第335話 心の深い闇
「ご機嫌いかが、ミレーユさま」
青年貴族が格好をつけてドアの前で立っていた。その表情一つだけで、彼がどちらなのかわかる。が、それでもわざと尋ねた。
「……今日は、どちらかしら、ディオン伯子息さま?」
「もちろん、僕はアルフォンスさ」
「それは良かった」
ミレーユは、にっこり微笑んだ。
「ジェレミーさまでは、興醒めだもの」
そのまま、部屋を出た。侍女には従いてこないよう申し付けた。
「また、庭園の東屋か?」
「ええ、そうよ。そのほうが心置きなく試せるでしょ?」
「今は夏だよ? 外は暑いよ」
「アルフォンスさまともあろう御方が、暑さを嫌がるなんておかしいわ」
「僕じゃないさ。ミレーユさまのお美しい白い肌が日焼けしては大変だろ?」
「あら。お気遣いありがとう。でもご心配なく。皇宮の庭園ではないのだから、東屋までの短い距離なら日傘で充分だわ」
「短い、ね」
アルフォンスは、肩をすくめてみせた。キュリー公爵家の庭園は、皇宮にも匹敵するほどの見事な庭園だと有名なのだ。
「僕が傘を持とうか?」
庭園に出て日傘を広げたミレーユに声をかけた。彼女は首を横に振った。
「いえ、結構よ」
すたすたと歩き出す彼女の後ろ姿に苦笑いを浮かべると、急いで横に並んだ。
「しかし驚いたなあ。リオネル陛下とシルヴィア陛下が兄弟たちを根こそぎ倒して、ついに玉座を得てしまったなんて」
「私のリオネルさまなら、当然だわ。その隣にいるのが猫耳王女というのが気に入らないけど」
「相変わらず皇后陛下への当たりが強いなあ。もう諦めたはずだろ? ご本人の前で敗北宣言するくらいなんだから」
「それとこれとは別よ。負けを認めることと、好きになることは」
「話を聞く限りでは、完璧な人だと思うけど。いつも誰かのために力を尽くし、家族や友人を大事にしているんだろ。剣を取っては天下無双の腕前だし、誰からも愛される女神のような女性―」
「―やめてっ」
アルフォンスは、そっと横顔を窺った。ミレーユは、唇を噛んでいた。
「おやおや。元婚約者の恨みは深いらしい」
「誤解しないで。恨んでなんかいないわ。己の力の無さは嘆いているけど」
「僕は好きだぜ。きみのその率直さ。ちゃんと冷静に彼我の評価をしている。簡単そうでなかなかできることじゃない」
「……余計なお世話よ」
「きみのことを褒めているんだ」
「あなたに褒められても少しも嬉しくないわ」
「素直じゃないなあ。僕のことが好きなら好きとはっきり言えばいいのに」
ミレーユは、キッと秀麗な横顔を睨んだ。
「あなたって、本当に自惚れ屋ね。好きになるわけないでしょう」
「どうして? 何回もデートに誘ってくれてるのに。好きだという証拠じゃないか」
「……純粋に興味があるだけよ。なぜジェレミーさまと二つの人格があるのか」
「わからないと何度も言ったろ? 本人が言うんだ、間違いない」
「アルフォンスさまは、そうでしょう。でも、ジェレミーさまは、悩んでいると思うわ。―東屋に着いたわ。座りましょう」
ミレーユは、丁寧に日傘を畳むと、チーク材の椅子に腰掛けた。当然のようにアルフォンスはその隣に座る。
「それじゃ、始めましょうか」
「別に僕は、探さなくてもいいんたけどな」
「駄目よ。何がきっかけでジェレミーさまに戻ってしまうかわからないのよ」
「そのときは、例の呪文で元に戻してくれればいい」
「私がいつも側にいるとは限らないわ。それに、やっぱり、ご自身が知っておくのは大事だと思う。いったい、どの言葉で人格が入れ替わるのかを」
「ジェレミーから僕に代わる言葉は、ほぼ決まりだと思うよ」
「まだ、確証がない。そのためには、アルフォンスさまからジェレミーさまに代わる言葉を探さなくては」
「……」
アルフォンスは、また肩をすくめた。もしかしたら、彼の癖なのかもしれない。
「これまで試した言葉を書き留めておいたわ」
ミレーユは、テーブルの上に紙片を広げた。そこには、単語がいくつか書かれていた。
「どれどれ。……イケメン。男前。ダンディ―」
「ちょっと! そんなこと、書いてない!」
「―理想の男性。好き。愛してる。メロメロ」
「……何を言っているの?」
「きみが僕に対して思っていることさ」
「バカじゃないの? どこまで自惚れているのかしら、この男は」
そう言いながら、ミレーユは頬を染めて瞳を伏せた。
その様子を面白そうに眺めていたアルフォンスは、真剣な表情に変わった。
「ジェレミーから僕に代わる言葉は、十中八九、『弱虫』だ」
「……まだ、わからないわ」
「きみとジェレミーの間で交わされた言葉を検証したじゃないか。該当しそうな言葉はそれくらいだ。『弱虫』。まさにジェレミーを象徴している。とすれば、僕から代わる言葉は、僕を象徴する言葉のはずだ」
「……一理あるわね」
「だろ? だから、イケメンなのさ」
「既に違うことが証明されているわ。代わってない」
ミレーユが嘲笑した。アルフォンスは、肩をすくめた。
「ほかにもたくさんある。思いつく限り試してみよう」
「……軽薄。自信過剰。自己陶酔」
「お、おい―」
「傲慢。尊大。思い上がり。確かにたくさんあるわ」
「わかった、わかった。僕の負けだ」
アルフォンスは、両手を挙げた。降参のポーズらしい。
「ふふふっ…!」
ミレーユは、お腹を抱えて笑い転げた。屈託のない底抜けに明るい笑顔がキラキラと輝いていた。
アルフォンスは、つぶやくようにポツリと言った。
「……綺麗だ」
「えっ…!?」
ピタッと笑顔を引っ込めた。大きな目がより真ん丸に見開かれている。
「なん…ですって…」
「綺麗だと言ったんだ。きみの笑顔は最高だよ。見ている僕まで幸せな気持ちになる。そんなに素敵な笑顔ができるのに、どうしていつも、ムスッとしているんだい?」
「……」
ミレーユは、ふいに黙り込んでしまった。アルフォンスは、その顔を覗き込むようにして言った。
「どうした? 急に黙ってしまって」
「……子どものころ、別の人から同じことを言われたわ。その人は今じゃ、玉座でふんぞり返りながら、奥さまの尻に敷かれているけど」
「リオネル陛下か…」
「―こんなに笑ったのは久しぶり。あなたの言うとおりだわ。私、いつから笑わなくなったのかな」
「……やっぱりきみは、僕と付き合うべきだ」
「えっ…」
アルフォンスの真剣な眼差しが刺してくる。ミレーユは、不覚にも少し怯んだ。
「……そうすれば、毎日笑わせてあげるよ。寂しい思いなんか、絶対にさせない。今みたいに、心の底から笑顔でいられるようにずっと側にいてあげる」
青い瞳に見つめられて、まともに見返せない。しばらく蒼い瞳を伏せていたミレーユは、独り言のように言った。
「……私、寂しかったのかな? リオネルさまとの婚約、無理やり解消させられて…頭ではわかってた。皇帝陛下のご命令だもの、従うしかないって」
「……」
「でも、本当は、リオネルさまと別れたくなかった。好きだったから。子どものころから、ずっとずっと好きだったから」
「胸を貸そうか?」
「えっ…!?」
「泣くんだろ? 独りで泣くより、人の胸で泣いたほうがすっきりするよ」
「……あなたって、本当にバカね。それで口説いているつもりなの?」
蒼い瞳に、みるみる光るものが盛り上がった。
「あなたみたいなバカは、初めてだわ。でも―」
ミレーユは、アルフォンスの胸に顔を埋めた。涙があふれて止まらない。
「―しばらく借りていい?」
「お安いご用さ」
「……ありがとう。バカで軽薄で尊大だけど…優しいのね」
突然、アルフォンスの首ががくっと落ちた。次に顔を上げたときには、既に彼ではなかった。
「―あ、あれ!? ここはどこ?」
辺りをキョロキョロと見回していた彼は、胸に女性を抱いていることに気がついた。その瞬間。
「うわーっ!?」
奇声を発しながら、ミレーユを突き飛ばすようにして体を離した。
「な、な、なんで!? ど、どうしてこんなことに…?」
うろたえる彼に驚いたのは、ミレーユのほうであった。
「まさか、あなた、ジェレミーさま…!?」
「ご、ご、ごめんなさいっ。ぼ、僕、知らない! 時間を盗まれただけなんですっ。決して触れるつもりなんてなかったんです! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「落ち着いて! ねえ、ジェレミーさま! 落ち着いてください!」
頭を抱えて丸まってしまったジェレミーに、ミレーユは手を添えた。
「大丈夫! あなたを楽にしてあげる! 私ならできるの!」
しかしジェレミーは、まったく聞いていなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい…許して…お父さまの言うとおりにします…殴らないで…お父さまの好きにしていいから…」
「―!?」
例の『呪文』を口にしようとしたミレーユは、思わず動きを止めた。
彼は今、何を口走ったのだ?
【裏ショートストーリー】
ミレーユ「どちらが本当のあなたなのかしら」
アルフォンス「どういう意味?」
ミレーユ「ジェレミーさまとアルフォンスさま。どちらの人格が最初だったのかなと、思って。生まれたときから二つだったわけではないのでしょう?」
アルフォンス「それなら、ジェレミーのほうが先さ」
ミレーユ「あら。そうなの」
アルフォンス「がっかりしたかい? やっぱり魅力的な僕がオリジナルであってほしいんだね」
ミレーユ「違いますっ! きっとジェレミーさまに何かがあったのね。そうでなければ、あなたみたいな傲慢な人格ができるわけないわ」
アルフォンス「それはヒドいなあ。まるで僕よりジェレミーのほうが好みだと言ってるようなものじゃないか」
ミレーユ「逆に、なんであなたが私の好みだと言い切れるわけ? そういうところよ、あなたの欠点は」
アルフォンス「その欠点を補って余りある魅力が僕にはあるさ」
ミレーユ「……最低ね。謙虚さの欠片もないのね」
アルフォンス「とかなんとか言って、僕のこと好きなクセに〜」
ミレーユ「……普通だったら、女性に嫌われるただの勘違い男よ」
アルフォンス「普通ならね。でも、ほかの女性なんか関係ない。きみにさえ愛されればいいのさ」
ミレーユ「……」
アルフォンス「あれ!? 顔を赤くしちゃって。図星だった?」
ミレーユ「そんなわけ、ないでしょ! 自惚れるのもいい加減にしてっ!」




