第三部 最期の純愛 43話 【深淵の対話】
怪物の体内――そこは、肉と液体、そして無数の怨嗟が混ざり合う腐敗した聖域だった。
ジークが強行突入した瞬間、クロエを包んでいた守護の霧が激しく明滅し、一気に侵食されていく。
「……っ! ジーク!」
クロエの身体が、抗いようのない吸引力に引っ張られる。怪物の中心部で脈動する核が、かつて自分であった存在――「彼女」の魂が、クロエの魂を強引に引き剥がそうとしていた。
「離すな!」
ジークが叫び、クロエの手を掴む。しかし、怪物の粘液が二人の間を裂くように割って入った。クロエの身体が霧の外へと弾き飛ばされ、濁流のような肉の波間へと飲み込まれる。
「クロエ――ッ!」
ジークの手が空を切り、クロエの姿が闇に消えた。
……意識が、急激に冷えていく。
クロエは、暗く底冷えする意識の深層にいた。そこには、ガラス細工のように脆く、そして果てしなく孤独な少女がうずくまっていた。かつて「プロジェクト・イヴ」と呼ばれた、魂なき器の残滓。
(どうして……壊したの?)
声なき声が、クロエの脳内に響く。それは憎しみではなく、純粋な問いかけだった。
クロエは、その孤独に触れた。彼女が味わってきた、自我を奪われ、兵器として消費され続けた数え切れない年月の痛み。自分の魂が引き裂かれるような共感の苦痛に、クロエは膝をついた。
(私は、ただ……)
クロエは、その魂の残滓に向けて、自分の内側にある感情を差し出した。
ジークと過ごした温かい食卓、冷たい風の中での抱擁、そして「お前がいればいい」という、自分を唯一無二の存在として認めてくれたあの言葉。
(私は、愛されたの。……貴方にも、愛される資格があったはずなのに)
クロエが触れた瞬間、怪物の内部が激しく震動した。
怒りや憎しみではない。ただ埋められることのなかった孤独が、クロエの感情に触れて堰を切ったように溢れ出す。
『……あたたかい、のね』
彼女の魂が、クロエの腕の中で小さく震えた。
クロエは理解した。彼女は恨んでいたのではない。ただ、あまりに長い間、誰かの温もりを待ちわびていただけなのだと。
クロエの瞳から涙がこぼれ、それが怪物の禍々しい体内を黄金色に染め上げていく。
そのとき、闇を切り裂くように、赤と黒の咆哮が響いた。
「クロエェェッ!!」
魂の深淵へ、ジークが強引に踏み込んできた。彼は怪物の肉壁を素手で引き裂き、泣きじゃくる魂の残滓と共にうずくまるクロエを見つけ出すと、迷いなくその腕の中に抱きすくめた。
「見つけたぞ……二度と、離さない」
怪物の中で、二人の魂が激しく火花を散らして共鳴し始めていた。




