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第3章 約束

 少女は目を瞑る。早く朝が来てほしいと願うように、固く目を閉じていた。夜は思考を闇に引きずる。考えたくないことも一度考えてしまえば、思考の渦へと飲み込まれてしまう。

 少女の枕元には花飾りが置かれていた。月光を浴び淡く光るそれは、不安に飲み込まれそうな少女に安らぎを与えている。


「リウスが、誰かを脅すなんてそんなことないのに。あの子は臆病で人見知りで……」


 昼にソレイユから言われた言葉を、少女は信じていなかった。それでも胸のざわつきは止まらない。取り乱すソレイユなんて見たことがなかったからだ。だからこそ、ソレイユは嘘をついてないと思う。見分けることだって得意としている。そんな彼の言葉だからこそ、少女は「そんなことない」と否定できるものを思い出し安心したかった。

 しかし人は変わる。リウスから数年会っていない少女の心は揺らいでいた。自分が会ってない間に誰かに虐げられ、恨みつらみが溜まっていたら? 絶対ないとは言いきれなかった。


「や、やだな。悪いことばっかり考えて、寝れなくなってきちゃった。早寝早起き。早く寝てなんてこと無かったって——」


 ざわりと、強い風が吹き込む。寝返りを打った時、少女の視界に入った大きな影。ドアまで伸びる影の先端は、この場に似合わないくらいぴょこぴょこと可愛らしく動いていた。

 少女は小さく息を吸い、震える手でブザーを取る。しかし紐を引っ張るすんでのところで、大きな手が少女の手を掴んだ。


「は、離して……」

「やだ。ねぇ、どうして姉さままでボクをそんな目で見るの?」


 満月に照らされるその姿は、少女の知っているものではなかった。

 綺麗な藤色の目は、菱形に瞳孔が開いている。ふわふわと柔らかな銀色の髪は肩まで伸び、満月の光を反射するように輝いていた。小さかった耳も今では少女の手より大きい。

 リウスは優しく手を伸ばし、少女の頬を撫でる。ぬちゃりと生暖かいものが、真珠のように美しい少女の肌に深紅を彩った。吹き込む風に揺れるカーテン。差し込む月光がリウスの手を照らした。

 むせ返りそうな程に強い鉄の香り、頬に触れている手から垂れる真っ赤な液体。

 

「ひっ……」

「あ、安心して姉さま。ボクは怪我してないからね。えへへ、姉さまを守るためにボク凄く強くなったんだよ? でもね、ここの人たちは全然ダメだった。弱いし、信念もなーんにもない。我が身可愛さで情けない人ばかりだよ」

「リウス、さっきから何言って……」


 少女を起こし、甘えるように頬擦りをしながら話していたリウスは、一拍置くと吐き捨てるような冷たい声を落とした。何が起こっているのか分からないまま、混乱と畏怖が彼女を襲う。少女は気づいてしまった。頬についた血は自分でもリウスでもない、この寮に暮らす仲間のものだということに。未だ消えない血の香りに顔を強張らせる。それでも声を振り絞り、対話を試みる少女にリウスはくすくすと笑った。


「だからね……ボク、確かめてたんだ。ここの人達が、姉さまと暮らすのに相応しいかって。でも、ダメだね。姉さまはボクと一緒じゃないとだーめ」

「そんなことない。みんな聖騎士を目指して、一生懸命……」

「本当に? ソレイユって人だけじゃないかな頑張ってるのって。皆お金のためで民のために強くなろうとしてないよ? だって、姉さまたち以外みーんな強くなろうとしてないじゃん」


 そ言葉に、少女は返すことができなかった。常にソレイユと自主練していた少女すら同じことを考えていたのだから。誰も居ない鍛錬場、切磋琢磨よりも陰湿的な嫌がらせで楽しんでいる仲間。ソレイユだけだったのだ、強くなるために頑張っていたのは。

 もっと厳しいと思っていた養成所。しかし蓋を開けてみれば、楽して聖騎士になりたいと願う者たちのたまり場。邪神復活の未来が変わらないのなら、強くなっても殺られるだけだと。強くなるだけ無駄なんだから、楽して今を生きようと思う者が増えてしまっていた。

 

「姉さま、ボクだけの……姉さま。こんな所やめて、ボクと一緒に暮らそう? ボク、姉さまがこんな奴らと暮らしてるなんてもう耐えられないよ」

「でも、私には叶えたい夢が」

「じゃあボクにも夢があるよ。……姉さまを連れて帰って、一緒に暮らすこと。フフッ、おはようからおやすみまでず〜っと一緒」


 砂糖のように甘い声が少女の耳をくすぐる。それは、自身に恐怖心を抱いている少女を安心させるように。優しく優しく、傷つかない未来の選択肢へ導いている。


「でもね。姉さまがどうしてもここに居たいって言うなら、その短剣でボクを殺していいよ?」

「ど、どうして……。そんなこと、できるわけ」

「ボクは姉さまと一緒にいたいから、ここにいるの。でも姉さまがボクと一緒を拒んで聖騎士になるなら、ボクの夢は叶わないでしょ? ならボク生きてる意味ないもん」

「……そんなこと。生きる意味ならたくさん」


 あるよと言いかけたその口へ、ぬるりと舌が入り込む。少女の舌を吸うように絡みつく舌は上顎をなぞり、苦しげな声を漏らす唇を塞ぐようにリウスはキスをした。少女が睨みあげるたびに、何度を唇を重ねる。

 そうしてどれくらい経っただろうか。荒い息を立てるリウスの下にいる少女は、虚ろな瞳に変わっていた。恍惚とした笑みを浮かべるリウスは、まるで発情した獣のよう。


「ボクはずっと、姉さまとこうしていたい。……こうしていたいだけなのに。……やっぱりここのせいで、姉さまが毒されちゃったんだ」

「り、うす……。やめよ、みんなに謝りに行こう? こんなの、だめだよ」

「謝るのは姉さまの方だよ。ボクを拒むってことはボクを殺すことになるんだよ……? でももういいや、毒された姉さまと話しても埒が明かないし」


 そう言ってリウスは少女に馬乗りになったまま、もう一度キスを落とした。そのままハンカチに液体を染み込ませ、口を塞ぐ。驚いたように目を丸める少女は、次第に瞼を閉ざしすやすやと可愛らしい寝息を立てた。

 完全に眠ったことを確認したリウスは、床に落ちた防犯ブザーを手に取り、少女を抱いて窓から飛び降りる。紐を引いて音が鳴り響いてから、森の反対側へそれを投げ捨てた。騒ぎに気づいた者たちが寮から飛び出していくのを横目で確認した、闇夜へと溶けていく。


「さすがに合意じゃないから、姉さまに怒られちゃうかな。でも、姉さまの毒を抜くのもボクの仕事だし」

「……ぅ、んん」

「まぁいっか。……もう姉さまのお部屋作ってあるからね。皆には番って伝えてるから、ふふっもうあんな所に返してあげない」


 うっそりと笑うリウス、彼の番を歓迎するように木々は揺れていた。


——そうして夜は明け、朝日が昇る。


 誰もいない少女の部屋に入ったソレイユの手には、少女が枕元に置いていた花飾りが握られていた。朝日を受けた花弁が、きらきらと光を散らす。

 それの光は、まるで彼の頬を伝う涙のようだった。

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