26.東方のドラゴンを見学 その2
「話を聞いてください! 確かに私はグロー・ニナイカナを助けましたが、彼の味方をしている訳ではありません。この国では殺人は犯罪で、だから未然に防ぐ必要があったというだけなのです!」
アニア・ゴールドはなんとか東龍自然の理の会を説得しようと大声でそう言った。が、会の代表のイー・ランは無情にもこう言い放つ。
「なるほど。あなたにもそれなりの事情がおありになるのでしょう。それは分かります。しかし、もう私どもにもどうしようもないのですよ。
私どもは龍を支配しコントロールしている訳ではない。龍は自らの意思で生き、自らの意思で動いている。あなたを敵と見定めたならもう止まりません」
そうイーが言っている間で東方のドラゴンは、周囲をゆっくりと見渡した。そして、アニアを中心に見据えると、空間自体を叩くように強く瞬きをする。
“観られた?”
直感的にアニアはそう思った。彼女の勘…… いや、感覚が正しいのなら、ドラゴンは一瞬だけ、薄く広くこの周囲一帯に結界を展開して彼女達の何かを読み取ったはずだった。
“ドラゴンはいくらなんでもまずい……”
アニアはちらりと魔王フルムス・クルブスを見る。
きっと敵わないと思っても、彼は自分を護ろうとするだろう。それに、このままではウールリや何の関係もないスズタニまで巻き込んでしまう。
「くっ……」
と歯を食いしばると、アニアはドラゴンとは反対方向に向かって駆け出した。ガラの悪そうな男達のいる方だ。ドラゴンよりも連中の方が遥かにマシである。
魔王が叫ぶ。
「アニアさん、何処へ行くのです?」
走りながら彼女は答えた。
「狙われているのは私だけです! 他の皆さんを巻き添えにはできません!」
「待ちなさい! あなたは私が護ります!」
その声に構わずアニアは走った。むしろ、だからこそ彼女は走っているのだ。彼を犠牲にしたくない。
彼女の視界でガラの悪そうな男達が銃を取り出した。恐らく、東龍自然の理の会に雇われた街のゴロツキ達なのだろう。まずは連中をなんとかしなくてはならない。アニアは魔力を練り始めた。風の魔法で突風で起こして隙を作って包囲網をなんとか抜ける。頭の中でそのような作戦を考える。
魔王はそんな彼女を追いかけようと、加速の魔法を使った。
が、その次の瞬間だった。
ドラゴンの細長い巨体が彼女の前を薙ぐように猛スピードで通り過ぎたのだ。魔法なのか、物理的なものなのか、それで起こった風に圧されてゴロツキ達の動きが止まった。そして魔王もドラゴンの身体によって道を防がれてしまう。更にドラゴンは、彼女を中心に弧を描いて自らの身体で彼女の退路も断っていた。
圧倒的な質量の差に魔王は愕然となる。ドラゴンはあまりにも巨大過ぎたのだ。
ドラゴンがアニアの行き先を遮っているを見て、ゴロツキ達は銃を向けた。アニアは火の魔法を使って応戦しようと考えたが、そこでドラゴンが咆哮する。
「ンカァァァァ!」
その声の圧力で、アニアは巧く魔力を練る事ができなかった。単なる威嚇ではなく、動きを封じる効果があるかもしれない。ただ、幸いなことに、その威嚇によって彼女だけじゃなくゴロツキ達も動きを封じられていた。
そこで魔王が結界を使った。魔界ではない。ドラゴンの身体の一部を取り囲む。しかし、ドラゴンにはまったく通じていないようだった。何の反応もない。
「やはりこの程度では効果はありませんか」
と、魔王は言う。
彼は、結界内の法則を変えて、あの巨体を動かせない世界を展開させたつもりだったのだ。
「仕方ありません!」
それから魔王は魔界を使おうと魔力を練り始める。魔力の消費量が多過ぎるので、できれば使いたくなかったのだがそんな事を言っていられるような状態ではない。が、そこでスズタニが彼に声をかけたのだった。
「ちょっと待ってください。何をしようとしているのですか?」
「もっと強力な結界魔法で、あのドラゴンの動きを封じるのです!」
「冷静に考えてください。あのドラゴンにはやはり翼がありません。つまり、東方の思想の影響を受けている」
「それがどうしたのです? 今は講義を聴いている暇はない!」
「違うのです! 聴いてください。どんな思想を持っていようが、それだけで空を飛べるはずがありません! この世界は、本来、翼なしで身体が宙には浮きませんから。
つまり、あのドラゴンは世界の法則を変えて空を飛んでいるのです。恐らくは、結界を張っています! ですから、あなたがそこに結界を被せたところで効果はないはずです!」
そう言われて、魔王はスズタニを見る。
「しかし、他に手段はありません。時間がない!」
「落ち着いてください。逃げる事に注力するのです。その為に魔力は取っておくべきです!」
そうスズタニが言うのと同時に銃声が聞こえた。どうやらドラゴンの威嚇で動きを封じられていたゴロツキ達の束縛が解けたらしい。
その瞬間だった。
ドラゴンの尾と身体が急速に回転をし、中心にいるアニアに巻き付くようにする。そして、一瞬でドラゴンはとぐろを巻いて彼女の姿を隠してしまった。彼女を締めるような動きだ。
魔王が叫ぶ。
「アニアさん!」
膝から崩れ落ちる。
「そんな……」
そこにいる誰もがアニアはドラゴンに絞殺されてしまったとそう思っていた。あの巨体に締められれば小さなアニアなど一溜りもないはずだ。
が、一呼吸の間の後にこんな声が聞こえて来たのだった。
「あのー…… もしかして、これ、私を護っていませんか?」
魔王の表情が明るくなる。
「アニアさん?」
彼女が生きていると分かって、ゴロツキ達はドラゴンに向けて銃を撃ち始めた。そんなゴロツキ達をドラゴンは「ンカァァァ!」とまた威嚇する。
そして、大きく空気を吸い込むとそれからドラゴンは水気を大量に含んだブレスを吐いた。そのたったの一吹きで、ゴロツキ達はあっけなく吹き飛ばされてしまった。
もう疑いようがない。明らかにドラゴンはアニアを護っている。冷静になって考えてみれば、初めからこの東方のドラゴン…… 龍はゴロツキ達からアニアを助けるような動きを見せていた。それが偶然、アニア達の動きを封じてしまっていただけだ。
「こりゃ無理だ! 逃げるぞ!」
そうリーダーらしき男が言うと、ゴロツキ達はまるで蜘蛛の子を散らすように逃げていった。いつもなら彼らを捕えているだろうが、あまりの事態に呆気にとられて、魔王は彼らを見逃してしまっていた。
とぐろを巻いて、自らの身体でアニアを護っているドラゴンを見ながら魔王は言った。
「一体、どうしてこのドラゴンはアニアさんを護っているのでしょう?」
スズタニが首を傾げつつも言う。
「東方のドラゴンは、人身御供として女性を要求する場合もあります。また、蛇体とは、そもそも、性器信仰が変化したものだとする説もあります。つまり、男性のあれですね。もしかしたら、このドラゴンは女性好きなのかもしれません」
それを聞いてウールリが言った。
「女性好き? それならどうしてアニアさんを護るのです?」
「喧嘩を売っているのかな? 君は」と、それにアニア。
恐らくは“男性のあれ”と聞いたからだろう。魔王は顔に青筋を立ててドラゴンに近付いていくと、身体を掴んでアニアから放そうとする。
「これ、蛇。アニアさんを放しなさい。彼女は私のです」
「あなたも、蛇相手に嫉妬しないでください!」と、それにアニア。
……蛇言うな、二人とも。
そんな光景を見ていた、東龍自然の理の会代表のイー・ランが言った。
「なるほど。どうやら、我らが龍は勇者様を護るべき存在と判断したようですね。あなたは自然に仇為す者ではないようだ」
そう言った彼女に、魔王達は一斉に“人騒がせな!”という視線を向けていた。
「――で、一体、どうして私を襲おうと考えたのですか?」
東方のドラゴンから解放されたアニアがイー・ランに尋ねる。
一つだけ東龍自然の理の会が用意していた机にイーとアニアと魔王が座っていた。一応、お茶も出しているようだ。
ドラゴンは今は犬くらいの大きさになって河原でとぐろを巻いて寛いでいた。スズタニが興味深そうにそんなドラゴンを観察していて、そんなスズタニをウールリが観察している。
よく分からないが、ウールリはスズタニを気に入ったようだった。
「実は謎の手紙で密告がありましてね。あなたが自然に仇為す者だと。そこにはあなたを誘き出す計画が書かれてありました」
「そんな怪しい話をあっさりと信じたのですか?」
「いえ、新聞記事の内容とも一致していたので」
そう言って彼女はアニアに新聞記事の切れ端を見せた。
「それに、まあ、我らが龍ならば、仮に間違っていたなら、あなたを殺したりはしませんからね」
イーはまるで悪びれる様子を見せず、にこにことしていた。或いは、笑って誤魔化しているのかもしれない。
「それでも、あんなゴロツキ達を雇うなんて少々やり過ぎです」
そうアニアが文句を言うと、イーはこう返した。
「いえ、あの者達については知りません。あなたを攻撃しようとしていたので、てっきりあなたと敵対している人達かと思っていたのですが、違うのですか?」
それを聞いて魔王は悔しそうにする。
「あなた達も知らないのですか。あの連中、やはり捕らえておくべきでしたね」
更に魔王は続けた。
「アニアさんを護るべき存在と見抜いたあのドラゴンの眼力は本物でしょう。あなた達が頼る気持ちも分かる。ですが、それを考慮に入れてもあっさりと信じすぎです。もう少し慎重にあるべきです」
それにイーは軽く首を傾げると「そうでしょうか?」と不思議そうに言う。どうにも“人間関係に対する感覚”が根本から異なる文化を東龍自然の理の会は持っているようだ。
「今までの話を聞いて、もしやと思ったのですが、セニア魔法技術応用研究所にあなた達は資金を提供していますよね? それも何処か見知らぬ団体から頼まれたのではないですか?
事情があって自分達は直接は提供できないので、資金をあなた達に渡すから代わりに提供してくれ、とでも言われて」
「おお、」とそれに彼女は反応する。
「よく知っていますね。実は頼まれたのですよ。大気汚染問題を改善するのに必要な研究だから協力して欲しいと言われましてね。私達の滞在費用も出していただいた」
その説明にアニアは驚く。
「あなた達が資金を出した訳ではなかったのですか?」
イーは当然のように返す。
「我々にそこまでの資金はありませんよ。しかし、あなたのその反応を見るに、珍しい事のようですね。
この地ではこれくらい普通なのかと我らは思っていました。何分、異国の事ですから、勝手が分からず」
それを聞いて、魔王は頭に手をやった。どうやら呆れているようだ。
「あなた方のおおらかな性格は充分によく分かりました。きっと、それを利用されたのでしょうね」
アニアが言う。
「つまり、あなた方も誰が研究所に資金提供したのかは分からないのですね?」
少し考えると、彼女はこんな頼み事をイーにした。
「では、何でも良いので、あなた方の持ち物を私達に分けてはもらえませんか? できればよく触れる物が良いのですが」
もちろん、シロアキの所に持って行って、またアカハルの能力で見てもらうつもりでいるのだ。
その奇妙なお願いにイーは首を傾げていたが、それでも少し考えるとアニアがちょうどお茶を飲んでいた事もあってか「では、そのティーカップを差し上げましょう。失礼をしたお詫びをしなくてはなりませんし」とそれに応えた。「ありがとうございます」とアニアはお礼を言う。
少し休んでからアニア達はそこを引き上げたのだが、その去り際にスズタニがこんな事を言った。
「ずっと考えていたのですが、もしかしたらあのドラゴンがアニアさんを護ったのは、女性原理と関係があるのかもしれません。もし仮に、あのドラゴンが女性原理を内包しているのだとすれば、ですが」
一同はそれに不思議そうな顔を見せたが、彼女が「アニアさんは、女性原理を考える上でとても貴重なサンプルなのでしょう?」と言うと、魔王だけは非常に納得した表情で頷いていた。




