第348話 月の戦士
「どうしました、グロリア」
「あっ…オクタヴィアお姉さま」
中庭に面した回廊で独り庭園を眺めていると、オクタヴィアが通りかかった。慌てて姉に対し膝折礼をする。
「ご機嫌麗しく―」
「挨拶などよい。それより、顔色がすぐれませんね。何か心配ごとでもあるのですか」
「いえ…心配といいますか…」
「セリナのことですか」
「……オクタヴィアお姉さまは、何でもお見通しなのですね」
オクタヴィアは、グロリアに並んで庭園に目を向けた。
「セリナのことを、軽蔑しますか?」
「……」
「仁愛のグロリアにして、やはり許せませんか」
「許せないなどと、私ごときが言える立ち場ではありませんが…ショックではありました」
「確かに、不倫は、倫理的に許せることではありません。しかし、セリナにとっては、浮気ではなく、本気の愛だったのです」
セリナは、幼少時から剣術が大好きだった。カリーナが剣術好きになったのは、セリナの影響だったのだが、それはさておき、7歳のときに、王家の剣術師範と出会った。名をレヴァンテ・ドゥビルという。このとき29歳であった。
レヴァンテは、セリナの才能を見抜き、与え得る限りの技と知識を伝えた。セリナもよく学び、たちまち剣士として技量を高めた。
セリナにとって、レヴァンテは尊敬する師匠であると同時に、いつしか恋愛対象となっていった。
しかし、レヴァンテには既に妻子がいた。ただし、夫婦仲は悪く、家に帰らず道場に泊まることもたびたびだった。
一人暮らしを見かねたセリナは、レヴァンテの身の回りの世話をするようになった。そのころには、16歳の美少女へと成長していた。
無論、当初は、王女に侍女のようなことはさせられないと、レヴァンテは固く断っていた。しかし何度断られてもセリナは押しかけるのをやめなかった。その強情さに、とうとうレヴァンテは折れて彼女を受け入れるようになった。
「―二人の間に、どのようなやり取りがあったのかまでは知りません。知ろうとも思わない。確かなのは、いつしか二人は愛し合うようになったということです」
「……でも、彼には奥さまが…」
「グロリアの言いたいこともわかります。そのときレヴァンテは前妻と離婚が成立していなかった。そうである以上、不倫のそしりは免れません。結果、彼女たちが採った選択肢は、駆け落ちだったのです」
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「シャアーッ!」
ジュディは、長い爪を立てて襲いかかった。左右の高速連打を繰り出す。セリナは、驚異的な剣さばきで尽くはじき返した。
むしろ、セリナの剣のスピードが爪を上回っていく。
「な…な…なっ!?」
速さには絶対の自信があったジュディは、徐々に追い詰められ焦り出す。
「シャアーッ!」
咄嗟にジュディは、両手の爪で剣を挟み込んだ。間を置かず尻尾の蛇が鎌首をもたげた。
セリナは、剣を離した。瞠目したジュディには構わず横っ飛びで蛇の炎をかわす。
「バカがっ! 剣を捨ててどうする―」
言い果てもせず、セリナの拳が唸りを上げた。そのこぶしには、カイザーナックルが嵌められていた。
「―ウソだろっ!?」
セリナのラッシュに、ジュディは防戦一方になった。尻尾の蛇が身を伸ばした。強烈なセリナの蹴りがジュディに炸裂した。吹き飛ばされたジュディは激しく地面を転がった。
「―ぐっ…!」
ジュディは、お腹を押さえながら、立ち上がった。
「……」
セリナは、無言でクイックイッと手首を曲げた。挑発ポーズに、ジュディは激怒した。
「キさマーっ! 絶対に許さンゾぉーッ!」
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「セリナとレヴァンテは、愛を貫くため、駆け落ちしたのです」
「どうしてそんなことを…」
「思い詰めていたのでしょう、周りが見えなくなるほど。それだけセリナは、深くレヴァンテを愛していたのです」
「……軽率、だと思います。でも、当事者ではないから言えるのでしょうね」
「グロリアは、優しい。一生懸命、セリナを理解しようとしてくれている」
「私の姉ですから。できれば味方になってあげたい」
「皆もそのように思ってくれれば良かったのですが、世の中というのは、そう甘くありません。お父さまは激怒なさり、勘当してしまいました。当人は覚悟の上の駆け落ちだったでしょうが」
「ほかに方法はなかったのでしょうか」
「いろいろあったはずです。少なくとも、私に相談してくれれば、いくらでも打てる手はありました。何を言うにもセリナはまだ16だった。でも、ちょうどそのころ、私は結婚話が進んでいました。正直、自分のことにかまけてセリナに気を配ってあげられなかった。今でも悔やんでいます」
「お姉さま…」
グロリアは、思わず姉の横顔を見つめた。何事も完璧で間違うことなどない『黒の女王』は、それでは悔やむことがあるのだ。
そう思うと、急に親近感が湧いてきた。11歳も年上で、遠い存在だった姉が、人としての温もりを伴って鮮やかに浮かび上がった。
「私は、八方手を尽くして二人の行方を捜しました。幸いすぐに見つかりました。そして、お父さまに知られぬよう、シフォン家に匿ったのです」
「……もしや、罪滅ぼし、ですか?」
「そのような大げさなものではありませんよ。……まあ、確かに心の隅にはあったと思います。しかし私は、グロリアが思うほど純粋な性格はしていません。打算のほうが大きい」
「……」
「私は、彼女の才を惜しんだのです。このまま市井に埋もれさせるにはもったいないほどの才があの子にはある」
「それが、武術だと?」
「そうです。彼女こそ、武の化身。剣だけではありません。拳術、槍術、弓術、棒術、あらゆる武芸に通じたまさに天才。月の戦士なのです」
「月の戦士…」
「月の女神セレネにもじって、私が勝手に呼んでいるだけなのですが」
グロリアは思った。シルヴィアは、まさに太陽の女神。周囲を明るく照らし、人々を希望へと導く。セリナは、冴え渡る月光で夜を照らし、人々を闇から護る守護神。
二人が手を組めば、最強なのではないか? セヴィルなど、容易く葬ることができるのではないか?
「だがら、王命に逆らってでも、セリナを守ってきたのです。我が国にとって、非常に有為な人材ですから」
「―お姉さまの妹で良かった」
「……何と言いました?」
オクタヴィアは、思いもよらぬ言葉を聞いた、とでも言うかのように、目を瞠った。
「私、オクタヴィアお姉さまの妹に生まれて、今ほど嬉しいと思ったことはありません」
「何ですか、急に」
「オクタヴィアお姉さまは、家族想いの素敵な姉上です。お姉さまがいらっしゃる限り、カトゥスは安泰ですわ。安心してルプスに嫁入りできます」
「……あなたはもう、嫁入りしているではないですか」
「そうですね。―ええ、私はもう、ルプスの者でした」
グロリアは、ふわりと笑った。実に楽しそうに。
しばらく妹の笑顔を無言で眺めていたオクタヴィアは、ふいと前を向いた。
「―さて。私が出しゃばるのはあまり好ましくないのですが、今は非常時。我が国も万全の体制を敷く必要があります。そろそろ、もう一人の妹も呼び戻しましょう」
「えっ…?」
「とは言っても、いったい今はどこをほっつき歩いているやら、見当もつきませんが」
漆黒の瞳がきらりと光った。その瞳に映るものは何であっただろうか。それはもしかしたら、近未来の世界だったのかもしれない。
【裏ショートストーリー】
ランディ「勝負ありだな」
ゼスト「ま、まだだっ」
ランディ「脚を痛めたんだろう? それでどうやって闘う?」
ゼスト「くっ…!」
ランディ「トドメだ、猫っ!」
カリーナ「おおっと、そこまでだ、カマキリ野郎」
ゼスト「カリーナ姫さま!?」
ランディ「お前…確か以前、『迷いの森』で会った猫か」
ドラード「ゼストどのではないか」
ゼスト「ドラード殿下まで来てくださったのですか」
ランディ「お前も、あのとき一緒にいた犬だな」
カリーナ「あっ!? 逃げるなっ……ああ、行っちまいやがった」
ゼスト「あの方角は…! カリーナ姫さま、カマキリが逃げた先にはセリナ姫さまがおられます!」
カリーナ「セリナだと!? あいつは親父に勘当されて行方知れずじゃ…」
ゼスト「オクタヴィア姫さまに匿われていたのです!」
カリーナ「へえ…。面白そうだな。詳しく説明しろ」
ゼスト「それより早く助けに行ってあげてください。猫もどきと闘ってらっしゃるんです!」
カリーナ「……腕が鈍ってなきゃ、二匹相手だろうと後れを取るようなタマじゃねえけどな。ま、貸しを作るのも悪くねえ」
ドラード「……ゼストどの。怪我をされてるのか?」
ゼスト「面目ありません」
ドラード「肩を貸そう」
ゼスト「そんな…! 王太子さまにそのようなこと…」
ドラード「遠慮するな」
カリーナ「旦那さま、ごめんなさぁ〜い。あたし、姉に助太刀してきますぅ。ゼストのこと、お願いしてもいいですかぁ?」
ドラード「構わん。先に行け。すぐ追いつく」
カリーナ「はぁ〜い! ……ゼスト、旦那さまにあまり迷惑かけんじゃねえぞ!」
ゼスト「……」




