第339話 緊迫の辺境
「ここがルプスの王宮〜?」
城壁を遠望していたジュディが元気よく飛び跳ねた。
「田舎の小国って聞いてたけど、結構高い城壁だね〜」
「城壁など、私たちの前では何の意味もない」
ランディは、携えてきた小さな箱を取り出した。一見、宝石箱に見えるその蓋を無造作に開けた。途端、黒い瘴気が溢れ出し、トカゲ兵が姿を現した。みるみる数を増やし辺り一面埋め尽くす。
「行け、ディガンマ。城壁を落としてこい」
トカゲ兵たちは、一斉に城壁目指して走り出した。
異変に気づいた門兵が慌てて槍を構えたが、あっという間にトカゲ兵に飲み込まれた。
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「陛下っ! 一大事ですっ!」
宰相のターセル・ストラーダが、息せき切って駆け込んできた。
カリーナはそのとき、家族6人で朝食後のお茶を楽しんでいるところだった。
「お前がそんなに慌てるのは珍しいな」
国王のグリスがからかうように言った。まだ国王一家は、平和なのんびりムードであったが、次のターセルの一言で雰囲気が一変した。
「正体不明の軍が突如現れ、城壁を突破されました!」
「何だと!?」
グリスはガタッと椅子を蹴倒して立ち上がった。
「どういうことだ? 門兵は何をしていた?」
「まったくわかりません。空中から湧いて出たとしか―」
「そんな馬鹿なことがあるか!」
「ターセル。その軍はどういう連中だ? 種族もわからぬのか?」
ドラードが冷静に尋ねた。カリーナは会話を横目に静かに立ち上がり、壁にかけた剣に手を伸ばそうとしていた。
「種族も不明です。トカゲのような姿をしており、応戦に出た城兵を喰らいながら、ここへ向かってきています!」
「きゃあ〜っ!?」
グロリアが悲鳴を上げた。アズールがすぐに彼女の肩を抱き寄せた。
「大丈夫だっ! グロリアは俺が必ず守る!」
「―これ以上は問答無用だ」
カリーナは、剣をスラリと抜いた。
「そいつらは、おそらくガブリエルの兵隊だ。きっと喋る魔獣も来てるぞ」
「カリーナ! 闘うな!」
ドラードが怒鳴った。
「ここは、私が食い止める。お前は父上たちを守ってカトゥスへ避難しろ」
「嫌です、旦那さま。あたしも残って共に闘います」
「何だと!? 私の言うことが聞けないというのか?」
「こればかりは聞けません。あたしは、旦那さまに嫁いできたときから、生きるも死ぬも一緒と心に決めているのです」
「カリーナ…」
王宮の人々の阿鼻叫喚が、さざ波のように聞こえてきた。
「時間がありません、旦那さまっ!」
一瞬蒼い瞳を伏せたドラードは、すぐに決然と顔を上げた。
「アズール!」
「はっ!」
「奥にいる子どもたちを連れて、ただちにカトゥスへ避難せよ」
「承知!」
「父上。母上とグロリアをお頼みします。我らはここで時間を稼ぎます故、どうかカトゥスへお移りくださいますよう」
「わかった。ドラードよ、くれぐれも無理をするでないぞ」
「心得ております。ご案じなさいませぬよう」
アズールたちは、慌ただしく動き出した。その背に向けて、カリーナは一声かけた。
「アズール! 頼んだぞ」
金色の瞳が淡々と見つめてきた。そこには、気負いも憂いもなかった。信頼の色しかなかった。
その金色の瞳を見返したアズールは、ニヤリと笑った。
「任せておけ。俺を誰だと思ってる。ルプス王国第二王子、アズール・ルプスだぞ」
「―カリーナ。すまないが、お前の力を借りるぞ」
アズールたちが退出したことを確認すると、ドラードはカリーナの横に並んだ。黄金の髪が、ゆらゆらと揺らめいた。
「はい。旦那さま。存分にお使いください」
落ち着き払ってカリーナは応えた。静かに剣を構え直した。遠かった喧騒が、確実に近づいてきていた。
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ルプス王宮陥落。
その報は、カトゥスを激震させた。
襲撃してきたのは、ガブリエル軍。アズールによると、喋る魔獣がおよそ10万のトカゲ兵を率いてきたのだという。
「―そうか、敵兵は壁を登って来れるのか」
カトゥス国王ティーノは、顔を曇らせた。
「それでは、援軍を待つ籠城策が事実上意味をなさなくなりますね」
国王同様に、軍のトップであるゼストも憂愁を隠せない。
「兄者たちも、間もなくこちらへ来よう。お義父上さまには王宮奪還のため兵を借りたい」
アズールが前のめりになった。しかしティーノは、難しい顔をした。
「ルプスとは兄弟国。同盟条約もある。無論、一も二もなく兵をお貸ししたい。だが、いつ敵が我が国にも襲いかかってくるかしれない。ましてや、城壁を簡単に乗り越えてくるとしたら、防備を万全にせねば危うくなる」
「お父さま!? それではルプスを見殺しになさるというの?」
グロリアが非難の声を上げた。
「酷いわ。私が悪者に拉致された折、お義兄さまには助けていただいた恩義があります。その恩を忘れてルプスを助けなかったら、末代まで罵られましょう。カトゥスは恩知らずの恥知らずだと」
「―まったくその通りです」
そのとき部屋に入ってきたのは、オクタヴィアだった。マントを頭から被った正体不明の者が付き従っている。
「オクタヴィア!? いつこちらへ出てきた?」
「お父さま。ここは後先を考えているときではありません」
オクタヴィアは父王の問いを無視して、つかつかとその前に立った。
「例え王宮が手薄になろうと、ルプスに助力しなくてはなりません。ここは、無理をするところです。理由はたった今、グロリアが申し上げた通りです」
「む…」
ティーノは束の間、沈思した。皆が固唾をのんで見守る中、やがて顔を上げた。その丸い瞳は、力強く輝いていた。
「……ゼスト。国軍全軍を率いてルプスを救援せよ」
「全軍…ですか」
さすがに驚いて聞き返した。
「全軍だ。オクタヴィアが言ったであろう。ここは無理をするところだ」
「はっ。承知いたしました。ただちに出発いたします」
ゼストは、アズールと共に駆け足で退出していった。
「お父さま! ありがとうっ」
グロリアは、涙を流しながら父の首に抱きついた。ティーノは、照れくさそうにポンポンとグロリアの頭を撫でた。
「―お父さま。僭越ながら、王宮の守りはシフォン軍にお任せを」
「ん? そなた、兵まで連れてきておったのか」
「お父さまのことですから、賢明なご判断をなさると信じておりました故」
もしティーノが派兵の決断をしなかったら、シフォン兵を救援に向かわせるつもりだったのに違いない。
ティーノは、苦笑しながら娘を見た。通称『黒の女王』は、顔色一つ変えていない。
「―でも、指揮する将がいないわ」
ティアナが深刻そうに言った。
「ゼストが全軍を率いて行ってしまったし、アズールもついていった。シフォン軍に有名な将なんていたかしら」
「ティアナの懸念はもっともです」
オクタヴィアは後ろを振り返った。
「確かにシフォンには有力な将はいません。ですから、この者を連れてきたのです」
全身マントの者が一歩前に出た。無造作にマントを取った。途端、ティーノの顔色が変わった。
彼女は、淡紅藤色のショートヘアと同色の瞳をした美女だった。ティーノを前にして、無言で軽く頭を下げた。
「セリナっ!?」
思わず王妃ジーニアが駆け寄り抱きしめた。
「生きていたのね…生きて―」
その後が言葉にならない。
「―これは、どういうことだ、オクタヴィア!」
いつもは遠慮することが多い長女に対して、ティーノはこのときばかりは詰め寄った。
「こやつは追放したのだ。なぜここにいる!?」
「王命の重さは重々承知しております。されど、国家にとって有為な人材をみすみす手放すは愚の骨頂。故に私の一存でシフォンに匿っていました」
「勝手なことを。こやつは王女という地位を蔑ろにし、剣術師範の男と駆け落ちしたのだぞ。しかも相手は22も年が離れておる!」
「……この際、年の差は関係ないと思うけど」
ティアナは密かにつぶやいたが、興奮しているティーノには聞こえなかったようだ。
「そのようなやつは、親でも子でもない! さっさと国から追い出せっ!」
「陛下! せっかくこうして戻ってきてくれたのよ。もう許してあげて」
滂沱の涙を流しながら、ジーニアが訴えた。しかしティーノは頑なに拒否した。
「ならん! 綸言汗の如し、だ。一度下した決定を覆すわけにはいかん。率先して国民の模範にならねばならぬ国王自ら朝令暮改していては、国が治まらぬわ」
「お父さまの金言、至極ごもっとも」
オクタヴィアは、眉一つ動かさない。むしろ、冷徹とすら言えるほど冷静に言葉を連ねた。
「故にこの者は、セリナ・カトゥスではありません。シャマル・ミラージュと改名いたしました」
「な…に?」
「シャマルは、カトゥス王家から勘当された身。今はただの軍人にしか過ぎませぬ。王家とは何の関係もないシフォン軍の将軍なのです」
「そのような…詭弁、納得すると思うのか」
なおもティーノは抗弁を試みるが、声は弱々しかった。
「失礼ながらお父さま。これは詭弁ではなく、ただの事実です。彼女とて、生きていかなくてはならぬが道理。勘当された名は捨てて、生まれ変わったつもりでこれまで私に助力してくれていたのです。おかげで我が軍は、ブランシャールにも見劣りせぬ精鋭となりました。―手前味噌と仰られるかもしれませんが」
「……」
ついにティーノは黙り込んでしまった。当のセリナ…いや、シャマルは何を思うのか、じっと口を引き結んだまま、一言も発しない。
「―セリナ。母を許して。あなたを守ってあげられなかった。ごめんなさい。ごめんなさい…」
ジーニアは泣き崩れた。シャマルは、そっと母を抱きしめた。ジーニアは驚いたように涙に濡れた瞳を上げたが、すぐにまた涙の海の中へ沈んでしまった。
「―では、お父さま。王宮の守りはご安心ください」
『黒の女王』は、威厳に満ちた様子で高らかに宣言した。
「シャマルがいる限り、この王宮には、指一本触れさせませぬ!」
【裏ショートストーリー】
カリーナ「アズールっ!」
アズール「カリーナ! 無事か?」
カリーナ「当たり前だ。あんな奴ら、あたしたちにかかればただのゴミだ」
ドラード「しかし、喋る魔獣は強敵だった」
アズール「俺も闘いたかった〜」
ドラード「すぐにルプスへ立ち戻るぞ。思う存分闘え」
アズール「お任せください、兄者!」
カリーナ「ゼスト。悪かったな、救援に駆けつけてくれて」
ゼスト「何の、姫さま。当然のことです。ただ、オクタヴィア姫さまのお口添えがあってこそなのですが」
カリーナ「げっ!? オクタヴィアだって…何であいつが出てくるんだ?」
ゼスト「よくわかりませんが、独自の諜報団をお使いのようですので、情報に明るいのでしょう」
カリーナ「ちっ…。めんどくせえやつが出てきやがった」
ドラード「カリーナ。仮にも姉上君をそんな風に言ってはいけない」
カリーナ「だあってぇ〜、旦那さまぁ。彼女は国王でもないのに、いつも偉そうにしているのですものぉ〜。あたし、好きではないわぁ」
ドラード「オクタヴィアどのは、一廉の人物だ。彼女が国王になれば、カトゥスはますます安泰だろう」
カリーナ「あたしは、嫌ですぅ。そんなことになったら、実家には帰らないわ」
ドラード「……それは、またの話にしよう。今は時間が惜しい」
カリーナ「はいっ、旦那さま。……アズール! ゼスト! くっちゃべってるんじゃねえ! 気合い入れていけっ!」
アズール・ゼスト「……」




