第334話 固まる善意と強まる悪意
「ただいま。―あら!?」
午前の三頭会議から戻ると、キッズルームから話し声が聞こえた。耳を澄ますと…
「―ジュリアンのお目々はどこかなぁ?」
「あーっ」
「ジュリアンのお口はどこにあるぅ?」
「うーっ」
「ジュリアンのお耳はどこだろなぁ?」
「あーっ」
「ふふふっ。残〜念! そこはお鼻でしたぁ〜」
「……何をやってるの? メロディ」
「あっ!? シルヴィアさま! 申し訳ありません、お戻りに気がつかず…」
「いいの、いいの。それより、今のはなあに?」
「これは、ジュリアンにお勉強を教えていたのです」
「勉強…? まだ1歳半なのに?」
「こちらの言うことは、だいぶ理解できるようになりましたから」
「へえ。すごいわね」
そのとき。ガンガンと物を叩く大きな音が響いた。
「あっ、こら、バスティアン。おまちゃを叩いちゃ駄目だろう」
サンドラがベビーベッドでお座りしていたバスティアンを抱き上げた。どうやら手にしたおもちゃでベビーベッドの手摺を叩いたらしい。
「アーッ!」
バスティアンが不満の声を上げた。おもちゃを取り上げられたからだろう。バスティアンも最近はよく言葉を発するようになった。
そのバスティアンの元へ、ジュリアンがトコトコと歩み寄った。じっと見上げるジュリアンに、サンドラはバスティアンを近づけた。二人は暫時見つめ合うと、ジュリアンが叫ぶように言った。
「バスっ!」
「ふふっ。そうだ、ジュリアン。この子はバスティアンだ」
サンドラの口元がほころんだ。
「お前の乳兄弟だ。ずっとこの先も仲良くしてやってくれ」
ジュリアンは、小首を傾げた。サンドラの言葉の意味がわからなかったようだ。
「サンドラさま。乳兄弟だなんて畏れ多い。ジュリアンはバスティアンさまの家臣ですわ」
「またその話か。家臣にする気はないと言っているだろう」
「まあまあ、二人とも、いいじゃないの」
シルヴィアが間に割って入った。
「まだまだ先の話なんだから。それより子どもの成長って、早いのねー。ついこの間まではお乳を飲んでたと思ったら、もうこんなにおしゃべりするようになって」
「そうですよ〜、どんどん大きくなっていきますよ〜」
メロディは、膨らみ始めたお腹をさすった。
「この子やシルヴィアさまのお子さまが生まれたら、もっともっと賑やかになりますよ〜」
「……子どもの話をするとき、メロディは本当に嬉しそうな表情をするのね」
「はいっ。家族が増えるのはとても嬉しいです。私、孤児だったから…大家族に憧れがあったから」
メロディがキラキラと輝いて見えた。これが、幸せというのだと思った。
シルヴィアは、コレットを見た。彼女も、メロディと同じ境遇だった。どんな思いで見つめているのだろう。みんな幸せになってほしい。その幸せが、ずっとずっと続いていってほしい。
「―でも、七人も姉妹がいると、大変よ〜。私なんか、一番下だから、両親には放ったらかしにされて育ったし」
「それでも、素敵なお姉さま方に囲まれてお育ちになったではありませんか」
「そう言うけどね、サンドラ。一番上のお姉さまは、怖いだけで遠い存在だし、いるだけでウザい姉もいるし、いいことばかりじゃないわ」
「そうですか? とても仲の良いご姉妹とお見受けしましたが。特にカリーナさまなどは」
「……ちょっと。それ、何の皮肉?」
「ふふっ。素直じゃありませんね、シルヴィアさまは」
「……」
サンドラの笑顔が眩しい。彼女もこの頃はよく笑うようになった。
この幸せを守りたい。この先も、ずっとずっと続くように。
「―さあ、みんな。これから皇太后さまのところへご機嫌伺いに行くわよ。支度を手伝ってちょうだい」
「はい、シルヴィアさま」
コレットたちが動き始めた。
いいえ。あたしが、必ず守ってみせる。みんなの幸せを壊そうとする奴らから守り抜いてみせる。
……絶対に。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「……ふ〜ん。カリーナが森を探っていたのか」
「そうなの、パパっ。聖剣を探してたら、バッタリ出くわしたの〜」
ジュディがガブリエルの胸にしがみついた。
「強い奴だった〜。怖かったよ〜」
「よしよし。よく生きて戻ってきたね。偉いぞ」
「へへへっ」
ゴロゴロと甘えまくっている。その様子は、まさに猫そのものだった。
「お父さま。おそらく、シルヴィアも動き出したと思われます」
ランディが言った。相変わらず執事の格好をしている。しかもカマキリが言葉を発しながらである。シュール以外の何ものでもない。
「カリーナが森に現れたのは、シルヴィアの指示だ、と、こういうんだな、ランディ」
「妊娠中のシルヴィアは、今は動けません。己の代わりに、実姉であるカリーナを動かしたのでしょう」
「となると、ガゼルその人か、またはアベニールの入れ知恵となるが…」
「ガゼルが目を覚ましたとは思えません。おそらくアベニールでしょう」
「ふん。あの姉妹が手を組んでいることは初めからわかっている。アベニールなど、いくらシルヴィアに入れ知恵しようが取るに足りぬ。捨て置け」
「しかし、お父さま。カリーナが我々の邪魔をしてくるのは明白。手を打たれたほうがよろしいかと」
「ランディの危惧もわかるよ。そうだね…」
ガブリエルは、少し考える仕草をした。そして、すぐに決断を下した。
「では、ルプスを攻めよう。どうせ地上の種族は全滅させるんだ。早いか遅いかだけの違いしかない」
「闘うの!?」
ジュディが喜色を顕に身を起こした。
「ボクも! ねえ、パパ、いいでしょ? ボクも闘いたいっ」
「もちろん、いいとも。ジュディのことは、いつもあてにしているよ」
ガブリエルは、ジュディに微笑んでみせた。いつもの天使のような微笑みだった。
「―ランディ」
「はい」
「ディガンマを10万連れていけ。標的はルプスの王宮。国王を初め王族を皆殺しにしろ」
「はっ。……ただ、懸念が一つあります」
「なんだ。言ってみろ」
「森で遭遇した金色の狼。相当な強敵と思われます。負けはしないにしても、私とジュディ、どちらかが奴に足止めされると厄介です」
「それなら、マルディも連れていくといい」
「ええーっ!? マルディも一緒なのぉ〜?」
ジュディが不満そうに言った。当のミラベルは、無表情のままだ。
「ジュディ。以前にも言っただろう? マルディはお姉さまなんだ。仲良くしなくては駄目だよ」
「でも、まだ角も生えてないんだよ。そんな弱いやつ、足手まといだよ〜」
「それなら、心配ない。―マルディ」
「……」
ガブリエルに促されて、ミラベルは、気を発した。すると。黒髪から、小さな羊角が伸びた。
「うはっ! マルディから角が生えたっ!」
ジュディは、手を叩いてその場で飛び跳ねた。
「すごい、すごいっ。角を伸ばしたり引っ込めたりできるんだァーっ」
飛び跳ねた勢いのまま、ミラベルに抱きついた。
「これで正真正銘のボクたちの仲間だねっ。よろしくねっ!」
「……」
ミラベルは、迷惑そうに顔をしかめたが、何も言葉にはしなかった。
「―お父さま。よろしいのですか。身の回りが手薄になりますが」
ランディの視線が意味ありげに、ガブリエルの背後に立つリュカへと向けられた。
「構わないさ。僕にはセヴィルがついている。それに、もうすぐサムディが生まれそうなんだ」
「そうでしたか。これは余計なことを申しました。お許しください」
「いいよ、いいよ。ランディの言はいつも的確だ。忖度などせず、気になることは構わず進言してね」
「ははっ。身に余るお言葉、恐悦至極です」
ランディは、深々と腰を折り曲げて恭順を示した。
「―よし! それじゃあ、子どもたち。ルプスの犬どもを片付けておいで」
満足そうに一つうなづくと、ガブリエルは、天使の微笑みで語りかけた。
「これが、僕たちの世界を取り戻すための真の第一歩となる。その最初の供物が犬牙族だ!」
【裏ショートストーリー】
ジュディ「ねえ、マルディ。角を引っ込めるのって、どうやってやるの?」
マルディ「……気を込めるんだ」
ジュディ「気、ってなあに?」
マルディ「……言葉で説明するのは難しい」
ジュディ「あっ、そんな意地悪言ってぇ〜。パパに褒めてもらおうと思って、独り占めするのはズルいよぉ」
マルディ「そんなつもりはない。本当に難しいんだ。ただ、強いて言えば、念じることかな」
ジュディ「念じる…?」
マルディ「角よ、引っ込め…と、強く思うんだ」
ジュディ「やってみる! ……引っ込めぇ〜、引っ込めぇ〜、引っ込めぇ〜」
マルディ「……」
ジュディ「引っ込まないじゃんかー! ウそを教エたなッ」
マルディ「あ…それだよ、それ」
ジュディ「へっ…?」
マルディ「お前、今、気をまとっていたぞ」
ジュディ「えっ!! そうなの? ……ええいっ! 引っ込めぇ〜! ……ウそつキっ! 殺スぞ、テめぇッ!」
マルディ「今だっ! 念じろっ!」
ジュディ「わっ!? 引っ込メぇ〜、引っ込メぇ〜…あっ!? 角が引っ込んだぁ!」
マルディ「良かったな」
ジュディ「うんっ、ありがとう! マルディ、だぁい好きっ! ……で、角を伸ばすのはどうやるの?」
マルディ「……」




