17.軽率な外出 その1
石炭エネルギー会社“ノッカー”。
魔王フルムス・クルブスは、依然、この会社と魔族達の関わりについて調べているらしかった。
何故“らしかった”という曖昧な表現になるのかと言うと、アニア・ゴールドが彼がどんな調査を行っているのかまったく把握していないからだ。詳細は教えてくれないのだが、独自の情報網があると彼は主張している。彼はそこから入って来る情報を待っているのだという。アニアは魔王が本当は単に怠惰に過ごしているだけではないかと多少疑っているのだが。
その日は休日で、彼女はリビングで朝のコーヒーを楽しんでいた。すると不意に窓から小鳥が舞い降りて来る。その小鳥は、彼女に目を向けると「チュチュンッ」と鋭く高い声で鳴いてからその姿を手紙に変えた。マジックメールだ。手紙を開いて一読すると、彼女は魔王に向けて言った。
「ちょっと出かけてきます」
今日は探偵事務所の営業日ではないから、許可を取った訳ではない。単なる報告だ。
「どこに出かけるのですか?」
「ペットショップです。今日、動物達の健康診断をやるらしくて、以前から参加させてもらえないかとお願いしていたのですが、どうも動物のお医者さんがオーケーを出してくれたみたいで」
「健康診断をしてもらうのなら、人間専門の医師にすれば良いでしょうに」
「なんで私なんですか? 診断を受けるのはサリーです! ……分かってるくせに」
その会話を理解している訳でもないのだろうが、そのタイミングで「にゃー」と鳴きながらサリーがアニアの膝の上に乗った。それを見て、魔王はふと疑問を覚えたらしく口を開く。
「しかし、ペットショップで健康診断をやるなんてよく知っていましたね。餌を買いに行くくらいしか利用しないでしょう?」
「はい。クリンさんが教えてくれたのですよ。サリーの運動不足が心配なら頼んでみたらどうか?って」
「クリン……? って、警察官のクリンさんの事ですか? いつの間にそんなに仲が良くなったのです?」
「最近、時々、街で会うのですよ。それでちょっと情報交換をしたりだとか」
「へー そうなのですか」
魔王は少しそれを気にしたようだったが、そこまで深刻に考えた訳ではないようだった。それからは何も質問をしない。
前々からアニアは思っていたのだが、魔王はやや自分に対して過干渉な気がする。ペットショップは近くにある。それを知っているからか、魔王はあっさりとスルーしたようだったが、いつもはもう少し彼女の出かける先を気にかけるのだ。まるで相手を束縛したがる恋人のよう。そこまで病的な訳ではないのだけれど。
もっとも、先日、サリーが狙われたりもしているので、心配するのも当然と言えば当然かもしれない。
「それでは行ってきます」
出掛ける支度を整え、サリーを猫用キャリーバッグに入れると、彼女は直ぐにペットショップへと出かけた。その間際、ナイがいつものように肩に乗って来た。嬉しかったが、ペットショップの店員達に何と言われるのか彼女はちょっとだけ気になった。
ペットショップに健康診断に来ていた年老いた男の獣医は、サリーを一目見るなり「太り過ぎですね」と誰にでも分かる事を言った。それから軽くサリーの身体を調べたが、これといって異常は見当たらなかったようだった。取り敢えず、健康のようだ。良かった。
獣医はナイも診ようとしたようだったが、“動くぬいぐるみ”だと気が付くと、「こりゃ、面白い」とだけ言って何もしなかった。因みに店員達には大人気だった。
「この猫には、もう少し運動をさせるか、食事を控えるかしてください」
その獣医の診断を聞いたアニアは、「実はサリーはあまり活発に動く性質ではなくて困っているのです」と相談した。食いしん坊だから、食事を減らせそうにもないし。すると、猫が運動したくなるようなオモチャがあると獣医は教えてくれた。がしかし、そのペットショップで売っているオモチャをいくつか買ってその場で試してみたのだが、サリーは直ぐに飽きてしまう。
「ここにはありませんが、中に入っている餌を食べようとすると、必然的に運動しなくちゃいけない優れもののオモチャも売っています。試してみると良いかもしれませんよ」
それでアニアが困っていると、店員さんがそう教えてくれた。サリーは食いしん坊だからそれならば効果があるかもしれない。売っている場所を尋ねると、そこまで遠くではなかった。アニアはお礼を言うと、少し遠回りになるが帰りにその店に寄ってみる事にした。それくらいならば問題ないだろうと思って。
ペット用品を売っている店は直ぐに見つける事ができた。オモチャを試してみると効果は覿面で、サリーはオモチャの中に入っている餌を取ろうと必死になっていた。これなら運動不足を解消できるかもしれない。上機嫌でアニアはそれを買って帰路に就いた。もちろん、彼女はそのまま帰るつもりだった。魔王が心配しているかもしれない。
が、店の外に出たところで、彼女は突然話しかけられたのだった。
「すいません! 助けてください」
見ると、ボロボロの服を着た少年が何人かいる。スラムで暮らす子供達かもしれない。
「どうしたの?」と尋ねると、「向こうで、仲間が怖いおじさん達に絡まれてて」と涙目で訴えて来る。
この往来には他にも人がいくらでもいる。何故自分に?と少し彼女は疑問に覚えたが、それが本当なら悩んでいる暇はない。或いは堅そうな服を着ている自分を、警備員か何かと勘違いしたのかもしれない。
「分かったわ。案内して」
彼女が承諾すると、少年達は「こっちです」と言って駆け出した。
彼女の上着の中には銃が二丁ある。先日、魔族を傷つけてしまった事を後悔した彼女が新兵器として用意したものだ。或いは、これはそれを試せる良い機会になるかもしれない。
少年達は駆け足で近くの路地裏に入っていった。アニアはサリーを入れているキャリーバッグがあまり揺れないように気を付けながらそれを追いかける。進めば進むほど、どんどん人気がなくなっていった。やがて旧い大きな建物が見えて来た。潰れた工房か何か。「ここの中です」と言って、少年達はその中に入っていった。アニアも追いかける。建物の中は真っ暗だった。がしかし、軍で訓練を受けた経験のある彼女は動じない。“暗視”の魔法を使う。だが、少年達の姿はなかった。
「何処に行ったの?」
やはり工房だったのだろう。見た事もない大きな機械が並べられてある。それが壁の役割を果たしていて、通路のようになっている。その間をアニアは進んだ。しばらく進んだところで、不意に声が聞こえた。
「――まさか、こんなにあっさり引っ掛かってくれるとはな。情報通り、相当のお人好しらしい」
見ると、出入り口に男達が7、8人ほど集まっていた。
上着の中に隠してある拳銃に触れながら、彼女は尋ねる。
「あなた達は何? さっきの子達を何処へやったの?」
リーダー格らしい男が言う。
「安心しろよ。あいつらなら、もう外へ逃げてる。あんたを誘き出してくれって頼んだだけでね、あいつらは何にも知らないよ」
そこで一人が「ライト」と呪文を唱えた。建物の中が照らされる。魔法を使える者がいるらしい。暗視状態のままでは眩し過ぎるので彼女は魔法を解いた。
「目的は何?」
そう言いながら、彼女はサリーを入れたキャリーバッグをリュックのように背負った。サリーはそれを嫌がって「にゃー」と鳴く。間違いなくこいつらはサリーを狙っていると彼女は考える。なんとしても、この子を守らなくては。
二丁拳銃を取り出す。
「ちょっと、ある人から頼まれてさ。あんたに用があるんだよ。
まぁ、安心しろ。乱暴は…… しないって事もないが、少なくとも命を取るつもりはないからよ」
リーダー格の男がそう言うと、別の男が「おい。思ったよりも、けっこー良い女じゃないか? ラッキーだな」などと言うと、別の男が「そうか? お前、ああいうのがいいのか? 俺はもうちょっと女らしい女の方が良いがな」と不快な笑顔で返した。
それで“乱暴”の意味をアニアは察する。魔王が聞いたら殺してしまいそうだ。どうやらこいつらは同情の余地のない下衆らしい。
アニアの表情から緊張の色を読み取ると、リーダー格の男は仲間に指示を出した。
「猫を奪えば手っ取り早いって教えられたが、背負っているんじゃ無理そうだな。おい、お前ら、囲め。
一斉に襲いかかるぞ」
それを合図に男達は移動を開始した。アニアは彼らを観察する。魔王のように魔法でカモフラージュしていないのであれば魔族には思えない。人間だ。しかも、ただの街のゴロツキに思える。
彼女は「フーッ」と息を吐き出すと、「ごめん。サリーちょっと眠ってて」と睡眠の魔法をサリーにかける。サリーの鳴き声で自分の居場所がバレてしまうのは避けたかったのだ。
“バラバラになってくれるのは、この銃にとっては都合が良い”
男達がゆっくりと自分の周囲を囲んでいくのを見ながら、アニアは息を整え、タイミングを見計らっていた。そして、男達が充分に散開したと判断すると、右足を思い切り踏み込んで同時に高速移動魔法“縮地”を使う。
男達からはアニアの姿が突然消えたように見えたらしく、「どこに行った?」という戸惑いの声が上がった。




