プロローグ 世界の終わりと始まり
ある日、世界は一つになった。
いや、世界平和だとか、差別の根絶だとか、そんな甘ったるい話じゃない。
"物理的に一つ"になった。
あの日、地図上から国境は消えた。
海と大陸が潰れ合い、都市と都市を呑み込み、人も文化も、言葉すらもぐちゃぐちゃに混ざり合った。
テレビの中にあったはずの異国の景色が、気づけば窓の外にある。
聞いたこともない言葉が、隣人の口から漏れる。
食べたことのない料理の匂いが、そこらじゅうに漂ってる。
誰もが夢でも見てると思った。
だが、それは現実だった。
この“次元収縮”ってやつが、世界の形を押し潰したんだ。
――結果、残ったのは、ひとつの巨大な街。
名を〔タルタロス〕。
世界最大にして、唯一の都市。
世界地図を広げれば、ど真ん中にドンと鎮座している。
……もっとも、いまや地図なんて、ここしか描く場所はないのが現状だが。
この街には、ありとあらゆる“世界”が詰まっている。
旧時代の遺産も、神々しい神殿も、煌めくネオン街も、現実を映すスラムも。
種も、文化も、宗教も、全部一緒くたに押し込まれた結果、この街は――まるで混沌そのものの見本市だ。
だが、この街の見世物はそれだけじゃない。
人ならざる者――そう、“異形”の存在だ。
世界が潰れたあの日から数年、人の形はもうひとつの道を歩き始めた。
“新人類”――なんて呼ばれてはいるが、要するに歪んだ進化の悲しい末路である。
超能力を駆使する主婦、大人よりもはるかに大きな子ども、全身が鉄でできた神父――。
人類は力を持ち、姿を変え、そして多くは人でなくなっていった。
そして、次元収縮の日から数百年後――。
人と異形が入り混じるこの街で、誰もが混沌の中に均衡を見出して生きている。
そんな異形が蔓延る掃き溜めの中で――この俺は死神稼業を営んでいる。
俺の仕事は、このクソッタレの街に蔓延る有象無象を処理すること。
時には同業者を手に掛けることだってある、シビアな世界だ。
頼れるものは、死神機関から与えられた屈強なこの体と、二種の武器だけ。
トレードマークは、つば広で黒のウールフェドーラ帽に、ワインレッドの刺繍が入ったダークオリーブのトレンチコート。
かつて頭があった場所は、錆色の無機質な鉄仮面に覆われ、道行く人の視線を独り占めだ。
……まあ、今ではこの顔も結構気に入っているんだけどな。
――っと、そろそろ仕事の時間だ。
俺はお気に入りのいつものコートを羽織り、ガレージへ向かう。
愛車は、お喋りなバイクの《キャシー》。
俺は彼女と共に、今日も街を――世界を駆け巡る。
* * *
『……ちょっとぉ、アグロ。いつまで街を眺めてるつもり?』
夜の街を見下ろすアグロの背後から、軽やかで少し機械的な声が響く。
『どうせまた、自分語りにでも酔ってたんでしょ?』
「……ん? あぁ、すまないキャシー。 ちょいと、風に呼ばれた気がしてな」
『はぁ……またそうやって詩人気取り。依頼人を待たせてるんだから、早く行くわよ』
「まったく、お前はせっかちだな」
アグロは苦笑しながらコートを翻すと、夜霧みたいに薄く揺れて、風に溶けた。
彼の目の前に佇むのは、闇を照り返す黒曜石の獣――死神の愛車、キャシー。
正式名称は《ブラックスカーR3000》。
アグロとは十年来の付き合いの、唯一無二の相棒だ。
艶かしく光るパールブラックの車体に、鈍く刺すようなダークシルバーのライン。
ヘッドライトにはドクロの意匠が施され、目の奥に青い焔を宿して暗闇を睨み返している。
無骨で、獰猛で、どこか人間くささすら感じる。
「……さて」
アグロがグリップに手を掛けると、金属の鼓動が指先に伝わる。
その時、彼はようやく実感する――ああ、今日も生きている、と。
グオォンッ――!
エンジンが咆哮する。
青い火花が地を裂き、ドッドッドッという鼓動が、アグロの心臓のリズムと重なる。
『行く?』
「ああ。……今日も世界を、少しだけ綺麗にしてやるさ」
アグロはキザっぽく返すと、クラッチを切った。
(――それが俺の……俺にしかできない罪滅ぼしだからな)
ガロロロロロロロ――――ッ!!
怪獣じみた排気音が、街の喧騒を突き破った。
ネオンの川を切り裂いて、キャシーは夜を駆ける。
この腐った街で、今日もまた――いくつもの命が消える。
彼はそれを“仕事”とも、“罰”とも呼ぶ。
愛する者を失うという、赦されざる罪を背負って死神は今日も走る。
これは、彼の贖罪の物語。
そして、終わりなき魂の旅路である。
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