序章 歌のない録音
古いカセットテープには、昭和六十三年十月二十二日と書かれていた。
真木野中学校文化祭。
郷土発表。
再生すると、体育館を歩く上履きの音がする。
「影平は右。水上は前。集落ごとに固まらないで」
若い女教師の声だった。
「今日は、五つの歌を一つにします」
紙をめくる音。
生徒の一人が尋ねる。
「先生、これ、どういう意味ですか」
「意味は考えなくていいから」
「でも、意味を考えて歌えって」
教師は少し黙った。
「誰かに聞かせるつもりで歌わないで」
ピアノが鳴る。
生徒たちが、古い言葉の歌を歌い始める。
音は聞こえる。
けれど、何を歌っているのかだけが耳に残らない。
しばらくして、女子生徒が歌を止めた。
「窓の外に、誰かいます」
別の生徒が言う。
「川でいなくなった子です」
教師はピアノを止めなかった。
「見ないで。歌を続けて」
体育館の奥で、重い戸が開く。
そこに戸などないはずだった。
子どもたちの歌に、知らない声が重なっていく。
男の声。老人の声。水の中から響く声。
やがて、生徒たちの声は聞こえなくなった。
録音の中で、女教師だけが言う。
「見たものを、一人一句ずつ書いて」
「書いたら、忘れられますか」
「誰かが全部歌えば」
「歌った人は?」
答えはなかった。
何十本もの鉛筆が、一斉に紙を走る。
その後、女教師が一人で歌い始める。
一節ごとに、知らない声が消えていく。
最後の一節を歌い終えると、子どもの声がした。
「先生が歌ったから、今度は先生のものだ」
そこで録音は途切れている。
同年度の卒業文集には、共同作品の題名だけが残されていた。
「匿詩」
続く四ページは、すべて白紙だった。




