第1章 依依恋恋
「姉さまは、どうしてボクに優しくしてくれるの?」
森の中、草花の香りが風に乗ってボクらを包み込む。木々の隙間から覗く太陽の光が優しく照らし、穏やかな時間に重くなる瞼。静かなこの空間には、ボクと姉さんしかいない。
「優しくしてる訳じゃないよ。対等に接してるの」
「ううん、優しいよ。今だってボクのわがまま聞いてくれてさ。お膝の上に寝かせてくれてるし」
「ふふっ、それを言うなら頭を撫でさせてくれてるリウスの方が優しいよ」
小さくて柔らかい指先がおでこに触れる。撫でるその手が温かくて、優しくて陽だまりよりも心地よい。甘えるように姉さまのお腹に顔を埋めれば、くすくすと可愛い笑い声が落ちた。
「リウスは甘えん坊だね。よーしよしよし、おぉ……耳もふわふわだ。これが獣人の特権もふもふ」
「うぅ。だって姉さまが甘やかしてくれるから……。それに、人間さんと話せるのも友達になってくれたのも姉さまだけだから」
獣人であるボクは、人々から忌み嫌われる存在。遠い昔、ボクらと同じ種族の一人が人間を食べてしまった。お金がなく、食料もない。まだ秩序が保たれていたかった獣人の時代は弱肉強食。餓えに飢えたその獣人は、ついに禁忌とも言える人喰いをしてしまった。
結果、たった一人が人喰いをしたことにより【獣人】というだけで、ボクらは忌み嫌われる存在へ。人里に降りるものなら帰れと石を投げつけられ、人の子を助けようとすれば怯えられ、親が来れば手を出すなと怒鳴られる始末。
誰もボク一人として見てはくれなかった。耳と尻尾が生えているだけで【獣人】としてしか認知されず。話を聞いてはくれなかった。
「ねぇ。姉さま、森で暮らしたいなって思ったことはある?」
「えっ、えぇ……急だね。うーん、暮らしても良いんだけど、ちょっと夢があって」
「夢? どんな夢なの?」
それを壊せば、姉さまは森に住んでくれるかもしれない。
仄暗い感情が渦を巻く。突風が吹き込み、不気味に笑う木の葉の音。流れる雲は太陽を隠し、影を落とした。
「世界を守る、聖騎士になること!」
「……っ、え?」
——聖騎士、それはこの世界を脅かす邪神と戦う権利を持つ特殊部隊然り。神に魅入られた者のみが力を手にすることが出来る選ばれし騎士だ。
故に、聖なる神の力に耐えられず消息を絶った者もいる。少なくとも三桁は超えるだろうと、獣人の長は言っていた。
(そんな危険なこと、姉さまにさせるわけには……)
どくんと、心臓が嫌な音を立てる。
太陽よりも眩しい無垢な笑顔で夢を語る姉さまは、きっと何も知らない。知らないからそんな夢を語れるんだ。
(でも、姉さまの夢を否定する権利なんて今のボクにはない)
否定なんてしたら姉さまに嫌われてしまう。だけど、背中は押したくない。
姉さまは今日も明日もその先もずっとボクの隣に居れば良いのに。居てくれるんだと、思っていたのに。あぁ、どうして。よりによって、聖騎士なんてものに……。
「リウス……?」
「っ! ご、ごめんさない。姉さまの夢が大きくて、想像、つかなくて……ぼーっとしちゃった」
「えへへ、そうだよね。だけど聖騎士になったら、私もっと強くなってリウスの事も困ってる人も守れると思うんだ」
「……姉さまは夢を持っててすごいね」
上手く笑えないから、顔を姉さまのお腹に埋めた。行かないでと、そんな者にならないで二人で暮らそうと言ってもきっと今は無駄だろう。
ボクは姉さまが思ってるほど弱くない。本当は、人間なんて子供のボクでも捻り潰せる。ただ手を出したらボク以外の同種族に迷惑がかかるからしてないだけだ。
(そんな事も分からない姉さまが聖騎士になるなんて……)
頬を撫でる風が冷たく、どこか湿った空気を感じた。胸の奥で渦巻く感情を加速させるように、不安な気持ちと独占欲が増していく。
「だから、えっとね。一緒に森に住むことは出来ないけど、こうして会いに来るのはできるから。寂しくないよ、リウス」
「うん、そうだね。じゃあ姉さまのためにも、ボクは早く人里になれないと。姉さまが安心して聖騎士になれるように」
なんて心にもないことを言って、細い腰に腕を回した。ボクの元から逃げられないように、匂いを擦り付けるように。姉さまの香りを、忘れないように。
***
あれから数年が経った頃。僕の計画は面白いほどに上手くいっていた。
尻尾も耳も、隠さなくたって嫌がらせはされないし。獣人に対する認識も少しずつ改善されている。姉さまとの時間が削られていくのは苦しいけれど……これも未来、ボク達が共に暮らすために必要な事。
「ここが、騎士養成所……」
聖騎士の選抜が行われる養成所は、想像よりも古びていて所々に汚れが見えた。木々よりは高さがなく、本館らしい建物の横には恐らく寮であるこじんまりとした建物が二つ。教会とまではいかないけれど、綺麗かと言われると悩ましい。真っ白な壁は黄ばんで汚れているし、ツタが覆っている。……歴史があると言うべきなのだろうか。
帽子を深く被り、つばの影で目元を隠す。コートで隠した尻尾がバレないように息を浅く吐きながら、耳を澄ました。
(ホラを吹くなら、知能がない人間がいいなぁ)
ライバルを貶められる悪い情報は疑わずに鵜呑みにし、誇張する人間だと更に良い。直接的に姉さまの夢は壊したくないし、どうせなら姉さまを助ける立場でありたい。
一週間偵察をし、ついに見つけた理想の人物が三人。ここは街からも離れているし、恐らく獣人に対する認識は昔のまま。この作戦が上手くいけば近い未来、姉さまはボクだけを頼ってくれる。ボクだけを見てくれる。ボクだけの、姉様になってくれるんだ。
全身が震え、心臓は大きく脈を打つ。興奮を抑えるように大きく息を吐き、帽子を取った。あとは、偶然を装ってぶつかるだけ。ただそれだけできっと、奴らは動揺し手のひらで転がってくれるだろう。
「わっ」
「いってぇな! ……っ! な、なんで獣人がここにいるんだよ……」
「あっ……ごめんなさいぶつかってしまって。怪我はないですか?」
「さ、触んじゃねぇ! なんでここにいるのか聞いてんだよ!」
パンッと乾いた音が響くと同時に、しとしとと胸の奥底が冷えていく。
元より期待していなかったけれど、ここまで話も聞けない人間がよくもまぁ正義の象徴となる騎士団を目指したものだ。
(姉さまが、姉さまこそが正義の象徴が似合う人物だと言うのに。こんな奴らが騎士団なんて……)
上がりかける口角をぐっと我慢して息を吐く。ここで笑っては作戦が失敗してしまう。
「姉さ……ボクと仲良くしてくれてる人が来年ここに入学するみたいで。どんなところなのかな〜って気になったんです」
「は……。獣人と仲のいい奴が、この養成所に来るだって!? おいおい嘘だろ、そいつの名前はなんて言うんだ」
「えっと——」
名前を伝えて「優しくて可愛らしい人なんですよ!」と付け足して微笑むと、目の前の男たちはニタニタと卑劣な笑みを浮かべた。
(あぁ、なんて知能の低い人間たちなんだろうか。)
いい笑いのネタができたと言わんばかりに男たちは下品な笑い声をあげる。人間たちのやることは陰湿だ。自分たちが加害者と決定的な証拠は上手く隠し、相手を陥れる。恐らくこの男たちも同じようなことをするだろう。
だけど姉さまが暴力を振るわれたら大変だ。入学したあとは、定期的に様子を見よう。
——姉さま、待っててね。ボクが必ず、迎えに行くから。
その時はヒーローとして、守りに行く。だからそれまでの間、どうかここで沢山傷ついて全てに失望しボクだけを求めてね。
げらげらと笑う男たちの背に笑みを浮かべ、ボクは最後に一礼をしその場を後にした。




