第331話 孤独な敗者
クリフォード王国王太子ウィンストンの帰国が決まった。
入国当初は人質であった。いつの間にか友好条約締結交渉のための使者となり、ついには皇妹アニェスの伴侶へと、目まぐるしく立ち場が変遷した王太子である。
最後には、アニェスとの結婚は解消となり、賠償金を求めないままの友好条約が締結された。
歴史上はブランシャール帝国の勝利と記されてはいるが、果たして真の勝者はどちらであったのだろう…。
それはさておき、リシャールの皇宮では、ウィンストンの送別会が行われることになった。
相手は友好国の王太子である。国を挙げての大パーティーとなった。貴族だけではなく、国内から広く招待客を集めてウィンストンを慰労した。
「ウィンストン。どんどん飲め」
グラスが空くと、リオネルは素早くお酒を注ぐ。
「すまんな」
ウィンストンは、ボードレール産の赤ワインを美味しそうに口に含んだ。ボードレールは、帝国最大の貿易港カルパンチエに隣接する農業地帯である。中でもブドウ栽培が盛んで、ワインの名産地なのである。
「ウィンストン殿下には、本当にご迷惑をおかけし通しで、申し訳ありませんでした」
シルヴィアが、殊勝に頭を下げた。
「いえいえ、陛下。もうわだかまりはありません。アニェスどのが幸せなら、それでいいのです」
ウィンストンはアニェスに微笑んでみせた。アニェスも応えてにっこり笑った。まさに女神の如き美しさであった。
「ウィンストン殿下には、感謝しかございません。己の心を見つめ直すきっかけをくださったわ」
「それは重畳。ただ、一介の商人に負けた、というのは気に入りませんが」
ウィンストンは、ジロッとアダンを横目で睨んだ。国内の有力な商人も招かれている。アダンはそのうちの一人だった。
逆に言えば、『一介の商人』に過ぎなかった彼も、皇宮のパーティーに呼ばれて誰も不思議に思わないほどには、『有力商人』の仲間入りを果たしたということだ。
ちなみに、アニェスとの婚約はまだ正式に発表されておらず、ごく少数の関係者しか知らない。
「もっとも、それだけリシャールでは、身分差は関係ない、ということなのでしょうね」
大広間に集った人々は、ほぼ貴族と民間人のみである。軍関係者はトリュフォーくらいだ。警備のためにクロヴィスが皇都警備隊を従えてはいるが、それも目立たないように配置していた。
この一点だけでも、先のアニェスとウィンストンの結婚祝パーティーとは全く違う。あのときは、大広間に集まった人々はすべて天馬隊の隊員であった。
リオネル家のパーティーといえば、立食が定番である。費用が安くすむし、参加者の移動に自由度が増す利点がある。欠点は、人々の集まる輪に偏りが生まれることであろう。
その輪から外れて、一人ぽつねんと佇む貴族の姫君がいた。かつては取り巻きが何人もいたが、今は誰も近づかない。
逆に、人がひっきりなしに入れ替わり立ち替わり集まっているのが、シルヴィアたち皇族のいるテーブルであるのは言うまでもない。
孤立していた姫君が、ふいに動き出した。遠巻きにしていた人々はぎょっとしたように彼女に注目した。彼女は、恐れげもなくシルヴィアたちに近づいていく。
初めに気がついたのは、アニェスだった。アニェスは、シルヴィアに注意を促した。シルヴィアは、振り向いた。真っ直ぐ向かってきた姫君が、シルヴィアの前に立った。
「―お久しぶりですね、ミレーユさま」
シルヴィアは、太陽のような輝く笑顔を見せた。
ミレーユ・キュリー。かつて、リオネルの婚約者だった。シルヴィアの輿入れにより婚約を破棄され、逆恨みからシルヴィアをイジメた女性であった。
「皇后陛下には、ご機嫌麗しく、心よりお慶び申し上げます」
ミレーユは、膝折礼で挨拶した。以前は挑戦的な視線を向けてきたが、今はうつむき加減で目を合わせようとしない。
「ご領地に戻られたとお聞きしていました。いつからリシャールに…?」
「つい三日前です。父からお許しが出たので、思い切って上って参りました。本当は、あなたの顔など見たくもないのですが」
「ミレーユ!?」
アニェスが顔色を変えた。しかしシルヴィアはアニェスの前に腕を伸ばした。戸惑うアニェスに黙って横に首を振った。
「ご心配なく」
その様子を見ていたミレーユが自嘲ぎみに言った。
「恨み言を言いに来たわけではありません。そんな元気は、とっくになくなりました」
「あの、ミレーユさま―」
「―陛下。あなたは結果をお出しになった。リオネルさまは皇帝となり、陛下はお世継ぎを身ごもられた。私の完全な敗北です」
「そんな…勝ち負けではありません。たまたま、良い結果になっただけで、どちらに転んでもおかしくなかったのです」
「それでも、良い方に転がしたのは、陛下ですわ」
「ミレーユさま…」
「私は、すっかりその気にさせられて、お二人の仲を裂こうと画策しました。でも、尽く失敗に終わりました。私はあなたに負けたのです」
「その気にさせられた…? それはどういう意味ですの?」
「私にささやいた者がいるのです。幼馴染という絆を持ち出せば、リオネルさまのお気持ちを私に向けさせることができる、と。その者の名は、ガブリエル・ベルトランと言いますが」
「ガブリエル…!」
思いもよらぬ名前が出て、シルヴィアは絶句した。よもやガブリエルがミレーユをそそのかしていたとは。
彼女が接触してきたのは、シルヴィアたちの結婚披露パーティーのときだったはずだ。それほど前からガブリエルは敵対行為をしていたのに、すっかり信用していた自分が情けなくなる。
「―私が言いたかったのはそれだけです。もう二度とシルヴィア陛下にお会いすることは、ないでしょう。それでは、ご機嫌よう」
「待って!」
思わずシルヴィアは、身を翻しかけた彼女の手を取っていた。
「もしよろしければ、二人だけでお話しできませんか? 胸襟を開いて話し合えば、私たちお友だちになれそうな気がするの」
シルヴィアの金色の瞳には、真摯な光があふれていた。しかしミレーユは、無表情でその瞳を見返すと、静かに彼女の手を払った。
「私、あなたのそういう友情を押し売りするところ、大嫌いなの」
「……!」
「そうやっておためごかしに近づけば誰でもあなたにひれ伏すと思ったら、大間違いよ」
「そんなつもりで言ったわけじゃ―」
「もう私に構わないで。これ以上、善人面は見たくない」
声を荒げることなく言い捨てると、ミレーユは歩み去っていった。シルヴィアは両手を胸に抱え、痛ましそうに後ろ姿を見送った。
場が白けきった。誰も身動ぎ一つしない。やがて、沈黙を破ってリオネルが口を開いた。
「……シルヴィア。気にするな。単なるたわごとだ」
シルヴィアは反発するように言った。
「気にします。ミレーユさまのお気持ちを思うと胸が痛むわ」
「後で私が言い聞かせます。お義姉さまには絶対に迷惑をおかけしません」
「必要ありません、アニェスさま。きっとミレーユさまは、あたしに助けを求めに来られたんだわ」
「二度と顔も見たくないと言い放ったんだぞ? しかも大嫌いとまで言った奴が、どうしてお前に助けを求めるんだよ」
「それなら、わざわざ会いに来なくてもいいじゃないですか。嫌いなはずのあたしに近づこうともしないはずだわ」
「それは…」
シルヴィアに返されて、リオネルは言葉に詰まった。
「あの方の周りには誰も人がいらっしゃらない。孤独なんだと思うわ。口では拒絶するようなことを言っていたけど、きっと本心じゃない。誰かが手を差し伸べてくれるのを待っているのよ」
シルヴィアは、ミレーユを探すように周囲へ視線を動かした。しかし、広い大広間のどこにも、彼女の姿を見つけることはできなかった。
【裏ショートストーリー】
サンドラ「あれがミレーユか」
コレット「サンドラさまは、初めてでしたか」
サンドラ「私がシルヴィアさまのお側に戻ったときには、既にご領地へ帰られた後だったからな」
コレット「私、あの方は大嫌い」
サンドラ「確か、マティスへ新兵募集へ出かけた際、コレットたちの代わりに私が呼ばれたんだったな」
コレット「その節は、大変ご迷惑をおかけしました」
サンドラ「いや。そのおかげでバスティに出逢うことができた。むしろ感謝しているんだ」
コレット「……」
サンドラ「あの姫君は、噂に違わずはっきりと物申す御仁のようだな」
コレット「人への思いやりに欠けた自己中です」
サンドラ「ふ〜ん。コレットにしては珍しく、ずいぶんはっきりと悪口を言うんだな」
コレット「ですから言ったでしょう? あの方は大嫌いだと」
サンドラ「まあ、彼女もシルヴィアさまに二度と会わないと言っていたし、別にいいんじゃないか」
コレット「でも、シルヴィアさまは、気にかけていらっしゃったわ。またお節介の虫が騒ぎ出さなきゃいいけど」
サンドラ「シルヴィアさまなら、充分あり得るな」
コレット「あんなやつのために、お力を尽くさなくてもいいのに」
サンドラ「それがシルヴィアさまの良いところさ」
コレット(……サンドラさまは、シルヴィアさまのこととなると、何でも肯定してしまうのね)




