第2章 願い
「あの、私もうたくさんお願いしました。これ以上は贅沢すぎます」
あれからどれくらい経ったのだろうか。時計も、時の流れも感じないこと空間に長くいすぎてもう分からない。でも神様こと、シエル様はお優しい方だ。顎下まで伸びている毛先の揃った銀色の髪は、ダイヤのように美しく。長いまつ毛が覆う、その眼は桃色で可愛らしい。身長は私の倍高く、男性にも女性にも見えるその姿は、中性的でとても魅力的だ。
しかしそんなシエル様は、私の願いを「そんなのあの功績に対して小さすぎるわ」なんて言って、全て叶えてしまう。
けれど、そのせいで私はいつまで経っても楽園へ行けない。私の魂は、行く宛てを失った迷子のままだ。行き着く先に行けないまま、止まってしまっている。
「……なら、貴女の話を聞かせてくれるかしら。私、ずっとひとりで退屈なの。ねぇ、いいでしょう?」
「っ、お話くらいなら」
「ありがとう。そしたら、俯いてないでこちらに来てちょうだい」
どこで、失言したのだろうか。
日は隠れピンッと張り詰めた空気に代わる。自分が立っている大理石の床が、まるで氷張りの湖の上に変わった気分だ。神様であるシエル様の顔を眺めるなんて、本来許される行為ではない。失礼に値するものだ。こうして、同じ空間にいることも有り得ない。だと言うのに、どうしてこんな状況が続いているのだろうか。
心臓がいくつあっても足りないし、生きた心地がしない。いやもう死んでいるんだけど。なんて、心の中で自虐しても隣で笑ってくれる人は居ない。……ソレイユがいたら、絶対このギャグ笑ってくれたのに、寂しいな。
「小さい頃、母が病気に掛かり。父がそんな母を救おうとして悪魔を呼んだんです。でも、悪魔は父を殺し母は他界。私は、無駄に豪華な屋敷で暮らしてました。使用人は、優しかったけど皆怯えてたので仲良くはなかった、かなぁ」
「ふぅん。どうして貴女が怯えられるのかしら。悪いことなんて、してないじゃない」
「悪魔を呼んだ父の娘ってだけでも、異質なんですよきっと。だけど、遺産は私に継がれる。だからね、皆いつか私が悪魔を呼ぶんじゃないかって怯えながら遺産目当てで分かりやすく媚びを売るんです」
青ざめながら頭を撫でられたって、ご飯を持ってこられたってちっとも嬉しくなかった。見え透いた嘘の優しさほど、傷つくものはない。嫌悪を隠せないなら、優しくしないで欲しかった。そこに、信頼もなければ愛情もない。ただ、契約というだけの薄い繋がりがあるだけ。
「命を狙われることもあって、私は一人で生きていけるようにと訓練を重ねて騎士団に志望をしました。寮で暮らしながら、勉学と鍛錬に勤しみ。無事、努力が結びシエル様に認めてもらい聖騎士になることができました」
「ふふっ、だって貴女。他の人間と違って、恐ろしいほど無垢だったんだもの。穢れを知らない、真っ直ぐで美しい子。実力も申し分なかったわ」
「……えへへ」
温もりなんて、魂じゃ感じないはずなのに。頭を撫でてくれるシエル様の手は、酷く暖かく感じた。それが嬉しくて、照れくさくて。緩む頬を誤魔化すように指で掻くと「ごきゅ」と頭上から不思議な音が落ちた。慌てて顔を上げれば、目をまん丸にしている桃色の眼と視線が絡む。ぱちぱちと瞬きをしながら見下ろすシエル様は、こほんと息をついて私の両脇に手を挟んだ。
「……? あ、あのえっと、っわぁ!?」
「思うのだけれど、貴女よくこんな。こんな、か弱い身体であの邪神とやり合えたわね」
「そ、それは。えっと……」
ど、どうしよう。高いの怖い。
このまま落とされたら、死んじゃう。いや、死んでるんだけど。魂がぺちゃんこになったりしないかな。魂ってどこまで実態あるのかわかんないし、ちょっとの衝撃で……。
「私には言えないの?」
「そういう、訳じゃないんですが。だいぶ、非現実的なお話なので……あと降ろして貰っても」
「甘えん坊ね。いいわ、私の膝に座りなさい。でも、教えてくださる? 非現実的であっても、貴女の強さの秘密が知りたいのよ」
「ひ、ひぇ」
膝の上に座るなんて恐れ多いのに、抵抗する術もない。なんかお花の甘い香りもするし、ど、どうしよう。すごい、いけないことしてる気がしてきた。元聖騎士として、こんなこと考えちゃ絶対ダメなのに。近いし、いい匂いするし、正直真剣に話せる状態じゃないよ。
逃げたい。さっさと楽園して輪廻転生したい。できない、どうしよう。こんな甘々危険度最大級の場所にいつまでもいたら、身も心も休まらないのに。
「あの、き、緊張しちゃうので。少し離れて貰っても……」
「いやよ。ふふっ、顔真っ赤。ほんっとに、可愛らしいわね。食べちゃいたい」
「へ……? まっ」
さすがに冗談かと見上げれば、既に薄い舌が大きな口から覗いていた。喰われると、脳が警鐘を鳴らし慌てて膝の上から飛び降りようとしたけれど悲しいかな。お腹に腕が回っていて逃げれない。身を捩ったり足をばたつかせたり、するけれど止まる気配はなく。そのまま、ぴとっと首筋に生暖かいものがくっついた。
「ひぇ」
「不思議ぃ、味なんてするはずないのに。砂糖水みたいに甘いわ」
「お、美味しくないです私。甘くもないです、絶対」
「あら、神様の意見に背くの? 優秀な聖騎士の貴女が、私の意見を否定しちゃうのかしら」
「そ、そんなつもりは!」
ないんだけど、あんまりぺろぺろしないで欲しいのは事実。普通にくすぐったいし、ゾワゾワして嫌だ。でも、抵抗しすぎて機嫌を損ねてしまうのも良くない。なんで私死んだのに、死してなおこんな苦悩しなきゃいけないの。早くこの場から、去りたいのに。
「あーん。おいひいわぁ。……それで、貴女の強さの秘訣はなぁに?」
「うぅ、不思議な夢を……みたんです。縁起でもないような、悪夢を」
「あら、可哀想に。どんな夢なのかしら」
首元に顔を埋めたまま話すんだとか、少し思っちゃたけどこれ以上は気にしない方がきっと吉。小さく息をついてから、私は口を開いた。
「邪神に、捕まって囚われる夢です。目覚めた邪神が半龍の姿で村に現れて、聖騎士である私たちは駆り出される。でも、邪神は私が間合いに入っても殺しはしなくて。あろうことか、私を連れ去る……」
「気にいられてるもの、貴女の魂は」
「嬉しくないなぁ。そんな夢を何回も見たんです、断片的ですが。戦いも、私はあまり慣れてないのに不思議と身体は動いて。予測して動けるんですよね」
「ふぅん。今軽く覗かせてもらったけど、貴女にそんな都合のいい魔法も術も掛けられてないわ。本当にそれだけ?」
信じてもらえるとは鼻から思っていなかったけど、嘘はついてないと小さく頷いた。
「でも全部、奇跡的に正夢だったから私はどうにか邪神を封印できたんです。まぁ、相打ちというか心中よろしく命取られちゃいましたけどね」
「……正夢、ねぇ。そんな奇跡あるのかしら。少し待ってなさい」
肩を落とす私をふかふかの真白いソファに座らせて、シエル様はどこかに消えてしまった。緊張の糸が切れたように、身体から抜ける力。ふぅと息を吐けば、久しぶりの一人の時間に心が安らぎ。くわっと小さなあくびが漏れた。
「魂でも、眠たくなるんだ……」
不思議な感覚。
緩い波の上に寝転がっているみたいな、不安定な心地良さ。思い返せば、最後に寝たのはいつになるのだろう。ここに来てから時間の流れを把握できてない。シエル様が望めば朝が来て、夜が訪れる。そうやって自由自在に操られる空間に居続けたからか、随分と長くいるようで居ないのかもしれない。なんて、だんだん分からなくなってきてしまった。
今あの街が、国がどうなってるかもここからじゃ見れないし。輪廻転生も中々できないし、もしかしてずっとこのままなのかな。
「少しだけ、寝ちゃお」
実はこれすらも夢で。起きた時には、楽園どころかもしかすると生き返って病室かもしれない。
そう希望を見て、私はゆっくりと瞼を閉じた。
***
「ぅ、ん……。は、ぅ」
なんだろう、身体がぞわぞわする。何かが優しく這いずるような、でも急にカリカリと爪で引っかかれて擽ったい。たまに来る、弱い刺激が浮上する意識を少しずつ起こしてくる。もどかしくて、擽ったくて何かから逃げるように身を捩らした時、今度はお腹に刺激がやってきた。
「ひゃ、まっ……くすぐったっ」
「あら、おはよう。待ってなさいと言ったのに、寝ちゃうだなんて悪い子ね」
「ぇ……? あっ、ご、ごめんなさっ。ふふっ、こちょこちょっやへめくらしゃ」
「だーめ。これは罰よ。いくら可愛い寝顔を見せたからって許してもらえると思ったら大間違い。ちゃんと謝らなきゃ許してあげないわ」
まずい、この状況でどう謝れと。手を止めてもらえたらちゃんと謝れるのに、そうはさせないと言わんばかりににっこりと嬉しそうに笑うシエル様。失礼だけど全然怒っているように見えないし、どうしてこんな無駄な時間を? と思ったけれど、それを問う暇もなくしなやかな指がぴとっと首にくっついた。
「ほ〜ら、謝りなさい。こちょこちょ〜こちょこちょ〜」
「〜〜っ! ひぅ、むりぃごめんにゃさ、うぅ、あはは」
「かわい〜可愛いわぁ。貴女の悲しそうな顔も愛らしいけど、恥じらいながら笑う姿も意地らしいわね。ふふっ、そんな手足ばたつかせても、無駄よ」
最悪だ、逃げ場もなければ助ける相手もいない。
多分、シエル様は私を小動物か玩具かと思ってるんだ。私、ちゃんとこの方に忠誠を誓った聖騎士なのに。神様に相手してもらって誇りに思い喜ぶべきなのか、純粋に心のまま怒っていいのかもう分からなくなってきた。もぞもぞと動く手に耐えながら、何度も口を開く。それでもやっぱり最後まで言いきれなくて、生き地獄だと思った時キラキラしたものが前に現れた。
「貴女がちゃーんと謝れたら、これあ・げ・る」
「ぁ、ふふ。にゃ、んですか。うぅ、これ」
「聖花晶の花飾りよ。見たことあるかしら」
知らないともう無理を込めて必死に首を横に振れば、擽る手がやっと止まり。ほぼ八割息の声で「ごめんなさい」と謝罪の言葉を述べると、コロンと手のひらにそれは置かれた。
クリスタルのガラスのように、光を乱反射させ虹色の光を放つ花飾り。神聖な水で作られているみたいに透明で美しく、不思議と心が軽くなる。さっきまでのことは許してあげようと、それを目の前まで持ち上げてまじまじ見ていると、大きな手がひょいっと持ち上げた。
「あっ」
「聖花晶は幻の鉱石と言われているものよ。持ち主に聖なる加護が与えられ、どんな病にも罹らない。災いから主を護る、希少鉱石」
「そ、そんなすごいもの頂いていいんですか?」
「えぇ、もちろん。もし、貴女に私が認知出来ない変な術が掛けられてたら嫌だもの」
そう言いながら、シエル様はそっと髪飾りを私の頭につけてくださった。なんだかんだで、やっぱり優しいなぁと頭の横に飾られた花に触れる。魂という名の霊体でも、オシャレできるのは嬉しい。せっかくなら、楽園にも持って行きたいし転生後も魂の結びつきでそばにいて欲しいものだ。そうしたら邪神からも守ってくれそうだし。私の周りにいる人、みんなが幸せになって家族みんなで暮らせる日が訪れる可能性だってある。
それで何かに恐れることなく、笑ってかけがえのない時間を過ごすんだ。苦しみながら消えゆく命の灯火に怯えるよりも、悔いなく生きていて良かったと思える思い出を沢山作れる。そんな日が来たら、どれ程幸せだろうか。
「……あ! 私、願い決まりました!」
「無理よ」
「は、早いですよ返答が! 私、生きていた頃ソレ……兄みたいな存在がいて。すごくお世話になってたんです。それで、それで……できたら、皆が幸せに病気にもかからず平和に暮らせる世界を少しだけ。彼が、生きている間だけでいいので与えてくれませんか?」
神様は、訝しげに眉をひそめた。そして、瞼を閉じなにか閃いたように指を鳴らす。
邪神は殺せなくても、これは叶えてくれるのかな? なんて淡い期待をする私をシエル様はぎゅっと抱きしめ、甘えるように肩に顔を埋めてきた。
「彼が生きている間ではなくても、それなら叶えてあげられるわ。でも、その代わり……私の傍にずうっといて」
「っ、え?」
「まぁ、拒否権なんて今更なのだけれど」
シエル様は、うっそりと笑みを浮かべた。唖然とする私を見下ろして、舌なめずりをする。逃げなきゃと脳が警鐘を鳴らしても、逃げる場所もない。だってここは、シエル様が作り出した空間で。
「そうねぇ、貴女の名前は何がいいかしら」
名前? どういうこと、私には既に自分の名前が……。
そう思考を巡らせ、たらりと冷や汗がこぼれ落ちる。思い出せないのだ、自分の名前を。命の次に大切なものが、すっぽり抜け落ちたように思い出せない。
嘘だと、目を瞑り記憶を辿っても分からない。どうして、いつから? 呼吸が乱れ、胸が苦しい。
人間は、上位存在に名を教えてはいけない決まりがある。それは、自分を守るための大切なこと。名前は魂と結びつく。教えてしまえば、思考も身体も全て操り人形の如く所有されてしまうから。
だけど、私は忘れてしまった。そして、目の前のシエル様は――神様は私に名を与えようとしている。
「マナとかも可愛いけど、ルルとかも良いわね」
「ま、待ってくださ……っ!」
俯く顔を上げた時、きらりと地面に光が落ちた。聖花晶の輝きに一瞬だけ視線をずらした時、あってはならないものが地面に伸びていた。半透明の、私の影が。半透明なのは、私が魂だから? でも私は……私は。
「決めたわ。貴女は、ルネ。私の、ルネよ」
キィンッと、強い糸に引っ張られるように何かが肉体に入り込んだ。いや、魂が確固たるものになってしまったか。身体が重くて、動くこともできない。
混乱し、瞬きしかできない私の視界に映ったのは真っ黒に伸びた私の影だった。




