16.図書館
東龍自然の理の会を訪ねた次の日、アニア・ゴールドは図書館に来ていた。
東龍自然の理の会での体験は様々な意味で彼女にとって興味深かった。特に東方のドラゴンには驚かされた訳だが、彼女はそれで東方の文化についてほぼ何も知らない事を思い知らされたのだ。そこで少しでも見識を深めようと、図書館で東方の文化について調べてみる事を思い立ったのだった。ただ、困った問題が一つあった。
「ん~ どの本に必要な情報が載っているのか、まったく分からないわね」
図書館の蔵書は膨大だ。東方文化について書かれた専門書が納められた棚は比較的直ぐに発見できたが、その中のどれに自分の求める情報が書かれているのかはまるで分からなかった。
今日は仕事の日だ。一応、雇主の魔王からは許可を取って出て来たが、それでもできれば早く戻りたかった。
“あの人、仕事の依頼をいつもやんわりと断っちゃうのだもの……”
勤め始めた頃から思っていた事だが、探偵社を経営するつもりが魔王にはあるように思えない。ただ、それでいて、アニアの外出には彼は敏感に反応するのだが。
今日も図書館で調べ物をしたい旨を伝えた時、彼は図書館の位置を確認し、近くにあると知ってから許可を出した。どうせ商売をする気がないのなら、近くにあろうが何だろうが関係がないと思う。
とにかく、アニアは棚の前で頭を抱えていても仕方がないと、東洋の文化について書かれた専門書の一つを手に取ってパラパラと捲ってみた。難解な表現で書かれている上に専門用語がたくさん出て来て何が書いてあるのか彼女にはさっぱりまるで分からなかった。一般人に読ませる気があるようには思えない。と言うか、専門書なのだから一般人に読ませる気はないのだろうが。
「うーん……」
と唸って、彼女はその専門書を棚に戻した。それから軽くため息をつくと、棚をぐるっと回ってみる。
もう少しライトな本がないかと探してみたのだ。もしかしたら、中にはそんな本もあるのかもしれなかったが、彼女には見分けがつかなかった。
“うーん…… これは困ったぞ”
腕を組んで首をひねると、彼女の肩の上でナイが「なー」と鳴いた。
可愛い。
そんなタイミングだった。
「何か本をお探しでしょうか?」
不意に声をかけられたのだ。見ると、どうやら司書の一人らしい女性がそこにはいた。館の黒い真面目そうな制服を着ている。東方の人間だ。分厚い眼鏡をかけていて、鋭い瞳が印象的だった。地味な外見だが、そこがむしろ魅力的に見えた。アニアは“助かった”と事情を説明をする。
「なるほど。東方の文化について知りたいのですか。特に自然環境に対する思想と東方のドラゴンについて」
そう言うと、彼女は専門書の棚をざっと見渡した。
「そういった本も確かにこの中にはありますが、ただ時間がないのであれば読んでいる暇はないかもしれません。この辺りの本は貸出禁止の上、量がありますので。私で良ければ要点だけを説明をしますが」
それを聞くとアニアは「本当ですか? それは有難い。是非、お願いしたいです」と喜んで返した。司書の女性は笑顔で頷く。
「それでは、向こうにテーブルがありますのでそちらで話をしましょう。あ、失礼、申し遅れました。私はこの図書館で司書をしているスズタニと言います」
アニアは「自分はアニア・ゴールドと言います」と名乗り返す。勇者である事がバレてしまうと少しだけ逡巡したが、親切に教えてくれる相手に身分を隠すのは失礼だし、直感的に彼女なら問題ないだろとも思ったのだ。
名を聞くと「ああ、勇者様ですか」とスズタニは少しだけ驚いたようだったが、アニアの直感通りに少しも騒がなかった。
「……実はその“東龍自然の理の会”という団体を訪ねた際、東方のドラゴンを見せてもらいまして。なんと、そのドラゴンは大きさを自在に変えられました。
東方のドラゴンには、そういった事が可能な種もいるとは聞いていましたが、実際に目にするのは初めてだったので大いに驚きました」
後で話を聞いてみると、魔王ですら大きさを自在に変えられるドラゴンを見たのは初めてだったという。少なくとも西方ではかなり珍しいはずだ。
「それは羨ましい。私も見た事がありません」
アニアの体験談を聞き終えると、スズタニはそう言って本当に羨ましそうにした。アニアは話を続ける。
「驚いた事はまだありまして。そのドラゴンの見た目はまるで蛇のようだったのです。とても美しかったですし、空も飛んでいたのでドラゴンだとは思うのですが、私にはそれがとても意外でした」
軽く頷くとスズタニは言う。
「実はドラゴン…… 東方では龍と呼びますが、龍と蛇は非常に密接な繋がりがあります。“龍蛇の神”と、そう表現しても良いくらいに近い。蛇の神と龍は同一視しても差し支えない程に関係が深いものです。
ただ、そこまで蛇に酷似していたと言うのなら、その龍は原始的な龍とは言えるかもしれません」
「原始的な龍?」
「いえ、すいません。“原始的”と表現するのは少々語弊があるかもしれませんね。
農耕民族においては、蛇の神が大地母神として崇められている場合が少なくありません。その“蛇の神”こそがすなわち“龍”です」
農耕民族。
その言葉にアニアは反応した。
「農耕民族だからこそ、東龍自然の理の会では龍を特別視しているのでしょうか?」
「その可能性はあると思います」と、それにスズタニ。
「その“東龍自然の理の会”のリーダーは女性という事でしたね。私としてはそれも気になります」
「何故でしょう?」
「農耕民族は女系社会である場合が少なくないのですよ。もちろん、中津国自体は男系社会で男性優位社会です。ただ、それでも女系社会の特性が残っているようにも思えますし、或いは地方によっては女系社会もあったのかもしれません。
私は和の国の出身ですが、和の国でも長い間、女系社会と男系社会が混在していたと言われています」
そう言い終えると、スズタニは鞄の中から本を一冊取り出した。東方の文化に関するものではなく、西方の神話について書かれている本のようだった。パラパラとページをめくると、怪物らしき絵が描かれているページをアニアに見せながら言う。
「ティアマトやレヴィアタン、ドラゴンと見做せる水と深い関りのある怪物が西方世界でも語られています。が、慈雨をもたらすのはこれらドラゴンではなく、ドラゴンを退治する神々の方です。
それに対し、東方ではドラゴン…… 龍に雨乞いをするのです。龍は蛇の神で大地母神なのだと説明しましたが、この違いは男系社会と女系社会の違いだとも説明できます」
「どういう事でしょう?」
「“大地母神である蛇の神を怪物と見做して退治をする”
これは、そのまま男系社会が蛇の神を崇める女系社会を征服するフォークロアだとも捉えられるのですよ。
支配した社会の神を崇める対象にするはずがないでしょう? だから、蛇の神が慈雨をもたらしてはいけない。結果として、ドラゴンを退治した神々が慈雨をもたらす事になるのです。
本来、水を象徴するのは、ドラゴン…… 龍であるはずなのですが」
その説明にアニアは大きく頷いた。
「なるほど。大変に興味深いお話です。東龍自然の理の会のリーダーは自然を崇拝しているとも言っていました。これはやはり農耕民族だからなのですかね?」
「断言はできませんが、その可能性はあると思います。まだ、何か言っていませんでしたか?」
「自然と相対する場合の理想は“調和”だとも言っていましたね」
それにスズタニは「ふむ」と言い、こう続けた。
「人間社会を自然の一部と考え、全体の調和を目指すというのは、東方の思想に特徴的なものですから一般的なそれに倣っただけとも捉えられますが、或いはそれも女系社会と関係があるのかもしれませんね。
男性原理、女性原理という言葉を聞いた事はありませんか?」
アニアはそれに「恥ずかしながら知りません」と返す。「別に恥ずかしがるような事ではありませんよ」と言ってスズタニは話を続けた。
「男性原理では、優劣を意識しがちで、競い合い、勝つ事で相手より上になる事を目指し、そしてルールや論理を重んじます。これは支配という概念にも通じます。それに対し、女性原理では、競い合う事よりも協調を目指し、ルールよりも感情を重視します。これは調和に通じます。
この男性原理と女性原理は、どちらも必要で、対立すると言うよりは、相補的な関係にあるものです。
また、必ずしも生物学的な“性”に結びつくものでもありません。男性原理的な価値観を持った女性もいるし、女性原理的な価値観を持った男性だっているのです」
「はあ」とそれにアニア。スズタニが言わんとしている事がアニアには分からなかったのだ。
「これは自然に対する人間の考えにもそのまま当て嵌められるのですよ。
西方世界では男性原理的な価値観で自然を捉え、支配しようとする。それに対して、東方世界では、女性原理的な価値観で自然を捉え、調和しようとする」
その説明を聞いて、アニアは目を大きく見開いた。
「確かに、東龍自然の理の会はそのような事を言っていました。西方では自然を支配しようとするが、東方では自然と調和しようとする、と」
スズタニは大きく頷く。
「そのように考えると全てが繋がって捉えられるように思えますね。女性原理を強く持つ女系社会ではドラゴンを神と崇め、自然と調和しようとする。男性原理を強く持つ男系社会では、そのドラゴンを退治し、自然を支配しようとする……
一応断っておきますが、男性原理も女性原理もそれ自体は悪でも善でもありません。単なる価値観の差で、それぞれの価値観にはそれぞれの役割があります。繰り返しますが、それらは相補的な関係にあるものです」
それからまたスズタニは鞄の中から本を一冊取り出した。“社会動物学”とそこには書かれてあった。
角をぶつけ合って雌を奪い合う、雄山羊の姿が描かれたその本の絵を見せながら彼女は続ける。
「男性原理の起源は、恐らくは“雌の奪い合い”です。より優秀な雄が群を支配し、多くの雌を手に入れようとする本能。
一夫多妻制を取る動物は、雄の身体が大きくなる傾向にありますが、人間は雄の身体が大きい動物です。つまり、かつては一夫多妻制だったのではないかと考えられるのです。実際に、今でも一夫多妻を認める社会は多いのですがね。
その本能がまだ人間には残っていて、それが男性原理的な価値観となって現れるのではないでしょうか?」
それから彼女は別のページをめくる。そこには子育てをする雌ライオンの姿が描かれてあった。
「女性原理の起源は、恐らくは“子育て”です。将来世代へと命を繋ぐ子供を育てる為に、皆で協力していく本能。
人間の女性には、周囲の女性と月経周期を同期させる能力があるそうです。微妙なホルモンの差を感じ取って同期させると言われていますが、そのような本能があるのは一斉に子供を産んで、協力して子育てを行い易くする為でしょう。
つまり、協調行動や調和に結びつくのです」
その説明にアニアは再び大きく頷いた。感心しているようだ。
「とても興味深いお話です。東龍自然の理の会を理解するのに大変役に…… いえ、それ以上の意味で非常に理解を深められました」
まるで良い授業を受けた時のような感動を彼女は味わっているようだった。
彼女のそんな様子に「それは良かったです」と、スズタニは笑って言った。
探偵社に戻ると、やや興奮した様子でアニアは「男性原理、女性原理なんて私は知りませんでした。とても興味深いお話を聞けて面白かったです」と魔王に向けて語った。
「特に女性原理は重要でしょう。今の社会には女性原理があまりにも少ない」
魔王は「はぁ、有意義な知識を得られて何よりですが」と言ってからそんな彼女をじっと見つめる。
その視線を不思議に思ったアニアが「何ですか?」と尋ねると、彼はこう返した。
「いえ、そんな知識など持たなくてもあなたは既にそれを体現されているのに、と思いまして」
その指摘にアニアは驚く。
「私がですか? どこが?」
「どこがって…… 何もかもとしか答えようがありませんが」
魔王は困ったような表情を浮かべた。
ぬいぐるみ集めを趣味にするほど可愛いものが好きで、誰かが傷つくと例え敵であっても心配し、子供や動物が好きで、それらを慈しむ事に無上の喜びを覚える……
魔王には、彼女が女性原理が服を着て歩いているような存在にしか思えなかったのだ。
――案外、本人は気が付かないものなのですかね?
そう心の中で呟いて首を傾げた。




