28.一連の事件のノイズと、クリンちゃんの過ち
それはある日の午後だった。
探偵事務所の内部は、木製の枠組みで温かみを演出しているのだが、その“温かみ”を打ち破るかのような警報音が突然鳴り響いた。
魔王フルムス・クルブスは読書中で、アニア・ゴールドはウールリと一緒に洗濯物を取り込んでいた。アニアが奇妙に思い、魔王に「これは何ですか?」と尋ねた時には、既に彼は外に向って駆け出していた。
明らかにただ事ではない。
アニアは急いで彼の後を追った。が、直ぐに階段の踊り場で止まっている彼を見つける。
「どうしたのですか?」
と、尋ねてアニアは気が付く。階下から殴り合っているような音が聞こえて来ているのだ。急いで魔王がいる踊り場まで行くと、
「なんだぁ? てめぇらから襲っておいてその程度か?」
という荒々しい声が聞こえて来た。
見ると、シロアキの所で見かけたクロナツという凶暴そうな男がその外見そのものの粗暴な様子で喧嘩をしていた。両手がまるで熱された鉄のように赤々と発光している。恐らくは熱を発する魔法だろう。
彼が相手をしているのは三人の男達で、いずれもいかにも素行がよろしくなさそうな外見をしていた。一人が彼の熱された拳のアッパーカットで吹き飛ばされる。
「あんまりやり過ぎるなよー 一応、お得意様のビルの中なんだからな、ここは」
そう言ったのはシロアキだった。彼は一歩引いてクロナツの喧嘩を傍観している。まったく危機感を抱いていない。クロナツが負けるとは微塵も思っていないようだ。
クロナツは回し蹴りを敵に浴びせつつ、「呑気に見物してるんじゃねぇぞ! シロアキ! お前も手伝え!」とそんな彼に文句を言った。シロアキはまったく気にかけず、むしろ笑っている。
「何言ってるんだ? こーいう時の為にお前を雇っているんだろう? しっかり働けよ」
そこで敵の一人がナイフを取り出した。その男はさすがに矮躯童人であるシロアキやクロナツよりは背が高いが小男だった。だから武器に頼っているのかもしれない。もしナイフで刺されたら命を奪われかねない。だが、怯えるどころかそれにクロナツは不敵な表情を浮かべる。
「アハハハ! 良いねぇ。矮躯童人だって馬鹿にしていた相手一人に、武器まで使う気分はどんなだ?」
その挑発にナイフを取り出した一人は激昂した。
「うるせぇぇ!」
ナイフを構えながら、近付いて来る。クロナツは慌てない。逆に敵の方に一足飛びで間合いを詰めると、敵の内の一人の手を熱された手で取った。
手を取られた男は「ぎゃぁぁぁ!」と悲鳴を上げる。
あまりの苦痛に激しく暴れるが、クロナツの手は放れなかった。見た目に反して怪力を持っているのかもしれない。
ナイフを持った小男は仲間を助けようとクロナツに切りかかろうとする。が、クロナツは手を取った男をその男の方に向って放り投げた。カウンターで放り投げた男の足が小男の顔にヒットする。そのままナイフの男は倒れて動かなくなった。意識を失ったようだ。
放り投げられた男ともう一人は、それで完全に戦意を喪失したようだった。顔を青くすると、倒れて動かなくなった男を抱きかかえて逃げ出してしまう。シロアキもクロナツも追うつもりはないようで、そんな男達を馬鹿にした顔で眺めていた。
「――で、あれは何だったのです?」
その後、一応は客なので、探偵事務所の来客用のソファに二人を招くと、魔王はそう尋ねた。
「いやぁ、実は裏の株売買場でひと仕事していたんだが、その後であいつらにつけられてさ。連中、ボク達がこのビルに入ったのを見てどうやらチャンスだと思ったらしくて、襲いかかって来たんだよ」
シロアキは面白そうにそう答える。クロナツが続けた。
「矮躯童人だからカモだとでも思ったんだろう。馬鹿な連中だぜ」
魔王は呆れた様子でため息を漏らす。
「それでさっきの騒ぎですか? 迷惑な話ですね」
それから紅茶を一口飲むと、「それで、何の用です?」と彼は尋ねた。
シロアキは悪賢そうに笑う。
「なに、ちょっとした小遣い稼ぎをしようと思ってな。裏の株売買場で、グッドナイト機械工業に関する面白い情報を仕入れた。買ってくれよ」
“グッドナイト機械工業”というその単語にアニアは反応した。「クルブス」と目で訴える。
ただ魔王の反応は鈍かった。
「どんな情報かも分からないのに、買えと言うのですか?」
「裏の株売買の情報なんて、あんたの情報網じゃ手に入らないだろう? 魔族も警察も苦手分野だ」
「それでも理不尽です」
「ふん」とそれにシロアキ。
「分かった。言おう。ただし、それなりの金額を払わなかったら、今後の取引に支障が出るぜ。分かっているんだろうな?」
魔王はそれに何も返さなかったが、それでもシロアキは情報を話した。
「グッドナイト機械工業が、ユーデル鉄道の株を買った。まだ正式には取引された事になっていないが、ほぼ決定事項だ。これでグッドナイト機械工業はユーデル鉄道の経営にかなり口を挟めるようになる。企業間の線が更に強くなるわけだ」
「なるほど、興味深い話ですね」と言って魔王はまた紅茶をすすった。「いくら払う?」とシロアキ。その時、何故か魔王はアニアを見やった。アニアは不思議そうな表情を浮かべる。軽くため息をついてから、魔王はウールリを呼んで金を持って来させた。その金を受け取るとシロアキは軽く頷く。
「期待したほどじゃないが、まぁ、贅沢は言わないよ。あんたは上客だしな」
それからシロアキ達は立ち上がった。帰るつもりらしい。「その金で何か食おうぜ」とクロナツが下品に笑うと、「これはボクの金だ。お前にはちゃんと金を払っているだろうが」とシロアキは返した。
「聞きましたか? クルブス。やはりグッドナイト機械工業とユーデル鉄道には深い関係がありました。これは本格的に調査をするべきです!
私の命を狙ったのだって、グッドナイト機械工業の差し金に違いありません」
二人が探偵社を出て行くと、アニアが魔王に向ってそう言った。
ところがそれに彼は「いえ、あなたの命を狙ったのは、グッドナイト機械工業ではありませんよ」とあっさりと返すのだった。
「どうして、そんな事が分かるのです?」
それに、言い難そうにしながら「犯人が分かったからですよ」と彼は応える。
「犯人が分かった?」
「はい」
と、言ってから、少し迷っているような顔で彼はこう続けた。
「あなたが哀しむだろうから言いたくはなかったのですが、犯人はクリンさんです」
「クリン? クリンって、あの女性警官のクリンさんですか?」
「そうです」
彼女の反応を窺ってから魔王は続ける。
「先日、警察署に行って問い詰めました。正直に白状しましたよ。黙っている代わりに、これまで以上に協力をすると約束をさせました。もう彼女があなたに危害を加える事はないでしょう。
アカハル君の能力で、何度も彼女が見えたのは彼女が犯人だったからなのですよ」
その説明にアニアは信じられないといった顔を見せる。
「そんな…… どうしてクリンさんが…」
ショックを受けているようだ。
「簡単に言ってしまえば嫉妬です。ほら、私は異性にモテるものですから」
自分の手を胸にやりながら、魔王はそう言った。冗談で場を和ませるつもりだったようだが、アニアはあまり反応をしない。魔王は説明を続けた。
「彼女は私を独占したいと思っていたようです。
私が初めにおかしいと思ったのは、グローへのテロ事件の時でした。あの時、彼女は積極的に協力をしていたじゃないですか。しかもグローの警護をあなたに直接させようと動いていた嫌いがある。
つまり、あなたを危険な立場に追い込もうとしていたのですよ」
それを聞いて、アニアは思い出していた。
「もしかして、サリーの健康診断の時、街でゴロツキ達に襲われたのも彼女の仕業ですか?」
あれは猫のサリーを狙っていた訳ではなかったのだ。ゴロツキ達がサリーを狙ったのは、単に人質に使えると思ってのことだったのだろう。
「そうです。あなたにサリーの健康診断を受けるよう促したのは彼女でしょう? どうも彼女は罠を張っていたようなのですよ。あなたがこのビルの近くから離れるような導線を作っておいて、そこでゴロツキ達にあなたを襲うように依頼をしておいた。
このビルの近くだと、私が直ぐに助けに向えると知っていたからですね」
あの事件の後、クリンは直ぐに駆けつけてきたくせに事件の解決に関心がまるでないように思えた。アニアを襲ったゴロツキ達を庇っているようですらあったが、それも彼女がアニアを襲うように依頼した張本人であったのならば納得ができる。
「という事は、東龍自然の理の会に密告をしたのも……」
「彼女です。あそこに来ていたゴロツキ達は彼女が雇ったのですね。
一応断っておくと、彼女はあなたを殺すつもりまではなかったと言っていました。ただ、あなたが私から放れるような目に遭えばそれで良かったそうです。
もっとも例え殺すつもりはなかったとしても、死んでもおかしくないような計画を立てていたのは事実ですから擁護はできませんが」
アニアはそれを聞いて、どうしてクリンの態度がその時々でまったく違っていたのかに納得をした。自分から情報を聞き出したり、罠に嵌めようとしている時だけは、彼女は友好的に振舞っていたのだ。
本当は敵視していたのに。
そう想うと、少し悲しくなった。
ただ、それから直ぐに気持ちを切り替えると、彼女はこう口を開いた。
「クルブス。確かに彼女が私に危害を加えようとしていたことはショックですが、それでも早く教えて欲しかったです。
ただ、何にせよ、これで一連の事件のノイズが消えて考え易くなりました。一度、事件を考え直してみるべきです」




