15.東方のドラゴン
汽車に乗って5時間ほど揺られると、ようやく目的地とするアルゴ村が見えて来た。軽い小旅行といったところだ。猫用キャリーバッグに入ったサリーは、幸いにも大人しくしてくれている。狭いバックの中に長時間に閉じ込めるのは可哀想だと思っていたのだが、これなら問題はなさそうだった。元々、あまり動かない猫なのだが。
都心から離れれば離れるほど、風景に緑が多くなっていく。田園風景と青い空と白い雲。よく晴れていて、陽の光が心地良い。空気も澄んでいる。魔王フルムス・クルブスと二人で遠出するのは実は初めてかもしれない。別にだからと言って、何がどうしたという訳でもないのだけれど。
アニア・ゴールドは、ふと隣に座っている魔王を見てみた。彼の方が背がかなり高いから見上げる恰好になる。
「どうかしましたか?」
その視線に気付いて、彼は不思議そうにそう尋ねた。
「いえ、別に」と彼女。
彼女達がアルゴ村に向かったのは、そこで“東龍自然の理の会”がキャンプをしているという話を聞いたからだった。
シロアキの所で手に入れたキーワード、“東方のドラゴン”。東龍自然の理の会は恐らくそのドラゴンを所有している。かつてアニアが海上に遊ぶドラゴンを見たのは、アルゴ村の近くだったし、東方のドラゴンが自らこんな所までやって来るはずがない。東方からドラゴンを連れて来る可能性のある人間達など滅多にいないはずだ。
駅を降り、駅員に東龍自然の理の会を知らないかと尋ねると直ぐに場所を教えてくれた。どうやらこの辺りで彼らは有名らしい。海の見える丘の近くでキャンプをしているという。行ってみると、テントが三つほど張ってあった。海が大きく広がるように見える場所で見晴らしが良く、背後は森になっていて綺麗な小川も流れているから生活用水にも困らなそうだ。どうしてここに彼らがテントを張ったのかがよく分かる。
実際に見た事がある訳ではないのだが、テントは遊牧民が使っているような丸い天井のエキゾチックな形状をしていた。珍しいから大いに目立つ。これでは嫌でも有名になるだろう。規模から見て5~8人ほどが暮らしているようだ。彼らの着ている服は袖が長くゆったりとしていて、中津国独特の雰囲気があった。見た目では、それほど金を持っているようには思えない。
「美しいドラゴンが空を飛んでいるのを見て興味を覚えました。もしかしたら、あなた達が連れているのかと思いまして」
そうアニアが彼らの一人に言うと、人が好いのか、それともあまりやる事がなく暇なのか、彼らは快くアニア達を受け入れてくれた。セニア魔法技術応用研究所の名前を出しても良かったのだが、もし何かトラブルが起こって東龍自然の理の会の機嫌を損ねってしまったら、彼らに迷惑がかかると考え名前は出さないでおいた。
しばらく話をしていると、代表だという女性が現れる。名前をイー・ランというらしい。色が白く眼の細い顔をしている。特徴的な顔立ちだが美人だ。白を基調とした色合いに繊細な赤い筋が幾つか控えめに流れる洗練されたデザインの高そうな服を着ていた。明らかに特別な立ち位置にいる人物だ。
「私達は自然を崇拝しているのです。そして、言うまでもなく、自然において水は非常に重要です。ドラゴン…… 龍は水の化身。だから、私達は龍を崇めているのです。龍を連れているのはそういった理由です」
そのように彼女は説明する。
テントの外にテーブルを出すと、彼らはお茶まで出してくれた。やはり客人は珍しいのかもしれない。
「あの……、その龍は何処にいるのでしょう? 姿が見えないのですが」
辺りを見渡してからアニアはそう尋ねた。実は彼女はドラゴンを間近で見られるのを楽しみにしていたのだ。海上で遊んでいたあのドラゴンはとても美しかった。
「フフ」と笑うと、代表のイー・ランはコップをテーブルの上に置いた。すると、それを合図に空の何処からか、水の筋が空中をまるで泳ぐように流れて来て、渦を巻いてその中に納まる。それを見てアニアは驚きの表情を浮かべ、魔王は眉を軽く上げた。コップの中に、細長い小さなドラゴンが泳いでいたからだ。
「これは……」
「龍は水の化身。故に大きさも自在に変えられます。今は小さくなっているのです」
コップの中にいる龍は、蛇を思わせるような姿をしていた。身体の色は白く、目は黒くクリっとしている。
「可愛い!」
思わずアニアはそう言ってしまう。失礼に当たるかと少し心配したが、イーはそんな彼女をニコニコと見ている。むしろその言葉を喜んだようだ。安心した彼女は、じっくりとその小さな龍を観察し始めた。
厳つい姿をイメージしていたが、近くで見るとむしろ柔らかさを感じる。姿も蛇と言われた方がしっくりくる。肢もなかった。話や絵で見る東方のドラゴンは、政治的な粉飾が施されているのかもしれない。
アニアがその小さな龍に見惚れているからか、魔王が口を開いた。
「ここへはどうして来られたのですか? 東方よりの旅路、決して容易いものではなかったはずです」
それを聞くと、イー・ランは線路のある方を見やった。
「主な理由は、あなた方も乗って来ただろう“あれ”です」
「あれ? 汽車ですか?」
「はい。実は我が国においても、蒸気機関とやらを導入しようと検討しておりまして、私達はその調査に来たのです。蒸気機関がどれほど空気を…… 自然を穢すのか。
本当は都心に入ろうと計画していたのですが、あまりに空気が汚いものですから、ここに逗留しているのです」
「なるほど。しかし、調査だけならばもう終わっていてもおかしくはないと思うのですが。聞いた限りでは、随分と長くここに滞在されているようなので」
「ええ、」
と、それを聞いてイーは頷く。
「実は調査をするようになって、この地域の人々が穢された空気の所為で苦しんでいると知りました。
そこで、空気が少しでも綺麗になるように協力をしています。私達は自然を崇拝している。自然を愛する者達は全て味方です」
「蒸気機関から出る煙を少なくする研究に協力したりですか?」
そこでそう訊いたのはアニアだった。それにイーは「おお、知っておられたのですか」と返す。
「その通りです。もちろん、ただ協力しているだけではない。もし研究が上手くいき、蒸気機関を使っても綺麗な空気を保てるとなったなら、我が国でも蒸気機関を安心して導入できるようになります。それを見極めたいと思っているのです」
そう言い終えると、彼女はコップの中に入った龍が泳いでいる水を空に向って撒くようにした。その途端、コップの中の龍は巨大な姿となり、物凄い速度で海の方に向って飛んでいく。
青い空に白い筋が映える。
あっという間に龍は遠く離れてしまった。天を心地よさそうに泳いでいる。
その圧倒的でダイナミックで美しい光景に、アニアも魔王も唖然となった。
「海の上の空気はまだ綺麗なようです。ここに来てから、好んで龍は海の上ばかりを飛ぶ」
イーがそう説明した。
そして、そんな龍の姿を愛おしそうに、また誇らしげに眺めながら彼女は続けた。
「西方の国々で生まれた自然科学は凄まじい力を持っていますね。お陰で我ら人間は今や魔族とも対等な関係となった。その恩恵に我らも与っているので、いかに大気を穢そうとも文句を言えた義理ではない。
ですが、環境に関しては、我ら東方の思想の方が優れているのではないかと私は考えているのです。
西方の思想では自然を人間が支配するものと捉えているでしょう。ですが、東方の思想では、自然の一部に人間があり、人間社会があります。調和こそが、自然と相対する場合の理想なのです」
唖然となっている二人に向けて、イーはそのように語り終える。龍は海の上を楽しそうに泳いでいた。




