第340話 妻としての度量
「―お義姉さまっ!」
フルールが息せき切って駆け寄ってきた。
「フルールさま!?」
二人は抱き合って再会を喜び合った。
「きゃあ〜っ! お久しぶりです〜。お元気でしたか?」
「はいっ、おかげさまで。お義姉さまもお変わりなく」
「ありがと〜」
「お義姉さまがリシャールに戻ってきてらっしゃるとお聞きして、取るものもとりあえずご挨拶に伺いました」
「幼年学校が夏休みになったので、思い切って来ちゃった」
「あの…」
フルールは、ちらちらとヴァネッサの表情を窺った。ピンときたヴァネッサは、含み笑いをした。
「エミリアンなら、来ていないわよ」
「そう…ですか」
明らかに落胆した様子のフルールの手を取った。
「私だけじゃ、ご不満?」
「―! い、いえ、決してそのようなことは…」
「ふふふっ。冗談よっ」
ひとしきり笑い転げた後、ヴァネッサは、フルールの碧眼を覗き込んだ。
「……実はね、あの子も誘ったのよ。一緒に行きましょう、って」
「えっ…」
「そしたら、断られちゃった。フルールさまとの約束を果たすまでは我慢するのですって」
「エミリアンがそんなことを…」
「―これ、プロミスバンドでしょ?」
手首に巻いた赤と桃色の紐に視線を落とした。
「は、はい」
「エミリアンも同じ物を巻いているわ。しょっちゅう眺めているわよ。―ニヤニヤしながらね」
「えっ―」
「嘘よっ! 嘘っ!」
「……お義姉さま。お人が悪くなりましたね」
「ごめんなさい。からかうつもりはなかったのだけど、フルールさまがあまりに可愛いから、つい」
「……」
ふいにヴァネッサは、真剣な表情に戻った。
「―エミリアンは、いつも大事そうにしているわ、そのプロミスバンド」
「―!」
「大切な約束を願掛けしているのでしょ?」
「……はい」
「必ず、適うと思うわ。だから、頑張って」
「お義姉さま…」
碧眼が少し潤んだ。
「―ねえ、フルールさまっ。お話ししたいことがたくさんあるの!」
ヴァネッサは、声を弾ませた。
「後で時間を合わせましょう。あなたのお話も聞かせて。私たちがいなくなってからのリシャールの話を」
「ええ、是非。なんなら、今からでも構いませんが」
「……ごめんなさい。これから私、どうしても行かなくてはならないところがあるの」
「そうですか。わかりました。それでは、お義姉さまのご用事が終わってからということで。―ところで、どちらへ行かれるのですか?」
問われて、ヴァネッサの青白磁の瞳が、ギラッと光った。
「大したところではないわ。―ただの恋敵よ」
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「―あ、いたいた」
食堂でジョゼと休憩していると、隊員が探しにきた。妙に慌てている。
「どうしたの? 緊急時?」
「ある意味な。お前ら二人に面会客だぞ」
「えっ…!? 面会?」
「それも、とびっきりの美女だ」
思わずジョゼと顔を見合わせた。いったい誰だろう。まったく心当たりがない。
「お名前は…?」
「聞いて驚け。ヴァネッサ姫さ」
「……?」
「えっ…? 知らんのか、ヴァネッサ・ケヴィンを。ルメール王国の王女さまだぞ」
「……知らないわ」
「は…? じゃあ、何でお前らを名指しで尋ねてくるんだよ?」
「わかるわけないでしょ」
「……とにかく待たせちゃ悪い。早く行ったほうがいい」
アイラたちは、首を捻りながら面会室へと向かった。
「―失礼します」
一歩面会室へ入ると、そこで固まってしまった。椅子から立ち上がった美少女は、忘れようにも忘れられない。
「……先日は失礼いたしました」
ヴァネッサがにこっと微笑んだ。
「あなたがルメールの王女さま…」
呆然と佇むアイラの横で、突然ジョゼが叫び始めた。
「申し訳ありませんっ! 申し訳ありませんっ! 申し訳ありませんっ!」
「ちょ、ちょっと―」
戸惑うヴァネッサに構わず、ジョゼは頭を下げ続けた。
「ルメールの王女さまとは露知らず、大変失礼いたしましたっ! お許しください! どうかお許しを!」
「ちょっと待って、ジョゼさま!」
ヴァネッサは、飛びつくようにしてジョゼを抱きしめた。ジョゼは、全身を震わせていた。
「あなたを責めに来たのではありません。むしろ、お詫びにきたのです」
「え…」
ジョゼは、花紺青色の瞳を見開いた。その瞳からは、一粒の涙がこぼれ落ちた。
「責めに来られたのではない…?」
「ええ、そうです。頭からあなたを浮気相手と決めつけてしまったことに対して、お詫びしに参りました」
「―!」
ジョゼの涙腺が崩壊した。
「……うわ〜んっ!」
「泣かないで。ね、ジョゼさま。泣かないで」
「―あの、落ち着いて話し合いませんか」
アイラが二人に着席するよう促した。それぞれ、席に落ち着く。当然のように、アイラとジョゼが並び、ヴァネッサが向かい合う形になった。
「―あの後、バルケッタさまから詳しくお聞きしました」
ヴァネッサが、ゆっくりと話し始めた。ジョゼはまだ、鼻をすすっている。
「お二人には、いろいろとお世話になったようで、私からもお礼を申し上げます。ありがとうございました」
「いえ、とんでもない」
アイラが手を振った。
「もともと、こちらがバルケッタさまにご迷惑をおかけしたのです。そのほんのお詫びのしるしで、少しお手伝いをしただけで」
「バルケッタさまは、ああいう方ですので、お二人のお気持ちを察することもできなかったに違いありません。本当にごめんなさい。本人にはきつく言い聞かせましたので、もうご迷惑をおかけすることはないと存じます」
(……なるほど。すべてお見通しということなのね)
アイラは、ルメールの王女を改めて見直した。
浮気相手と間違えた、と先に言っていたが、その実、こちらには下心があったことを見透かしている。
「……あの、王女さま」
おずおずとジョゼが口を開いた。
「やっぱり私、お詫びしなければなりません。本当のことを言うと、バルケッタさまに憧れていました。お近づきになれたことを運命の出会い、とまで思い込んでしまいました。婚約者さまがいらっしゃるとは存じ上げず、本当に申し訳ありませんでした」
「私たちの婚約、昨年皇室が発表してくださったのです。だから、結構有名だと思っていたのだけど、そうでもなかったのね」
「私は、最近ルプスから来たばかりで、ブランシャールのことはよく知らないのです。この子は…」
アイラは、打ち沈んだジョゼに視線を送った。
「……ちょっと事情があって、つい最近まで自分のことで手一杯だったのです。きっと周りのことは見えていなかったのだと思いますわ」
「皆さん当然ご存知だと思い上がっていた私が悪かったわ。知った上で、私の不在を良いことに横取りしようとちょっかいを出してきた性悪女かと、すっかり思い込んでしまった」
「も、申し訳ありません…」
「でも、こうして直接ちゃんと話してみて、あなたはそんな人じゃない、と、よくわかりました」
「……」
「かえって嫌な思いをさせてしまった。本当にごめんなさい」
(ふ〜ん。よくできた方なのね。私たちを非難してもいいところなのに、逆に謝罪するなんて。しかも、あけすけにものを言うところも、なかなか…)
アイラは、密かにルメールの王女へ好感を抱いた。見たところ、まだ14、5か。幼年学校を卒業したら、結婚する約束になっているのかもしれない。
「……王女さま。もう二度とバルケッタさまとはお会いしません。どうかお許しください」
それでもジョゼは、どこまでも下手に出ている。身分差の意識も彼女を縛る理由なのだろうが、万事控えめな性格が強く影響しているのに違いない。
彼女の性格をどうにかしてあげたい。
そう考えていると、ヴァネッサが驚きの提案をしてきた。
「もしよろしかったら、今後もバルケッタさまの面倒をみてあげてくださいませんか」
「えっ…!?」
ジョゼは、目を白黒させている。アイラも内心、仰天していた。未遂とはいえ、彼氏に気があったと告白している相手に世話を依頼するとは、どういうつもりなのだろう?
「もちろん、この先ずっと、というわけではありません。来年の夏までの限定です」
アイラの内心を知ってか知らずか、ヴァネッサは、そう言った。
「……」
「私、夏休み明けには幼年学校の最終学年になりますの。来年の卒業後は、居をリシャールに移そうと考えています」
やはり、そうか。そこで正式に結婚という段取りになっているのだろう。
「それまでバルケッタさまを野放しにしていたら、せっかく綺麗に掃除していただいた部屋が、またゴミ溜めに戻ってしまいますわ」
「確かに…」
言って、ハッとした。慌てて謝罪した。
「も、申し訳ありません。失礼なことを―」
「いえ。いいんですよ。アイラさまの仰る通りですもの」
ころころとヴァネッサは、陽気に笑い転げた。ますます彼女のことが好きになっていく自分に、アイラは大いに戸惑っていた。
「……それに、面倒と言ってもお時間のあるときで全然構いません。むしろ、毎日は困るわ。いくら婚約者公認とはいえ、お美しい女性が頻繁に出入りしていたら、あらぬ噂が立ちかねないし」
「……」
「もちろん、顔を合わせづらいということでしたら、無理にとは申しません。1年後、ゴミ溜めを私が綺麗にするまでのこと。―どうかしら?」
アイラは、ちらっと横目でジョゼを見やると、言い切った。
「是非、お任せください。無論、お部屋にお伺いする際は、必ず二人で参りますので、ご懸念なさいませぬよう」
「わあっ、ありがとう。お二人も軍のお仕事で大変でしょうに、こんなことお願いしてしまって、ごめんなさいね」
「とんでもありません。―でも、本当によろしいのですか?」
「バルケッタさまをお預けすること? それなら、心配していません。お二人は信用できると確信しましたから。それに―」
ヴァネッサは、青白磁の瞳をキラキラと輝かせた。そこには、一点の曇りもなかった。
「バルケッタさまは、絶対に浮気はなさいません。これだけは確信を持って言えます。だって、私が選んだ方ですもの。間違いがあるわけないわ!」
【裏ショートストーリー】
フルール「……それじゃ、お義姉さまご不在の間、浮気相手にバルケッタさまのお世話を頼んでしまわれたの?」
ヴァネッサ「浮気相手じゃ、ないわ。なりかけたけど」
フルール「凄いご決断だわ。ちょっと私には考えられない」
ヴァネッサ「今のところ、エミリアンに近づく女性はいないみたいだから、それは安心して」
フルール「……女性として、そういう覚悟は常に持っていたほうがいいのでしょうか?」
ヴァネッサ「そうね。男なんて、どこでどうか転ぶか、わかったものではないものね。まさか、リオネルさまが浮気をするなんて、誰も思わないし」
フルール「その件は、くれぐれも胸の内に収めておいてください。公式には、シルヴィアさまの里帰りということになっていますから」
ヴァネッサ「わかってるわよ。フルールさまも、お父上さまからそう厳命されているのだったわね」
フルール「……でも、エミリアンがほかの女性に心を移すなんて、到底考えられません」
ヴァネッサ「エミリアンはそうでも、ちょっかいを出してくる女はいるものよ。そういうとき、彼女として、もしくは妻として、どう対処するかは試されると思うわ」
フルール「勉強になります」
ヴァネッサ「私の真似をしても大して意味はないわ。フルールさまにはフルールさまのやり方があると思うわよ」
フルール「それでもやっぱりお義姉さまは、凄いと思います。バルケッタさまを、心から信頼なさっておいでなのですね」
ヴァネッサ「どうにも世話の焼ける問題だらけの天才児だけどね」




