90話
リゼンの為にシオドア殿が幾つか追加で注文をしていましたが、食事を一緒にと言っていた筈なのにテーブルに届くのは酒の類ばかりです。
「シオドア殿、リゼンの食事は頼まないので?」
「あぁ、食べねぇから頼んでも無駄になる。リアムの飯じゃないと嫌なんだとよ。」
「ではリアム殿が居なくなってから食事をしていないのですか?」
「多少は食うけどな。積極的には食わねぇ。…こいつはさ、シルエフィ水晶の酒だ。今のアイツの主食って言っても良いくらいだ。」
シエルフィ水晶は洞窟の中で稀に見付かる水晶なのだそうです。稀に、とは言っても冒険者が溢れる昨今では珍しくはあっても希少価値はあまり高くないのだそうです。この水晶を酒に溶かすと魔力を帯びる事があり、酒に強い方々が好んで飲む場合も多いそうです。水晶が溶けてしまう程の酒に入れるのですから、強い酒だと理解出来ます。
魔族は基本的に魔力を他者から摂取すると聞いたのを思い出しました。普通の食事でも生きていくには問題ないとも言っていた気がしますが、リアム殿の食事以外はあまり口にしないのだそうです。確かにリアム殿の料理は絶品です。
「あの、シオドアさん…、今から来るリゼンさんって、ヒロトがお世話になった人なんですよね?」
「あぁ、家主だ。」
「それって、確か本物の魔族なのでは…。」
「あ?クロガネから聞いたんだろ?」
「聞きましたけど、冒険者も多いですし…、…グレオノールは各地を魔族…を語っているだけですが、その人たちに襲われていてとっても敏感になっているんです。だから、場所を変えた方が良いのではないですか?」
「…リゼンの心配してくれんのか?」
「え?あ…、ヒロトの恩人ですから。」
魔族は怖いと言っていた姉上がリゼンの心配をしてくれるのは意外でした。
姉上が提案してくれた通り場所を変える方が良いかと小生も思ったのですが、シオドア殿が大して気にしていないようなので恐らく大丈夫なのだと思います。シオドア殿ならそんな事、重々承知しているでしょうし。
シオドア殿は姉上の提案を聞かなかったように食事や酒を楽しみます。姉上もそれ以上は口にせずヒスイと一緒に食事を楽しんでいるようでした。
小生も好物を堪能していたところ、騒がしかった店内が静まり返りました。入り口に近い席から黙っていったのか、店の奥の人たちは少し遅れて黙ります。
「クロガネ、来たぞ。」
「…え?」
小生の前で酒を呷っていたシオドア殿が、小生の後ろを示しました。振り向くと外套で身を包んだリゼンらしき男性が居ました。
シオドア殿に向き直るとニヤついた笑みを向けられましたが、リゼンの容姿とは異なります。確かに顔立ちはリゼンですが、魔族の特徴でもある角がありません。それに髪も短いです。
「悪い、少し手間取った。」
「髪か?」
「あぁ、上手く出来なくてな。…やはりクロガネだったか。大きくなったな。」
「リゼ、ン…?」
「何だ、忘れたのか?」
「忘れる訳が無いじゃないですかっ。」
リゼンがくしゃりと頭を撫でてくれました。この手付きはリゼンです。間違う筈がありません。
少し意地悪く聞かれましたがしっかりと否定しておきます。感極まって飛び付いたらちゃんと抱き留めて下さいましたし、撫でてもくれました。
「おい、感動の再開は良いから座れ。デカイ男二人で気持ち悪いだろうが。」
「そうか?猫を可愛がっているだけだが。」
「…お前の見え方の話はしてねぇよ。クロガネもチビだったから良かったが、今は本気で気持ち悪いから。」
「二度も言わなくて良いじゃないですか。ところでリゼン、角や長かった髪はどうしたのです?」
「どちらも切った。」
「…角もですか!?」
「……本気にするな、冗談だ。隠蔽魔法で見えなくしているだけで、ちゃんとある。触れば分かる。」
失礼して触らせて貰いました。髪は首の辺りで一つに結んでいるようでしたがしっかりと背中に髪の感触がありました。少し屈んでくれたので角のあった辺りに触れてみるとひやりとした角の感触を感じました。
「何でクロガネには角触らせんだよ。俺が触ろうとすると避ける癖に。」
「…以前折ろうとしただろうが。そんな奴に触れさせるか。」
「根に持ってんなよ。出会った時の話じゃねぇか。第一、魔力の源の角折るのは常套手段だっての。」
「折られては敵わん。」
「だからもう狙ってねぇっての。」
こんな掛け合いも懐かしく感じます。ゴートランドでの日々は何時もこんな感じでした。此処に、リアム殿が居てくれたら良いのに。
リゼンがシオドア殿と話し始めた辺りから酒場の雰囲気が元に戻りました。姉上も息が止まってしまっていたかのように大きく深呼吸をしています。
「姉上?大丈夫ですか?」
「あ、あぁ、うん。予想よりもずっと大きな魔力で息するの忘れちゃった。」
「他の方々もそうだったのでしょうかね?折角静かになったかと思ったのですが…。」
「うん、多分。なんか、災害にでも遭ったみたいな感じだったの。どう足掻いても勝てないから過ぎ去るのを待つしかないというか…。」
「そんなものでしょうかね?」
リゼンもシオドア殿も強い事は知っているので小生は特に何も感じませんが、酒場の誰もが感じ取ったという事なのでしょうか。という事は、シオドア殿の魔力の方が小さいのですね。特に静かになったりはしませんでしたし。…本人に言うと虐められそうなので口にはしませんけど。
「おいクロガネ、お前…今何か失礼な事考えたろ。」
「は?え、いえ…気の所為ではないですか?」
忘れていました。シオドア殿の勘は鋭いとリアム殿に聞いていたのに。
勘が良いというか思っている事が分かるのではないかと思える程なのですが、本当に人間でしょうか。
「素直に吐けこら。」
「気の所為ですよ。…あ、リゼンはその姿で人間に紛れるのですか?」
「リアム程上手く扱えないが、隠蔽魔法で隠していれば見た目は人間だからな。」
「魔力が隠せていませんが?」
「…隠してこれだ。悪かったな、上手く無くて。」
「お前のその魔力が隠せる程度の物かよ。リアムだって隠し切れねぇっての。」
リゼンの魔力の大きさで強張っている様子の姉上が、堂々と魔族やらの話をして大丈夫なのかと心配して下さいました。つい懐かしさでゴートランドに居るような感覚で話してしまっていた事を今更ながら後悔したのですが、リゼンが周囲に薄い魔力の壁を作ってくれたのだそうです。
酒場に喧騒が戻ったのはその壁のおかげなのでしょう。リゼンの魔力に強張っているのは姉上だけですから。




