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第328話 最高の選択

「私は、アニェスさまと殿下の結婚に反対しますっ!」


シルヴィアとウィンストンは、一触即発となった。


身重のシルヴィアは、両腕を広げて仁王立ちしている。膨らんだお腹を気にする素振りすらない。ウィンストンは、まるで獲物を前にした猛獣のように今にもシルヴィアに飛びかかりそうだ。


「―ウィンストン殿下。このような形になり大変申し訳なきことながら、アニェスさまの後を追うことはお諦めください」


「その様子だと、アダンのことは知っていたようだな。どういうことか、説明してもらおうか。ことと次第によっちゃ、俺にも覚悟があるぞ」


「無論、ご説明申し上げるつもりでした。―動くなっ」


シルヴィアがラビアンローズを怒鳴りつけた。二人が対峙している隙に、そろりと動き出していたのだ。


「ラビアンローズといえど、ここを動くことは許しません! これは、皇后としての命令です。動けば反逆と見做して拘束します」


呼応するようにサンドラが手を挙げた。イザクを筆頭にマタル隊が素早く包囲した。更に天馬隊が大広間全体に展開して、出入り口を完全に封鎖した。


さしものラビアンローズも、一歩も動かなくなった。アニェスに忠実な彼らだ、包囲されたくらいで大人しくなるはずもない。常であれば強行突破を図っただろう。


しかし、彼らは動かなかった。動けなかったのだ。シルヴィアの威厳に打たれたのである。


「―なるほど、こういうわけだったか」


ウィンストンは、ギラリとシルヴィアを睨みつけた。


「どうもおかしいと思っていた。ここに集まった連中は、目つきといい物腰といい、貴族のそれではない。シルヴィアどの子飼いの兵だったか」


「理由はそれだけではありませんが、殿下の仰るとおりです」


「さては、すべて仕組んだのはシルヴィアどのか。俺を騙してまでアニェスどのと結婚させたくなかったか」


「誤解です。騙すつもりはありませんでした。結果的に騙すことになってしまったかもしれませんが、そのことについては、幾重にもお詫び申し上げます」


シルヴィアは深々と頭を下げた。


「……しかし、すべてはアニェスさまのため。アニェスさまに本心に立ち返っていただくため、少々乱暴な方法を取らせていただきました」


「本心だと…」


「アニェスさまには、幼少のみぎりよりお心に決めた方がいらっしゃいます。いみじくも先日、殿下ご自身がご指摘なさった方です」


「アダンか」


「誤解を恐れず申し上げますが、残念ながら殿下では、アニェスさまを幸せにはできません」


「……」


「私はアニェスさまには幸せになっていただきたい。そのためなら、何でもする覚悟。殿下に対する非礼は幾重にもお詫び申し上げます。されど、ここはどうか、お引きくださいませんか」


「そんなことで俺が納得すると思うのか? そもそも、婿入りを提案してきたのはそっちの方だぞ」


「ただただ謝罪するしかありません。人質については解消いたします。友好条約に関しても無条件で締結いたします。どうか、どうかご理解いただきたい」


「……」


ウィンストンは、考えるような素振りを見せた。


「―要するに、アニェスどのの恋を成就させるために、俺は国に帰れ、というんだな」


「殿下! そういう意味ではありません」


「いや、いいんだ。わかっている」


「……」


「俺は、父上に取り入った『彗星』を止めることができなかった。父上の暴走を止めるべき立ち場にいながら、貴国への侵攻を許した。だから、責任を取るつもりで人質となることを肯った。もちろん、裏ではリシャールの内情を探る企みも抱いていたがな」


「殿下、よろしいのですか? そのようなことを暴露してしまって?」


「構わないさ。とっくにリオネルには話しているし」


ウィンストンは、にやりと笑った。


「人質として来たつもりだったが、リシャールは俺を賓客として扱ってくれた。感謝しているんだ。俺に選択肢はない。アニェスどのとの結婚を解消するというなら、受け入れるし、国に帰れというなら帰るさ」


「殿下…。結果的にかき回してしまって、本当になんとお詫びしてよいか…」


「気にしないでくれ。ただ心残りがあるとすれば…」


「にゃ…?」


「アニェスどのの夫になり損ねたことだ。本気でアニェスどのには惚れていた。選ばれなかったことは、痛恨の極みだ」


「―ウィンストン殿下!」


大扉から、澄んだ声が響いた。それは、アニェスだった。傍らにはアダンが連れ添っていた。


「ウィンストン殿下っ」


アニェスが走り出した。アダンがあわてて後を追う。


「申し訳ございません!」


ウィンストンを前にすると、いきなり跪いた。アダンもアニェスに倣って片膝をついた。


「一度は結婚をお約束しながら、このような仕儀となり、お詫びのしようもございません」


「やめてくれ、アニェスどの」


ウィンストンは、アニェスを立ち上がらせた。


「選ばれなかった俺としては、謝られると余計惨めになる」


「そんな! 決してそのようなことは―」


「いや、本当にいいんだ。すべてシルヴィア陛下からお聞きした。潔く身を引くよ」


「殿下…」


黒い瞳から涙がこぼれ落ちた。


「泣かないでくれ。あなたに涙は似合わない」


ウィンストンは、そっと涙を拭った。


「笑顔を見せてくれ。あなたには笑顔がもっとも相応しい」


「殿下…」


アニェスは、泣き笑いを浮かべた。


「―アダン!」


「はい」


「アニェスどのを任せたぞ。もし泣かせるようなことをしたら、クリフォードから駆けつけてボコってやるからそう思え」


「泣かせるわけありませんよ。万が一、そんなことをしたら、殿下が駆けつける前に、シルヴィア陛下に殺されます」


「ははっ! 違いない」


ウィンストンは、豪快に笑った。そして、何のわだかまりもないように、リオネルに声をかけた。


「リオネル! 仕事の話をしよう。友好条約の中身をつめたい。それが終わったら久しぶりに飲もうぜ。今夜はとことん飲むぞ、覚悟しておけよ!」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


数日後。皇室から全国民に向けて発表があった。


それは、皇妹アニェスとクリフォード王太子ウィンストンとの結婚の撤回だった。同時に、クリフォードとの友好条約締結も併せて伝えられた。


突然の婚姻破談の報は、詳細が明らかにされなかったため、人々にさまざまな憶測を呼んだ。


ある者は、ウィンストンが土壇場で断ったのだという。やはり祖国の王太子の地位に未練があり、その地位を捨ててまで婿入りはしたくないと翻意したのだ。


逆にアニェスのほうが最後の最後で拒否をしたのだという者もいた。実は心に秘めた恋の相手がおり、愛のない政略結婚よりも己の恋を貫いたのだという。


またある者は、妹を溺愛する皇帝リオネルが二人の仲を裂いたのだと主張した。婿とはいえ、他国人に妹を嫁がせる気にはどうしてもなれなかったのだ。


どれもあり得そうで、決め手に欠けた。その中で、もっとも大向こう受けしたのが、シルヴィア黒幕説であった。


国のため、いったんは政略結婚を肯ったアニェスに、好きな人がいることを知ったシルヴィアが裏で画策。想い人との仲を取り持った上でウィンストンを説得。断念させることに成功し、見事アニェスの想いを遂げさせた、というものであった。


あ(・)の(・)シルヴィアならば、いかにもやりそうだと、皆頷き合った。それこそまさに、真相に最も近かったのだが、当の本人は非常に不満そうで…


「―あ(・)の(・)シルヴィアなら、いかにもやりそう、って、どういう意味よ!?」


「まあ、そう怒るな」


リオネルは、笑いを堪えるのに必死である。


「みんな悪気があって言ってるわけじゃねえ」


「こういうときに、人の本音が出るものですわ。みんなあたしのことを、裏で陰謀を巡らす薄汚い女だと思っているのよ」


「そこまで言ってねえ!」


ついに我慢し切れなくなったリオネルは、ゲラゲラ笑い出した。シルヴィアは、憮然として夫を横目で睨んだ。


「―薄汚いなんて、みんな思うわけねえだろ、シルヴィア」


アダンがにやりと笑いながら言った。


「ずる賢い女、さ」


「なんですって!?」


「冗談ですっ、お義姉さま!」


血相を変えたシルヴィアに、アニェスは必死になって弁明した。


「今のは本気ではありません! アダンは冗談ばっかり言うの。怒らないでっ」


「……ぷっ。ふふふっ! あっはっはっ」


シルヴィアは、堪らず笑い転げた。アニェスは、呆然と義姉を眺めた。


「お義姉さま…」


「ごめんなさい、アニェスさま。笑ったりして。そんなに必死なアニェスさま、初めて見るから、つい可笑しくなってしまって」


「……涙まで流して笑うことないでしょうに」


アニェスは口を尖らした。


「……ほんと、ごめんなさい。でも、なんだかアニェスさま、人らしくなりましたね」


「それこそ、どういう意味ですか? 私は人ではないと?」


「ええ、人ではなく、女神さまですわ」


「私は女神なんかじゃ―」


「いや、アニェス」


アダンはアニェスを遮って、じっとその神々しい顔を見つめた。


「俺にとっては、お前は最高の女神さ」


「アダン…」


アニェスは、真っ赤になってうつむいてしまった。


「お二人さま。ノロケるなら、別のところでしてください」


「お義姉さま! からかわないでください!」


「ふふっ」


太陽のような輝く笑顔が広がった。金色の瞳がキラキラと煌めいた。


「―アダン。ようこそ、リオネル家へ。心から歓迎するわ」

【裏ショートストーリー】

マイク「よろしいのですか? このまま身を引いてしまって」

ウィンストン「しょうがねえだろ。アニェスさまの心は、あの商人の元にある」

マイク「それでも、いったん交わした婚姻を反故にするなんて、大国の横暴としか思えません」

ウィンストン「まあ、そう言うな。友好条約を勝ち取った。しかも賠償金も無しにだ。最終的に俺たちの勝利さ」

マイク「ウィンストンさま!? まさか、そのために偽りの結婚を…」

ウィンストン「おいおい。そこまで俺はワルじゃねえぞ。できるだけこちらに有利になるようにとは、思っていたがな」

マイク「これは失礼いたしました。そこまでのご深慮がおありとは」

ウィンストン「でもよ。逃がした魚はデカいぜ」

マイク「はい…?」

ウィンストン「アニェスだよ。あれほどの美人は、そうはいねえ。できれば手に入れたかったが…まあ、そこまで欲張ると罰が当たる。十二分に成果は手に入れた」

マイク「ウィンストンさま…」

ウィンストン「さあ、国に帰ろう! うちにだって、美人はたくさんいる」

マイク「……はあ。またあの日々が戻ってくるのかあ。せっかくリシャールでは大人しくしてくださっていたものを…」

ウィンストン「そう嘆くな。楽しい日々が待ってるぞ」

マイク「私にとっては尻拭いの日々ですよ」

ウィンストン「あっはっはっ!」

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