第332話 二重人格
ミレーユは、大広間を出ると、庭園に向かった。
言いたいことは言えた。自分の中でのけじめのつもりだった。
リオネルへの想いが断ち切れたわけではない。だが、事ここに至っては、すべてを覆すことはできない。
シルヴィアとは、なんと特別な存在なのだろう。これまでの業績は、彼女でなければなし得なかったに違いない。それはつまり、自分にはできなかったということだ。
仮にあのまま自分がリオネルと結婚できたとして、アニェスを救えたか。皇子たちとの争いに夫を勝利へと導けたか。
答えはノンだ。
シルヴィアは勝ち負けではないと言っていたが、やはり自分は負けたのだ。
ふと気づくと、人影が佇んでいた。いつの間にか東屋近くまで歩いてきていた。大広間の喧騒は、ここまでは届かない。
人影はこちらに気づかず、ぽうっとうつむいている。その横顔を何気なく見つめた。
「……どこかで見たことがあるような…」
記憶のページを探る。顔と名前が一致するページに行き当たった。
「ジェレミーだわ。ジェレミー・ディオン」
ディオン伯の一人息子だ。皇宮のパーティーで何度か見かけたことがある。ほとんど会話を交わした記憶がない。大人しくていつも隅にいるイメージだった。
「……ジェレミーさま」
ミレーユは、声をかけた。そのとき何故声をかける気になったのか、後々までわからなかった。ジェレミーという存在すら忘れていたのに。きっと、話し相手が欲しかったのかもしれない。
とにかくミレーユは、小豆色の髪をしたパッとしない青年に声をかけた。彼は驚いたようにミレーユを見た。青い瞳が丸く見開かれている。
「ぽ、僕ですか?」
「ここには、あなたしかいないじゃない」
「で、でも、あなたのような大貴族の姫君が、僕に話しかけてくださるなんて、信じられません」
「―ということは、私のことはご存知なのね?」
「キュリー公爵家のミレーユさまといえば、有名な方ですから」
「……」
(有名、か…)
それは、そうだろう。今や皇帝となったリオネルの元婚約者なのだから。
「……ジェレミーさまは、どうしてこんな所に独りでいらっしゃるの?」
「ク、クリフォードの王太子さまの送別会に招待されたのです」
おどおどとした態度で話す様は、腹立たしさすら覚える。声をかけたことを後悔したが、成り行き上無視するわけにもいかず、言葉を継いだ。
「だったら、早く行った方がいいわ。今たけなわだから、終わってしまうわよ」
「……さっきまで大広間にいたのです。その…顔を合わせづらい方がいらっしゃるので…退出してきたのです」
「あら。私も退出してきたくちなの。あなたと違って、会いたくない人にはちゃんと挨拶してきたけど」
「ぼ、僕は、無理でした。とても話しかけられる雰囲気ではなかったし…」
「ふ〜ん。好きな姫君でもいらっしゃるの?」
「そ、そんな…僕は、もう…」
「なあに? はっきり仰って」
「……」
ジェレミーは、顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。
急速に興味を失い出していた。こういう気弱な男は好かない。男は小さなことにこだわらない度量の大きな方がいい。そう、リオネルのような…。
「―言いたくないなら、無理に聞こうとは思わないわ。あなたみたいな弱虫とは、何の関係もないし」
「……!」
「私は先を急ぐので、これで失礼す―」
突然だった。何の前触れもなく、ジェレミーがすとんと面を伏せた。
「ジェレミーさま!? どうなさったの?」
立ったまま気絶したのかと思い、慌てて駆け寄った。顔を覗き込もうとしたとき、また同じように突然、顔を上げた。
「―ここは、どこだ?」
「えっ―」
驚きのあまり、息が止まった。ジェレミーの様子が一変していた。
眼光鋭く射るように視線を投げてくる。表情は自信満々で、身体まで一回り大きくなったようだ。
「ジェレミーのやつ、また時間を盗んだな」
彼は、辺りをキョロキョロと見回した。
「ここは…皇宮の庭園かな? ―ミレーユさま」
「は、はいっ」
急に呼ばれて、目を白黒させた。
「ジェレミーと二人でここにいるということは、デート中なのかい?」
「ち、違いますっ。偶然お会いしただけです!」
ミレーユは、憤慨した。
「というより、たった今まで会話していたじゃない。これは、何の悪ふざけなの? ジェレミーさま」
「おっと、可愛いお姫さま。それは違うよ」
彼は、キザったらしく人差し指を左右に振ってみせた。
「僕の名前はジェレミーじゃない。アルフォンスさ。アルフォンス・ディオン」
「……」
ミレーユは、まじまじとジェレミーを見つめた。
確かに雰囲気からしてジェレミーとまったく違う。しかし、目の前に立っているのは、紛れもないジェレミー当人だ。これはいったい、どういうことなのだろう?
「ミレーユさまの方こそ、この状況でデートじゃないというのは無理があると思うが」
ジェレミー、いや、アルフォンスは、掌をひらひらと振ってみせた。
「定番のデートコースじゃないか。ジェレミーめ、いつの間にこんな美女を落としたんだ」
ミレーユは、ほんのり頬を染めた。外交辞令とはいえ、男性から美しいと言われれば、嬉しいものだ。
「―ミレーユさま」
「―!?」
いきなり抱き寄せられた。綺麗な青い瞳が目の前に迫った。
「意気地なしのジェレミーは放って、僕と付き合わないか?」
「何するのっ、失礼ねっ!」
思い切り頬を叩こうと手を振り上げた。しかし、手首を掴まれてしまい、身動きが取れなくなった。
「へえ。キュリー家の姫君は、気が強いね。まあ、それくらいでなくちゃ、シルヴィア殿下と対抗しようなどと大それたことは出来ないな」
「殿下…?」
「でも、気の強い女の方が好みだ。やっぱり僕と付き合え」
「……まずは手を離してよ。口説く態度じゃないでしょ」
「おっと。これは失礼」
アルフォンスが手を離した瞬間、ミレーユは手首を捻った。確実に頬を捉えた。……はずだった。
アルフォンスは驚異的な反射神経で身を仰け反らせ、渾身の平手打ちを避けてみせた。
「―ますますいいね」
睨みつけるミレーユに、不敵な笑みを返してきた。
「リオネル殿下とシルヴィア殿下は、仲が良いそうじゃないか。君の目はもうないよ。いつまでも適わぬ恋を追うより現実を見すえるべきだ」
「あなたに関係ないでしょ。それに、さっきからあなた、おかしいわ。陛下方を殿下呼ばわりするなんて。何の皮肉なの?」
「あ…? ちょっと待って。陛下だって? いつから二人は陛下になったんだ?」
「……」
明らかにこの男の言動は常軌を逸している。偽名まで名乗って、何の悪ふざけなのか?
「いやいや、待てよ。ジェレミーは僕の時間をどのくらい盗んだんだ? 確か前に取り戻したときは、新年の朝賀の儀が終わって、ルメールへの遠征直前だったはずだ。今は夏らしいし、遠征は終わったのか?」
「……いったい、いつの話をしているの? ルメール戦役は、とっくに終わってるわ」
「やっぱり。とすると、ブランシャールは勝ったんだな。キュリー家の姫君がのんびりデートを楽しんでるくらいだから」
「違うと言っているでしょ」
「ルメールに勝っただけで、どうしてリオネル殿下が皇帝になったんだ? 陛下と呼ぶ以上、そういうことだよね?」
ミレーユを無視してアルフォンスは首を捻っている。その様子は、とても演技には見えない。どうやら、本当にリオネルが皇帝になったことを知らないらしい。
この摩訶不思議な青年に、俄然、興味が湧いてきた。
「―ねえ、アルフォンスさま。落ち着ける場所へ移動しません? あなたとゆっくりお話ししたいわ」
「もちろん、喜んで。あなたのような美人からデートに誘われて、断るわけがない」
「言っておきますけど、デートに誘ったわけじゃ、ありませんから」
「照れなくてもいいって。それじゃあ、今話題の『カフェ猫耳』へ行こうか。オープンしたばっかりだけど、すごい人気店らしいよ」
「……」
やはりこの青年は、おかしい。同時に、胸がドキドキし始めているのを強く感じていた。この感情がどこへ向かうのか、ミレーユにはまだ見当もつかなかった。
【裏ショートストーリー】
リゼット「あら!? ちょっと、ロジーヌ。あれを見てよ」
ロジーヌ「え…あっ!? あれはミレーユさま!」
リゼット「あれ以来、キュリー家の領地に引っ込んでいるって噂だったけど、いつの間に出てきたのかしら」
ロジーヌ「さあ…?」
リゼット「それにしても負け犬って、惨めね。誰も寄りつかないじゃない」
ロジーヌ「……リゼット。言葉が過ぎるわ」
リゼット「どうして。単なる事実だわ。……あらあら。急に動き出して、何するつもりかしら」
ロジーヌ「目的はシルヴィア陛下よっ! 彼女、まだ諦めていないんだわ」
リゼット「今さらシルヴィア陛下に何をしようというの。……何か話しているわね。ここじゃ、何も聞こえないわ。側に近づきましょう」
ロジーヌ「やめておきなさいよ、はしたない」
リゼット「そんなことないわ。重要な情報収集よ」
ロジーヌ(情報収集が聞いて呆れるわ。単なる野次馬でしょ)
リゼット「あっ…もう、離れてしまった。……ほらっ、ロジーヌ。あなたが四の五の言ってるから、まるっきり会話が聞こえなかったじゃないの!」
ロジーヌ「ごめんなさい…(なんで私が謝らなくちゃならないの)」
リゼット「……まあ、いいわ。どうせ負け犬なんか、何もできやしないんだから」
ロジーヌ「……」
リゼット「つくづく、シルヴィア陛下について良かったわ。今や私たち、皇后陛下の親友よ! 先見の明があるわねえ〜」
ロジーヌ「……陛下もそう思ってくださればいいのだけど」
リゼット「え? 何か言った?」
ロジーヌ「……いいえ。何も」
リゼット「それじゃあ私たちも、シルヴィア陛下にご挨拶してこよう。大親友として、ね」
ロジーヌ「……」




