第359話 激闘の先
「キ、キマイラ…!」
ギャスパルは息を呑んだ。伝説の魔獣キマイラ。それはおとぎ話や空想の世界の産物のはずだった。しかし、今や目の前ではっきりとその伝説の姿を現している。
「許サンゾ! 人間ドモ!」
獅子と鷹と蛇の頭が三重奏を奏でた。鷹の翼が大きく羽ばたいた。獅子の腕がギャスパルを薙いだ。咄嗟に剣で受けたが身体ごと吹き飛ばされた。
「ピエール! リオネルさまを守れっ!」
ギーが怒鳴った。しかし、当のリオネルがギーの横に並んだ。
「俺は剣も握れないお姫さまじゃねえぞ」
「リオネルさまっ!? 下がってください!」
「いやだねっ! 俺も戦う! ―来るぞ!」
キマイラの獅子が大口を開けた。火焔が渦を巻いて吐き出された。
リオネルたちは横っ飛びに避けた。そのために、皆がバラバラになった。獅子は炎を吐き続ける。霧の剣士が巻き添えを喰らって蒸発した。たちまち熱風が起こり、周辺の樹々が燃え出した。
「―まずいっ! リオネルさまっ!? リオネルさまーっ!」
ギーは慌てて主を探したが、炎に遮られてどうすることもできない。その炎を割ってキマイラが現れた。獅子の腕が襲いかかる。受け止めずにむしろ剣を振り下ろした。巨大な爪と爪の間に刃が喰い込んだ。
「ぎゃぁーっ!」
キマイラが苦悶の雄叫びを上げた。ギーは手を緩めず縦横に剣を振った。
「おりゃぁーっ!」
そこへギャスパルが飛び込んてきた。吹き飛ばされたときに切ったのか、額から血を流していた。
ギーとギャスパルに斬りたてられ、たまらずキマイラは後退りした。
形勢逆転、と思われた。が、鷹がクチバシを開けた。雷光が煌めき雷撃が走った。ドンっ、と重い衝撃と共に地面がえぐれ、四方に稲妻が飛び散った。
ギーは、身を翻してすんでのところで雷撃をかわした。
「ギャスパル…!?」
ギャスパルはしかし、避けきれなかったのか、地面にうつ伏せて倒れていた。ピクリとも動かない。
「ギャスパルーっ!?」
ギーの悲痛な叫びが轟いた。
「愚カナ人間ドモ。皆殺シダ!」
キマイラの三重奏が響き渡った。ギーは、歯を食いしばって剣を握り直した。絶望的な状況にもかかわらず、左眼の藍色はまだ、闘志が衰えていない。
その意志に応えるかのように、奇跡が起こった。
ギーは、片方だけの眼を大きく瞠った。
「な…!? これは…!」
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ランディの鎌は、正確無比だ。その上、速い。
サイノスの急所を狙って次々と繰り出してくる。少しでも油断したら、一撃で致命傷を受けるだろう。防御に追われ攻撃に転じられない。
突然、霧が割れて人影が飛び込んできた。
「ジョゼ!?」
ジョゼは、強烈な一撃をランディに見舞った。ランディは難なく必殺の剣を受け止めた。カマキリの視野はほぼ360度見渡せる。ジョゼが剣を撃ち込む前から姿を捉えていた。
だがランディがジョゼに気を取られたのは確かだ。間髪入れずサイノスはがら空きになった胴に剛剣を撃ち込んだ。信じられないことに、ランディはそれを受け止めた。驚異的な反射神経だ。
それでもサイノスとジョゼは、猛攻を開始した。先ほどまで防御するので精一杯だったが、攻守は完全に逆転した。
ふいにランディは羽根を広げ空中に舞い上がった。たちまち霧に隠れてしまった。
「サイノスさま…」
「しっ…!」
言いかけたジョゼを厳しく制止した。
静まり返る中、心機を澄ます。サイノスは、一歩踏み込んだ。
刹那、鎌が霧の中から現れてジョゼを襲う。身構える前にサイノスの剣が弾き返していた。
「……やるな、犬」
ランディは、短く言うとまた霧の中に消えた。
今度はジョゼも静かに目を伏せた。目に頼るな。肌で感じろ。そう、サイノスは言っている。
二人は、身動ぎ一つせずじっと佇んだ。全神経、全感覚を研ぎ澄まして僅かな気の乱れを探る。
と、二人は同時に動いていた。鎌がぬっと突き出された。二本の剣が煌めいた。
「ぎゃっ!」
短い悲鳴と共に鎌が宙を舞った。
「やりましたっ!」
ジョゼが歓声を上げた。
「カマキリは手負いです。今なら倒せます!」
「待てっ!」
霧の中へ走り出そうとしたジョゼを、サイノスは引き留めた。
「何かが来る!」
サイノスの言うとおり、霧の中から、小さなカマキリが現れた。それも多数。普通の昆虫サイズだが、鎌は鋼鉄のように鋭い。
カマキリたちは、整然と並んで迫ってくる。それはまるで軍隊が行進しているようだ。
「―貴様ら、私に傷をつけて後悔することになるぞ」
ランディは、斬られた手をだらりと下げて現れた。傷口から血がダラダラと流れている。その血が固まり小さなカマキリへと変貌していく。
小さなカマキリたちが一斉に立ち止まった。すべてが鎌を構えた。
「行けっ! 狂った軍隊!」
ランディの号令と共にカマキリ軍が二人に襲いかかった。
「ふんっ!」
サイノスは剛拳を振るって数匹を潰した。しかし数が多すぎる。すぐに体にたかられた。鋼鉄の鎌で肌を斬り裂かれた。
「くっ…!」
カマキリを払った。払っても払ってもたかってくる。裂けた肌の下の肉をえぐられた。激痛が走った。
「―いやぁーっ!」
ジョゼがのたうち回る。全身をカマキリで覆われていた。あちらこちらから出血している。
「ジョ…ゼ!」
助けに行こうとするが、全身激痛に襲われ、身動きできない。
「まずい…」
このままではカマキリに身体中を切り刻まれ、出血多量になってしまう。
サイノスが激痛に耐えながら焦燥を深めた、そのとき。
奇跡が起こった。
「む…!? これは…!」
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「ええいっ!」
アイラの剛剣が唸りを上げた。敵の剣が砕け散った。
「くそーっ! キリがないっ!」
息つく間もなく、次々と霧の剣士が襲ってくる。迫る剣士を前に、仕方なさそうに重い腕を上げて構えた。
そこへ、風のようにエーヴが身を躍らせた。電光石火で周りの剣をすべて打ち払った。
「大丈夫か、アイラ?」
エーヴが声をかけてきた。アイラは、カッと顔が熱くなった。
「あなたに心配されるほど、落ちぶれてはいませんっ!」
「そうかい。そりゃ、悪かったな」
エーヴは、にこっと笑った。ますますアイラは、真っ赤になった。
「何なの、あなた。お兄さまと結婚したからって、急に勝ち誇るなんて。最低ね」
「そんなつもりじゃなかった。気を悪くさせたなら謝る。ごめんな」
「……」
のこのこと近づいてきた霧の剣士を剣ごと斬り捨てた。
「わたしは、アイラと仲良くしたいんだ」
「別に私は、仲良くしたいと思っていません!」
「聞いたよ、サイノスから。血が繋がっていない兄妹だって」
「……!」
キッとなってエーヴを睨みつけた。エーヴは、淡々と受け止めている。
「あんたがサイノスに異常な執着をみせた理由がわかった。文字通り、サイノスのことが好きなんだな」
「余計なお世話よっ。あなたに何がわかるというの!」
「サイノスは、しきりと済まながってたよ。いい兄ではなかった、って」
「……」
「何も無理に姉貴面をしようってんじゃねえんだ。そもそも姉として認めちゃくんねえだろうし」
「当たり前でしょ! 誰があなたなんか姉と呼ぶものですか!」
「でもよ、サイノスのことは、好きでいてほしいんだ」
「―!」
アイラは、エーヴを盗み見た。どんなつもりでそんなことを言うのだろう?
「あんた、あれ以来、サイノスを避けてるだろ? わたしのことは、嫌ってくれていい。でも、サイノスとは縁あって兄妹になったんだ。以前のように笑いかけてやってくれよ」
「わ、私は別に…お兄さまを嫌ってるわけじゃ…」
「だったら、これまでどおり、仲良くしてくれるよなっ?」
エーヴは、二体の剣を打ち砕いた。
「……」
「サイノスは寂しがってる。口にはしないけど、わたしにはわかるんだ。あんたは、たった一人の妹だからな」
「……何よ」
しばらくうつむいていたアイラは、バッと顔を上げた。桔梗紫色の瞳から一粒、光るものが落ちた。
「あなたなんか、大っキライっ! 私からお兄さまを奪って、今は偉そうに説教して、最低よっ! 最低最悪よ!」
「……」
エーヴは、黙って敵の剣を弾き続けた。
「お兄さまも大っキライっ! 私を選ばないで、こんな弱い女を好きになるなんて、見損なったわ!」
「―!」
一体の剣を弾いた拍子に勢い余ってバランスを崩した。隙をつかれて別の剣がエーヴを襲う。ハッとして身構えたときには目の前に振り下ろされるところだった。
(やられるっ!)
そう思った瞬間、アイラの剛剣が敵の剣を打ち砕いていた。
「―ありがとう、アイラ。助かった」
にこっと笑いかけた。アイラは、仏頂面で言った。
「……あなたのために手を出したのじゃ、ないわ。万が一のことがあったら、お兄さまが悲しむからよ」
「そうなりゃ、アイラがわたしの座を占められるじゃねえか。想いを遂げられるぜ」
「見損なわないでよ。そんな卑劣な女じゃ、ありません」
アイラは、突き出された敵の剣を力任せに砕いた。
「私を誰だと思ってるの? 『鉄拳のサイノス』の妹よ。誇り高い至宝天の一人なのよ」
「ああ。そのとおりだ。あんたは『狂飆のアイラ』。押しも押されもしない立派な至宝天さ」
エーヴに斬りかかった敵をアイラは打ち砕いた。そのままピタリと背中合わせになった。
「私がいないと、あなたみたいな弱い人はすぐ死ぬわね!」
アイラは肩越しに怒鳴った。
「……そんなこと、わたしが一番わかってるさ。周りはバケモノだらけだ。至宝天の中じゃ、わたしが一番弱い、ってな」
「自覚があるなら、話が早いわ」
朗らかと言ってもいいほどに、アイラは声を弾ませた。
「戦士としてもっとマシになるように、鍛えてあげる、お義姉さまっ!」
「えっ…!?」
驚いてエーヴが振り向いた瞬間。
奇跡が起こった。
「なっ…!? 何なの、これっ!?」
【裏ショートストーリー】
アヴァンシア「シルヴィアがガゼルの器に、ですか」
オクタヴィア「そのようです。アベニールが夢見で告げたとか」
アヴァンシア「ふ〜ん。あの小娘が、そんなにも立派なシロモノだったとは、ついぞ見抜けませんでした」
オクタヴィア「それは私も同じです。ずば抜けた戦略家だとは思っていましたが」
アヴァンシア「もともと姉さまの評価は高かったのですね。でも、姉さまからそんなこと、一言も聞いたことはありませんでしたよ」
オクタヴィア「あなたがいない間にちょっとした事件があったのです」
アヴァンシア「……略奪婚ですか」
オクタヴィア「知っていましたか。端からはそう見えるでしょうね」
アヴァンシア「グロリアを助けるため…ですね?」
オクタヴィア「そのとおりです。シルヴィアは、身代わりになることでグロリアを助けた上に、夫を皇帝にまで押し上げてカトゥスとの同盟を強固にしました」
アヴァンシア「ふ〜ん…。姉さま。シルヴィアたちは『迷いの森』へ何をしに行ったのですか」
オクタヴィア「アベニールの指示のようです。まずは『迷いの森』を目指せ、と」
アヴァンシア「まずは…ですか」
オクタヴィア「……どうしました?」
アヴァンシア「いえ。ちょっと思い出したことがあって。王宮の地下牢の先に、『禁忌の間』がありましたよね?」
オクタヴィア「そうですね。決して誰も踏み入ってはならないとされています。禁忌を犯せば呪われるそうです」
アヴァンシア「行ってみませんか?」
オクタヴィア「えっ…!?」
アヴァンシア「確かめたいことがあるのです。無論、無理にとは言いません。私一人でも行ってきます」
オクタヴィア「……いいでしょう。呪われるなら、共に呪われましょう」




