第362話 聖なる子ら
私は、誰なんだろう?
それは、この世に生まれ出たときから、ずっと考え続けてきた。
生まれ出たといっても、意識し始めたときから、既にこの身体だった。
ガブリエルは、父だと名乗った。その父からは、繭玉の中で立ち続ける人形が母だと教えられた。
ほかの母を知らないから、そうなんだと、ただ納得した。
母は、一言もしゃべらなかった。問いかけても、何も答えてくれなかった。母とは、そういうものなのだと思った。
父は私のことをマルディと呼んだ。だから、名前はマルディなのだと思った。
言葉は、始めから理解できた。戦闘も、誰に教わるでもなく、自然とできた。
訓練と称して人間族を殺した。今思えば、エルヴィールの町から拐ってきた人間だったのだろう。エルヴィールとは、母と称するクレールの実家が支配する町のことだ。
そういった細々としたことは、リュカという若い男がすべて教えてくれた。身の回りの世話をしてくれたのもこの男だ。セヴィルや羊角族のことを教えてくれたのもそうだ。
リュカは、自分の兄なのだという。兄妹という実感は、まったく沸かなかった。
私たちの目的も、かつてこの地の支配者であった羊角族の手に取り戻すことだそうだ。羊角族の主であるセヴィルを、再び世界の王にすることなのだそうだ。
リュカの話は、どれもこれも、まったく実感が沸かなかった。
私は、誰なんだろう?
その疑問には、誰も答えてくれなかった。
父は、私のことを可愛いと言ってくれた。完璧な人間族の容姿をしていると褒めてくれた。だけど、リュカは私のことを羊角族だと言った。
いったいどちらなのだ?
私は羊角族なのか? 人間族なのか?
ある日、父ガブリエルに呼ばれた。リオネル軍の入隊試験とやらを受けるよう言われた。
ミラベル・サルトルという名前を与えられた。そして出会ったのが猫耳族の王女だった。猫耳王女は、やたらと話しかけてきた。友だちになりたいのだといって。
友だちとは何だろう?
友だちの猫耳王女は、私に軍の小隊長を命じた。泣いて抵抗したが、半ば無理やりやらされることになった。
それからだ、生き方が大きく変わったのは。
今までは、人から言われたことをやるだけで良かった。殺せと言われれば殺す。入隊試験を受けろと言われれば受ける。何も考えなくて良かった。
それなのに、小隊長は、自分で考えなければならない。小隊で議論はする。でも、最後には決断を迫られる。その決断によって小隊の運命が変わる。
とても苦しくて、とても楽しかった。
世の中に、こんなにワクワクすることがあるとは、思ってもみなかった。
ミラベル・サルトルを演じているつもりが、次第になり切るようになった。
そんなときだ、兎脚族の娘が妊娠したのは。
お腹の中に赤ん坊がいる。そう聞いたとき、電流のようなものが全身を流れた。
人というものが、女の腹から直接出てくるということを、初めて知った。人はすべて繭玉から生まれるのだと思っていた。
とても不思議で、新鮮だった。
兎脚族の娘は、楽しそうに言った。
「ミラベルもいつか好きな男ができて結ばれたら、赤ちゃんを身ごもるかもしれないぞ」
私が赤ん坊を身ごもる…? 腹の中に人が入るのか?
まったく想像できない。
天馬隊というのは、初めて知ることばかりだ。
どんどん膨らんでくるお腹を眺めながら、ワクワク感でどうにかなりそうだった。
そうしているうちに、今度は友だちの猫耳王女まで妊娠した。彼女は、とても幸せそうだった。それまで見たことがないほど穏やかで、満ち足りていた。美しさが更に増して光り輝いていた。
母と称するクレールは、こんな表情をしたことがない。いつもうつむき加減で、目を閉じて黙り込んでいる。
私もいつか、こんな幸福に満ちた顔をするときがくるのだろうか? そのとき、もしかして私が誰なのかわかるのだろうか?
知りたい。激しい焦燥感と共に、知への渇望感が心の底から突き上げてくる。
でも、同時に理解していた。父の側にいては、私の求めるものが得られることは、決してないのだ、と。
私は誰なのか。
その答えは、父ガブリエルではなく、猫耳王女シルヴィアの元にあるのだから。
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ジュスタンは、あっさりと見つかった。
鼻の利くドラードが、一際大きな木の側に倒れている彼を発見したのだ。即座にアルマトゥーラがヒール魔法で彼を回復させた。
シルヴィアを始め至宝天の面々は、お互いの無事を喜び合った。彼女たちは、改めてアルマトゥーラに礼を述べた。
「―さて。ちょっと出来すぎですが」
盛り上がる彼女らを眺めながら、アベニールが言った。
「目的地は、ここから直ぐですよ」
「アベニールさまが連れてきたいと仰っていた場所ですか?」
「そうですよ、シルヴィア」
アベニールは真っ直ぐ指差した。その先を追うと、大木の裏らしい。
「それでは、行きましょう」
アベニールが先頭に立った。シルヴィア一行は、二本足で歩く猫の後に続いた。
猫耳族、犬牙族、兎脚族、人間族、そして聖獣。
さまざまな種族が集まった即席パーティーである。連れ立って歩くさまは、まさに神話の世界を彷彿とさせた。
猫と妊婦の足に合わせているので、極めてゆっくりとした行軍となった。忠実なサンドラが常にシルヴィアに寄り添い、足元に注意を払った。
歩くこと10分ほどで広い場所に出た。
大木が生い茂る森の中に、そこだけぽっかりと空間が開けていた。
静寂に包まれたその場所は、神気に満ちていた。誰もが厳粛な思いにかられて、何が起こるかと心身を引き締めた。
「―シルヴィア。フランベルジュ。アルマトゥーラ。こちらに来なさい」
アベニールに促されて、三人が並んだ。
アベニールが何やら唱えた。今は途絶えた古代王国時代の呪文のようだった。
突然、地面が盛り上がった。ボコッと土が崩れる音がすると、中から巨大な蛇が現れた。
「……おや、本当にアベニールさまだわ」
ぬっと鎌首を伸ばしアベニールを覗き込んだ。アベニールの代わりにフランベルジュが応えた。
「番人、ご苦労さん。ビルキース」
「……久しぶりですね、アルマトゥーラ」
ビルキースと呼ばれた巨大蛇は、フランベルジュを無視してアルマトゥーラに視線を向けた。
「アルマトゥーラがこの地に戻ってきたということは、ついにそのときが来たのですね」
「おいっ! ビルキース。ボクを無視するな!」
フランベルジュが抗議するも、ビルキースは意に介さない。
「うるさいですよ、フランベルジュ。あなたとはしょっちゅう会っているではないですか。数千年ぶりに会う友と挨拶をして何が悪いのです?」
「そういう問題じゃない! まったく、シルヴィアといいビルキースといい、ボクを何だと思っているんだ」
「そのシルヴィアですが―」
微笑ましく見つめていたアベニールが、絶妙なタイミングで口を挟んだ。
「ビルキース。ガゼルの器を連れてきました」
アベニールに背中を押され、シルヴィアは一歩前に出た。
「は、はじめまして。シルヴィアと申します」
「ビルキースといいます。―あなたのことは知っていますよ、猫耳王女」
ビルキースは、鎌首を向けた。シルヴィアと同じ金色の瞳でじっと視線を注いだ。
「これまで、ずっと見守っていました。フランベルジュが守護者として寄り添って以来、ずっと」
「守護者…フランベルジュが…?」
シルヴィアは、フランベルジュに視線を送った。
「……アベニールさまも、ずいぶん前からあたしのことをご存知だったし、なんだか複雑です。そんなに聖獣の方々が見守ってくださっていたなんて」
「それもこれも、ガゼル復活のためですよ」
アベニールがまた一歩前に出た。巨大な鎌首を見上げて言った。
「ビルキース。残りのみんなを起こしてきてください。そのときが来たと」
「はい、アベニールさま」
ビルキースは、地下へと戻っていった。さして時間もかからず、ビルキースは穴から鎌首をもたげた。
その穴から、光に包まれて剣と弓と杖が浮かび上がった。すると、弓が砕けた。細かい塵となってキラキラと漂う。その光の輪の中から、小さなフェアリーが現れた。
「―この子が器? 器なのね? この娘なのね?」
フェアリーは、宝石のような羽根を震わせ、いきなりシルヴィアの前で飛び回った。
「猫耳族なんだ? なんでなんで? どうして猫耳族なの?」
「はい…?」
シルヴィアは面食らって二の句が継げない。フェアリーはそんなシルヴィアに構わず、質問を浴びせ倒した。
「あなた可愛いね? 可愛いと思ってる? 可愛いの? わたしより可愛いの? ね? どう思ってる? ね? ね?」
【裏ショートストーリー】
アルマトゥーラ「あの猫耳王女がガゼルさまの器ですか」
アベニール「意外ですか?」
アルマトゥーラ「勇気は認めます。ペレーズ山に僅かな人数で登ってきたのですから。しかし、特別な力は感じませんでした」
アベニール「そうですね。一度はリオネルに殺されたのですものね。特別な力があれぱ、あのとき自力で打開できていたでしょう」
アルマトゥーラ「それなら、なぜ『とき』を戻してまで彼女を選んだのですか? わざわざフランベルジュの記憶を植え付けてまで」
アベニール「シルヴィアは疑いもしていませんものね。フランベルジュを側に置いたのは、『とき』を戻してからだということを」
アルマトゥーラ「……猫耳王女に何を視たのですか?」
アベニール「シルヴィアには話していないので内密でお願いします。……聖なる王冠を。聖賢女王セリーヌ・ブルボン以来の王冠を」
アルマトゥーラ「予知…されたのですね」
アベニール「セヴィルの復活を止められない程度の予知ですが」
アルマトゥーラ「しかし予知された。猫耳王女がセヴィルに勝つ未来を」
アベニール「残念ながら、そこまでは視えていません。……が、勝つ、と信じています」
アルマトゥーラ「……では、それを現実にすべく、全力で猫耳王女を助けることにいたします」
アベニール「頼りにしています、アルマトゥーラ」




