第329話 森の遭遇戦
「さてと。ここも久しぶりだなあ」
カリーナは、キョロキョロと周りを見回した。
カトゥスにある『迷いの森』である。幼少期に、シルヴィアを連れてよく遊びに来たものだ。懐かしいと同時に、ますます森の大きさに驚く。
大抵、子どものころに大きく感じたものは、大人になると思ったより大きくなく、こんなに小さかったのかと驚くことが多い。
ところが『迷いの森』は、そうではない。周りには背の高い樹々がびっしりとそびえ立っている。葉を広く茂らせ、昼でも日の光があまり入ってこない。こうして馬の背に乗っていても、その広さや深さがとてつもなく感じられる。
それでもカリーナは、昼なお暗い森の中を恐れげもなく進み始めた。
妹シルヴィアが夢の中で女神アベニールと会話した。内容は驚くべきものだった。偉大なる常識人であるもう一人の妹ティアナが言うように、到底信じられるものではなかった。
カリーナもシルヴィアの話を全面的に信じたわけではなかった。ただ、本当だったら面白いと思ったのだ。
天空の女神フレイの三姉妹、ガゼル、セヴィル、アベニール。それぞれが持つとされる三種の神器。すなわち聖剣、指輪、神鏡。
そのうちの聖剣がここ『迷いの森』にあるという。どうやら、どこかに封印されているらしい。その封印を解く鍵がシルヴィアなのだ。
しかし肝心の鍵は今、子どもを身ごもっている。出産するまでは動くに動けない。それでもカリーナは構わなかった。鍵が動けずとも、こんな面白い話、黙って眺めているなんて、もったいない。
例え一人であろうとこうして探索へと出張ってきたのだ。
「子どものころの記憶なんて、あてにならねえなあ。さっぱり道がわからん」
そう言いながらも、明るい表情のまま、馬を歩ませる。彼女にとって恐ろしいものなど、この世にただの一人しかいない。姉オクタヴィアに比べたら、どんな魔獣でも猫程度である。
「……この辺を探ってみるか」
両腕では抱え切れない太い幹をした大木が並ぶ中を分け入った。
子どものころによく遊びに来たとはいえ、奥にある湖までの間を往復しただけだ。決まったルートしか歩いたことはない。いったん道を外れたらどうなるかわからないのだ。それこそ迷ってしまう恐れすらある。
それなのにカリーナは、鼻歌でも歌いそうな様子でずんずん森の奥へ進んでいく。まさに彼女も、規格外の英傑である。世の常識など彼女には関係ないのだ。
それは、まさにばったりという表現が相応しかった。
突然、目の前に人影が現れた。プラプラと馬を歩ませていた、その目の前である。その人物も、こんなところで人に会うとは思いもしなかったらしく、呆然とカリーナを見上げていた。
「……キミ、誰?」
「それはあたしの台詞だ。お前こそ、誰だ?」
それは一見、猫耳族のようであった。だが、決してそうではない証拠に、猫耳の後ろに羊の角が生えていた。さらに尻尾は蛇であった。舌先がチョロチョロと伸びたり縮んだりしている。
「ボクは、ジュディだよ」
「ジュディ…お前か、喋る魔獣というのは」
シルヴィアの話に出てきたセヴィルの禁断の魔法で生まれたという魔獣の一人だ。
「キミは誰なのさ?」
ジュディが再度尋ねてきた。カリーナは、ニヤリと笑った。
「あたしか。あたしは、カリーナという」
「ふ〜ん。猫耳族だよね? 猫耳があるし」
「お前、ここで何をしている?」
「ガゼルの聖剣を探しているんだァ。この森にあるんだって、パパが言ってた」
「ほう。それで、見つかったのか?」
「それがねえ、いくら探しても見つからないんだ。飽きちゃって、お昼寝してたんだよ」
「ということは、仲間も近くにいるんだな?」
情報によれば、ガブリエルを除けばまだ三人いるはずだ。
「うんっ。ランディがいるよ」
ランディとは、カマキリ男のことだろう。
見たところ、ジュディの戦闘力は、とてつもない。ランディも同等だとすると、さすがのカリーナでも、二人を同時に相手するのは、少ししんどそうだ。
ならば、今しかない。
カリーナは、無造作に剣を抜いた。馬腹を蹴った。剣を振り下ろす。ジュディは瞬時に消えた。背後に殺気を感じた。考える前に身体が動いた。
馬の首が飛んだ。ジュディの爪で飛ばされたのだ。カリーナは、ゴロゴロと地を転がっていたが、驚異的な身体能力で飛び起きた。そのときには既にジュディが目前に迫っていた。剣と爪が噛み合った。
「……突然襲ってくるなんて、ヒドいなあ」
ジュディは、ニヤッと笑った。
「まあいいけど。どうせ地上の種族は皆殺しだもんねッ!」
尻尾の蛇が鎌首をもたげた。その細い全身が炎に包まれている。蛇は大口を空けた。火焔がカリーナを襲う。
咄嗟にカリーナは、しゃがんだ。しかも剣を横に薙いだ。その剛剣はジュディを真っ二つに横断した、はずだった。
ジュディは、宙高く跳んでいた。大木の枝に止まる。次の瞬間には姿が消えていた。
カリーナはだらりと剣を下ろした。金色の瞳を閉じる。
先程までの闘いが嘘のように、しんと静まり返った。
風が通るのか、さやさやと葉のこすり合う音が聞こえる。森の生き物の気配はない。二人の傑物の争闘を避けて逃げてしまったのかもしれない。
突然、カリーナは振り返った。カッと金色の瞳を見開き、剣を振った。爪とぶつかり合う音が森に響き渡った。双方、さっと間を空けた。が。
カリーナは、横っ飛びに身を避けた。今の今までカリーナのいた空間を大鎌が斬り裂いていた。
「ジュディ! 何をしている!」
いきなり人の大きさのカマキリが怒鳴りつけた。
「姿が見えないと思ったら、こんなところで遊んでいるとは! まったくお前というやつは、どうしてそう仕事に身が入らないのだ」
「ふんっ。ランディに言われたくないね」
「私は真面目に仕事している。お前を叱る権利がある」
「おいおい。あたしはガン無視か?」
ランディが逆三角の顔をカリーナに向けた。頭にはジュディと同じような羊角が伸びている。
「猫耳族か。こんな森の中へ何をしに来た?」
「お前らと同じさ。聖剣を探している」
「シルヴィアに頼まれたのか?」
「……カマキリと会話をすることになるとはな。なかなか気に入ったぞ」
「……」
ランディは、両手の鎌を持ち上げた。戦闘態勢に入ったということだろう。
「ランディ。そいつはボクの獲物だよ。横取りすんな」
「そんなことを言っている場合か。この猫耳族は強敵だぞ。二人がかりでないと、勝ち目はない」
「ボク一人で充分だよ!」
ジュディが地を蹴った。同時にランディも大鎌を振った。その刹那。風がカリーナを拐っていた。
気づくと大きな背に乗っていた。風の正体は…
「旦那さま!?」
それは、黄金色の巨大な狼、ドラードだった。風を巻いて森を疾駆する。ジュディたちが追ってくる気配はなかった。
「カリーナ! 危険な真似はするなと何度も注意しているだろう!」
「ごめんなさぁ〜い!」
カリーナは、猫なで声で背中に抱きついた。
「森をちょっと調べるだけのつもりだったのぉ。まさかあんな連中がいるなんて、思いもしませんでしたぁ」
「嘘をつけ。あいつらは、シルヴィアが言っていた喋る魔獣だろう。どうせ連中も森の中で聖剣を探していると見越して、単身乗り込んだに違いない」
「えへ。バレましたぁ?」
「……まったく。匂いを辿って後を追っていなければ、お前でも苦戦は免れなかったぞ。あの二人、相当の腕前とみた」
「あんな連中をシルヴィアは相手にしているのです。あたしが手伝ってあげなくては、あの子がかわいそうだわ」
「それならそうと、なぜ私に相談しない?」
「だって、旦那さまにご迷惑はかけられないわぁ」
「……お前は闘いたいだけだろう」
ドラードは森を抜け、大きな湖に出ていた。かつてシルヴィア一行が遊びに訪れた湖である。そこで、ようやく脚を止めた。
ドラードが黄金の光に包まれた。光が収束すると、スラリとした人の姿が現れた。
「や〜んっ! カッコいい! 旦那さまぁっ!」
甘えた声でカリーナはドラードの胸に飛び込んだ。ドラードは彼女の赤茶色の髪を撫でながら言った。
「……カリーナ。私もシルヴィアに手を貸そう」
「にゃにゃっ!? そんな…旦那さまの手を煩わすわけには―」
「いや、喋る魔獣を目の当たりにして考えを変えた。想像以上に奴らは手強いぞ。あんな連中が何人もいるとしたら、人類共通の脅威となるだろう」
蒼い瞳が深刻そうに伏せられた。それを見て、カリーナは初めて不安の色を示した。
「―これは、人類存続を賭けた闘いになるかもしれない。カリーナ。セヴィルの野望を止めるぞ。私たちの力で必ず阻止するのだ」
【裏ショートストーリー】
ドラード「アズール!」
アズール「兄者!? なんでしょう?」
ドラード「カリーナを見なかったか?」
アズール「義姉上ですか。いえ、存じ上げません。いらっしゃらないのですか?」
ドラード「しばらく前から姿が見えない」
グロリア「お姉さまなら、『迷いの森』に行くと仰っていました」
ドラード「本当か、グロリア」
グロリア「はい、お義兄さま。シルヴィアを助けるのだと仰って」
ドラード「……。また単独で行動しよって…。何度注意しても言うことを聞かぬ。……アズール」
アズール「はいっ!」
ドラード「私はカリーナの後を追う。しばらく留守にするゆえ、王宮は頼んだ」
アズール「はっ! お任せを」
グロリア「……お義兄さまとお姉さまは、本当に仲がおよろしいのね。うらやましいわ」
アズール「俺たちだって、仲良しだ」
グロリア「そうね。そうありたいわ」
アズール「……なんか、含んだいい方だな」
グロリア「あ…ごめんなさい。あなたに不満があるとか、そういうことではないの。シルヴィアの話を聞いてから、何かずっと不安で…」
アズール「心配するな。グロリアのことは、俺が必ず守る」
グロリア「ありがとう(大変なことが起こりそうな気がして、どうしようもない。アズールに話しても、きっとわからないでしょうね。……カリーナお姉さまなら、わかってくださるかしら…)」




