第2章 正夢
この世界には邪神がいる。
私の母が亡くなったのも邪神による疫病。父は、その後狂い悪魔を呼び出し亡くなった。
それから数年が経ち、両親が居なくなった屋敷で暮らすことにも慣れた頃。引き出しの中から、小さな小箱を見つけた。
「なんだろこれ。わっ、可愛い……」
クリスタルのガラスのように、キラキラと虹色の光を放つ花飾り。透明で美しく煌びやかなそれは、心を晴らすように神々しく見えた。
母の形見かとも思ったけれど、これを着けている姿は見たことない。そうなると、父が母に送りたかったものなのだろうか? 真相は分からないけれど、花飾りは私の引き出しに眠っていた。そして、見つけたのも私。
「……つけちゃお」
パチンと花飾りを横につけた途端、まるで憑き物が取れたように身体が軽くなった気がした。それに、なんだか心も晴れた気もする。モヤモヤと言うよりは、明日は遂に聖騎士になるための第一歩である騎士団への入団式に対するそわそわが無くなったというか。
騎士団に入っても、最初から戦前に立てるわけじゃない。寮暮らしをし、剣術や戦術を学ぶ。適性がある者は魔法を学んだりと様々な事を経験。成績優秀な者や、突飛した能力を持つ者などが年に一度神様がいると言われている展開へ赴くことができる。そこで、選ばれた者が聖騎士になれるんだとか。
「聖騎士になれれば、特別な力を授けてもらえる。そうすれば、もうお母さんみたいに苦しむ人を減らすことができるんだ」
沢山学んで、強くなって多くの人を守りたい。
単純な理由だけど、頑張るには充分。明日から頑張るぞと見つけた花飾りにキスを落として私は眠りについた。
***
「おーい、大丈夫か? 顔色悪いけど。少し休んでから向かいたいって俺言ってこよっか?」
「ううん、大丈夫。そんなこと言ったら、ソレイユの評価下がっちゃうよ」
「俺は優等生だから、多少のわがままは許される。ま、大丈夫ならいいけど。無理はすんなよ」
豪快に私の頭を撫で回しては、ひらひらと片手を振ってソレイユは先を歩く。
花飾りを見つけた日から、夢見が悪くなった。同時に、私は他の仲間に比べ雲泥の差があるほどに優秀な成績を収め。今、聖騎士選抜へと天界と繋がる星の階段を登っている。
(このまま、登っていいのかな……)
本来であれば、登った後神様と対面し選抜が行われる。そこまで辿り着けた事は喜ばしい事なのに、私は昨夜見た夢がどうにも気になって仕方がなかった。
――子どもが、邪神の封印を解く夢を。
花飾りは、特殊な加工をされていたのか私によく夢を見せた。それは全ては断片的で、パズルピースの一欠片を見せるような曖昧なもの。
私が聖騎士になりたてか、なった後か。その辺で恐らく子どもが洞窟へ侵入し、封印の鍵となる宝玉を取る。そして、邪神は目覚め疫病が流行。その後すぐに私たち聖騎士は再度封印するため駆り出され、私は。
私は邪神に、捕まるんだ。
階段を上る足が重たく感じる。夢は所詮夢だけれど、その夢が嘘をついたことはなかった。だから私は成績も優秀で、剣術も上位。全ては、この花飾りのおかげ。それでも勉学や鍛錬を怠ったことはない。実力で、この座を手に入れたかったから。
それでも今、私はその全ての功績を手放してでもあの洞窟へ行った方がいいと、脳が警鐘を鳴らすのだ。
「なぁ、お前本当に大丈夫か? まだ選抜まで時間はあるし、一旦ここで休んでも……」
胸騒ぎは止まらない。
ソレイユのお日様みたい眩しいその淡い金髪も、宝石みたいに綺麗な緑色の眼も。いつもなら、その美麗な顔に今日も「太陽みたいだね」と笑って元気が湧くのに、全然ダメだ。足がすくんで動かない。
「ごめん。ソレイユは、先に行ってて。わ、私その……やっぱり体調悪くて」
「えっ、選抜は特に模擬試験をする訳でもないぞ。座ってるだけだし、上に行くのがしんどいなら俺おぶって……」
「うん、でも……」
ソレイユは、聖騎士を目指す私を弟子ができたみたいに可愛がってくれた。優しいお兄ちゃんのような存在。私の努力を一番傍で見てきた人で、今日という日を私たちはずっと待ち遠しにしていた。だからこそ、ここまで心配してくれてるんだろう。それでも足は引っ張りたくないし、こんな話をしてもお互いもう時間が無い。
「その、詳しくは話せないんだけど。なんだかすごく嫌な予感がして、だからごめんソレイユ。先に行って、私の分の夢も託させて」
「……は、おい待っ!」
「本当にごめん! 健闘を祈る!」
天界までもう少しだった。でも、やっぱりこの直感を信じたい。やらぬ後悔よりやる後悔。これで何も無かったらただの愚か者だけど、平和に超したことはないし。何かあっても、阻止出来れば私の努力も無駄にした甲斐があったってものだ。
後ろからソレイユの声が聞こえるけど、追いかけられても困るから適当な所で階段を飛び降りよう。あの屋根に着地して、森を抜ければすぐに海だ。
「邪神に捕らえられた後は、どうなったんだろう……あの夢の私は」
ちゃんと封印できたのかな。短剣を持っていたということは、聖騎士になれてるんだから。逆に言えば、聖騎士で封印できてなかったら丸腰の私に未来はあるのだろうか。怖いなぁ、拷問だけはされたくない。痛いのやだし、戦場で死ぬ分には寧ろ騎士の本望だけどさ。そうじゃない痛みはちょっと。
そんなことを考えながら走っていれば、もう海に到着。ばくばくと煩くなる心臓を押し殺し、一秒でも早くと地面を蹴った。本来は入ることすら許されない入り口の縄を潜る。暗闇の中、淡く揺れる灯篭の明るさを兎に角頼りに奥へ進んで行った。
――ぴちゃん、ぴちゃん
岩の隙間から水滴が音を鳴らす。奥へ進むめば進むほど、空気は冷たくなっていき正直恐怖で涙が出てきそうだった。それでも私は聖騎士候補。悪戯で封印を解こうとする子が居たらきちんと、論さないと。気を強く持つんだ。
己を鼓舞し、頬をぺちんと叩いて走り出したその刹那。
「うぇーい! 宝玉ゲット!」
子供の声が、した。
どくん、どくんと心臓は嫌な音を立てる。今、なんと言った? 宝玉を、取ったと……言って。ダメだ、遠い。走っても間に合わない。
「今すぐ、それを戻しなさい!」
封印の解除に掛かる時間は分からないけれど、もしも一瞬で解除されてしまうのであれば。いや、邪神が眠っていたらまだ希望がある。兎に角、宝玉を戻し急いで子供を――
「うわぁぁああ! だ、だれかぁ!」
「ゲホッ、やだ……苦しいよぉ」
鼓膜を揺さぶるほどの、悲鳴が聞こえた。間に合わなかったのだろうか。冷や汗が止まらない、けれどまだ息があるなら、助けられる。だから走って、走って。走ったんだ。つま先にぶつかった宝玉を拾い上げ、早く台座へと手を伸ばす。台座に戻せればきっと、再度封印が。
「――見つけた」
封印が、できるはずだった。
大きな手が、私の手を覆うように掴んでいる。子供じゃない、低い声が頭上から落ちた。
「やっぱりキミは良い子だ。私の元へ、来てくれた」
宝玉が、黒く染まっている。どうしてと込み上げる悲鳴を片手で抑え奇跡を祈っても、消し炭の塊となった宝玉に輝きが戻ることはなかった。足に纏わりつくざらついた尻尾のようなものと、お腹に回る手。
「聖騎士を目指そうとした時は、再会した時どう治療すればキミが戻ってきてくれるか考えたが」
「は、離し」
「聖騎士にならず、キミは私に会いに来てくれた。あぁ、愛しいキミ。やっと、会えた。やっと、やっと……」
床で子どもが苦しがってるのに、何を言っているんだろうかこの人は。いや、人ではないのか……。ソレイユから学んだ護身術も、ここまで拘束されたら何も出来ない。でもこのままじゃ子供たちが。
力いっぱい身を捩らせても、その倍の力で抱きしめられ骨が軋みそうだ。意を決して、その腕に噛み付けば小馬鹿にするように頭を撫でられるだけで相手もにされない。悔しい、悔しいすぎる。せめて剣が抜ければ、勝ち目はあるのに。
「キミに触れ、こうして話せる日が来るとは」
「こんなの会話じゃない! 離して! 私は、貴女を倒すために……っ!」
耳元で、邪神の息が震えた。
空間の温度が下がったような心地に、きゅっと心臓が縮む。けど、今の言葉で相手の隙が生まれるなら……いやそんなことを考えるより先に子供たちを何とかしないと。
子供は二人、ここから出口までは距離がある。私が運んでも、病院まではまた時間が……。救護を呼ぶにも、連絡端末が取り出せない。邪神に拘束されている今、私にできることは。
「キミは、私を倒せない。やはり人間共に洗脳されてしまったんだな。大丈夫、私が必ず治してあげるからね」
「……。あの、待って。か、会話をしよ。ううん、交渉を」
勘違いじゃなければこの邪神、敵意を向けてきていない。会話こそ成り立たないものの、意外にも友好的だ。そう油断をさせてペロリと消されるかもしれないけど、逆境を活路にするのもまた聖騎士として必要な機転。本当は怖いし、口から心臓があと三秒後には出てきそうだけど。出てきそうなんだけど、不思議と邪神の声が懐かしく感じてしまってるのも事実。
聖騎士としてそんなことあってはいけないのに。どうしてか昔、どこかでこの声を聞いていたような気がするんだ。
「キミは、禁忌を犯した者にすら優しいんだな。しかし、彼等は消すべきだ。このようなことをする人間が、成長してもろくな結果を生まない」
「それを決めるのは、貴方はじゃないよ。それに消えていい人なんて居ない。ね、だから……」
「キミがそこまで言うなら、仕方ない。外に投げておけばいいのかい?」
ダメだ、分からない邪神の考えが。どうしてここまで友好的なのだろう。そうされる相手でも、ないはずなのに。この優しさが嫌に不気味に感じる。けれど、今はそれを利用するしかない。
コクリと頷けば「キミに信じてもらうため」と言って、邪神は私と一緒に子供を抱えて出口まで行ってくれた。あまりの優しさに、なんだか異常に怯えていたことが申し訳なり謝罪の言葉を述べようとして、はたと気づく。なぜ、自分はここまで絆されているのかと。
私は邪神を倒すために、聖騎士を目指してる。それは、母に病を与えたのが邪神だからだ。封印が解かれた時、その悲劇を繰り返さないため聖騎士は存在する。殺すことは許されない。だからこそ、復讐心を保ち己を高める。
「さぁキミ。次の願いはなんだ?」
「え、えっと……」
だと言うのに、復讐心が薄れもっと話したいと思うこの気持ちはなに……? 昔どこかで会ったことがあるのだろうか。否、そんなはずは。そんな記憶は、どこにもない。でも、邪神の声を聞く度に懐かしくて甘えたくなるのは、どうして?
「何もないのかい? キミは本当に自己愛が薄いんだな。まったく、心配になる……」
「何も無くはないんですけど。その、疫病で人を消すのはやめて欲しいなって」
「? あぁ、キミまでそう思っているのか。なに、キミが私の傍にいてくれればそれだけで良い。ほら、おいで。私だけのキミ」
真っ黒な髪は潮風に揺れ、海のような青い眼は熱を帯びたようにうっそりと私を見下ろす。
差し出された手を取れば、皆を助けられるという事なのかな。でも、それだと夢と結末は変わらない。かと言って、この手を振り払ったら皆が消されてしまうかもしれないんだ。正直、邪神にここまで友好的にされる方が不可解。向こうにも裏があると思った方がいい。
私がもし聖騎士なら封印まで持ち越せる未来はあった。片手剣の今、運が良ければ相打ちといったところ。そう思考を巡らせた時、ポンっとあるものが浮かんだ。
(この花飾りなら、もしかすると……!)
花飾りに秘められた聖なる魔力を剣に纏わせ、間合いに入って心臓を貫けば致命傷を追わせることが出来るかもしれない。チラリと顔を上げれば、視線がぶつかってニコリと邪神は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「花飾りは、どこでに入れたものなんだい?」
「っ、え?」
「それを剣に付け、心臓を貫いたって構わないよ。キミの思考も感情もこうして会えた今、私は全部分かるからね」
花飾りを取った手を、邪神は重ねるように手を繋いだ。何を言われたのか理解できず、唖然とする私の唇に柔らかいものが触れる。強く香る甘い香りに、くらりと鈍る思考。キスをされたのだと一拍遅れて気づいた時にはもう遅く、大きな身体が私を飲み込むように抱きしめていた。舌がいじらしく唇を舐め、熱い息が漏れる。
「ん、んんーっ!」
「大丈夫、大丈夫。この程度であれば、すぐキミをあの頃に戻してあげられる」
息が続かなくて背中を叩けば、ゆっくりと離れる唇。酸欠が起こったのか、何か言わなければと考えてもモヤがかかったようにふわふわして何も浮かばない。それでもこの花飾りだけはと力を込めれば、小さく開いた口から邪神の舌が入り込んだ。
「は、ぅ、んんー!」
「私はそれに触れられないからな。早く手放してくれ。そうすれば、キミを私のものにできるんだ」
口内を遊ぶように這いずる舌。感じたことない感覚と、鈍る思考回路。考えてもそれを消すように、邪神の言葉が木霊する。息を繋いで、塞がれて。その度真っ白になる頭の中で彼の言葉だけが頭を占めていく。だんだん身体に力が入らなくなって、ダメだと辛うじて残る理性も溶けてしまいそうだった。
「その手を緩めて。そう、良い子だ。私と手を繋げるかい?」
「ん、ぅ……?」
手から何かが滑り落ちる。でも別に、拾わなくてもいいのかな。この人は拾ってって言ってないし。
きゅっと手を握ると、嬉しそうに頬を撫でられた。そのままこの人はしゃがんで、私と視線を合わせて笑う。
「私の名はクラン。キミの名前を教えては、くれないかい?」
「え、と……」
その声は、小さい頃夢で私の話を聞いてくれた人にそっくりだった。どうして、忘れてしまっていたんだろう。
でも不思議、今もまるで夢の中にいるみたいなふわふわとした心地。何をしたかったのか、何をしたいのか分からない。外が煩くなっても、クランさんの声だけが響く。早く、伝えないとと考えるより先に口が動いた。
「私の、名前は――」
名前を紡いだ時、もう外の音は聞こえなかった。




