くと女勇者は文面を確かめ始めた。一応、疑うくらいの脳みそは持っているらしい。

 捜査に協力して事件を調べる。そして、何か危険なネタをこの女に渡せば、この女は自ら危険に身をさらす事になる。

 ひょっとしたら、死ぬかもしれない。

 もし仮にそれでこの女に何かあっても、この誓約書さえあれば、魔王から責任は問われない。

 もっとも、それでも魔王は自分に怒るだろうが。

 しかし、少なくとも殺したりは出来ないはずだ。何しろ、これは女勇者が自ら望んだ事なのだから。

 ――その時、魔王が自分に与える苦痛は、もしかしたら、とっても良い感じのものになるかもしれない。

 それを想像して、彼女はちょっと涎を垂らした。

 

 「分かりました。サインをすれば良いのですね?」

 

 そう言って、それから女勇者はあっさりと誓約書にサインをした。

 クリンはにやりと笑う。

 ――これで、この女を殺せるかもしれない。魔王からの甘美な苦痛を受けられるかもしれない。

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