20.ユーデル鉄道建設反対運動 その1
ユーデル鉄道は、主にベルヘルム街を北東から南西にかけて、街を縦断するように伸びている。汽車が通るようになった場所では明らかに人口が増えており、それによって経済が活性化しているのだが、その反面、鉄道網がまだあまり敷かれていない北西部や南東部は徐々に寂れてしまっている。南東部は海が近い為、まだ船という交通手段があるのでマシだったが、北西部は近年人口の減少が顕著になり始めている。
それを不平等だと訴える人々や、経済発展に期待する人々は、更なる鉄道インフラの普及を目指して推進して来た。ユーデル鉄道会社はもちろんだが、各自治区の議会や商工業団体などの多くがこれに賛同をしている。そんな鉄道建設推進派の一人に、石炭エネルギー会社“ノッカー”会長のグロー・ニナイカナもいた。
ただし、鉄道建設は全ての人々から歓迎されている訳ではない。蒸気機関による大気汚染を心配する人々は、鉄道の建設に強く反対し、頻繁にデモを繰り返している。
鉄道建設推進派の多くは、できる限り穏便に済ませる為に、そんな反対派を刺激しないように努めていた。
が、グロー・ニナイカナのスタンスは、少しばかり他の推進派とは異なっていた。彼は反対派を侮蔑する言葉を発し、強硬に鉄道建設を推し進めようとしているのだ。当然ながら、反対派はグローを強く敵視している。結果として、推進派の中で彼だけが目立つ形になってしまっていた。
ユーデル鉄道やその他の鉄道建設推進派はその争いにできる限り関りを持たないようにしているように思える。どうやらグローに批判が集中している間で、鉄道建設を静かに進めようとしているようだった。
その為、彼らはグローを推進派の一員として認めながらも、彼の運動に積極的に協力する事もなかったし、表立ってグローの活動を評価する事もなかった。
そんな中、何故かグローは、鉄道の建設現場を視察する計画を立てていた。誰からも歓迎されないのを分かっているのかいないのか、彼はそのパフォーマンスが役に立つとどうやら本気で考えているようなのだった……
「――この辺りです」
そう魔王フルムス・クルブスが言った。
最近になって、彼の所有する探偵社のビルの近くでも鉄道建設の工事が始まった。それによって観察し易くなったのだが、それで彼は街の暴力団が鉄道建設の現場で話し合っているのを見たらしいのだ。
アニア・ゴールドと彼はその現場を訪れていた。いつも通り、猫用キャリーバッグにサリーを入れて。今日は魔王もいるから安全だろう。交通規制が敷かれているガードの前から、工事の風景を二人は観察している。
街の一角が崩れて、途中から土砂と砂利と塵にまみれた工事現場になっている。まるでシュールレアリスムの絵画のようだ。その先にはまだ何らかの建物が見えているが、噂によると既に立ち退きの交渉は済んでいるらしい。
もちろん、その裏では暴力団などの非合法組織が動いているはずだ。
探偵社のビルの近くで工事が始まって“観察し易くなった”とは言っても、人間の目では無理だ。恐らく魔王はサーチアイを使ったのだろう。ただ、サーチアイでも四六時中監視できるはずがない。あまりにも都合が良すぎるので、何か魔王は自分に隠し事をしているのではないかとアニアは疑っていた。
工事の様子から察するに、鉄道の建設は着々と進んでいるようだった。市民団体が反対をしているはずだが、そんな気配は少しもない。風向きのお陰か、蒸気機関から出る煤の影響はあまり受けていなかった。空が青い。その気持ちの良い空の下で、作業員達が弁当を食べていた。人の好さそうなおじさんが、お茶を飲み干して満足そうにしている。
反対派が数多くいる鉄道建設の工事現場には思えない。むしろ穏やかさすら感じるほどの平和な工事風景だ。
これも、やはり、グロー・ニナイカナが批判を一手に引き受けているお陰なのだろう。本人にそんな意図はないのだろうが。
ただ、不穏な話もある。
そのグロー・ニナイカナは、今度、鉄道建設の現場を視察するというのだ。そのうちの一つにここも入っている。
もしかしたら、暴力団はその関係で工事現場を見に来ていたのかもしれない。
グローの現場視察を、鉄道建設反対派が妨害しに来るのは当り前に予想できる。もしかしたらそれで工事に遅れが出るかもしれない。グローはその前に何らかの対策を暴力団達を使ってしようとしている可能性がある。
アカハルの能力を信じるのなら、アニア・ゴールドを襲ったゴロツキ達には石炭エネルギー会社“ノッカー”やユーデル鉄道と関わりがあるはずだった。アカハルにそれらが見えたのは、ゴロツキ達がデモ隊を脅す為に雇われた経験があったからだろう。だとするのなら、グロー周辺にサリーを狙い、アニアを襲った黒幕がいる可能性もある。
もちろん、可能性は低い。ただそれでも何の手がかりがないよりは遥かにマシである。少なくとも調べてみる価値はあるはずだった。
「――それで、現場に来たは良いですが、これからどうするつもりですか?」
街を切り崩すような大規模な工事を観察するのは、社会見学としては興味深いかもしれないが、犯罪捜査には役に立たない。
アニアがそう尋ねると、魔王は自信あり気に返した。
「私を何だと思っているのです? 探偵ですよ? しかも、高度な魔法を使える探偵です」
「そう言えばそうでしたね。探偵っぽいことをあまりにやらないので、すっかり忘れていましたが」
そのアニアの皮肉を無視して、魔王は小さくぶつぶつと何かを言った。多分、呪文を唱えている。
そして、
「少し壁になっていてください」
と、アニアに言うと工事現場を背にして屈みこんだ。
慌てて彼女は彼の前に移動して通りからは彼がよく見えないようにした。何をするつもりでいるのかと思っていると、彼の片方の手の平から、まるで影の塊のような黒くて小さくて微かに光る眼のあるものが、たくさん溢れ出して来る。
彼女は目を大きくした。
その黒く小さなもの達は、交通規制のガードをくぐると土砂や砂利の隙間に入り、影のように伸びて辺り一面に広がっていった。土砂や砂利の影に紛れている所為で、見分けがつかなくなっている。
「魔法疑似生命体です。名は“黒の使い魔達”。私が見た暴力団を見かけたら、追跡するように呪を施してあります」
完全に黒い塊達が工事現場の影と同化すると魔王はそう小声で言った。それからゆっくり立ち上がると、彼女の耳元で更に続ける。
「同時に私にもそれを報告します。そのまま暴力団らしき人間達がアジトに戻れば、どこの何者かなのか分かるかもしれないし、何らかの会合を行うのなら、それを盗聴できる…… かもしれない、とつまりはそういった作戦ですよ」
アニアはそれを聞いて疑問を覚える。
「仮に暴力団らしき人達を見つけられたとしても、その後に会合をするとは限らないのではないですか?」
「わざわざ工事現場を訪ねているのですよ? 会合はしないかもしれませんが、少なくとも何らかの会議のようなものは行うのではないでしょうか?
ま、既に一度、この現場を見ていますから、二度も見に来るかどうかは分かりませんが」
「なるほど」と、それにアニアは返す。
それから腕を組んで、“さっきの魔法疑似生命体は、ちょっと可愛かった”と、そんな関係のない事を彼女は考えた。同時に魔王の魔法に関心をする。人間社会では、ここまで高度で便利な魔法は見た事がない。きっと魔族社会では、もっと他にも高度で便利な魔法がたくさんあるのだろう。
そして、
“先日、ゴロツキ達に私が襲われている事が分かったのも、その場所に来られたのも、これと似たような魔法を使ったのかしら?”
と、そう考えた。
少しだけ、
少しだけ、彼女は不安を覚えた。




