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第338話 世界の片隅に咲く恋

キュリー家の馬車が車寄せに近づいてきた。


アルフォンスがその様子をじっと見つめる中、馬車の窓からミレーユが身を乗り出した。明るい笑顔で手を振っている。彼も応えて大きく手を振った。


馬車が車寄せに滑り込んできた。すかさずアルフォンスは馬車の扉を開けた。手を差し伸べると、ミレーユが握り返してきた。


「ありがとう、アルフォンス」


「どういたしまして」


彼以外、ディオン家で出迎える者はいない。キュリー公爵家の姫君となれば、使用人総出で出迎えてもおかしくないというのに。


それでもミレーユは、気分を害した様子もなく、彼のエスコートでディオン邸へと足を踏み入れた。


「―ようこそ、我が家へ。歓迎いたします、ミレーユ姫」


アルフォンスの私室で腰を落ち着けると、彼は優雅にお辞儀をしてみせた。


「今さら何? その貴公子のような振る舞いは?」


「失敬だな。僕はれっきとした貴公子さ」


(……確かに貴公子よね。深い闇を抱えたディオン家の)


二重人格。医学的には、解離性同一性障害と呼ばれる精神疾患である。


しかしこの時代、そんな知識は誰にもないし、病気とも思われていないので、医師の診断など受けるはずもない。


無論、アルフォンスもジェレミーも病院にはかかっていない。お互い、時間を盗まれたという表現で、折り合いをつけているだけだ。


人格が代わることを、ディオン家関係者以外で初めて知ったミレーユは、強い興味を覚えた。アルフォンスの人格に惹かれたこともあるが、人格が入れ代わるきっかけとなる『呪文』探しを二人で行った。


その結果、それぞれの『呪文』を確定させることに成功した。そしてミレーユは、ディオン家の深い闇を知ったのだ。


「……その貴公子に、伯爵家では従者も付けないの?」


「知ってのとおり、僕は父上に嫌われているからね、ジェレミーと違って」


「未だに信じられないわ。その…男性が男性を愛するというのは、確かに聞いたことはある。だけど、実の父親よ? それが…その…」


「はっきり言えばいい。実の父親が息子をレイプした、とね」


ジェレミーが父のディオン伯から初めて行為を強制されたのは、7歳のときだった。キュリー家の東屋で、そうミレーユに語った。


それ以降、嫌がるジェレミーを何度も無理やり襲ったのだという。そして、アルフォンスが現れた。


彼はおそらく、ジェレミーの強い現実逃避から生まれた人格なのだろう。ジェレミーとは、真逆の性格をしていた。


あるとき、アルフォンスの人格が父親に襲われた。彼は、思い切り父の股を蹴り上げたのだという。初めて抵抗されて激怒した父は、アルフォンスを徹底的に殴りつけた。


気を失い放置された彼を、母が発見し病院に連れていった。眼窩骨折の重症だった。アルフォンスは、頑なに怪我の原因を話さなかった。父だけでなく、これまで見て見ぬふりをしてきたに違いない母をも信用していなかったからだ。


「……僕は、命の危機を感じたね」


アルフォンスは、肩をすくめた。


「あのまま何もしなかったら、いつか殺されると思った。だから、身体を鍛えた。剣術も習った」


「それで、性懲りもなくまた襲ってきたディオン伯を棒で叩きのめしたのね」


「さすがに剣を使ったら、殺してしまうからね。父殺しとして捕まるのは、真っ平だし」


「それからは、伯爵の暴力は収まった。同時に無視されるようになった」


「あいつにとって、僕は空気みたいなものさ。そこにいるけど、目に映らない」


「母親はあてにならない。使用人たちは、遠巻きにするだけ。味方は誰もいない中で、よくこれまで生きてこれたわね。同情するし尊敬もするわ」


「こう見えて、しぶといんだ。踏まれても枯れない雑草のように」


「雑草の貴公子ね」


ミレーユは、楽しそうに笑った。その笑顔をまぶしそうに見つめたアルフォンスが言った。


「―さて、ミレーユ姫。こうして我が家を訪れてくれたんだ。かねてより申し込んでいた件について、回答いただけると受け取っていいかな?」


「……正直、まだ決めかねているの。あなたと違って、私は家族のことを愛しているわ。それをすべて捨てて、外(・)国(・)へ(・)移(・)住(・)し(・)よ(・)う(・)、だなんて…」


「キュリー公爵がどう考えているか、僕にはわからない。でも、リオネル陛下の外戚になり損ねた。きっときみの意に沿わない縁談を命じてくると思うよ」


「……」


「だったら、いっそ、僕とやり直さないか? すべてをリセットしてさ」


「生活はどうするの? 私たち、働いたことないのよ? 貴族の地位を捨てて、どうやって生きていくの?」


「商売を始めようと思っている」


「うまくいくとは思えないわ」


「うまくいくさ。僕ときみが手を携えれば、何だってできる」


「……」


「幸い、自由にできるまとまった金なら持ってる。それを元手にすれば、結構大きな商いができるよ」


やはり夢物語としか、聞こえない。落ちぶれた貴族のする商売など、うまくいくわけがない。


それなのに、なぜこんなにも彼の提案が魅力に感じるのだろう。自分自身、この先に何の夢も希望も抱けずにいるからだろうか。この現状から抜け出したいという願望があるのだろうか…。


「……もう少し、考えさせて」


「……」


「ごめんなさい。回答を引き延ばすつもりはないのだけど」


「いいさ。人生を左右する決断だ。じっくり考えてくれ」


「本当に、ごめんなさい」


「謝らなくていい。―でも、意外だったな」


「何が…?」


「きみはもっと、勢いに任せて突っ走るタイプなのかと思っていた。結構、堅実なんだね」


「……臆病なだけよ。一度、感情に任せて失敗しているから」


「シルヴィア陛下へのイジメ事件かい?」


「アニェスさまに散々説教されたわ。世の中には、巡り合わせというものがある、って。巡り合わせって、何? そこから外れた者は、黙って耐えろというの? 酷くない?」


「酷いさ。うまく巡り合えている連中に、僕たちの気持ちなんか、わかるわけない」


「二度とリシャールには足を踏み入れまいと誓ったわ。だけど…」


ミレーユは、唇を強く噛んだ。


「リオネルさまが皇帝になられて、シルヴィアさまが妊娠なさった。絵に描いたようなバラ色の人生を送っている。翻って私はどう? 田舎に引っ込んで、使用人たちから白い眼で見られ、誰とも口をきかずに一日中過ごしているのよ。惨めだったわ」


「……」


「いったい私と彼女との違いは何? どこが違うの? そう思ったら、どうしても彼女を直接この目で見てみたくなって、気がついたらリシャールに来ていたわ」


「それで、直接シルヴィア陛下を見て、違いがわかったのか?」


「……格だった」


「格…?」


「人としての格よ。彼女は、誰からも愛される太陽のような人。光り輝いていたわ。まぶしいくらいに。あの輝きで誰でも照らし、暖かく包みこんでしまう。あの人の輝きには誰も勝てない。私はキュリー家の肩書で周囲の人たちを従わせていただけ。愛されてなどいなかった。そんな私が勝てるわけがない」


「……一つ訂正させてもらっていいかな?」


「……いいわよ。何?」


「僕には、きみは光り輝いて見えるよ」


「―!?」


「決して、シルヴィア陛下に劣りはしない。そりゃ、陛下は万人受けするかもしれないさ。だけど、きみだってとても魅力的な女性だ。そんなに卑下することはない」


こんな私でも、愛してくれる人がいる。


なんと救われることだろう。


なんと喜びに満たされることだろう。


こんな私でも…夢をみてもいいのだ。希望を抱いてもいいのだ。


「……ありがとう。嘘でも嬉しいわ」


「嘘なもんか。僕は正直者で有名なんだ」


「ふふっ…。あなたって、本当に優―」


「うわーっ!? やめて!」


アルフォンスは、慌ててミレーユの口を塞いだ。


「その言葉は、ジェレミーに戻ってしまう『呪文』だよ!?」


「ご、ごめんなさい。つい…」


ミレーユは、思わず青い瞳を伏せた。


「いや、僕のほうこそ、嬉しいな」


「え…」


「このあと、ラブシーンだろ?」


「……!? あなたって人はっ!」


殴りつけようとしたが、軽くかわされた。


「冗談っ! 冗談だって!」


「もうっ!」


ぶんむくれのミレーユに温かい視線を送ると、アルフォンスは真面目な表情に戻った。


「―きみは、シルヴィア陛下と対面すべきだ」


「えっ…!?」


「きみはまだ、心の決着をつけていないんだよ。ケリをつけるためには、さっき僕に話したようなことを、シルヴィア陛下にぶつけるべきだ」


「……嫌よ、顔も見たくないのよ。第一、二度と会わないって、正面切って言ってしまったわ」


「そんなこと、気にする必要はないさ。もし直接申し込みにくいんだったら、僕が仲介してもいい」


「あら。気軽に会えるほど親しいなんて、初めて知ったわ」


「嫌味を言うなよ。僕なんかが知り合いなわけないじゃないか」


「だったら…」


「シルヴィア陛下は、誰にでも分け隔てなく接してくださる。重要な話があると言えば、会ってくださるさ」


「……」


「どうする?」


「……わかったわ。会って、話してみる。その…あなたも付き添ってくれる?」


「もちろん。愛しい姫君の願いとあらば、どこへだってついていくよ」


「ありがとう…」


照れたのか、ミレーユは視線を落とした。アルフォンスは、いつまでも彼女に温かい眼差しを注ぎ続けた。

【裏ショートストーリー】

ディオン家使用人A「また若さまは、女性を連れていらしたわ」

ディオン家使用人B「しかも、いつの間にかあの方に代わっているし」

ディオン家使用人C「相変わらず気持ち悪いわ〜」

ディオン家使用人B「あれじゃ、女の方に相手にされるわけがない」

ディオン家使用人A「でも、今度のお相手の女性、ミレーユさまよ」

ディオン家使用人C「キュリー家の姫君じゃないの。しかも、リオネル陛下の元婚約者」

ディオン家使用人B「曰く付きの方よね」

ディオン家使用人C「どうして若さまはいつも、そういう方ばかり連れていらっしゃるのかしら」

ディオン家使用人B「まさか、お付き合いなさっていたりして…」

ディオン家使用人C「ありえない! ありえない!」

ディオン家使用人B「別人のように、ころころと性格が代わってしまうのだもの。付き合う方は、たまったものじゃないと思うわ」

ディオン家使用人A「ミレーユさまは、どういうおつもりなのかしらね」

ディオン家使用人B「面白がっているだけよ、きっと。物好きな方なのね」

ディオン家使用人C「あ〜あ。お家は、どうなってしまうのかしら」

ディオン家使用人B「お先真っ暗よ。あの方が跡継ぎなんだから」

ディオン家使用人A「……そろそろ、今後の身の振り方を考えたほうがよさそうね」

ディオン家使用人B「あなた、以前にも同じようなことを言ってたわね」

ディオン家使用人C「ディオン家を勝手に退職したら、お父さまに叱られてしまうわ。花嫁修業も兼ねてお勤めしているのに」

ディオン家使用人B「あなたの事情なんか、どうでもいいわ」

ディオン家使用人C「ヒドいっ! 私にとっては切実なのよ!」

ディオン家使用人A「……冗談抜きで、真剣に将来を考えたほうが良さそうね」

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