交わる思慕 5
非常にお待たせしました。
いつもの倍の執筆時間がかかりましたが、その分ボリュームも倍でお届けいたします。
楽しんでいただけると嬉しいです。
それからも、俺達は遊園地を一日中満喫した。
園内を回ってアトラクションに乗ったり、マスコットキャラクターと写真を撮ったり、お土産ショップでグッズを物色したり。
思いつく限りのことをして楽しんでいたら、頭上にあった太陽がオレンジ色に傾く時間になっていて。
閉園時間を知らせる放送でようやく気付いた俺達は、今日の本命である観覧車に乗ることにした。
「それでは、約二十分間の空の旅をお楽しみください」
「はーい、行ってきまーす♪」
「よろしくお願いします」
係員さんがドアを閉めて離れていく。
程なくしてカゴが揺れ、緩やかなメロディーと共に上昇を始めた。
「んーっ、めっちゃ遊んだね」
「ようやく一息つけるって顔だな」
「もう超へとへとだし。アトラクションほとんど乗ったんじゃない? こんなのガチで小学生の頃ぶりなんですけど」
「午後一番の連続絶叫マシンはマジでヤバかった……」
「それ。食べたばっかのお昼出るかと思ったし」
入園時と同じく、景気付けに一発どころか三発も谷川に連行されるとは思わなかった。
フリーフォールにバイキング、果ては本日二回目のジェットコースターまで……今日ほど三半規管が丈夫でよかったと思ったことはない。
「真里ってテンションぶち上がるとあんな感じなんだね。今日初めて知ったし」
「それだけあいつもはしゃいでたってことだろ。まあ、そのせいで進藤が死にかけてたけど……」
「え? ごめん、後半聞こえなかったんだけど」
「あっいやっ! と、とにかく色んな意味で強烈な体験だったな」
「聡人もずっとテンション高かったよね? あのあとも進藤くんとノリノリで勝負とかしちゃってさ」
「あー……うん。正直、童心に帰ってた部分はある」
ライバルと進藤が名付けたことである種の遠慮がなくなり、いたるところであれやこれや勝負しまくってた。
ゲーセンでスコアの獲得点数を競ったり、フードコートに何故かあった激辛たこ焼きを何個食べられるか挑戦したり……正直、すっげえ楽しかった。
「裏表とか気にせず接することができるのがよかったっていうか。もしかして疎外感とか感じさせてたか?」
「別に気にしてないっつーの。なんていうか、無邪気って感じ? あんな顔するあんたのことたくさん見られて、むしろ進藤くんにはちょっと感謝してるくらいなんですけど」
「うっ、あー……ならよかった、のか?」
「良かったんですー。それにさ、ちゃんとあたしのことも見てくれてたっしょ?」
「そりゃ、デートだからな。一番大事な相手のことをほっとくわけないだろ」
思いもよらず熱が入ったことは否定しないが、だからと言って本来の目的を忘れたわけじゃない。
お互いのバッグにぶら下がった、ゲーセンで取ったお揃いの新しいストラップも。
せっかくの記念にとスマホの待ち受けにした、マスコットキャラクターと三人で映った写真も。
一緒に遊んだ沢山のアトラクションの思い出さえ、全てを伝えられた自身はないが……俺にできる精一杯でアピールしたつもりだ。
「んふふっ、なら良いけど」
「な、なんだよ」
「だって今日の聡人、ずっと積極的なんだもん。そんなにこの髪型のあたしが気に入った?」
「まあ、ずっと目が離せないくらいには」
「えー? 進藤くんによそ見してたくせにー」
「だ、だからそれは!」
「あははっ、冗談だって!」
「くっ」
ええい、いつにも増して掴みどころのない。
陽奈はひとしきり楽しそうに笑ってから、目尻を拭って……ふと、窓の外を見て驚いた顔をした。
「わ………」
「どうした?」
「ね、見て見て。凄いよ」
言われた通り、同じように窓の外へ目を向けて……そこから見える景色に、息を呑む。
いつの間にか随分と高いところまで巡っていた観覧車からは、遊園地を見渡すことができた。
沢山乗ったアトラクションの数々、進藤達と競い合ったゴーカート場や、カップル証明をした入園口まで。
極め付けにビルに隠れていた太陽が顔を覗かせることで、何もかもが鮮やかなオレンジ色に染め上げられた光景は、圧巻の一言。
「綺麗だね」
「ああ。前とはちょっと違うけど、なんというか感慨深い感じだ」
「ほんと楽しかった。たくさん色んなことして、真里達とも楽しく遊べて。二つの楽しいがあたしの中で混ざってる」
「案外、ダブルデートっていうのも悪くないもんだな」
「また一つ最高の思い出が増えちゃった。あーあ、残り10分とかしかないの短すぎ」
心底勿体なさそうに陽奈はため息をつく。
観覧車が動くことで一秒ごとに変わる景色を眺める横顔は、いつか橋の上から夕焼けを見ていたのと同じに見えた。
「こういう時間ってガチで一瞬だし。ならいっそ……」
「いっそこの瞬間を切り取れたら良いのに、か?」
「あははっ、よく覚えてんね? ずっと続かないなんて当たり前なのに、我儘だよねー」
「続くだろ」
「え?」
「確かに今日のデートはもう終わるけど、俺達がこういうふうに過ごしたいって互いに思うなら、きっと明日も、その先だって続けられるって……俺は信じたい」
あぁくそっ、最後に日和った。
陽奈となら絶対に続けられると心では思ってるのに、反射的に断言するのを避けちまった。
どうして肝心な時に俺は……自分の臆病さを呪っていると、驚いた顔をしていた陽奈が破顔する。
「……ありがと。あんたがそう言ってくれんなら、あたしも信じられるかも」
「そう、か」
まだ、〝かも〟なんだな。
こいつはもう、当たり前だと思っていた日常が突然終わることを知っている。中途半端な言葉一つで変わるほど、その不安と傷は浅くない。
……やっぱり、さっきのは断言すべきだったか。
いや、違う。勝手に終わった気になるな。まだここからだろ。
「陽奈は、あと何度こういう景色を見られたら信じられる?」
「んー、どうだろ。五回かな。十回かも? もしかしたらずっと信じられなくて、一生追いかけ続けんのかもね」
「だったら付き合うよ。陽奈が満足して、安心できるまで、何回でも」
「本気ぃー? あたしが欲張りなの知ってるっしょ? そんなんばっか言ってると、あんたの時間全部もらっちゃうよ?」
「いいよ。お前が望むんだったら、それでも」
俺にそれを願ってくれるなら、時間でも感情でも言葉でも、なんでも尽くす。
決して消えないかもしれない脆さに寄り添う覚悟は、陽奈の部屋で話を聞いた時に決めた。
ただ一つ、俺から欲するのはその為に必要なお前にもっと近い場所だけだ。
「あたしが望むなら……か。あんたはいつも、そうやって期待させるよね」
「期待じゃなくて事実だ。陽奈が心から笑ってられるなら、本当になんだってする」
「うん、知ってる。あんたがそういうやつだって。そうしてきてくれたってのは、あたしが一番分かってるし」
「なら──」
「だから、待って」
濁流のように溢れ出ていた言葉が、止まる。
それは再び窓の向こうを見た横顔が──何かを堪えるように、どこか張り詰めてたから。
「ちょっとだけ受け止めさせて。ほんのちょっとでいいから、さ」
「……わかった」
そうして狭いカゴの中に満ちていた熱が、動きを止めた。
沈黙して、十秒だろうか。それとも十分か。
じっと待つのは長いようで短くて、まだ観覧車が頂点に達していないことだけが時間を意識させる。
心臓が引き攣りそうなほどの静けさの末──ふっと、息を吐くのが聞こえた。
「あー、キャパオーバーした。あんた、エンジンかかると凄すぎ」
「悪い、困らせるつもりじゃなかった」
「逆にタチ悪いっつーの。ったくもー……」
迷惑、だったろうか。グイグイいきすぎたか?
「……あたしさぁ、本当は怖かったんだ」
ぐるぐると胸中に不安が充満していると、ぽつりと陽奈が呟いた。
「怖かった……?」
「人に近づくこと。昔から、ここまでって決めたとこ以上は踏み込めなかったんだよね」
「あの事件の前から、ってことか?」
「そ。仲良くなる方法を知ってちょっとした頃かな。心のどこかで不安になったの。もし誰かと仲良くなっていって、そのうち傷付いたり、傷付けたらどうしよう、って」
そう、だったのか。
きっと、俺達くらいの年頃なら誰もが持ってる不安。でも他ならぬ陽奈が言うとひどく新鮮に思える。
それなら中学でのことは直接的な原因じゃなくて、単なるきっかけだってことになるのか?
「どうして、そんな不安を?」
「笑うことがあたしの人と関わる方法の全部って言ったよね。あれ、半分嘘」
「嘘……?」
「前は分かってなかったって言ったけど、本当は違うの。あたしも周りもこれから大きくなってって、心が複雑になったらそれだけじゃ通じなくなるってなんとなく感じてた。実際そうだったし」
「でも、選ぶしかなかったんだろ」
「違うよ。多分、他も選べたと思う。でもあたしは選ばなかったの。だって──知らないことは怖かったから」
「っ──!」
ぐらりと、意識が揺れた気がした。
これまで俺が見てきたのは、どんなことにも物怖じしなくて、知らないことも楽しめる、そんな陽奈だったから。
無敵にも思えた行動の数々の裏にあったという負の感情に、動揺を隠せない。
「あたしにとって、笑顔以外はいつ切れるかわかんない細い糸みたいなもの。せっかく手に入れた居場所から一歩出たら真っ逆様に落ちるかも……って考えたら、怖くて仕方なくって」
「……それは」
「試したこともないのにバカだよね。けどもし他の方法を試して誰かと仲が拗れたりしたら、一人だった時よりもっと寂しくなる気がして踏み出せなかったんだ」
……もしかしたら、陽奈の心は初めて誰かと笑顔で繋がれた時に、ある意味で止まってしまったんじゃないだろうか。
切り取ってしまいたいと言った景色から片時も離さずにいる眼差しを、何かに覆われているように色のない横顔を見ていると、そんな考えが浮かんでくる。
答え合わせをするように、陽奈は話を続けた。
「だったらせめて、もう持ってるものだけは守ろうって必死になった。何度も笑って、どっかで擦り切れちゃってもいいからって、限界を見ないフリして。まるでお気に入りのオモチャを手放せない子供みたいに、さ」
「……手放したらいけないものだって、あると思う」
「結局、うまくいかなくて壊れちゃったけどね。中学での事があった時は思ったよ、〝ああ、ついにきた〟って」
そう言って、自嘲気味な笑みを口に乗せる。
でも、俺には責める気なんて全く起こらなかった。
俺達は互いの心を覗くことなんてできない。何が正解で間違いかなんて先に知れるはずがなくて、だからどんな言葉にも確証は存在しない。
なのに、たった一つだけ得た成功に頼ったことを誰が責められる?
「ここまでなんだって諦めかけたけど、先輩の言葉に勇気をもらってもう少し続けることにしたの。もっと上手くできるようになって、今度こそあたしの居場所を守るために頑張った」
「居場所……か」
「ずっと暖かい場所にいたかったんだ。辛かったり、苦しかったりするのは嫌。あんな気持ちには二度となりたくない。欲張らないで、あたしに見合うものだけ持ってようと思った」
これもまた、不思議なことじゃない。
誰だってそうだ。自分が受け入れられる場所、居心地のいい関係を誰かに欲する。
俺には小百合しかいなかったけど、多くの人間と交流してきた陽奈だからこそ、その想いは人一倍強いだろう。
ただ……関係を変化させようとしている現状では、非常に風向きが悪くもある。
陽奈が安定を望むのなら、ここで告白しても成功する可能性は──
「──だから、あんたが初めて。どんな思いをしたっていいから、一緒にいたいって思うのは」
「……え?」
俯きかけていた顔を上げ、驚愕と共に陽奈を見た。
「知られたくないことを知られて、怖くても。見られたくないとこを見られて、辛くても。どんどん大きくなってく思いが切なくて泣きそうでも、聡人とだったらもっと強く繋がれるって。そう、何度も思いそうになるの」
「……陽奈」
「今日だって大変だったんだから。この髪気に入ってもらえるかなとか、今日の服とメイク変じゃないかなとか。たくさん悩んで、飾って、詰め込んで……あんたに今より近付けるかなって期待した」
さっきまでと打って変わり、その眼差しはあまりに力強く、熱かった。
聞いてるこちらが火傷しそうになるほどの感情を込め、「だからね」と、小さな女の子のようにはにかんで。
「あんたに〝可愛い〟って言ってもらえた時、涙が出るくらい嬉しかったんだよ」
「っ!!」
すぐには、言葉が出てこなかった。
こんな風に誰かに思ってもらえるのは、生まれて初めてだ。
想いを向けることは慣れてても、向けられることには慣れてないから、何を言えばいいのか分からない。
「はーっ、もうマジ無理。期待したり不安になったりで、心も頭もしっちゃかめっちゃかだっての」
「ご、ごめ、」
「でも、手放したくない。これまでみたいに蓋をしないで、ちゃんと受け止めたい。聡人があたしにそうしてくれたみたいに、さ」
頭が真っ白な俺とは裏腹に、陽奈の言葉は止まらなかった。
一つ、また一つと心に絡まった鎖を自ら解いていくように、声音からは徐々に弱々しさが取り払われていく。
「そんで、あたしの楽しいも、嬉しいも、悲しいも、寂しいも。全部をあんたと共有したい」
「俺と……全部」
「要するに、あたしはズルくて臆病で、見栄っ張りで欲張りなやつってこと。誰かの目標とか理想になれるような人間じゃない。だからたくさん振り回すし、困らせるかもだけど……それでも、一緒にいていい?」
……ああ、そうか。
今、陽奈は全力で俺と向き合おうとしてくれているんだな。これまでの言葉は全部そのためのものだ。
だったら俺も、迷ってばかりいないで応えないと。
隣にいることで、余計に悩ませるかもしれない。
何かを間違えて、今度こそ陽奈の勇気を完全に奪ってしまうかもしれない。
上手くいく保証なんてどこにもない。いくらでも嫌な想像ができてしまう。
それでも、俺の手を取ってほしいし、陽奈の手を取りたい。並んで歩いていきたいと思うから。
「──そういうところも含めて、陽奈のことが好きだ」
ちょうど、観覧車が頂点に達した瞬間だった。
言葉を尽くしてくれた彼女に、万感の思いを込めた一言を、俺は返した。
「…………嘘。あんたが………あたしを?」
「ああ。良いところも悪いところもひっくるめて、晴海陽奈って一人の女の子が好きだよ」
「あたしに合わせてテキトー言った……わけないか。あんたに限って」
「当たり前だ、さっきからずっと本気で言ってる」
「いいの? 今も言ったけど、あたし全然完璧な人間じゃないよ?」
「別に完璧な人が好きなわけじゃない。そもそも、俺達が付き合い始めたのは失恋したからだろ?」
「あっ、そっか」
初恋の相手に振られたなんて人生でも数少ない大失敗の一つだ。お互いドン底で、みっともなく一緒に咽び泣いた。
あれに比べれば正直、どんなに弱さを見せられても今更な部分はある。
「小百合を好きになったのは、自分の思いにひたむきだったからだ。そのために失敗しても頑張り続ける姿に惹かれた。でも、俺のせいで不安にさせたのならごめん」
「ちょ、謝らないでよ。あたしが勝手に意識しただけっていうか、考えざるをえなかっただけだし」
「分かった。でも、陽奈だって小百合と同じくらい強いと思うぞ」
「あたし? どこが?」
「大門先輩に振られたばっかりなのに、俺に付き合おうって提案してきた。それって誰かと一緒にいたい気持ちを捨てなかったってことだろ」
今思えばすごいことだ。
自分にとって唯一の手段を肯定してくれて、恋をした相手に想いが通じなかったら、全てが無意味に思えてもおかしくない。
なのに陽奈は諦めなかった。恋愛なんて一番心を乱される関係を、ほぼ初対面みたいな相手と始めようとしたんだ。これを強いと言わずしてなんと言えばいい?
「自分の弱さに押し潰されず、諦めない強さを陽奈は持ってる。だから卑下する必要はない」
「……よかった。迷惑だったかなってずっと心配だったから」
やっと安心したような顔になった。ここまで伝えてようやくだ。
俺ではやはり、あの人と比べたらどうしようもなく限界というものがある。
「多分……俺も、大門先輩みたいにはなれないと思う」
「……ん」
「見ず知らずの女の子の悩みを一度聞いただけで救えるような、そんなヒーローにはなれない。代わりに十個でも百個でも、千個でも言葉を尽くすよ」
陽奈が大丈夫だと信じられるまで、いくらでも贈ろう。
どこまでいっても不器用な俺にできる方法は、きっとそれだけだ。
好きになった人のことを知ろうと努力し続ける馬鹿正直さだけが、高峯聡人の取り柄なのだから。
「ずっと幸せな時間が続けばいいって言ったけど、訂正する。陽奈が何かを不安に思ったり、怖くなった時も一緒にいる。また楽しいって心から笑えるように支えるよ」
「そんなの……ガチの本気すぎじゃん」
「引いたか?」
「別に、嫌とは言ってないし」
「なら良かった」
ここで無いわーとか言われたら、次の言葉が頭の中で粉々に砕けるところだった。
今一度、最後に覚悟を決めて。
「特別何かが秀でてるわけでも、何もかも一発で解決できるような力もないけど。その代わり、誰よりも陽奈を想い続ける。こんな俺でよければ──お試しじゃなくて、正式に付き合ってください」
出来うる限りの想いを、伝え切った。
これで届かなくても、今度はめげない。頷いていいと考えてもらえるまで伝え続けようと密かに決意して。
そして、陽奈の答えは。
「──ダメ」
「そう………か。分かっ、た」
「うん、ダメ。だってそれじゃ、あたしばっか貰うことになるじゃん」
「え?」
「付き合うって相手と幸せになりたいからすることっしょ? あたし、好きな人とは対等な関係でいたいもん」
え。今、好きな人って……
何度目かも分からないほど驚く俺の胸中など知らず、陽奈は独白を続ける。
「あたしの居場所になってくれるって言うんなら、あんたにもそうする。頑張る時は隣で応援するし、落ち込んだらあたしに甘えてほしい。聡人の良いとこも悪いとこも、あたしが全部受け止めて、ひとりじめしたいの」
訴えられたのは、あまりに正直な独占欲。
必要以上に自分を知られることが怖いはずなのに、はっきりとした声音で、眼差しで。
「それくらい──あんたが好き。こんなあたしに向き合ってくれた、高峯聡人って男の子のことが本気で好きになっちゃった」
「っ──!!」
陽奈は、その言葉を告げてきた。
「あたしはあたしなりのやり方で、聡人が聡人らしくいられる理由になる。だから──あたしと、本当の恋人になってください」
──まるで、最高に都合のいい夢を見ているような気分だった。
好きな相手に気持ちが届いて、相手からも好きだと言ってもらえた。
こんなにも幸せなことがあっていいのかと、この期に及んで疑いそうになるほど全身が多幸感で満たされる。
全力で叫び出したくなりながらも、くっと唇を噛み締めて堪えると、陽奈に向けて深々と頭を下げた。
「よろしく、お願いします」
「じゃ……こっからは、ほんとのほんとに彼氏彼女ね」
「………ああ」
「え、ちょっと、泣いてんの? めっちゃ涙声なんですけど」
「……まだ泣いてねぇ」
でも、迂闊に動いたら嬉しさのあまり決壊しちまいそうだ。
なんなら視界の端はもうぼやけてるし、せっかく買ったばかりのズボンが握りしめた手のせいでぐしゃぐしゃになってる。こんなとこまでスマートじゃない。
「もー、顔見して。ハンカチ貸したげるから」
「い、いや、わる……………頼む」
出かけたものをなるべく引っ込めてから頭を上げて──思わずぽかんとした。
「……陽奈も、ちょっと涙ぐんでる」
「当たり前っしょ。これまでで一番最高の瞬間なんだから」
「なんか、懐かしいな。こういうの」
「ね。あん時は手を握って落ち着くまで待ったっけ」
「確かそんな感じだった気がする」
「じゃあ、んっ」
伸ばされた手に、ズボンを離して自分の手を重ねる。
そのまま指を絡ませればカラオケの時よりもっと暖かく感じて、二人とも顔を綻ばせた。
「はーっ、ドキドキした。マッジで心臓口から出るかと思ったし」
「俺もだ。胸がすごいバクバク言ってる」
「うん、聞こえる。ていうかあたしのも聞こえてない?」
「割とはっきり」
「うっわ、恥ずっ」
繋いだ手を通して伝わってくる。俺と同じくらい、こいつも緊張してたんだな。
でも、この高鳴りこそ気持ちが通じ合ったことの証明。これ以上ないほど照れくさいけど、どこか心地良くもある。
「もっかい確認だけど、いいんだよね? あたし、こっからはガチのマジで遠慮しないよ?」
「どんと来いだ。彼女のわがままを聞くのは彼氏の特権って言うだろ」
「なら……本当の恋人としかできないこと、しよ?」
きゅっと指の力が強められ、上目遣いに放たれた言葉に、一際強く心臓が音を立てた。
本当の恋人しかできないこと。そう聞いた途端、クラスマッチのリレー前にされたことがフラッシュバックする。
自然と目線が、唇に吸い寄せられて。
「いいよ」
「っ!」
思わず漏れ出そうになった声を、生唾と一緒に呑み込む。
耳の奥で五月蝿いほどに鼓動が主張する中、こちらを見つめてくる陽奈に、覚悟を決めて顔を近付けた。
「「……………」」
15センチ、10センチと、少しずつ距離が縮まっていく。
息遣いさえ感じられる距離までやってきても、俺達は目を逸らしも、閉じもしない。
視線を交わらせながら、陽奈と唇を触れ合わせる──まさにその瞬間、カゴが大きく揺れた。
「わっ!?」
「危なっ! 大丈夫か?」
「へーき。でも何……って、あーあ。時間切れだ」
残念そうな陽奈に外を見れば、もう地上の近くまで来ていた。
どうやら減速が始まったみたいだ。
「流石に、これは無理だな」
「ね、誰かに見られたら恥ずか死ねるし。ちょー残念だけど……また今度ね?」
「ああ。また、そのうち」
名残惜しさを感じながらも陽奈と離れる。
手だけはそのままとねだられたので繋いでおき、数分で俺達の降りる番がやってきた。
「お帰りなさい! 足元にご注意の上、お荷物などご確認をした上でご降車ください!」
「よっ、と。ほら、段差気をつけて」
「ありがと」
カゴから降りてきた陽奈が、じっとこちらを見つめてくる。
どうしたのか、と口に出しかけた言葉は、突然頬に伝わった柔らかな衝撃に遮られた。
「なっ!?」
「ふふっ、あははっ! 聡人ったら、変な顔してる!」
笑いながら駆けていく姿を、茫然と目で追う。
いつものように悪戯げな笑みを浮かべていた顔が仄かに赤くなっていたのも、爪先立ちだった足が軽やかなのも、全部夕陽が見せる幻みたいで。
数秒遅れて、離された手で頬に触れながら。
「……それは、セーフなのかよ」
小さく呟いた言葉は、虚空に消えていった。
それから帰るまでも色々あった気がするが、正直記憶に残ってない。
兎にも角にも……この日、俺と陽奈は本当の恋人になることができたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回は小百合サイドになります。




