1話 スラムの死神①
〖統一歴593年 第66番スラム街〗
「ど、泥棒だぁぁ――ッ! 誰かアイツをとっ捕まえてくれぇ!!」
「おい!お前今、ポケットに商品入れただろっ!!」
闇市の大通りは、朝っぱらから盗るか盗られるかの大騒ぎだった。
泥棒に向かって叫ぶ店主の背後では、野次馬たちが「それ今だ」とばかりに商品をぶんどっている。
「キャアァァ!殺人よ! 誰か治安部隊を呼んで!」
すぐ隣の路地では、大柄な男と獣人の女が裸のまま倒れていた。
双方の身体には複数の刺し傷。
血溜まりの量と色からして、数時間前にはすでにこの世にいなかっただろう。
『……まったく、相変わらずねこの街も』
アグロが跨る喋るバイク、キャシーが冷めた口調で吐き捨てる。
『どうせさっきのも、痴情の縺れか何かじゃないの? あぁ、やだやだ』
「……キャシー、今日はいつにも増して不機嫌そうだな」
『……あら、そう見える? 別に、誰かさんがボケェっと自分の世界に浸っていたせいで、約束の時間に間に合わず、依頼人が怒って帰っちゃったのは全然気にしてませんけど?』
どう見ても怒っていた。
アグロは昨晩からずっと謝り倒していたのだが、キャシーの機嫌はまだ晴れそうもない。
「……まあ、あれだ。 その件は本当にすまないと思ってる。 けど――」
『けど?』
アグロが言いかけた瞬間、キャシーはエンジンをグォンッと唸らせた。
怒っている時や、何か不満がある時のいつもの癖だ。
「いや、キャシーの道案内に従ったら、一時間も同じ場所を彷徨ってたよな……?」
『……なによ、ワタシのせいだって言うの?』
「……いや、忘れてくれ。 君のおかげで夜風を存分に堪能できたからな」
『……フンッ』
二人はしばらく無言のまま、無法地帯の大通りを進む。
エッフェル塔の足元をくぐり、右手に自由の女神像が見えてきたところで、目的地に到着した。
「着いたぞ。 お疲れさま」
『ええ、お疲れさま。 それにしても……今日の標的はこんな街中にいるのね』
「ああ。 普段は下水道をあちこち移動しているらしいが、今日――水曜日の朝十時になると必ずこの場所に現れる」
アグロは路肩にキャシーを止め、流れていく人ごみを眺めた。
有名なハンバーガー店が軒を連ねるジャンクフード通りだ。
肉の焼ける匂い、焦げたソースの香り、店員と客の怒号が入り乱れ、アグロの思考をザワつかせる。
(うぅむ、丁度出来立てだと!?とろけるようなチーズをトリプルでも頼みたいところだが――)
キリリと締まった表情に反して、彼の思考は出来たてのハンバーガーに夢中だった。
『ねぇアグロ、なんか食べないの? 良い匂いだよ』
「……いや、いい。 呑気にバーガーを食ってる暇は無い」
『……あんた、無類のバーガー狂のくせに、仕事モードの時は徹底してるわよねぇ……』
キャシーは呆れたように息をつくと、バーガーショップのショウウィンドウに向かって車体を揺らした。
どうやら彼女は、ハンバーガーの品定めでもしているらしい。
「お前なあ、もっと緊張感を――っと、いた。 アイツだ」
人混みの中に、一際目立つ人影があった。
ボロキレみたいな布を頭から被り、布の隙間から緑色の皮膚を覗かせる不審人物。
皮膚にビッシリと生えた鱗を目視し、依頼にあった通りのトカゲ男だとアグロは確信した。
しかしトカゲ男は、死神に目を付けられたことに気付く気配すらない。
それどころか、ヨダレを垂らしながら目の前に並ぶバーガーを一つずつ吟味している。
「キャシー、執行だ」
『了解っ!』
アグロはバサァッとコートをはためかせ、キャシーのエンジンを駆動させる。
ドッドッドッ――。
車体の揺れとアグロの鼓動が重なり、一気にスロットルが開かれた。
グォンッ――!! ガロロロロロロッ――!!!
猛烈な加速に、視界が後方へ吸い込まれていく。
アグロのお気に入りのコートは風を浴び、街並みを裂いて激しくなびいた。
「……ゲェッ!?」
トカゲ男はアグロに気付くと、爬虫類らしい鋭い目をギョロリと見開いた。
そして人混みを押し分け、一目散に逃げ出した。
『気付かれたわね』
「お前の声が大きいからさ、キャシー」
『……派手なのも、好きでしょ?』
「たまには、な」
グォンッグォンッ――!!
キャシーは唸りをあげ、トカゲ男の逃げ道を塞ぐよう歩道に突っ込んだ。
あちこちで悲鳴が上がったが、アグロにとってはいつもの光景だ。
「お前は、ダズ……であってるな?」
アグロは腰のホルスターから短筒散弾銃を抜き、トカゲ男のダズへ銃口を向ける。
鉛色の短い銃身が、陽光を反射して鈍く煌めいた。
ダズはジリジリと後ずさり、細長い舌をペロペロと出し入れする。
「へ、地獄を呼ぶ者がオレに何の用だ!? オレぁ何も悪いことなんて……!」
「おいおい……その呼び名、気に入らねぇんだよな」
『あら、ワタシは好きだけどね。 カッコいいのに』
「……いや、地獄を呼ぶだなんて大袈裟な――あっ」
アグロとキャシーが目を離している隙に、ダズはバタバタと逃げ出した。
(たしか、この先は……下水か!潜られたら、少々面倒だな)
「キャシー、任せた」
『しょうがないわ……ねぇっ!』
キャシーはアグロを残し、単身で急発進した。
彼女は狭い路地を縫うように走り抜け、逃げるダズの背中めがけて――容赦なく突進した。
ドシゥッという鈍い音が響く。
総重量五百キロの体当たり――想像したくもない威力がダズを襲った。
「ゲハァッ――!?」
直後、ダズは数メートル宙を舞い、野晒しのゴミ山へ真っ逆さまに落ちた。
そこに巣食っていたドブネズミが一斉に逃げ惑う。
キャシーに追いついたアグロは、彼女の車体をポンポンと撫でた。
「……さすがだな、キャシー」
『あったりまえでしょ? 一応、手加減はしといたから』
キャシーはそう言って、誇らしげにヘッドライトを光らせた。
「……さて、ダズ。 何か言い残すことは?」
「あ、うぅ……!!」
アグロは、ゴミに半分沈んだままの大きなトカゲへ銃口を向ける。
その鉄仮面の下は瞳は、冷たい光を宿していた。
この世界では、生かすか殺すかは死神が決める。
それが、死神に与えられた唯一のルールだ。
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