24.ゼン・グッドナイトとのドライブ
ある日の休日、アニア・ゴールドが探偵事務の近くの店で買い物をして大きな買い物袋を抱えて歩いていると、目の前に蒸気機関で動く自動車が停車した。
車の窓ガラスは薄い茶色をしており、中の様子がよく見えなかったので、彼女は初めそれがグローの車ではないかと思った。自家用車を持っている人間など滅多にいないからだ。
しかし、車の後部座席のドアが開いて車の中から顔を覗かせたその人物は、グロー・ニナイカナではなく、なんとあのゼン・グッドナイトだったのだ。
「大きな荷物ですね。大変そうだ。どうです? 乗っていきませんか?」
気さくな口調で彼はそう話しかけて来たが、タイミング良くこんな大物が現れるはずがない。アニアはその誘いに不審なものを感じ「いえ、直ぐ近くですから」と言って断ろうとした。ところがそれを遮るように彼は「魔王について……」とまるで威圧するように言ってから、不自然に表情を和らげて「……話したいと思いまして」と続ける。
つまり、彼は彼女を脅しているのだ。
自分はお前達の秘密を知っているのだぞ?と。
一瞬悩んだが、彼女は「分かりました。では、お言葉に甘えようと思います」とそれに返した。「それは良かった」とグットナイトは笑う。
「――やはり知っていたのですね。うちの探偵社の所長の正体を」
後部座席のグットナイトの隣に席に座るなりアニアはそう言った。恐らくは、倉庫で魔王フルムス・クルブスが魔界を使った事が知られたのだろう、と思いつつ。
車の中は少し暗く、グットナイトの姿は影がかっていた。不明瞭に見える所為で、彼の不気味さがより際立つ。
彼は“怖い”人物なのだ。
……一体、どんなつもりでいるのか。
ぬいぐるみのナイが、彼女の内ポケットの中で少し動く。最近のナイのお気に入りは、彼女の内ポケットの中だ。
“ナイ、鳴かないで”
と、念じながら、彼女は内ポケットのある辺りを軽くさすった。何故か、ナイがいる事をグットナイトに気付かれてはいけない気がしたのだ。
そんな彼女の心中を見透かしているかのように彼は言う。
「ええ、あんな魔法の要塞の様なビルが街中にあれば、誰でも詳しく調べますからね。それで予想が付きました。ビルのオーナーは魔王なのだろうと」
アニアはその言葉に驚く。
“魔法の要塞?”
そんな彼女の表情に気が付いたのか、それとも前もって彼女が驚くと予想していたのか、グットナイトは言う。
「おや? 気が付いていなかったのですか? まぁ、無理もないですが。
あなたの住んでいる探偵事務所のビルには、何重にも魔法の結界が張られてあります。それも戦争を始める気だと言われても納得ができるレベルの高度なやつが。
しかも、それが感知系のプロフェッショナルか、特別な魔法道具でもなければ見抜けないように巧みにカモフラージュされてある……
一体、何の為にそれほどまでのセキュリティを街中のビルに施しているのか興味が沸きませんか?」
彼はアニアがどんな反応をするのか楽しそうに観察しているようだった。妙な悔しさを感じて彼女は反発するように言う。
「彼は魔族の長という立場だった人物です。警備を厳重にするのは当り前の話でしょう。特に不審ではありません」
既に車は緩やかに走り出していた。探偵社は直ぐ近くなので、直行すれば短時間で辿り着いてしまうからだろう、車は探偵社があるのとは反対の曲がり角を曲がった。運転手は遠回りをする気でいるらしい。予め指示を出されていたのかもしれない。
アニアの反応を受けると「アハハハ」とゼン・グッドナイトは笑った。
「なるほど。どうやら勇者であるあなたが、すっかりと彼を信頼し切ってしまっているようだ」
侮蔑を含んでいるのだろうその言葉にアニアは「何が言いたいのです?」と苛立った口調で返した。
「なに、あの魔王の目的の一つが勇者であるあなたの懐柔であるのなら、着実に成果を出しているのだと思いましてね」
「彼が何か悪い企てをしているとあなたは考えているのですか?」
「おや? あなたは違うのですか? てっきり魔王フルムス・クルブスを監視する目的で一緒に住んでいるものだと思っていたのですが」
おどけた口調でそう言った彼にアニアは何も返せなかった。
確かに当初はそのつもりで彼女は魔王と一緒に住み始めたのだ。だがいつの頃からか疑う事を忘れていた。
懐柔されていると言うのであれば、確かに懐柔されているのかもしれない。アニアの心の中を読んでいるかのようにグットナイトが言う。
「あの男は油断できませんよ」
それを聞いて彼女は悔しくなる。何故なのか分からなかったが、少し考えて気が付いた。クルブスを馬鹿にされたように思ったのが悔しかったのだ、と。
「何を根拠に言われているのですか?」
反射的に出たその問いに、グットナイトはあっさりと返す。
「怪しい行動なら幾つもあるでしょう?」
そこで一度言葉を切ると、アニアの反応を見定める。恐らく彼は彼女も魔王の不審な行動に気が付いているはずだと考えているのだろう。実際、魔王の行動は少し変だと彼女は思っていたのだが。
薄っすらと笑うと彼は続けた。
「まず、あの男は人間社会に潜伏しているだろう魔族を調べる事をとことん避けているように思えます。
あなたは僕のビルで魔族に襲われましたが、彼は魔族をそれほど積極的に調べようとしていません。何故か、魔族とは何の関りもないはずのグローを調査し始めたり」
「それは、グローを魔族が狙うだろうと考えたからです」
「そうなのですか? しかし、仮にそうだとしても、随分と遠回りな調べ方をするものですね。
直接、魔族の組織を調べれば良いのに。
元、魔族の長だった彼になら、いくらでもその為のコネがあるはずなのに」
それにアニアは何も返せなかった。実は彼女自身もおかしいと思っていたのだ。グットナイトは更に続ける。
「特におかしいのは、僕のビルをあなたと訪ねて来たあの時です。
あの時、彼は僕にわざわざ忠告をしたじゃありませんか。どうも僕と魔族に何らかの繋がりがあると考えていたようですが」
「忠告?」
「自分が握っている情報を色々と僕に教えてくれたでしょう? グローとの繋がりとか、よく分からない“東方のドラゴン”の話なんかもしていましたが」
「あれは、情報を伝える事で、あなたの反応を引き出そうとしたのだと……」
そう言ってしまってから、彼女は自分が思わず隠しておくべき話を漏らしてしまった事に気が付いた。グットナイトはにっこりと笑う。
「なるほど。彼はあなたにはそのように説明していたのですね。しかし、違うと思いますよ。
これは勘ですが、魔王フルムス・クルブスは僕に会って僕がどんな人物なのかを見抜いた上で、“軽挙な行動は慎め”と忠告をしたのだと思います。こっちはこれだけの情報を握っているのだぞ、と」
それを聞いて、アニアは思い出していた。魔王が自ら“人格を見抜く術を身に付けた”と言っていた事を。しかも、“グットナイトは慎重に行動する”といったような発言もしていた気がする。
これは明らかに“反応を引き出す”という彼の説明とは矛盾する。
アニアの中に疑念が生じている事を見て取ったのだろう。グットナイトは言った。
「魔王の目的は分かりません。しかし、怪しい事だけは確かです。
そして、魔王は“魔王を打ち倒す運命を持っている”とまで言われている勇者であるあなたを取り込もうともしている。
何か悪企みをしていると判断するべきだとは思いませんか?」
アニアはそれを受けると、何かを振り払うかのように頭を振った後で強い瞳で彼を見やった。
「私はそれほど重要な戦力ではありません。魔力集約の依り代としての能力には確かに優れていますし、私専用に長い間軍が魔力集約の式を練っていたのも事実ですが、それでも私の代わりがいない訳ではありません。つまり、軍は私がいなくても充分に戦えます。“勇者”とは、純粋な戦力と言うよりも、どちらかといえば対魔族の象徴としての意味合いの方が強い……
そんな事は、あなただって分かっているのではありませんか? ゼン・グッドナイトさん」
グットナイトは肩を竦める。
「もちろん分かっていますよ。だから、魔王はその象徴としてのあなたの力を恐れているのではないですか?」
それを無視して、彼女は後方を見やった。何を見ているのかと彼は不思議そうにしたが、それから「この車はグローさんと同じ様に蒸気機関で動いていますね」と言った。ゼン・グッドナイトはその言葉を奇妙に思いながらも応える。
「まぁ、そうですね。
もっとも、彼の車のように爆発したりはしませんが。最新式の魔法の術式を組み込んだ安全装置を付けていましてね。暴走しかけると、自然と火力が弱まります」
“セニア魔法技術応用研究所で開発された装置だ”と彼女は思う。それからこう言った。
「グローさんの蒸気機関の爆発を未然で防いでくれたのはあなたの言う魔王です」
その時、彼女は思い出していた。
グッドナイト機械工業の名をアカハルが能力で見ている事を。セニア魔法技術応用研究所の名前も出ている。
「――グローさんの車を爆破しようとしたのは、あなたですね?」
その文脈不明のいきなりの主張に、ゼン・グッドナイトは目を大きくした。そして笑う。
「アハハハ! これは面白い。突然、何を言い出すのですか? できれば根拠を教えていただきたい」
「あのテロ事件の後、鉄道建設は順調に進んでいます。あまり目立ってはいませんが、あなたも鉄道建設が進んで欲しい側の人間でしょう?
それに、あのグローさんの爆破事件は、この車の安全装置をアピールするのにはとても効果的ではありませんか?」
その主張にグットナイトは、首を横に振った。
「何の証拠にもなっていません。利害関係だけで推論するのなら、他にいくらだって容疑者はいるでしょう?」
「あなたは、こうして私に揺さぶりをかけているではありませんか」
「飛躍が激し過ぎます」
グットナイトは大きく溜息をついた。
「どうも、あの魔王はあなたの心の中に僕の予想を超えて入り込んでいるようだ。そんなに彼を疑った僕が許せませんか?
僕はあなたを心配しているだけなのに」
「彼はあなたが思っているような人物ではありません」
「そうですか? しかし、あの魔王はあなたのことを始終監視しているようですが」
「彼が私を監視?」
「ええ」
「どうやって? 現にこうして私は自由に街中を歩けています。何度か襲われていますから心配はされていますが、監視と言うのは言い過ぎです」
が、彼女はそう返しながら思い出していた。以前、街でゴロツキ達に襲われた時、何故か魔王が直ぐに駆けつけて来た事を。
「証拠は直ぐにやって来ますよ。そろそろのはずです」
そう言って、グットナイトは笑った。
そのタイミングだった。
ドンッ! という音が前の方から聞こえる。見ると、車の前に誰かがいる。魔王だ。目を爛々とさせて怒っている。車内にいるグットナイトを睨めつけている。グットナイトが言った。
「ほらね。あなたは監視されているのです。しかし、怖い魔王様だ」
それから魔王は魔力で車の動きを止めたようだった。どうもわずかに車を空中に浮かせたようで、車輪が空回りをして少しも前に進んでいない。
「あなたは、あの男に誑かされているのですよ。きっと、あの男はあなたなら簡単に籠絡できると思っているのでしょう」
そこで魔王が後ろのドアを開けた。
「アニアさん。無事ですか?」
アニアを心配している顔が飛び込んで来る。そんな魔王に向けて彼女は言った。
「大丈夫です。ちょっとドライブに誘われただけですから。心配しすぎです」
それから車を出ると、彼女は後ろを振り返って言った。
「……私を簡単に籠絡できると思っているのは、彼でなく、あなたの方では?」
その言葉に、グットナイトは苦笑していた。
――その夜。
グットナイトにはああ返したものの、実を言うとアニアは不安を覚えていた。
自分に危害を加えるつもりがあるとは毛ほども思えないが、魔王フルムス・クルブスが自分に何か隠し事をしているのは確実なのだ。
自分の部屋のベッドの上で寝転がりながら彼女が悩んでいると、不意にリビングの方から話声が聞こえて来た。
どうやら魔王とウールリが話をしているらしい。
彼女はそっとドアの近くまで寄ると、彼らの会話に耳を澄ました。
ウールリの声が聞こえる。
「……しかし、魔王様もよく平気ですよね。僕はとっくのむかしに彼女を襲うものだとばかり思っていました」
「何を言っているのです?」
魔王の声だ。
「平気ではありません。襲いたいに決まっているじゃありませんか」
“襲いたい?”
その言葉にアニアはショックを受けた。が、それから声はこう続ける。
「あの震える柔らかそうな唇。控えめな胸。可愛いお尻。毎日、抱きしめたくて堪らないですよ」
その台詞に、アニアは頬を少し赤くする。そんな目で見ていたのね、となんとなくお尻と胸を手で隠す。
ウールリがまた言った。
「でも、一緒に暮らすようになって、少しは醒めたのじゃないですか? 営業日はともかく、彼女、休みの日とか案外だらしないじゃないですか。
パジャマのまま、寝ぐせも直さずに午前中は過ごしていたり」
「そうですねー」と、それに魔王。
「眠たそうで怠惰な様子のアニアさん。あれはあれで可愛いですねぇ」
「何を言っても無駄なのだとは分かりました」
呆れたようなウールリの声。一呼吸の間の後、またウールリの声が聞こえる。
「しかし、そんなにアニアさんが魅力的なら、どうして襲わないのですか?」
「そんなの決まっているじゃないですか」と、それに魔王。
「嫌われるのが怖いからですよ」
その言葉にアニアは思わず、少しだけ滑ってしまった。ズルッと。
……情けないのだか、優しいのだか分からない。
それで、なんだか、不安に思うのが彼女は馬鹿馬鹿しくなってしまった。
……取り敢えず、休日でもあまり油断しないようにしよう。
そして、そう彼女は思った。




