第343話 過去との決別
シルヴィアは、久しぶりに自身の執務室に来ていた。通称『猫耳王女のサロン』である。
大きなお腹を抱えて、会議用のテーブル席に陣取った。伴っているのはサンドラ一人である。身重のメロディは、子どもたちの世話をしている。コレットは、意図的に残してきた。
ジェレミーから、会談の申し出を受けたからである。
「今さら、何の用でしょうか」
サンドラが怒ったように言った。
「まさか、コレットとよりを戻したいなどと…」
「わからないわ。とにかく話を聞いてみなくては、何とも言えない」
「そもそも、申し出など受けなくても良かったのです。コレットは正式に交際を断っているのですから」
「そうもいかないわ、相談があるというのだから。皇后としては、臣下の悩み事には耳を傾けなくては」
「シルヴィアさまは、お優し過ぎます」
「―失礼します、陛下」
ドアがノックされた。シルヴィアがうなづくのを見て、サンドラが案内に立った。
「―にゃっ!?」
入ってきた人物をみて、シルヴィアは思わず驚きの声を上げた。
それもそのはず、ジェレミーに続けてミレーユが姿を現したからだ。
「シルヴィア陛下。この度は、ジェレミーの申し出を快くお受けくださり、誠にありがとうございます」
ジェレミーが優雅に挨拶した。あまりにも堂々とした態度に、シルヴィアの眉根が寄った。彼の様子がおかしい。シルヴィアの知るジェレミーは、もっと気弱で腰の引けた青年のはずだ。
「……にゃ? ジェレミーの申し出…?」
ふと、ジェレミーの挨拶に違和感を覚えた。
「ちょっとした事情で、僕は今、アルフォンスと申します」
「……ご相談というのは、その偽名のこと? 何かあったの?」
「あ、いや。相談というのは僕のことではありません。彼女のほうでして」
アルフォンスは、背後に控えるミレーユを振り返った。
「……ご機嫌よう、シルヴィア陛下」
ミレーユは、膝折礼をしてみせた。シルヴィアは申し訳なさそうに言った。
「座ったままでごめんなさい」
「いえいえ。お世継ぎを身ごもっていらっしゃる大事のお体ですから」
アルフォンスが応える。ミレーユは視線を合わせようとしない。
「……ともかく、お二人ともお座りになって」
シルヴィアに促されて、二人は腰を落ち着けた。
「―ミレーユさまにお会いできて、とても嬉しいわ」
サンドラの給仕でコーヒーが配膳されたところで、シルヴィアが口を開いた。
「ときを見て、こちらからお声がけをさせていただこうと思っていたの」
「……二度と会わないと啖呵を切っておきながら、どの面下げてのこのこと会いに来たのかと、お思いでしょうね」
「そんなこと、これっぽっちも思っていないわ。本当よ」
「……」
「ミレーユから、パーティーでのことを聞きました」
黙り込んだミレーユに代わって、アルフォンスが言葉を継いだ。
「彼女は後悔しているんです。もっと陛下と話し合うべきだったと。だから、僕の名前で会談を申し込んだのです。騙すようなやり方をして大変申し訳ありません。お気を悪くされたのなら、幾重にもお詫びしますが、彼女は決して悪くありません。どうか、話を聞いてあげていただけませんか」
シルヴィアは、目を丸くして端正な顔立ちの青年を見つめた。どう見ても、シルヴィアの知っているジェレミーではない。
「―驚いたわ。ジェレミーさまは、人が違ったよう。そんなに饒舌だったなんて、知らなかった」
アルフォンスとミレーユは見つめ合った。アルフォンスが肩をすくめた。思わずという感じでミレーユの口元がほころんだ。ますます驚いてシルヴィアが見比べた。
「―それに、いつの間にお二人は知り合われたの? とても仲が良さそう」
「違いますっ。この傲慢な男とは、別に何の関係もありませんからっ」
顔を赤くしながらミレーユが強い口調で言った。シルヴィアは、ぽかんと口を開けてミレーユを見つめた。
ハッとしたように蒼い瞳を見開くと、ミレーユは更に顔を赤くしてうつむいてしまった。
「……ミレーユ。肝心なことを話せていないよ」
アルフォンスは、優しくミレーユにささやいた。
「僕たちのロマンスを報告しにきたわけではないだろう?」
「……!」
ミレーユは、キッと睨んだ。アルフォンスは、ただ微笑んで静かに受け止めている。
「まあ…。ミレーユさま。良い方を見つけられたのね。なんだか嬉しくなってきたわ。ご相談って、ジェレミーさまとのお付き合いのことなのでしょ?」
「えっ…!?」
「大賛成だわ。あ…! もしかして、キュリー公に反対されているとか? それなら、私が仲立ちしますわ」
「ちょ、ちょっと…」
「ミレーユさまには、幸せになってもらいたいもの。後押ししますよ。今は身分差なんて関係ない―」
「勝手なこと言わないでよっ!」
独り盛り上がるシルヴィアに、ミレーユは怒鳴りつけた。
「あなたって、どうしてそうも上から目線なの? 幸せになってもらいたい? どの口が言うの、私からリオネルさまを奪っておいて!」
「そ、そんなつもりで言ったわけじゃ―」
「そうよね、いつもあなたはそんなつもりじゃないんだわ。善意のつもりで平気で人を傷つけるのよ。どれだけ周りを傷つけているのか、わかっているの!?」
「……」
「あなたは、いいわよね? 人から好かれて、太陽のように輝いていて。いつも周りに人が集まっているあなたには、孤独な者の気持ちなんてわかるわけがない。人から白い眼で見られて、誰も味方になってくれず、独り黙って一日を過ごしてみなさいよ。二度とそんな口を利こうとは思わないでしょうよ!」
興奮して一気にまくし立てたミレーユは、言葉を切り、肩でゼェゼェと息をついた。しばらく誰も口を開こうとしない。
その静寂を破ったのは、サンドラだった。
「―気が済んだか?」
「なんですって…」
心外なことを言われたように、蒼い瞳が見開かれた。サンドラは構わず更に被せた。
「言いたいことが言えて、気が済んだのか、と聞いているんだ」
「ぶ、無礼な! 侍女風情が―」
「そうだ。私はシルヴィアさまのただの侍女だ。でもシルヴィアさまは、一度たりともお前のような口の利き方をなさったことはない」
「……!」
「お前のような独りよがりには、理解できないだろうが、シルヴィアさまがただそこにいるだけで人が集まってくると思っているのか? とんだ勘違いだ」
「―サンドラ。もういいわ」
シルヴィアは悲しそうに金色の瞳を伏せたが、サンドラは止めなかった。
「人が集まるのは、信ずるに足る業績をこれまで重ねてきたからだ。翻ってお前はどうだ? 人のために何かを為したのか? 自分のためではなく、ただ人のために努力をしたことがあるのか? お前は、うらやんでるだけだ。努力もせず、己の境遇を恨んでシルヴィアさまに責任転嫁しているだけだ。そんな最低な奴に、人が集まるわけがない」
「サンドラっ! やめなさいと言っているのがわからないの!?」
「はっ。出過ぎたまねをいたしました。大変申し訳ございません!」
シルヴィアに叱責され、ようやくサンドラは控えた。
ミレーユは肩を震わせて面を伏せていた。アルフォンスが心配そうに彼女を見つめている。
「―あの…ミレーユさま。私の侍女が失礼をいたしました。どうかお許しを―」
「……ええ、そうよ。言われなくても初めからわかってた」
ミレーユの声が震えている。
「私は、うらやんでいたわ。あなたに初めて会ったときから、ずっと、ずうっと嫉妬していた。どうして私はこうなんだろうって。あなたとの違いは何だろうって。あなたになりたかった。私は、あなたみたいになりたかった!」
「―なれるわ」
「……!」
ミレーユは顔を上げた。蒼い瞳いっぱいに涙を溜めて。
「今からだって遅くない。ミレーユさまは、誰も周りにいないと仰るけど、少なくともジェレミーさまは寄り添ってくださっているわ。ジェレミーさまのために何かを為すことは、今からだってできる」
ミレーユは、ついに泣き崩れた。アルフォンスが抱き寄せた。その胸の中で泣き続けた。
「―ジェレミーさま」
もらい泣きしながら二人の様子を見ていたシルヴィアが、声をかけた。
「私が言うのもなんですけど、どうかミレーユさまを支えてあげてください」
「お任せください。僕は彼女の夫になるつもりですから」
「まあっ!? もうそこまでお話が進んでいるのね?」
「もっとも、再三のプロポーズを断られ続けているんですけどね」
「はい?」
爽やかに微笑むアルフォンスと泣き崩れるミレーユ。二人を見比べながら、シルヴィアの顔にはてなマークがあふれている。
「―いや、なに、僕は商売を始めようと思っているんです。彼女にもついてきてもらいたいんですけど、貴族の商売なんてうまくいくわけないと反対されてまして」
「事情はよくわかりませんけど、貴族だからって商いができないわけではないと思いますわ。かく言う私は、皇后の立ち場にありながら、お店の経営をしていますし」
「何でも完璧なシルヴィア陛下だからですよ。僕の商才については、彼女の信頼を勝ち得ていない状況なんです」
あはは、と明るく笑うジェレミーは、やはりシルヴィアの知っている彼とはまったくの別人だ。
「―もしかして、ジェレミーさまが変わられたのは、ミレーユさまの影響かしら」
「えっ」
「とても良いことだと思うわ。見ていて、お似合いのお二人よ」
「……そりゃ、どうも」
「ミレーユさまも、きっとあなたの優しさに救われるときが―」
「あっ!? 駄目っ!」
泣き崩れていたミレーユが、突然、叫んだ。しかし時既に遅く、アルフォンスの首がガクッと落ちた。あ然と見つめる中、またすぐにジェレミーが顔を上げた。
「―あ、あれ? ここはどこ? あっ!?」
ジェレミーは、慌ててミレーユから身体を離した。
「な、な、なんで、いつもあなたがいるの? そ、それにどうしてシルヴィアさまがここにいるの? アルフォンスは、いったい何をしているの!?」
「落ち着いて、ジェレミー! 私の言うことをよく聞いてっ」
震えるジェレミーの肩を抱いて、ミレーユは叫ぶように言った。
「弱虫! あなたは弱虫よっ!」
再びジェレミーの首が落ちた。すぐに顔を上げる。
「う…」
アルフォンスは、一瞬、辺りを見回すと、肩をすくめた。
「また記憶を盗まれた。でも、さっきと状況が変わっていないところを見ると、ミレーユがすぐに呼び戻してくれたんだね」
「アルフォンス…」
二人は固く抱き合った。目を丸くして見つめていたシルヴィアがつぶやくように言った。
「―今のは、いったい何のお芝居なの?」
「いえ、芝居ではありません、陛下」
アルフォンスは、容を改めた。
「僕の秘密をお話しします。でも、他言無用に願います。影響が大きいので」
「もちろん。決して口外しないと誓うわ」
アルフォンスは、淡々と語り始めた。耳を傾けていたシルヴィアの表情が、次第に驚きの色に染め上がっていった。
【裏ショートストーリー】
アルフォンス「シルヴィア陛下の執務室は、この先だっけ」
ミレーユ「……ねえ、アルフォンス。やっぱりやめない?」
アルフォンス「ここまで来て、今さら何を言うんだ」
ミレーユ「だって…」
アルフォンス「お約束してしまったし、第一、こちらから申し込んでおいてドタキャンするなんて、失礼だよ」
ミレーユ「あの人を目の前にしたら、何を言い出すか自分でも自信がないの。そのほうが失礼になってしまいそうだし…」
アルフォンス「大丈夫。僕がついてる。心配するな」
ミレーユ「アルフォンス…」
アルフォンス「逃げでは駄目だ。ここを乗り越えなくちゃ、きみは真の意味で生まれ変われないよ」
ミレーユ「私…生まれ変わりたいのかな…」
アルフォンス「少なくとも、立ち止まったままのように僕には見える。前に一歩も進めていない」
ミレーユ「それは…私もそう思うけど…」
アルフォンス「前に進むためには、生まれ変わるくらいでなくちゃ」
ミレーユ「うん…」
アルフォンス「いい意味でシルヴィア陛下を利用しよう。そう思えば、愉快だろ? 天下の皇后陛下を、僕たちが利用するんだ」
ミレーユ「アルフォンスったら…」
アルフォンス「……さあ、着いたよ、お姫さま。覚悟を決めるんだ」
ミレーユ「……ええ。わかったわ」
アルフォンス「それじゃ、いくよ」
ミレーユ「……」
アルフォンス「……失礼します、陛下」




