22.ユーデル鉄道建設反対運動 その3
石炭エネルギー会社“ノッカー”会長のグロー・ニナイカナが所有する蒸気機関で動く自動車にアニア・ゴールドは乗っていた。アピールの為か、安全の為か、比較的、ゆっくりと車は進んでいる。隣にはグローがいる。彼女は彼を守る為に、同乗しているのだ。
自動車は馬車用に舗装された道路を進んでいて、その道路の両脇にはデモ隊が並び、更にそれをやや遠巻きに野次馬が眺めていた。まるでお祭り騒ぎだ。実際、商魂たくましい商売人が何人か売店まで出していた。デモと言うには、少しばかり呑気に過ぎる気がしないでもない。皆、デモが行われるのが当たり前になり過ぎていて、既に感覚が麻痺してしまっているのかもしれなかった。
“……なんで、こんな事になってしまったのかしら?”
車内でアニアは大きく溜息を漏らす。隣にいるグロー・ニナイカナが、彼女をボディーガードだと思っていないのは明らかだった。実際、彼が度々彼女の太ももをさわろうとするので「ふざけるのは止めてください」とその度にアニアは軽く咎めなくてはいけなかった。多分、彼は彼女をコンパニオンくらいにしか思っていない。
彼女の上着のポケットの中にはナイがいた。本当は肩の上に乗せてあげたかったのだが、グローの前では何を言われるか分からないのでポケットに入れたのだ。幸い、ナイは嫌がらずに大人しくしている。
憂鬱そうな目で、彼女は自動車の窓から外を覗いた。透明化の魔法で隠れているので視認できないが、魔王フルムス・クルブスが空の上からこの車を見守っているはずなのだ。
もし、グローというこの男がアニアに痴漢行為を働いたなら、冗談抜きで魔王は何をするか分からない。アニアがボディーガードの為に車に同乗すると決まった時にだって、
「あの醜い汚物が、アニアさんと密閉された空間内にいて同じ空気を吸っているというだけで我慢なりません! あの男はアニアさんの香しい匂いを思い切り吸い込んで楽しむに決まっています!」
などと言って、彼は怒っていた。彼女は流石にそれはないだろうと思っていたのだが、実際にグローはその通りの行動を執った。
彼女が車内に乗り込むなり、大きく鼻から息を吸い込んで「うーん、良い匂いだ」などと言ったのだ。
ちょっと、彼女にはグローが信じられなかった。
また彼女はため息をつく。
“本当は、この視察を止めたかったのだけどなぁ……”
……グロー・ニナイカナへのテロ計画をアニアと魔王が暗黒街で知ったあの晩、二人はそのままシロアキ達のアジトに向かった。その時に手に入れたボタンから、アカハルのカスケード・タッチ・リーディングの能力でまた情報を読み取ってもらおうと考えたのだ。
が、結論から言うのなら、あまり有益な情報は得られなかった。暗黒街の大物の名前が何名か出て来たが、シロアキによれば、暗黒街に関わっている人間の持ち物をアカハルが触れば、暗黒街の人間関係ネットワークが集中しているそれら人物の名前が出るのは当然なのだそうだ。
その他で気になる単語は、“グットナイト機械工業”と“蒸気機関”くらいだった。しかし、これは彼らがユーデル鉄道の建設現場にいた事を考えれば出て来て当然の単語だった。
蒸気機関を製造しているのはグットナイト機械工業だ。テロを計画している人間は、恐らく汽車か何かに触れたのだろう。だから蒸気機関が見えたのだ。一応、以前にサリーから読み取った時に見たのと同じ蒸気機関かどうかアニアはアカハルに尋ねてみたのだが、「違います。それよりも随分と小さな蒸気機関でした」という事だった。
サリーを狙っている犯人との関りもなさそうだ。
手がかりを得られなかった二人は、翌日警察にこの件を相談した。グロー・ニナイカナが狙われるのだとすれば、盗聴した際の「何人が巻き込まれ」、「被害はどれくら」という会話の内容からもユーデル鉄道の建設現場の視察が最も可能性が高い。できれば中止にしたかったのだが、警察にそんな権限があるはずもなかった。
「一応、進言はしてみますけどもね」
相談を受けたクリンはとてもやる気のなさそうな対応を見せた。どうせ何を言ってもグローがそれに従うはずがないと思っていたからだろう。
が、それから何を思ったのか急にクリンは態度を変えたのだった。
……実はクリンはアニアに対しての態度がその時々によってまるで違う。親密そうに話しかけて来るかと思えば、かなり素っ気ない塩対応の時もある。既に慣れてしまったアニアは彼女がそんな人間なのだと特に気にしないようにしているのだが。
「警察の方で話を通しておきますので、アニアさんが直接、グロー・ニナイカナを説得するというのはどうでしょう?」
妙に明るい顔で、そうクリンは彼女に言った。
その明るい顔の理由は分からなかったが、可能性があるのなら努力はしておきたい。アニアはそれを了承した。
――ただ、結局、アニア達の説得は通じず、グロー・ニナイカナによるユーデル鉄道の建設現場の視察は決行された。
アニア達は石炭エネルギー会社“ノッカー”の本社を訪ね、「暗黒街でテロの計画を耳にしました。視察は中止にした方が賢明です」と忠告をしても、グローは太々しい態度でそのよく肥えた身体を笑い声で揺らしながらそれを馬鹿にしたのだ。
「ハハハ。そんなものは、我々を脅す為に何者かが流したデマに過ぎませんよ、勇者殿。気にするのは愚かだ」
“勇者”という部分を特にグローは強調したように思えた。
どうやらグローがアニア達に会う事にしたのは、アニアに勇者の肩書きがあるかららしかった。もしかしたら、クリンが何か言ったのかもしれない。
グローはアニア達の忠告は聞き入れなかったが、代わりに別の提案をして来た。
「しかし、心配をしてくれるのはありがたい。どうでしょう? 不躾なお願いであるのは百も承知ですが、もしそのテロが起こるとあなたが信じているのなら、我々の警護をしていただくというのは?
もちろん、謝礼は支払います」
グローの狙いは明らかだった。
勇者の肩書きを持つアニアがグローのボディーガードをすれば良い宣伝になる。まるで勇者が鉄道建設に賛成しているかのような印象を世間に与える事になるだろう。デモ隊の牽制にもなる。
ただ、どうやら、彼の狙いはそれだけではなかったようなのだが。
「それにしても、今までは遠目に見ていただけだったので分からなかったが、近くで見ると、なかなか勇者殿はよろしいですな……」
そう言って彼はアニアの身体のパーツを一つずつ品定めをするかのようにじっくりと眺めた。
ささやかにその存在を主張する胸と、丸みを帯びた尻と太もも。すらりとした足。一見、ボーイッシュな凛々しい顔立ちもよく見ると女を感じさせる。
――どうやら彼は彼女を“気に入った”ようなのだった。
それに反応したかどうかは分からないが、それを聞いて魔王は即座に返した。
「うちの従業員を危険にさらす訳にはいきません」
ところが、それにアニアは「いえ、リースランさん。やってみようと思います」と言うのだった。
「テロが本当に起こるのなら、勇者としてそれを防ぐ義務が私にはあります。それに、あなたも護ってくれるのでしょう? リースランさん?」
そう言った彼女は、魔王を少しだけ媚びたような視線で見つめていた。
その時、アニアは彼に依存しようとしている自分に気が付いていた。そして“情けない”と思うべきであるはずなのに、その感情を抱けないでいる自分に戸惑ってもいた。
つまり、彼女は無自覚ながら、彼に甘えるのを当然だと思っていたのである。
そして、そんな彼女からの“無自覚な甘え”は、魔王にとって卑怯とも言えるレベルで効果的でもあった。
しばしの葛藤の後、魔王は、
「ええい! 分かりました、認めます!
ただし、危険だと判断した場合、私は誰よりもあなたを最優先で護りますからね!?」
と、そう応えていた。
「とても立派な決断ですね、アニアさん」
苛立っているような、喜んでいるような複雑な表情でクリンがそう言った。
デモ隊や警備員達に囲まれながら、車は相変わらず、ゆっくりと進んでいる。
グロー・ニナイカナとアニア・ゴールドの乗ったその車には、魔王フルムス・クルブスによって何重にも防御結界が施されていた。
だから仮に爆弾を投げ込まれたとしても、車の中は安全であるはずだった。加えて、魔王は自身を透明化した上で空中から車の周囲を常に警戒していた。もし怪しい者が近づいて来たなら、即座に対応するつもりだ。
もっとも、デモ隊を防ぐ為に警備員が常に車の周囲を囲んでいるので、そもそも近づくことすら容易ではないのだが。
暗黒街のバーで盗聴した限りでは、グローを狙う者達はどうやら爆弾で攻撃するつもりでいるらしい。もっとも、彼らは盗聴されている事に気が付いている。計画を変えている可能性もあるし、計画を中止にしている可能性も大いにあったのだが。
――今のところは何事も起きない。
だけど、なにかおかしい気がする。
そんな中、アニアは、車の中で一抹の不安を覚えていた。
魔王の防御結界は完璧。それは信頼して良い。その上、彼が空中から護ってくれている。何も穴がないように思える。
ただそれでも何故か彼女は胸騒ぎを感じていたのだった。
彼女は何かを自分達が見落としている気がしてならなかったのだ。
最も危ないポイントは、恐らく、魔王の防御結界の外にグローが出る時だろう。鉄道建設現場を見る為に降りたタイミングを狙われれば、防御結界は意味がない。
ただ、一つ目の建設現場では、何一つ怪しい事は起こらなかった。デモ隊がグローに罵声を浴びせたくらいで、爆弾どころか投石すらもなかった。
グローはデモ隊の罵声を一切気にすることなく車内に戻った。そして一緒に車内に戻ったアニアを、まるで約束事のようにいやらしい目つきで眺めた。アニアはその目つきに嫌悪と寒気を覚える。
少しだけ、“どうして自分は、こんな男を護る為にがんばっているのだろう?”と彼女は自問したりした。
デモ隊も大きな障害にはならず、グローの視察は順調に進んだ。あまりに順調なので、アニアはテロを計画していた連中は、盗聴されたと知って計画を中止にしたのではないかという期待を抱きかけた。
が、そんなところで不意に車を運転しているグローの部下が、
「グロー様、少し蒸気機関の音がおかしくないですか? いつもよりも随分とガタガタといっているような気がします」
と、そんな事を言うのだった。
グローは「気にし過ぎだ。くだらん」とそれを馬鹿にしたが、この無神経な男の言葉は信用ならない。アニアは初めて蒸気機関で動く自動車に乗るのでこんなものだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。確かに煩い気がする。
そして、その瞬間、彼女はシロアキのアジトで、アカハルが能力で見た物を思い出したのだった。
“確か、アカハル君は小さな蒸気機関を見たと言っていたわ。多分、比較対象は汽車の蒸気機関よね? 彼が見た事のある蒸気機関車ってそれくらいでしょうし……”
当然ながら、この車の蒸気機関は、汽車の蒸気に比べればかなり小さい。
――そして、グッドナイト機械工業。
アカハルからは、その名前も出て来た。
グローを狙っている犯人が何者なのかは分からないけど、もし仮にその中に、グッドナイト機械工業に関わっている人間がいるとしたら?
魔王の防御結界は、外からの攻撃にならば耐えられる。しかし、内部の爆発には無力であるはずだ。
その時、蒸気機関の音が大きくなった。アニアの中で全てが繋がる。走行中の車のドアを開けると彼女は大声で叫んだ。
「クルブス! 分かりました! 犯人は蒸気機関に細工をしています! このままでは、恐らく爆発してしまいます!」
そう彼女が言っている間で、蒸気機関は熱を帯びてガタガタと震え出していた。その振動は車内にも伝わっていて、太々しい態度が常のグローも慌てていた。
「なんだ、何が起こっている?」
彼女は叫ぶ。
「外に飛び出してください! 爆発してしまいます!」
それを聞いて運転手は直ぐに外に逃げた。がしかし、肥えた身体の所為でグローは機敏には動けない上に気が動転している。間に合いそうにはなかった。
アニアだけならば、外に逃げるのは容易だったかもしれない。しかし彼女は彼を見捨てられるような人間ではなかった。ドアを開けると、なんとかグローを押し出そうとする。だがグローは重すぎて動かない。
いつの間にか蒸気機関の音が破滅的なまでになっていた。まるで蒸気機関全体が、前衛的なパーカッションになったかのように、金属音と破裂音が混ざった爆音を発している。しかも車内にいても熱を感じた。
アニアはグローを押し出そうとする。
動かない。
重過ぎる。
そこで風の魔法を使うことを彼女は考えたが、コントロールが難しい。下手したら、車が周囲にいる人の群れに突っ込んでしまうかもしれない。ならば、防御の魔法か? しかし至近距離からの爆発に耐え切れるとは思えなかった。それでも、防御の魔法を練ろうとしたが、そこでアニアは、後ろの窓から蒸気機関が光を孕むのを見た。
爆発する。
――死んだ。
彼女はそう思った。
が、その次の瞬間、爆発も熱も消え去っていたのだった。蒸気機関が空間ごと車から切り離されている。結界だ。小さいが、恐らくは“魔界”。
こもった様な“ボフンッ”という爆発音が響く。魔界の中で蒸気機関が爆発したお陰で、辺りに被害はまったくなかった。
運転手のいなくなった車は、暴走してそのまま横転したが、アニアだけは車内から助け出されていた。
魔王が彼女を抱えて、助け出していたのだ。
「なんとか間に合いました。
ご無事ですか?」
「はい」と、魔王の心配する声にアニアは返した。
横転した車の中には、のびたグローの姿が見えていた。どうやら怪我はないようだが、気絶しているようだった。
幸い、周囲の人間達の中に被害者はいないようだった。




