第361話 氷のマジック
「シルヴィア! しっかりしなさいっ」
猫耳王女の慟哭は、しかし長くは続かなかった。
肩に乗る猫・シャウラの姿をしたアベニールが叱りつけたのだ。
「泣いている場合ではありませんよ。この霧は、明らかに七曜珠の魔法です。攻撃を受けているのでしょう?」
「はい、そうです、アベニールさま」
黙り込んだシルヴィアの代わりに炎剣フランベルジュが答えた。泣き止んだシルヴィアを心配そうに見つめながら。
「霧は剣士となって攻めてきます。霧は倒せないので苦戦していました。それに仲間たちが分断されてしまって、様子がまったくわかりません」
「……この霧は、結界にもなっているようですね」
アベニールは、猫の手をかざした。何かを探っていたが、つとアルマトゥーラを振り返った。
「対処できますか?」
「お任せを」
アルマトゥーラが長大な首を振った。瞬時に霧が凍った。森を覆っていた霧すべてがである。霧の剣士も剣を手にしたまま凍りついた。
「す、凄い…」
シルヴィアは、目を丸くした。アルマトゥーラは、重々しく言った。
「霧とは水蒸気の集合体。我は水を自在に操れる。更にこうすれは…」
もう一度首を振った。凍った霧が一斉に砕け散った。砕けた欠片は跡形もなく消滅した。
「これで脅威は除けよう」
「わあっ! アルマトゥーラさまっ! ありがとうございます!」
シルヴィアは、宙を泳いで首に抱きついた。
「シルヴィア! バランスが崩れるっ。あまり動かないで!」
フランベルジュが慌てたように言った。アベニールが地上を指差した。
「とりあえず、地上に降りましょう。サンドラが心配そうにこちらを見守っています」
サンドラが空を見上げていた。傍らには、いつの間にかセリナが寄り添っていた。
シルヴィアたちは、サンドラたちの待つ地上へと戻った。アルマトゥーラは、獅子ほどの大きさになっている。フランベルジュもそうだが、聖獣は身体の大きさを自在に変えられるらしい。
「シルヴィアさまっ、ご無事で」
「ありがとう、サンドラ。ミラベルの相手をしてくれて」
「……! 申し訳ありません。ミラベルを取り押さえることができませんでした」
「気にしないで。あたしが説得できなかったのがいけないの」
「―シルヴィアーっ!」
リオネルが樹間から駆け寄ってきた。思ったより近くにいたようだ。
「旦那さま! ご無事でしたか」
「……いや、そうでもない」
遅れてギーとピエールが現れた。ギーはギャスパルを背負っている。
「ギャスパルさまっ!?」
シルヴィアは両手で口を覆った。
「まさか…死んで…」
「おいっ! 勝手に殺すなっ!」
リオネルが目を剥いた。
「猫もどきにやられて、気を失っただけだ」
「ご、ごめんなさい。早とちりしました」
「あの野郎、キマイラに変身しやがってよ。ヤバかったんだけど、突然霧が凍って、消えちまったんだ。そしたら、キザ野郎の魔獣が現れて、空間の穴にキマイラを連れていったんだよ。おかげでこっちは助かったけど」
シルヴィアは、アルマトゥーラを振り返った。
「……それ、すべてアルマトゥーラさまのおかげなんです」
「アルマトゥーラ?」
初めて気がついたように、アルマトゥーラを見た。
「えっ!? こいつがあのときのホワイトドラゴン?」
ペレーズ山で会った白竜と同一とは思えない、可愛らしい大きさのアルマトゥーラに、思わず目を丸くした。
「こいつって言わないで。聖獣ですよ」
シルヴィアは、たしなめた。
「―おっ! みんな集まってるな」
同じように樹間からカリーナが現れた。金色の狼に乗っている。途端、シルヴィアは顔を背けた。
「霧に苦戦してるかと思って助けに来たんだけど、その前に消えちまった。どうせシルヴィアが何かしたんだろうけど」
「……」
「アルマトゥーラさまのおかげです」
黙り込むシルヴィアの代わりに、サンドラが言った。サンドラとカリーナは、顔見知りである。密かにお互い戦士として認め合っている節もある。
「氷魔法で霧を排除してくださったのです」
「ふ〜ん。アルマトゥーラねえ」
カリーナは遠慮もせず、ホワイトドラゴンをジロジロと見やった。
「―お〜いっ!」
そこへ今度は、エーヴたち至宝天が合流した。……が、こちらも負傷者が出たようだ。
「サイノス!? ジョゼ!? 怪我したの?」
シルヴィアは、少し大げさな仕草で駆け寄った。おそらくカリーナから離れたかったこともあるのだろう。サイノスに寄り添うエーヴが心配そうに夫を見つめている。
「俺は大したことはない。それよりジョゼの方が深手だ」
ジョゼはアイラに支えられていた。ぐったりとうつむいている。歩くのもやっとという様子だ。アイラが与えたらしき上着を羽織っているが、全身に切り傷があるのが見えた。着ている服もボロボロだった。
「……あなたも言うほど大丈夫そうに見えないけど」
サイノスも、全身に傷を負っていた。止血した跡があるが、中には肉がえぐられている傷もある。
「カマキリの術にやられた。エーヴやアイラと分断されて、危うく命を落とすところだった」
「それが突然霧が凍ってよ」
エーヴが引き継ぐように言った。
「綺麗さっぱり消えちまった。おかげで視界が晴れてサイノスたちと合流できたんだ」
「―シルヴィアさま。申し訳ありませんが、ジョゼを治療したいのです。王宮へ戻ってもよろしいでしょうか」
アイラが言った。許しを請う言い方だが、断固とした口調は、何があっても連れて行くという気概にあふれていた。
「アイラ。アルマトゥーラなら、すぐに治せますよ」
アベニールが声をかけた。アイラは、瞠目した。それはそうだろう。猫が二本足で立ち言葉を喋ったのだから。
「……あなた、誰? 魔獣ではなさそうだけど」
「アイラ! 失礼なことを言っちゃ、ダメっ!」
シルヴィアが、慌ててたしなめた。
「この方は、アベニールさまよ」
「えっ!? アベニールさま!? フレイ三姉妹の?」
心底驚いたようで、一瞬棒立ちになると、慌てて跪いた。引っ張られる形でジョゼも座り込んだ。意識が朦朧としているようだ。
「大変、ご無礼いたしました。尊い女神さまとは露知らず、平にご容赦賜りますよう―」
「アイラ。畏まらなくていいわ」
アベニールは、アルマトゥーラに視線を投げた。
「まずは怪我人の治療が先決です。―頼みましたよ」
「はっ。承知いたしました」
アルマトゥーラが雷鳴のような声で言うと、首を一振りした。白い光がジョゼを包んだ。すると、傷が跡形もなく消え失せた。
「ジョゼ!」
アイラの呼びかけに、ジョゼは顔を上げた。
「―あれ? 体が軽いです。自由に動けますっ」
自身が一番びっくりしたように手足を伸ばした。しかし服はボロボロのままなので、上着からチラリとむき出しの胸が見えた。
「ジョゼっ! あまり動いちゃ駄目っ!」
アイラが驚いたように胸の前に手を当てた。
「あっ…!? す、すみません、見苦しいものをお見せしてしまって」
真っ赤になって上着の胸元を合わせた。
アルマトゥーラは、サイノスやギャスパルも次々と癒していく。
「アルマトゥーラさま。重ね重ねありがとうございます」
シルヴィアは、丁寧に頭を下げた。
「礼には及ばぬ、猫耳王女よ。それが我の役目ゆえ」
アルマトゥーラは重々しく応えた。
「アルマトゥーラは、攻撃魔法だけではありません。ヒーラー系魔法の使い手でもあるのですよ」
アベニールが言った。
「―ジュスタンはどうした?」
傷がすっかり癒えて喜び合っていたサイノスとエーヴが、この場にいない親友の名を呼んだ。
「ジュスタンは、森に入ってから一度も姿を見ていないわ」
「マジか、セリーヌ」
エーヴは、深刻そうにサイノスと視線を交わした。
「霧が出て以来、わたしたちも、姿を見てねえんだよ」
「にゃっ!? それって、まさか…」
「……奴のことだ、そうやすやすとやられてはいないだろうが、すぐに探したほうがいい」
「ジュスタン…!」
シルヴィアは、急に胸騒ぎがした。ジュスタンに限ってまさかとは思いつつも、居ても立ってもいられず、思わず走り出そうとした。サンドラが慌てて無謀な主を取り押さえた。
「シルヴィアさまっ! 走ってはなりませんっ!」
「で、でも、ジュスタンの身に何かがあったのかもしれないのよっ」
「シルヴィア。落ち着きなさい」
アベニールが静かに言った。
「みんなで探しに行きましょう。それに、どのみちあなたたちを連れていきたいところがあるのです」
「にゃっ!? 連れていきたいところ…?」
アベニールは、にっこりと微笑んだ。それはまるで、異世界に紛れ込んだ少女のおとぎ話に出てくる、笑う魔法使いの猫のようであった。
「まさにそのためにアルマトゥーラを呼び寄せたのです。いよいよ、ときは熟しました。―ガゼル復活のときが!」
【裏ショートストーリー】
メルクルディ「ぎゃぁーっ! 髪の毛が凍るぅ〜っ!」
サムディ「……何を騒いでいるんだい?」
メルクルディ「サムディ!? 見てよぉ〜、わたしの髪の毛たちが凍っちゃったのぉ〜!」
サムディ「誰かが魔法を使ったんだね」
メルクルディ「動けないよぉ〜。何とかして〜」
サムディ「メルクルディは相変わらずお頭が弱いなあ。髪を切ればいいじゃない」
メルクルディ「ほえっ!? ……あっ! ほんとだ。動けた」
サムディ「さ、撤退するよ」
メルクルディ「ええ〜? 撤退? どうして?」
サムディ「どうしてもっ!」
メルクルディ「あれぇ〜? サムディ、お腹から血が出てるよ?」
サムディ「ただの浅傷だよ」
メルクルディ「ふ〜ん」
サムディ「傷は浅いけど、恨みは深いよ。あの猫耳娘、絶対に許さないんだから」
メルクルディ「サムディを怒らせるなんて、よっぽどだねぇ〜」
サムディ「ランディは腕を斬られた。ジュディは背中を斬られた」
メルクルディ「えっ!? ジュディ姉さまも!?」
サムディ「みんな傷つけられた。このままじゃ、済まさない。必ず復讐してやる」
メルクルディ「お父さまは、どうなさってるの?」
サムディ「一足早くお帰りになった。僕らも後を追うよ」
メルクルディ「良かったぁ〜、ご無事で。戻ったら、いい子いい子してもらおっと」
サムディ「……ジュディが怒りそうだな」




