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夕暮れの境界線

 結局、俺たちは放課後の駅前にあるパンケーキが有名なカフェへと連行された。


 悠を「王子様」と崇める女子二人に左右を固められ、俺は彼女たちのカバンを両手に提げた「従者」として、数歩後ろを歩かされる羽目になった。


 「ほら、悠ちゃん! ここのお店、期間限定で『ベリー尽くしの真っ赤なパンケーキ』があるんだよ!」


 「……赤? 赤は、まあ。好きだけどさ。っていうかなんで私が『ちゃん』付けなんだよ」


 悠は頬を赤らめ、居心地が悪そうに視線を泳がせている。

 教室ではあれほど傲慢だった彼女も、自分を真っ直ぐな称賛の目で見る女子たちの勢いには勝てないらしい。


 店に入ると、甘いシロップの香りが鼻をくすぐる。

 通された席で、悠は女子二人に挟まれて座らされた。

 俺は一人、向かい側の席で彼女の惨状を特等席で見守る。


 「あーん、悠ちゃん。口の横にクリームついてるよ? とってあげる!」


 「や、やめろ! 自分でできる! 恭介、見てないで助けろよ!」


 悠が助けを求めるような視線を送ってくる。

 だが、俺が口を開く前に女子の一人が「恭介君は悠ちゃんの騎士さんなんだから、今は休憩してていいよ!」と笑顔でシャットアウトした。


 「……はは、お前ら仲良くなれてよかったな」


 俺がアイスコーヒーを啜りながらそう言うと、悠は「裏切り者……」と恨めしげに俺を睨んだ。

 けれど、運ばれてきた真っ赤なベリーがたっぷり乗ったパンケーキを一口食べると、彼女の表情がふっと緩んだ。


 「……あ。これ、美味いな」


 「でしょー!? 悠ちゃん、食べる時もかっこいい!」


 「かっこいいって言うな……。普通だろ、ふつう」


 文句を言いながらも、悠はどこか楽しそうだった。

 昔から、「強いリーダー」であることを求められ、自分からもそれを演じてきた。


 けれど今、こうして年相応の女子として扱われ、賑やかなお喋りに巻き込まれている彼女は、かつて泥だらけで笑っていた頃の、肩の力が抜けた表情に戻っている気がした。

 俺は女子たちのマシンガントークにタジタジになりながらも、パンケーキを頬張る悠を眺めていた。


 赤色のパンケーキ。

 それを「美味い」と笑う彼女。

 そんな平穏な光景も悪くないと、俺は少しだけの意地を捨てて、心の中で認めた。


 「ねえ、悠ちゃん! このあと駅ビルの方も行かない? 悠ちゃんに似合いそうな服、一緒に選びたいんだ!」


 「えっ、服? いや、私は別に今のままで……」


 女子たちの勢いはパンケーキを食べ終えても衰えることを知らなかった。

 それどころか、タジタジになっている悠を見てさらに楽しさが加速したのか、彼女たちは悠の腕を左右からがっちりホールドし、連行の準備を始めている。


 悠は困ったように俺を見た。

 その瞳は「助けろ」と言っているようでもあり、同時に、自分を必要としてくれる場所が他にもあることに少しだけ戸惑っているようでもあった。


 その瞬間、俺の胸の奥で、昨日とは違う質の、けれど確かな「焦り」が跳ねた。

 独占欲なんて、醜いと思っていた。

 けれど、このまま悠が彼女たちのペースに飲み込まれて、俺の知らない場所へ行ってしまうのは――。


 「……悪い、今日はもう時間だ」


 俺は無意識に立ち上がり、悠の手首を掴んでいた。

 女子たちの会話に割って入るなんて、俺のキャラじゃない。

 けれど、言葉は勝手に口から溢れ出していた。


 「今日は、俺の家で飯を食う約束なんだ。……だから、悠は連れて帰る」


 我ながら何を言っているんだ。

「俺の家で」なんて、周囲にどう聞こえるか考えれば分かるはずなのに。

 悠は目を見開いて固まり、顔を一瞬で真っ赤に染めた。


 「きょ、恭介……? お前、何を……っ」


 俺は彼女の反論を許さず、そのまま強引に彼女の手を引いて席を立った。

「じゃあな」とだけ残して、逃げるように店を出ようとする。


「……やっぱりね」

「うふふ、言った通りでしょ?」

 振り返ると、さっきまで悠を囲んでいた女子たちがパンケーキの皿を前にニヤニヤと下卑た……いや、慈愛に満ちた笑みを浮かべてこちらを見ていた。


 彼女たちは驚くどころか、最初からこの展開を待っていたかのように、楽しげに手を振っている。


 「はいはい、ごちそうさま! 悠ちゃん、しっかり『騎士』君にご飯作ってもらいなよ!」


 「恭介君、悠ちゃんのこと、ちゃーんと責任持って送り届けてあげてね!」


 「……っ!? お前ら、わざと……っ!」


 悠が顔を真っ赤にして叫ぶが、女子たちは「バイバーイ!」と余裕の表情だ。

 どうやら俺は彼女たちの手のひらの上で、まんまと踊らされていたらしい。


 俺が悠を連れ戻したくなるように、わざとしつこく誘って見せていたのだ。


 「……行くぞ」


 「……分かってるよ。バカ恭介」


 俺たちは女子たちのニヤニヤ顔から逃げ出すようにして店を飛び出した。

 夕暮れの街。

 繋いだ手から伝わってくるのは、春の風よりもずっと熱い、悠の体温。


 駅前の喧騒を離れ、住宅街へと続く街灯のまばらな道を歩く。

 俺たちは店を出てからずっと無言だった。

 繋いだ手こそ離したものの、肩が触れそうな距離感は、かつての「ガキ大将とその子分」のそれとは決定的に違っている。


 「……なぁ、恭介」


 不意に、悠が歩みを止めた。

 長い影がアスファルトに伸び、彼女の顔は逆光で見えない。


 「……さっきの店での言葉、本気で言ったのか?」


 その声は春の夜風に攫われそうなほど細かった。

 いつもの不敵な笑みも、男勝りな虚勢も、そこには一切混じっていない。


 ただ、答えを待つ一人の少女の、震える震動だけが伝わってくる。


 「……どれのことだよ」


 俺はわざととぼけて、視線を斜め前の電柱にそらした。


 心臓がうるさい。

「俺の家で飯を食う約束だ」「連れて帰る」

 あの時の自分の言葉を思い出すだけで、耳の裏まで熱くなる。


 「とぼけんなよ。……『連れて帰る』って、あいつらの前で……。私、あんな風に言われたの初めてだった」


 悠は俯いたまま、制服のスカートをぎゅっと握りしめた。


 「恭介はさ……私が誰とどこに行こうが、勝手だって思ってるんだと思ってた。昨日あんなこと言ったのも、ただの気まぐれだって」


 「……気まぐれで、あんな恥ずかしいこと言うかよ」


 俺は堪らず、吐き捨てるように言った。

 自分でも驚くほど声が低く、熱を帯びている。


 「お前があいつらに連れて行かれそうになった時、心臓が変な動きしたんだよ。……俺の知らないお前を、あいつらに見せたくないって、そう思ったんだ。……悪いか」


 俺がそう言い切ると、悠はゆっくりと顔を上げた。

 街灯のオレンジ色の光に照らされた彼女の瞳は潤んでいて、けれど夜空の星よりも眩しく輝いている。


 「……悪くない。全然、悪くない」


 彼女はそう言うと一歩、俺との距離を詰めた。

 春の石鹸の香りが夜の冷たい空気を塗りつぶしていく。


 「……私も、恭介に連れられて帰りたかった。あいつらにからかわれるのは癪だけどさ……。恭介の口からあんな言葉が聞けるなら、たまにはあんな茶番に付き合うのも悪くないかな」


 悠は再び、俺の制服の袖を弱々しく、けれど決して離さないという意志を込めて掴んだ。


 「……帰ろうぜ、恭介。お前の家に」


 「……ああ」


 俺たちは再び歩き出した。

 独占欲。束縛。

 そんな言葉で片付けるには、あまりに重くて心地よい「熱」を共有しながら。

 マンションの入り口が見えてきた。

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