21.ユーデル鉄道建設反対運動 その2
時刻は夕刻だった。
探偵社の居間で、アニア・ゴールドと魔王フルムス・クルブスが寛いでいる。もちろん、魔王が工事現場に放った使い魔達の報告を待っているのだが、緊張感は皆無で、休んでいるのとほぼ変わらなかった。
魔王の使い魔達からの連絡がまったくなかったからだ。実は二日ほどこんな調子だ。魔王が工事現場でどういう状況にいる暴力団らしき人間達を見たのかは分からないが、もしかしたら見間違いか、偶然通りかかっただけなのかもしれない。
そろそろ諦めて、別の手段で調べた方が良いのではないかとアニアは思う。が、そんなタイミングで彼女は夕陽が差し込んでできる調度の影に蠢く何かを見つけてしまったのだった。半身を影の中に沈めている。
それは影の中を滑るように移動し、魔王の近くまで来ると全身を現した。丸い形をした黒い影の塊に光る眼が付いている。魔王が放った黒の使い魔の一匹だ。魔王は本を読んでいたのだが、それを見ると「来ましたか」と言って本を閉じて立ち上がった。
それから彼は時計をちらりと見ると、「中途半端な時間帯になってしまいましたね。食事はどうしましょうか?」などと呑気な事を言った。
「一食くらい抜いても構わないでしょう。行きがけにサンドイッチか何かを買っても良いですし」
そう言いながら、アニアは手早く出かける支度を整える。いつ使い魔達から報告が来ても良いように、彼女は予め準備をしておいたのだ。
魔王も準備を整える。と言っても、彼はマントを羽織るくらいしか準備の必要はなかったのだが。
「では、外の店で買ってから行く事にしましょうか」
どうにも彼には緊張感がない。と言っても、むしろこれは平素からなのだが。むしろ、ここ最近の魔王は以前よりも事件を積極的に調査しているように思える。或いは、それはアニアがゴロツキ達に襲われた事が切っ掛けだったのかもしれない。
以前、彼女が魔族に襲われた時も彼は彼女を心配していたが、そこまで調査に熱心になった印象は受けなかった。何故、反応が違うのかがアニアには不思議だった。
“……前回は魔族で、今回は人間が相手だからなのかもしれない”
根拠はほとんどないのだが、彼女には違いがそれくらいしか思いつけなかったのだ。
「――さて。今回はサリーは連れて行きません。隠密行動になりますからね。鳴かれたら困るし荷物にもなる」
いよいよ出発しようというところで、魔王がそう言った。アニアは驚いてしまう。ちょうど猫用キャリーバッグにサリーを入れたタイミングだったのだ。
「サリーは狙われているのですよ? 放ってはおけません。何なら私が残ります」
納得のいかないアニアはそう提案したのだが、魔王は即座に「却下です」と言ってそれを認めない。
「アニアさんには一緒に来てもらわないと困りますから」
「でも、」
「ですから、こうしましょう」
不満そうな彼女を宥めるように言うと、魔王は猫用キャリーバッグに入ったサリーに魔法をかける。どうやら睡眠の魔法だったらしく、サリーは直ぐに眠ってしまった。更に追加で彼が魔法をかけると、今度は猫用キャリーバッグごとサリーの姿が消えてしまった。
「透明にして隠しました。これなら安全でしょう。ウールリもいますし」
「一人残して、ウールリちゃんは大丈夫なのですか?」
「忘れたのですか? ウールリは、魔王直属のしもべですよ? 見た目で判断してはいけません。それほどやわではありません」
それを聞いて、ウールリは手を挙げつつ、「はーい。何も問題はありません」などと言った。アニアはそれでも納得し切れていなかったのだが、魔王が「さぁ、時間がありません」と言って出て行ってしまったので仕方なく後を追った。
時間が過ぎれば過ぎる程、夕闇は濃くなっていく。魔王の“黒の使い魔”は、その闇に紛れてしまいアニアには見分けが付かなくなっていたが、魔王には何故か問題なく識別できるようで真っすぐに歩いて行く。
繁華街を抜け、暗黒街へ。そこはシロアキ達のアジトの近くだった。ただ偶然と言えるかどうかは分からない。“暗黒街”と呼べるような場所は、ベルヘルムの街にはそう幾つもないからだ。
つまりは、魔王が見抜いた通り、魔王が見かけた人間達は裏稼業に生きる暴力団だったのだろう。
既に時刻は夕刻を過ぎ、夜になっていた。
暗黒街をしばらく歩くと、やがて影はバーの一つに入っていった。場所からいって、会合が開かていると考えてまず間違いはなさそうだった。が、魔王は後を追わない。店の前で周囲を見渡すと、アニアの手を引いて路地裏に入った。それから「この中に隠れてください」と言って、羽織っていたマントをアニアと自分に被せる。恐らく、カモフラージュになるのだろう。外からはただの影のように見えているに違いない。が、アニアは疑わしそうな声を上げる。
「これ、本当に必要なんですか?」
先程、サリーを隠した際には、マントの類はなかったし、マントを被っている所為で魔王との距離が極めて近くなっていたからだ。
「姿だけではなく、魔力すらもこれで感知されなくなるのですよ。これから使い魔達を使って盗聴をしますからね。用心の為です」
そう魔王は小声で返す。彼女は渋々それを認めた。
しばらく待つと、黒の使い魔達が魔王の所へやって来た。何匹も連なっていて、それらは魔王の耳元の辺りまで昇って来ると、何事かを呟いてはまた去っていく。
小さな声だったので耳をよくすまして聞くと、「金の支払いは」、「問題ない」、「例の店を通してくれれば」などと途切れ途切れの内容が聞こえて来た。
アニアは疑問の声を上げる。
「……これ、もしかして、使い魔達が一匹ずつ中での会話を少しずつ記憶して、あなたに伝えに来ているのですか?」
ちょっと呆れているようだった。ただ、使い魔達の仕事っぷりを可愛いとも思っていたのだが。
「その通りです」とそれに魔王。なんだか自信たっぷりな様子だ。「これが一番バレ難いのですよ。スニーキング用に開発された手法です。魔法で直接盗聴すると、魔力を感知されてしまうかもしれないのです」と続ける。「はぁ」とそれにアニア。
彼女としてはもう少しくらいスマートな魔法を期待していたのだが。まぁ、魔王の言う事だから信頼はできるのだろう。どうしてスニーキングの知識を魔王が持っているのかは多少不審に思ったが。
その内に使い魔達の伝えて来る内容に不穏な気配が混ざり始めた。「どの辺りで爆発を」、「何人が巻き込まれ」、「被害はどれくら」などと聞こえて来る。
アニアは緊張して、使い魔達の運んでくる言葉に集中をした。
『それで、グローのやつはほぼ確実に殺せるんだな?』
聞こえて来る言葉と言葉を紡ぎ合わせてみると、そのような文章になった。
「グローを?」と、それで思わず彼女は大きな声を上げてしまった。魔王が彼女の口を塞いだ。周囲を確認して気付かれていないと判断すると、再び盗聴に戻る。
が、それからは物騒な内容は聞こえて来ない。だたの雑談をしているようだ。
「……暴力団らしき人間達は、グローに雇われているのではなかったのですか?」
小声でアニアが尋ねると、
「そうだと思っていたのですが、どうやら違っていたようですね」
そう魔王は返す。
それから魔王は何かを考え込み始めた。
「何にせよ、グローを殺そうとしている連中がいるのは分かりました。ここにいるのは末端ばかりでしょうし、黒幕が知りたいところですが……
いっその事、中に入って会合をしている連中を全員叩きのめしますか。捕まえてから、吐かせれば良い」
「止めてください。目立ち過ぎます」
「冗談です。そんな事をすれば、魔王がこの街に来ていると知れ渡ってしまうかもしれませんし。そんなリスクは冒せません」
それからまた何事かを考えると魔王は言った。
「私が連中を目視する事ができたなら、黒の使い魔を憑ける事が可能になります。なんとか連中の会合を見たいですね。リスクがありますが店の中に入りますか。個室を借りているでしょうから、多少強引な手段になりますが……」
が、魔王の言葉の途中で黒の使い魔達が「おっ、クライアント様方のご到着だ」と中の会話の内容を伝えて来る。アニアと魔王は緊張して聞き耳を立てた。これで依頼主が誰なのか分かれば手っ取り早い。
しかし、そう上手くはいかなかった。
「――なんだ、その黒いのは?」
黒の使い魔達が、そんな言葉を伝えたのだ。
どうやら遅れてやって来た“クライアント様方”の中には、高度な魔法に長けた者がいたらしかった。或いは、感知系の魔道具でも持っているのか。いずれにしろ魔王の使い魔が気付かれてしまったのだ。
「まずいです! 逃げましょう!」
魔王ならばその気になれば全員倒せるだろうが、事を荒立てる訳にいかない。魔王とアニアは直ぐに走ってその場を離れた。その時、黒の使い魔達のうちの一匹が魔王のポケットに入るのをアニアは見つけた。
しばらく走って後ろを振り返ると魔王は言う。
「どうやら追っては来ないようですね。もう安心です」
アニアがそれを受けて言う。
「そうですね、探偵社に戻りますか。結局、グローを狙っているのが何者なのかは分からず終いなのが残念ですが。後で警察に連絡して相談をしましょう」
流石に今日はもうやれる事はないと思ったのだ。
ところが魔王はそれにこう返す。
「いえ、その前に寄りたい所があります」
それから魔王は、ポケットの中に手を突っ込んだ。逃げる間際に入った使い魔を取り出すのだと彼女は思ったのだが、取り出したのは黒いボタンだった。それを彼女に見せながら彼は言う。
「なんでも良いから、連中の身に付けている物を奪って来るように使い魔に指示を出しておいたのですよ。
幸い、ここはシロアキ君達のアジトの近くです。例によってアカハル君の能力を頼りましょう」




